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3-5

これはダーワンにとってあまり気乗りのしない行幸だった。それは身分も底辺に限りなく近かった妾妃に産ませた第一子、ヤンホゥの本拠地に向かうからとも、陪都では興味なければ好みでもない女たちが数多く群がってくるからともいえた。

彼は皇帝だ、群がる女は当然存在している。

だが、都ではそう言った女性たちが簡単に皇帝の、そのそばに寄れるわけがない。

皇帝のそばに寄れる女は、後宮に籍を置かなければならず、外からの女など滅多に入らない。

身分も立場もあの空間では、重たいほどに決まっているのだ。

ヤンホゥの母はその中でも例外で、あんな事が無ければ顔すら知らなかっただろう。

その女を思い出すとダーワンは苦い気持ちになる。

ああいった形で失わなければ。あの女は今でも後宮の片隅で、ダーワンを皇帝だと知らずに待ち続けていただろう。

男児出産と言うとんでもない事が起きなければ。

男児を産んだ、たったそれだけ、しかしそれだけの事を成し遂げた女は、子供を守るために市井に逃げ出そうとし、皇子誘拐と勘違いされて名も知らぬ兵士に殺された。

そう言った事からも、陪都は厄介だ。あの息子は微妙に甘く、腕に自信があるのかどんな女もそばに寄せる。女たちも近付く。だが自分はそうではない。滅多な女は近付けない。好みではない女となればなおさら厭う気持ちの方が強い。

時期も悪かった。

やっと非常に問題になっていた案件が終わり、一息つこうと思ったらもうこの時期になっていたのだ。

毎年この時期になると、陪都の神をまつる祭事を行わなければならなず、ダーワンの数少ない娯楽である狩猟に一度も行っていなかった。

狩猟にふさわしい時期だというのにだ。

気晴らしもなく次々と面倒な事が始まるとなれば、なおさら行幸する気にならないのも当然だった。

何か気散じになる事はないだろうか。あいにく雨で視界も悪く、外の景色も崖ばかり。

つまらない。

大体、女たちのほとんどは聞いた話によれば息子をあきらめて皇帝に近付くらしい。

それもまた気に入らない。第一子である庶子ヤンホゥは、若い事の自分とよく似ており、あの息子を見ると自分の歳という物を見せつけられる。

さらにもっと小さな事で言うのならば、ヤンホゥの方がよい男ぶりだと街の下々が噂するというのも、ダーワンにとって気に入らない事でもあった。

気に入らなくとも、噂の一つ二つを黙殺できないで皇帝は務まらない。

……陪都はあの息子の失脚のために与えた街で、当地に失敗すれば即座に罰するつもりもだったというのに、あの息子は難しいだろうそれをそつなくこなす。

忌々しいが、実力は一番自分に近いのだろう。

まったく、なぜあれだけの器量の息子が庶出なのか。しかるべき血筋の子供ならば、あの息子を跡目にしても問題はなかっただろう。

ヤンホゥはそういう意味でも複雑な子供だった。

おまけに本心もまったく分からない。扱いにくい事この上ない。

目を合わせる事すらほとんどない。会話、そんな物をした事など片手で足りる。

何かしらの事をするとき、あの息子と親子らしい何かをした事などはたしてあっただろうか。

そう言った意味でも、今回も気づまりな祭事になるだろう。

彼が溜息を吐き出したその時だった。

急にだ。

先を進む兵士たちが叫ぶと思えば、ダーワンの乗る輿が大きく傾いた。

何事か。強襲か。何だ。

それらを問う間もなく、輿の側面に体を叩きつけられ、ダーワンの意識は途切れた。




焚火の爆ぜる音がした。それでダーワンは目を覚ました。

何故輿の中にいた自分が外に出ているのか。目を瞬かせても世界は変わらない。どこかの、大きな木のうろの中らしい。雨音は止んでいない。

鼻を刺す悪臭が漂っている。何という事はない、焚火の煙がひどい匂いを放っているのだ。

この匂いは何なのだ。疑問を感じながらそれを見ると、串に刺された何かの肉が盛大に焦げていた。

悪臭の原因はこれらしい。

ダーワンはそれを取り去ろうと、身を起こし足首の痛みに呻いた。

とっさに手をあてがうと布が巻かれている。添え木も施されていた。

誰かが手当てをしたのは間違いない。

だが、誰が。

誰が素性の分からないどこの物とも知れない男に、手当などするというのだ。

わけの分からない事が多すぎた。

あの時一体何が起きたのか。

自分はその後どうなったのか。

ここはどこなのか。陪都からどれくらい離れているのか。

考えればきりのない疑問が頭に浮かぶ。

普通の男だったら混乱し、焦り、平気ではいられなかっただろう。

しかしダーワンは皇帝だった。その身分が彼を落ち着かせた。

いたずらに騒ぐのは上策ではない。

まずは自分を手当てしたらしい人間の、真意を確かめなければ。

上手く丸め込めば、陪都まで案内させる事も出来るだろう。

それができないダーワンではないのだ。

彼が方針を決めた時だった。

「ああ、起きた」

一人の少年が姿を現した。木のうろのまえに突如現れたように、気配も足音もまったくなかった。

いきなりの事で心臓が跳ね上がったも、ダーワンは相手を見返した。

「足。捻挫だと思うんだけどさ。あんまり動かさないでくれよ、悪化したら大変だ。骨は折れていない筈なんだけどな」

少年は言いつつ、何かの草の束を焚火に放り込んだ。

途端異臭が強まった。眉間にしわを寄せると、少年がきょとんとした顔になる。

「ひどい顔してんな」

「何なのじゃ、この悪臭は」

「獣も蟲も、この草の匂いには近づかないんだ。この肉の匂いと一緒だと、熊肉食蜂だって近付かないぜ」

何かの肉を焦がしたまま、少年は炎を調整し、火の勢いを強めた。

そして思い出したように、皮の水筒を突き出してきた。中には液体が入っている。

「湧水汲んできた。呑みな」

ダーワンは毒の有無を考えた。この少年の真意が分からない。

いかなる時でも、毒や自分を害する物を考えるのは皇帝ならではの性だった。

「飲まないならおれがもらう」

いって少年は水筒をひったくりかけた。ダーワンは慌てて中身を呑んだ。

しみるようなうまい水だった。

それを半分ほど飲めば、次に少年は問いかけて来る。

「腹減ってないか?」

「すいておる」

「そんじゃこれ、匂いきついけど食ったらうまいよ」

少年は焚火の脇にあった焚火の跡を掘り始めた。

穴をあけて何かを入れていたらしい。

何かを取り出す少年。巨大な葉に幾重にも包まれた物をダーワンの脇に広げる。

強い甘い匂いが漂った。

そこにあったのは殻のついた何かの肉だった。

何かの肉など考えたくない、とダーワンは思った。まさかこれを食べろとでもいうのだろうか。

ダーワンの予想は当たった。

少年は殻を小刀一本で器用にはがし、葉に乗せて渡してきた。

「うまいよ」

言いつつ少年は、殻のついたままその肉にかぶりつく。そして器用に殻だけ口の中でより分け、吐き出す。

何という粗野な様子か。

だが不思議と、上品に感じるのはなぜか。

分からないまま、ダーワンはその肉を口に入れた。

甘い木の実の味と、何か塩の味、そして今まで食べた事のない木の実とは別の甘さを感じさせる肉の歯ごたえを感じた。

匂いは強い、きつい。

だが少年の言った通り、うまい物だった。

渡された分を食べきってしまう程、それは美味な物だった。

少年は殻を火にくべつつ、微笑んだ。

その笑顔はおかしなほど魅力的で、これが女ならば後宮に入れたかもしれない、とダーワンですら思う程美しかった。

まばゆい金の髪はばらりとざんばらに頬を流れ、生き生きとした生命力を感じさせる金の目は大粒の砂金を思わせた。

山の民にしてはずいぶんと美しいのだな。

ダーワンはそんな事を考えた。

「食ったら寝て、雨が止んだらあんたをあんたを探す人たちの所に連れて行くよ」

「本当じゃな?」

「牙は意味のない嘘なんてつかない。こんな事嘘ついて意味あるの? 馬鹿言っちゃいけない」

少年はよく聞けば水晶のように透明な声をしていた。

これで男か。残念だ。

「何のために助けたのじゃ?」

ダーワンの問いかけに、少年は臆する事なくこちらを見返して、答えた。

「ヤンホゥ様のお願いだから」

「……」

意外な事を聞いた。あの息子が何故。

「あの人、結構あんたの事心配してた。皇帝が来るのに、蟲の被害が多すぎるって。そりゃそうだ。あれだけあんな場所に暮らしてたら、餌には困らない」

「……おぬしは、余が輿ごと落ちたのを見たか?」

「あと一歩止められなかった。手が足りなかったんだ。崖の上で、蟲同士が縄張り争いしてたんだ。おんなじ種類の蟲が。あいつらは喧嘩っ早くって片方を崖の下まで落とすのくらいは普通だったんだ、おれの計算間違いだった。あ、と思ったら一匹下に落ちて行ったんだ」

少年は何と言う事はない、と言う調子で語る。

「そしてその蟲はあんたの輿を直撃。落ちたのはあんたとあと数人だけ。それで済んでよかったと心の底から思うぜ」

いって、少年は地面に転がった。

「さっさと寝ようぜ、ここなら安全。水も入ってこないし」


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