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3-10


「いいか、ここからあまり外へ出てはいけないぞ、道が分からないで戻れなくなるのが目に見えているからな」

ヤンホゥはインユェに言い聞かせる。彼の心配はもっともだ。何しろインユェには前科がある。初対面の時、彼女は鐘楼の屋根に上り風を受けていたのだから。

あれを覚えているからこそ、あれと同じだけ目立つ事をさせるわけにはいかないのである。

「壁の上に立てば」

インユェはいつも通りの調子で言った。それにヤンホゥはため息を吐いた。

「お前は目立つ事をしてはいけないという意味を分かっているか。騒ぎになる事はくれぐれも行うな」

ヤンホゥの言葉である。あまりにも念押しがしっかりしているので、インユェは自分はそう言う意味ではよほど信頼されていないのだな、と納得した。

あれが無かったらヤンホゥの目に留まる事もなかっただろう。

だがスイフーは自分を彼と対面させたかったような、とインユェはあいまいな記憶を手繰った。

どうにも、物覚えが悪くていけない。自分は蟲狩の事なら誰よりもものを忘れないのに、日常ではあまりにも忘れっぽいのだ。

それはいつからだったのか覚えていない。気づけば物覚えの悪い自分が完成されていたのだから。

村ではそれでも不便ではなかった。

日常的に迷惑をかける相手がいなかったのだから。

フーシャはそれを迷惑だなんて言った事もない。

そして、義理の弟たちはそろって自分の世話を焼きたがった。

そう言った人間たちとばかり接触していたからだろう。インユェはどこか、抜けている。

「大丈夫ですよ、大丈夫大丈夫」

「その言葉を信じるからな」

「信じてくださいよ」

「分かった。……適当な時間にまた、ここに来るからな?」

「はいはい」

インユェはそう言って、ヤンホゥが誰もいない門から外に出るのを見送った。

そして宮殿の中にはいった。

宮殿内はがらんとしていて、確かに未完成らしき書きかけの絵画などがあった。

暗がりでもよく見える目を周りに向け、間取りを確認する。

布団の位置などは聞いている、別に問題は起きない。

そこで視線を思い出す。ここまで、ヤンホゥには気付かれないで後をつけて来た集団だ。

それをあえて指摘しなかったのは、実害がないからだ。

インユェは頭巾を脱ぐと、そのままバサバサと服を脱ぎ捨てた。別に明日着る物には困らない。格別汚したわけでもない。

明日も同じものを着る、という事を何にもためらいなく決めた彼女は、布団に潜り込んだ。

布団だけは用意されていて、インユェはその柔らかさに笑いたくなる。

だが笑わず瞳を閉じた。




牙の睡眠は浅い。蟲の気配を追いかける事を生業としていれば、気配を察するのだってうまくなる。

睡魔に身を任せながらも、インユェはあたりを探っている。

天井裏の複数の人間は、今日は何もしないらしい。久しぶりに雨漏りのしない、水漏れの事も心配しなくていい睡眠。

だがインユェは気を張っている。

熟睡するなどここ数年はまるでなかったと言ってもいい。

村では村の生活音がよく響き、熟睡などできなかった。

都に来てからは、余分と言われようとも気配を探るのが日常だった。

いつ何時、何が起きても対応できるように、インユェは神経を張っていた。

神経を張り、インユェは自分の枕元に立っている相手が、随分と物騒な物を持っているのまで気付いた。刃物だ。

刃物なんて。これは牡丹殿にいた時の嫌がらせとは毛色が違うらしい。

よほど自分を害したいのだな、おれはそんなにも誰かにとっては邪魔なのか。

……そう言う事に精を出すくらいなら。ヤンホゥが気に入る女性になる事を目指せばいいのに。努力の方向が違うんじゃなかろうか。

インユェの呼吸は寝息と同じで、しかし体はいつでも迎撃ができるように構えている。

そしてそれを気取られるようなへまはしない。

蟲相手と同じだ。蟲とて眠る人間をエサにしようと寄って来る奴はいる。

そして蟲狩はよく、自分をおとりにしてそう言った蟲を狩った。

眠っているふりをして、近付いてきた蟲をぐさりとやるのだ。急所を狙いやすいという利点があった。

インユェもよくやった戦法で、人間などより敏感な蟲のスキを狙うため、たいていの人間はインユェが熟睡していると思い込む。

そしてこの侵入者も同じようだった。

侵入者は刃物を振りかざした。それが振り下ろされた刹那、インユェは相手を問答無用で押し倒した。がっちりと床に押し当てる。

床にたたきつけられた侵入者が、痛みのあまり息を詰まらせた。

「……だれ、あんた。人の寝込みを襲うって、あんまり褒められた事じゃないだろ」

インユェは相手をじっと見た。女だ。それは押し倒した時から分かっていた。鍛えられていても、さすがに骨格までは変えられないだろう。

「用事は何、おれの命? ごめんね、あんたにやれるほど軽い命じゃないんだ。あんた程度じゃおれに傷一つつけられないぜ。その刃物の毒も、おれにはつうじない」

相手の顔色が見る見るうちに青褪めていく。理由など簡単だ。

じたばたと暴れる事すらできない程、彼女はインユェに押さえ込まれていたのだから。

インユェの見た目にそぐわない馬鹿力は、彼女を青褪めさせて余りあるらしい。

そして刃に毒を仕込んだ事まで見抜かれて、平静ではいられないのだろう。

インユェは彼女をじっと眺めた。その目は野山の蟲のように、彼女の心を見せはしない。

「口は開けるようにしてんだから、喋ってくれないか? 喉をつぶされてるわけじゃねえだろ」

「バ……」

「ば。その後何が言いたいのさ」

「化け物!!!」

相手のひきつった声も、インユェにとっては大した事ではない。

「しらねえの、北の山の牙にとって、化け物っていうのは褒め言葉なんだぜ?」

インユェは言われた言葉に顔をほころばせた。それはこの状況にふさわしくないほど華やかなほほえみで、相手は呆気に取られている。

それはそうだ。化け物とののしられて、褒め言葉だと笑う相手など、そうそうお目にかかれない。

「牙はな、人間やめなきゃもらえない名前なんだぜ。化け物って呼ばれて一人前の牙なわけ。おれにとってあんたの言う事は当然でしかない。で? おれをそう言う以外に、もっとちゃんとした事言わなきゃダメだろ、なあなあ、どうしてここに来たの、俺に何するつもりだったの。殺さないから答えてくれないか? ……さすがにさぁ。一日目で死体を出すのって俺もどうかと思うのさ」

相手にとってはもう理解不能も頂点に近いだろう。

目の前にいるのは、何処までも常識が通じない相手で、しかし馬鹿みたいに強いのだ。

彼女は自分の命の危機を感じただろう。

訳の分からない相手を相手にするというのは、だんだんと恐怖に変わる事もあるのだから。

「話してくれないか? 一個だけでいいからさ。おれに何したかったの?」

インユェとしては、今後の対策のつもりだった。

自分がここにいるという情報は、どこかに漏れているらしいし、後をつけて来た集団もいる。ヤンホゥは大丈夫だと思っているが、自分の居場所など近いうちに皇帝にも知られる可能性は大だ。

これだけ目があって、それでも秘密を知られないと思う程、インユェは甘くない。

「……」

インユェのそう言った考えは、彼女には通じていないらしい。

言ったら殺されるとでも思っているのか、彼女は震えながらも口を開かない。

「……いう気、ないんだな」

インユェは手を離した。とたん彼女は起き上がり、距離を置く。

「あんたの仲間にさ、伝えておいてよ」

距離を置いた彼女に、インユェは声をかけた。

「北の山の蟲狩の頂点、牙銀月を殺すなら、蜈蚣の一匹でも単身で打ち取れなきゃできっこないってさ」

インユェが言っている間に、彼女は転がるように逃げて行った。

インユェはそれを見送った。

「無駄だったかな。まあいいか」

欠伸を一つ。

「寝るか」

インユェは落ちていた刃物を拾った。

「鉄の武器か」

刃物を月明りに映し、その材質を確認してから、インユェはそれをその辺にあった卓に置き、布団にもう一度もぐりこんだ。



そして目覚めたら朝である。明け方に目を覚ましたインユェは、宮殿の内部をうろつきまわる事にした。誰もいないのだ、乱れに乱れた髪の毛も、肌着同然の衣装も、誰も咎める事はない。

インユェは身軽なのが好きだった。そして一番いいのは山の狩人装束だった。

だがそれは手に入らないので、肌着でうろつきまわる。

宮殿は明け方にもなれば形状がよく分かる。

この宮殿はかなり豪華らしいな、と数十歩ほど歩いたインユェは判断した。

いちいち広い。壁も柱も豪華な飾りがついている。

床も何で磨いたのか鏡のように磨き立てられており、普通であれば歩くのももったいないと思うだろう。

しかしインユェは無造作に歩を進める。

彼女にはその価値が分からないのだから、当然歩く事が出来たのだ。

ただ、自分の故郷と違って板張りで、板という物はきしむな、などと考えていた。

彼女の実家は竪穴式住居で、床には砂利を敷いた。そこに蟲のなめした皮や獣の毛皮を敷く簡素な物だったので、板張りは都に来てから知ったものの一つだった。

廊下を適当に進んで行けば、かまどなどがある空間にたどり着いた。

ここは何だろう。インユェはそこに、宮城の台所と同じ匂いをかぎ取った。

ここは飯殿だろうか。

ちょっと見れば使用された跡も残っており、この宮殿を作っている人たちにご飯をふるまっているのかもしれない。

ここでご飯をもらえばいいだろうか。

インユェにとって、一番重要なのは食事だった。次に睡眠や休息。生命活動が村では一番大事で、その感覚は街に来てもまったく変わらない。

インユェは台所を確認して、台所の勝手口らしき場所から外に出た。

そして、そこに現れた相手を見て目を丸くした。

「あれ。夜中に来たの、あんただったっけ」

現れた妙齢の女性は、牛に荷車をひかせて現れた女性だった。

そしてインユェを見て、言葉を失ったように目を丸くし、立ち尽くした。

それを見て、インユェは違うな、と心の中で断定した。

「双子のねえちゃんは大丈夫? ずいぶん脅かしちまったみたいだからさ」

そう言って、インユェは彼女に両手を合わせた。

「なあなあ」

「はい……」

「めちゃくちゃ腹減ってんの。ご飯用意して?」

「……は、はい!」

彼女はインユェを上から下まで眺めてから、彼女の言葉に我に返り、頷いた。





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