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3-13

綺麗な色をした紙が届いた。インユェはその紙をじっと見ていた。

今までの絵巻物とは趣の違う物だ。桜色をした、きらきらと何かが光っている、それだけでもう、村だったら宝物になりそうな紙が、インユェ宛に送られてきていた。

「皇帝陛下からのお手紙です」

見知らない宦官はそう言った。

皇帝。そうか、あの男の人からの手紙という物なのか。

皇帝と言う立場がよく分からないながらも、陪都公と言われているヤンホゥよりはずいぶん身分の高い人らしい、と言うところまでは辛うじて理解したインユェは、紙切れ一枚にもその身分の高さという物が出るのだなと感心した。

こんなに綺麗な紙は初めて見た。

だって、とインユェはその紙を太陽の光にかざす。

そうすると、きらきらと光るのだ。

白い紙が光るように輝くのは理解できても、光る物をわざわざ紙の中に漉き入れるという技法までは知らない彼女にとって、その紙はまさにお宝だった。

これは大事にしよう、とインユェは思った。

人からもらった初めての手紙だ。

それもちゃんと手紙だと言われて渡された物で、記念するべき一枚目だった。

紙をそうやって見ていた彼女は、しばらくしてから文字が書かれている事に注意を向けた。

気付くのが遅すぎるのだが、手紙の存在自体を最近になってようやく知った田舎者ならそんなものかもしれない。

まず初めに、手紙が来たという事を喜ぶのだ。次に紙がきれいだと感心し、文字は最後になる。

典型的な田舎者のパターンであった。

手紙を取り次いだメイファはもう失神したくなっていたが、そんな繊細な神経が、インユェに通じるわけもない。

あの、皇帝からの手紙。

そんな物を贈られる人間などほとんどいないのに、彼女はその常識を超えていく。

この人はいったい何者なのだ、とメイファが心の底から思ってもなにもおかしくはないのだ。

得体の知れなさは初めからあった。この人には街の常識という物が、かなり欠けているというのもメイファは理解できた。

それは彼女の実家もそれなりに鄙びていたからだが、ここまで非常識ではなかったと、メイファも自分と照らし合わせながら何度も思った。

それくらい、インユェは常識というくくりに縛られていなかったのだ。

そんな彼女は、手紙の文字をじっくりと眺めた。

初めに驚いたのは、その文字のきれいさだった。

彼女はたくさんの物語を、ヤンホゥからもらった。きれいな文字で書かれたものはそれなりに見た事があったのだ。

だがこの文字は、それらを上回って余りあるものだった。

滑らかで、ためらいもなく書かれている文字は、優雅と言う言葉がふさわしかったかもしれない。

とにかく、インユェの知る最上級の、美しい文字という物を越えた、信じがたいほど美しい文字は、インユェのためだけに書かれていた。

感心して眺めて眺めて、そこからやっと本題に入る。そこまで何と三十分は文字を鑑賞していたインユェであった。

お前文字を読め、内容を把握しろ、と言っても無意味だろう。

この世界にも、文字を鑑賞するという趣味がある。

インユェのそれは、その文字を鑑賞するという行為とかなり近かった。

「ええっと」

インユェは文字を読んだ。

何とか読めたのだ。つっかえつっかえ、彼女は拙く文字を読んでいった。

内容が、とても易しい内容だった事も、彼女に味方した。

「ええっと……夜、満月がきれいだから、月見をしよう。場所はインユェのいる宮殿で」

中身は言葉通りの事だった。これならインユェでも理解できた。

皇帝と言う人が、この作りかけの宮殿に、月見だと言って遊びに来ると言っているのだ。

この宮殿に、月見をするような場所は果たしてあっただろうか。

インユェは真剣に悩んだ。悩みに悩んで、メイファを見た。

「メイファ」

「なんですか?」

「この宮殿で、一番、いっとうきれいに月が見える場所って何処?」

「それなら、前の庭園がいいと思いますが? そこの池に月が映れば、きっと素晴らしい物になると思いますよ」

「夜なら、おれがそこに行っても文句言われない?」

「きちんとした格好をしてくだされば、宮殿のどこにいても、私は文句は言いませんよ」

メイファの、言外の頼むからちゃんとした格好をし続けてくれ、と言う言葉を、インユェはなんとなく感じ取った。

そのため聞いた。

「動きにくくても、ひらひらした格好してた方がいいのか?」

「服にはきちんとした理由があるんです。この服の意味、あの服の意味。意味はいっぱいあるんですよ、インユェ様。意味がわからないから、どんな格好でもいいというのは、よくありません」

「……考えた事もなかった」

インユェは目を瞬かせた。

「服って、暑さ寒さを防いで、傷だらけにならないようにする以外に意味があんの?」

メイファは天井を見上げた。

そこからか。そこから彼女に教えなくてはいけないのか。

この人の出身はいったいどこなのだ。メイファは田舎者だったが、人によって異なる服の意味は、知っていたのだ。

それすら知らない程の田舎。

理解を超えた鄙び方である。

この調子では、着てはいけない色味など全く知らないに違いない。

メイファを困らせている自覚のあるインユェは、彼女をじっと眺めていた。

きっと、街では当たり前の常識を、自分は聞いているのだろう。

だが誰かに聞かねばならない。聞かなければ知れないのだから。

街にいる以上、知る必要のある事はたくさんあるはずだ。

真顔になったインユェに、メイファは言った。

「これから言う事は、常識です。ちゃんと覚えてくださいね」

そして始まったのは、怒涛の服に関する説明だった。

色々ありすぎて覚えきれないインユェは、途中から頭を抱えたくなった。

そんなに種類があってなんでみんな覚えていられるんだ、街ってすごい人の集まりだな。

そうやって思いつつも、何とか一番常識であるらしい事は覚えた。

田舎と違って街という物は、決められている事が多すぎるな、とも思った。

もっと単純でいいじゃないかと思う部分ももちろんあった。

だがそれを、メイファに聞くのも違う気がして、インユェは黙った。

黙って黙って、その説明が終わった時に問いかけた。

「おれ宮女の格好していていいの?」

「あまりよくはありませんが。あの格好よりはましだと言っているでしょう。あなたは着る物を用意されていましたか?」

「何だっけな、ここにきて世話してくれ人が、用意してくれると思ってた」

確かヤンホゥがそんな事を言った気がした、と思っていると、メイファは言った。

「陪都公が、あなたを連れて行った部屋に、案内してもらえませんか」

「うん」





「いっぱいあるじゃないですか! あなたどうしてこれに着替えないんです!」

案内した部屋の、壁にあった引き戸を開いたメイファが、開口一番インユェを叱った。

「だって、これで十分……」

自分が服に関しては、ありえないほど非常識だとたった今知らされたインユェは、首をすくめつつ言い返した。

「何馬鹿な事を言っているんですか! こんな最上級のお服! 着なかったらもったいないでしょう!」

「でもさおれ、着なくても困らないし」

「ヤンホゥ様は、あなたのためにこれらを選んだと思いますよ」

インユェは言葉に詰まった。考えた事もない事だったのだ。

自分のために服を選ぶ。

そんな事をしてくれる人は、村にはいなかった。当然だ。選ぶ服の選択肢がないのだから。

そして彼女の仕事を考えると、選ぶ服は限られていて、選ぶ余地などどこにもなかったのだ。

「きっと、あなたに似合うとか、いろいろ考えてくださったに違いありませんよ」

「……」

インユェは、そう思った事もない布の山を見た。

不思議な事が起きて、インユェは軽く驚いた。

いきなり、服が輝いて見えたのだ。

そんなのは心境の変化でなければあり得ない事だと、インユェは気付けない。

ただ突然、布の山が布の山ではなく、宝物の山に見え始めたのだ。

陪都公が、ヤンホゥが。インユェのために選んだ服。

彼女を思って贈った服。

その響きは、信じられない程、ただの布の塊だった服の山を、輝かせる物になったのだ。

インユェは服の一着を手に取った。

素晴らしい手触りの、それはそれはきれいな服。

ヤンホゥがくれた、贈り物。

「……」

どうしたんだろう。インユェは急に胸がつまって、目がぼやけて来た。

息が苦しい。

覚えている限り、ほとんどこぼした事のない涙が、にじんできたのだ。

何故だろう。

わからないのに、胸はぎゅうぎゅうと絞られるようで、インユェは声を殺すために歯を食いしばった。

うれしいのだ、と気付いたのはメイファに服を着せてもらって、鏡でその姿を映した時だった。

「……ヤンホゥ様はさ」

見慣れない装束を身にまとった自分を眺め、インユェは問いかけた。

「ヤンホゥ様が?」

「おれの事、きれいって言ってくれるかな」

インユェの唐突な問いかけに、メイファは断言した。

「言わなくっても、心では思ってくださいますよ」

「……言葉だけが全部じゃないもんな」

それを心の底から知っているインユェは、ちょっと笑った。




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