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3-11

足りなかった説明を追加しました。インユェは宮殿の中にいます。

温かい汁に入った米に、甘辛いたれをまとった野菜炒め。インユェは朝から顔を輝かせた。

用意をしろと言ったインユェは、そこまで高度な物を求めていたわけではなかったのだ。

食べられる物なら構わなかった。美味しければなおいいけれど、高度な技術も繊細な見た目も求めていなかった。

彼女が用意してくれたものたちは、なるほど庶民的で、割とあっという間にできた。

何も用意をしていない状態から、これをここまで作るのはすごい物がある。

インユェはさっそく粥状の物を口にした。出汁は何を使ったのだろう。豊かな味わいが口いっぱいに広がった。器を片腕に抱え込み、インユェは食事を進める。

「あの……」

女性は何か言いたげな顔をして、何とか、と言った調子でインユェに言ってきた。

「何?」

インユェは相手を見やって、首を傾けた。何かしただろうか。もしかして味付けを間違えたりしたのだろうか。

それであってもこのお粥はおいしいと思うのだが。

それとも、何か毒でも仕込んで、効果が一向に現れないのを訝っているのだろうか。

毒ならインユェにはほとんど通用しないのだ。それを事実として知っている人間は山の人間だけで、街の人間にその特殊ともいえる体質を話した事はない。

「行儀が悪いと思いますよ」

「行儀」

インユェは言葉を繰り返した。そして、今更ながら、食事のたびにヤンホゥが自分のあれこれを注意していたことを思い出す。

確か器は手で持ってはいけないのだ。卓に置いたまま食べなくてはいけなかったような。

それを考えれば、インユェはそれなりの身分の人間が卒倒しそうなほど、不作法で間違いないだろう。

「ふうん。そういやそうだっけな」

インユェは同意し、卓に器を戻した。

戻し、背筋を伸ばしてレンゲを使い始めた。

それを見て彼女が言う。

「どうしてそれだけ丁寧な事が出来るのに、不作法な事をなさるんですか」

「なんか、慣れないんだよね。街の作法っていろいろありすぎて大変だ。指で食べちゃいけないしさ」

「指で食べる地方なんてあるんですか」

「実際にあったんだから事実」

言いつつインユェは、粥を平らげ野菜炒めを空にし、一粒も残さずすべて食べ切り、彼女に笑いかけた。

「おいしかった。ありがとう。でもあんたは自分の分を済ませたの?」

「はい。宮城で朝餉は済ませてきました」

「それはよかった。あんたの分まで食べちゃったんだとしたら、よくないって今思い至ったんだ」

食べ終わってから思いいたる事だろうか。そんな疑問を抱かれてもしょうがないが、インユェにとっては事実だった。

「あんた、名前は? おれインユェ」

「わたしはメイファと言います」

「メイファ、いい名前だね」

「ありがとうございます」

「堅苦しいのいらないよ、だってあんたヤンホゥ様に頼まれてきたんだろ? おんなじように同じ人に仕えているんだから、堅苦しくしないで」

インユェの言葉を聞いて、メイファは目を丸くした。宮城でインユェを知らない女性は、ある一定の階級を越えるともういない。

ヤンホゥの特別寵愛する女性。

愛を誓う指輪を与えられた、唯一。陪都公が彼女のためだけに宮殿を作る程、大事にされている女性。

陪都公の寵愛が与えられる可能性がある女性は、皆インユェの事を知っている。

知っているがゆえに、今のインユェの発言はおかしいのだ。

何ゆえに愛されている女性が、忠実な家臣のような発言をするのか。

「あの……?」

「なんか変な事言ったか?」

インユェはそう言い、衝立っていうのはもしかしたら、女性たちには秘密の事なのかもしれないな、と思った。

「とりあえず、あんまり馬鹿丁寧なのはなしにしてくれないか、おれぜんぜん通じないんだそう言うの。分からなさ過ぎてさ。庶民でもわかりそうな、わかりやすい言葉でしゃべってくれればうれしい」

「あ、はい」

メイファが、この女性はいったい何なのだろうと思っている事など、全く気付かずインユェは大きく欠伸をし、体を伸ばした。

「さて、そろそろここに職人っていう人たちが来るんだろう? 楽しみ。何か作る人たちの背中って見るの楽しいんだよな」

メイファはそこで、職人たちがやってくる時間がかなり近づいている事に思い至った。

今まで、インユェを見ていた彼女は時間を気にしていなかったのだ。

時間を忘れるほど、メイファはインユェから目を離せなかったと言ってもいい。

「職人の人にさ、何か休憩の時に出したりすんの?」

メイファの動揺などまるで知らないように、インユェは言った。

いいや、驚いているのはわかっていたが、何に対して驚いているのか全く分からなかったせいで、問いを発さなかっただけだった。

なんか驚いてるな、でも何でだろう。おれの事かな、だったらおれの何で驚いているんだろう。

今は蟲の血にまみれているわけでもないんだけどな。などと次元の違う事を思いつつ、インユェは立ち上がる。

そして器などを持ち、台所まで持って行った。

「あの、私が片付けますので」

「そう? やんないでいいの? 職人の人たちへの用意があるだろう? そう言うの間に合うの?」

「私はあなたのお世話だけを任されています。職人の方々へ用意をする女は別にいますので」

「ふうん」

なるほど、本当に自分の世話だけをする女性なのだとインユェは理解し、外から騒がしい音達が聞こえて来たので、そちらに意識を持って行った。

職人たちはにぎやからしい。確かにまだ、この宮殿はあちこち未完成だ。

それを考えると、いろいろと指示を飛ばす人や掛け声を上げて何かをする人たちがいてもおかしくはない。

「じゃあお願いする。ちょっとあっち見にいくわ」

インユェは人にものを頼むのを、ためらわない。彼女はそれが仕事だと言った。ならばそれをきちんと行わせる事だって必要だ。

山でもそうだった。足になりたての奴に、追跡と言う大役を任せる事だってあった。

それはそのひよこのような相手を、育てるという意味合いが強かったが。

人に任せるべきことという物は、何かしら意味があると知っていた。

さて、騒がしいあちらは何をしているんだろう。

インユェはうきうきとしながらそちらに行こうとして、腕を掴まれた。

「待ってください」

「何?」

「そのむき出しの手足を隠す服を着てから行ってください!!」

メイファの実にもっともな言葉に、インユェは自分の身なりという物を思い出した。

肌着だけで外に出るのは、やっぱり……まずいか。

「うん、わかった」

インユェは頷き、着替えを置きっぱなしの場所、つまり今日寝ていた場所まで戻ろうとした。

「どこからどう行くつもりですか」

「来た道を戻るだけだけど」

「そこに行ったら人が見ていますよ!!」

「減るもんじゃねえし」

「だめですだめです! 陪都公の寵姫ともあろう人が、みだりに男の人たちに肌を見せる物じゃありません!」

「でもおれ、道知らない。来た道を戻る以外に、どう行けってのさ?」

「ちょっと待ってください」

言うや否や、メイファはどこかに行ってしまった。足音を聞くに、そんなに遠くまでは行っていない。

何処に行ったのか。首を傾け彼女を待って居たインユェは、彼女が女官の身なりと思わしき格好を一式持ってきたので、疑問が解けた。

その格好を持ってきたのだろう。

彼女は着替えをここに用意していたのだろうか。まあ、何が起きて汚れるか分からないから、一応と言う形で持ってきていたのかもしれない。

特に疑問と言うほど疑問にはならなかった。

メイファは服を差し出してきた。

「こんな物ですが、ないよりはましです」

「うん、ありがとう。……これ、どうやって着るの」

インユェは広げてすぐさま問いかけた。文官の着る衣装とも、インユェが都で着替えさせられていた衣装とも、随分違う物だったからだ。

見た目は似ていても、着替え方が全く違う衣装という物はこの世にごまんと存在する、それを証明するように、インユェの手には負えない衣装だった。

「これはこう着るんです」

メイファはそう言いながら、インユェに着替え方を説明した。

別段難しい着方ではなかったので、インユェはその場ですぐに着替えた。女官服は、都で来ていた高級な衣装と少し似ていたが、動きやすさは格段に違っている物だった。

動き具合を数回確認して、よしと納得する。

「じゃあ今度こそ行ってくる」

「行ってらっしゃいませ」

メイファが一礼をする。何で砕けた言い方でいいと言っているのの、丁寧なのか。

インユェが身に着けている指輪が、それをさせているとは欠片も知らない彼女は、一人不思議な思いになりながらも、足音も立てずに、しかし身軽に浮かれた調子で、走っていった。




面白い。インユェは宮殿内で、人の行きかう作業場の、ちょうど死角になる場所を見つけて、そこに座り込んでいた。今は宮殿の壁を整えている最中らしく、白い壁に色を付けていく人や絵を描く人、柱を磨き上げている人たちが集まっていた。

インユェの村では一度も見た事のない、そんな光景だった。彼女の住んでいた村で、こんな手の込んだ住宅はない。それでも快適だったので、場所によって違いがあるだけだとインユェは勝手に思う。

「しかしすごい」

インユェはそんな事を呟く。職人たちは最高の技術を駆使して、この宮殿を飾っている。

ここの本当の主は、かなり身分が高いんだろう。

そうだ、もしかしたら、陪都公、ヤンホゥ様には思う相手がいるのかもしれない。

その人のために、その人にふさわしい様に、心を砕いて宮殿を作っているのかもしれない。

そんな事を考えると、納得すると同時に胸が痛んだ。

「……?」

インユェは胸のあたりを探った。別に何かが突き刺さったわけでもない。

だが胸は痛んだ。まるで何か思った事を拒絶するかのようだった。

そんな事を思ったわけでもないのに、とインユェは疑問を感じた。

当然の事を思っただけで、胸が痛くなるほどこのインユェは我儘ではない。

一体何を思ったから、傷もないのに胸が痛むという珍妙な現象が起きたのだろうか。

考えてみても答えは出ず、まあいいかとインユェは思った事を後回しにする事にした。

今考えても、全く答えが出ないのならば、脇に置いたって問題はないはずだ。

今日はこの、見ていてとても面白い、宮殿づくりの最終段階を見ていよう。

そう思った時だった。

「お嬢様」

声をかけられた。相手が近付いてくるのは知っていたが、何か自分に用事があるとは思ってもみなかったので、少し目を瞬かせて振り返る。

そうすると、宦官らしき背格好の男性が立っていた。

「お嬢様。この宮殿に寝泊りする、女官の方でしたか」

インユェは自分の身分を言おうとして、言えなかった。

牙と言う事はきっと通じない。

衝立などはもっと通じないとなんとなく察せたし、ではそれ以外の何といえばこの男を納得させられるか、全くわからなかったのだ。

そのため、黙れば宦官は言う。

「陛下があなたをお召しです」

一緒に来てくださいと言った宦官に、インユェは問いかけた。

「それはヤンホゥ様が言った事?」

宦官は怪訝な顔をした。

「あの人は自分がここに来るって言った。おれにはここから出るなと言った。なのにお召しと言われても、おれは行けない」

「陛下のお召しですよ」

「そんなの関係あるか。おれは聞きたい命令を聞く。あんたの都合なんてどうだっていい。おれは、行かない」

「ですが」

「行かないって言ったらいかない。それがヤンホゥ様の命令じゃないのなら、おれの聞く理由がどこにもない」

宦官はひるんだ。インユェは気づかないが、彼女は迫力で宦官を圧していた。

そこには決意があった。そして他人が聞けば、絶対に揺らがない忠誠心にも聞こえるほど、迷いのない気持ちがあった。

宦官一人で手に負えるものではないし、御せる物でもない。

「では」

宦官は震えながらも問いかけた。これはなんだ、と彼は思っていた。

目の前にいるのは麗しい女官。だがその迫力は、歴戦練磨の将軍を前にした時よりもずっと恐ろしい。

もしかしたら、将軍よりもずっとずっと恐ろしい物を相手にしているのではないか、と宦官に思わせてしまう程、インユェの目は揺るがない物だった。

「ヤンホゥ様がおっしゃれば、いいのでしょうか」

「あの人がおれにそうして欲しいなら」

インユェはためらいもなく言った。ためらいなどどこにもない、きっぱりとした調子だった。


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