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2-10

ひそひそと女官たちがさざめいている。

インユェの人並み外れた聴覚は、彼女たちの言葉をはっきりと聞いていた。

『まあ何という流行おくれの格好なのでしょう』

『いったいどこから出て来た田舎者なのかしら』

『あんな者がなぜこの宮にいるのかしら』

『見てよあの女性。一昔前の簪だわ』

『それにしても嫌みなほどに色が白いわ』

とりあえず歓迎されていないのは伝わってくる。

歓迎会を開くのに、こんなに女官たちからいろいろ言われていていいのだろうか。

そんな事をちらっと思うが、しょせん自分は田舎者なのだ。

それで傷つく精神は持っていない。事実を言われて落ち込むほど、インユェは繊細ではない。

しかし、流行とは何ぞや。

インユェにはよく分からない基準があるらしい。

北の山は流行が来るまでによくて数年、悪くて十数年かかる辺鄙な場所である。

そこの流行は都の流行ではないのだ。

それはさておき。インユェは自分の身なりを見下ろした。

丈のたっぷりとしたひらめく裳裾の袴に、胸のあたりで切り返しが付いている上衣。

それらは虫除けの匂いが染みついていて、しかし着心地はとてもいい。

汚れていないし、染みもない。悪臭は漂わない。

これは立派な衣装だとインユェは思うのだが、さて他人はどうなのか。

いろいろ批判されまくっているが、その基準が自分には理解できないと彼女はそうそうに思考を放棄した。

こういうのはもっと詳しい人に聞くのが一番だ。この場所で自分が聞ける人は果たしているだろうか。いないなら我が道を突き進むだけだと、インユェは知っている。

『そういえば、王都でヤンホゥ様がご寵愛している田舎女の話は聞きました?』

『見た目の美しさであの方を虜にしたのだとか。あのヤンホゥ様の好みがようやくわかりますわね』

『金髪に金の目がお好みだとは皆言いますけれど。事実かしら』

『胡人の雰囲気がお好きなのでしょうね』

会話は徐々に変わっていく。じっと見つめる視線を感じつつ、インユェは宦官の後をついていく。

そうしてそこに着いた。そこは宮の中でも豪華な広間だった。

そこでは一番視線を集める場所に、ヤンホゥが座っていた。つまらなさそうに頬杖をついていた彼が、インユェを見つけてかすかに笑う。笑った瞬間に突き刺さってきた視線の数に、さしもののインユェも驚いた。

その視線たちは人間らしい敵意に満ちていた。視線の数が多すぎて、誰からの視線なのかまでは分からない。

そう、その広間にはあまたの女性が存在していたのだ。それも各々見事な姿である。ヤンホゥに近い場所の女性の方が豪奢な身なりをしていた。誰もが美しく着飾っていて、実用一点張りの姿の女性など一人もいない。下級身分の宮女たちですら、美しい色合いの服を身にまとい、頭に花の飾りを差していたのだ。

どうやら自分はちょっと地味なようだ。

さすがにそれは分かった。王都の椿殿で飾られていた経験から、それは分かったのである。

見る限りこれはまさしく催し物である。実は自分の歓迎会という名目の、宴かもしれない。

村ではそう言う物があった。インユェの名前にかこつけて、酒を飲む機会を待ち構えているやつらは普通にいて、蟲狩たちが山から帰ってきたらまずその帰還を喜び宴をし、次にインユェの武勇をたたえて酒を飲むのだ。

それの一種かとインユェは思った。

別にそれでもいいのだが、こんな立派な場所でも何かしらの名目が必要なのか。そこらへんは村と変わらないのだな。

そんな事を考えつつ、宦官に案内されたのはヤンホゥから遠く離れた席である。

ご飯を食べるのが目的であるインユェにとって、その席順はたいした意味を持たない。

ヤンホゥが何か言いたげに口を開いたが、それを気にしていたのは盆に乗ったごちそうが出てくるまでだった。

インユェの意識は一気にそちらに向けられた。一人分ずつ運ばれてくる繊細な見た目のごちそうである。

それらが並べられたとたんに、インユェは手を付けた。文字通り手づかみで食べようとして、盆の上の銀製の箸が目に映った。それを見て慌てて、箸を手に取る。やはり持ちにくいし慣れない。手でつかんだほうがよほど丁寧に食べられる。

そんな事を思いながら、女性たちの誰よりも不器用に、インユェは箸を使って食事を進めていく。その途中で、可憐で蠱惑的な格好をした女性たちが入って来た。

何だろう。口に箸を突っ込んだまま、インユェはそれを見た。ひらひらと透けるような衣装を身にまとった彼女たちは、各々美しい化粧を凝らし、領巾を持ち、にこにことほほ笑んでいる。何が楽しいのだろうか。

そんな風に観察していると、彼女たちが踊りだした。音楽が鳴り響く。インユェは顔をしかめた。端の席にいる彼女の近くで、演奏が始まったのである。実にうるさい、非常にうるさい。

さっさと料理の主役が出てこない物だろうか。インユェがさっさと前菜を食べ終わっても、誰も給仕に来ない。

こういう席では、人に合わせて食事をするという事が必要なのだが、インユェはそれを知らなかった。誰にも教えられていなければ、知るわけのない作法である。

そのため、何で主役はいつまでたっても来ないのかと前菜だけでは膨れない腹で思い、彼女にしては辛抱強く待った。

来ないならば出て行こうかと思う程の時間がたってから、ようやっと主役が出て来た。

貝の煮ものに何か動物の肉の和え物である。インユェは来た瞬間から手を付けだす。

それが不作法だと彼女を止める女性はここにはいない。

なぜならばここはすでに戦場なのだ。ヤンホゥの寵愛を受けるための、ほかの女性と戦う戦場である。ほかの女を踏み台にしてヤンホゥと言う陪都公に近付くのだ。

そしてここで最も下品なのはインユェで決定しているに等しく、初めは敵意の眼差しを向けていた女性たちも、このあまりにも上品ではない少女が、自分たちと同じ土俵に建てるとは思わなくなった。

煮ものに手を付けぺろりと食べ切り次に料理を待って居たインユェは、いつの間にか踊りをしている女性たちが下がっていき、現れたのが男たちなので首を傾げた。

音楽も変わる。それまでの軽やかな音から一転し、重たく勇ましい物になる。

非常にうるさい。これは耐えきれない。

インユェは立ち上がろうとして、その中の一人に目が行った。

その男は踊りながら徐々にヤンホゥに近付いていく。それが気になり、インユェはそれを視線で追いかけた。

そしてそれが、功を奏した。

「陪都公、お覚悟!!」

男が叫び、何処に隠し持っていたのか刃物を持ってヤンホゥに襲い掛かったのである。

兵士たちはとっさの事に止められない。そして、椅子に座り卓に向かっていたヤンホゥも、すぐさま反応することができなかった。

だが。

インユェはとっさに手近にあったものをその男にぶん投げた。

そしてそれは、まっすぐな軌道を描き男の手の甲に突き刺さった。

「っ!!」

男が息を吐き出す。インユェはその隙を見逃さない。

卓を飛び越え、彼女は一気にその男に躍りかかった。

拳がうなった。男の顔面を殴りつけた拳と一拍遅れた蹴り。

裳裾を翻し、服を乱し容赦なく振るわれた一撃達は空気を切りさき、男は数秒で床に転がった。

そこでインユェは、男の手に突き刺した銀製の細長い物……箸を回収した。血が付いたので服の袖でぬぐい、そこでようやく近付いてきた兵士たちとヤンホゥを見やった。

「何してんすか。おれが動けたからよかったものを」

「すまんな」

「歓迎会なのにごちそうでてくるの遅いし。音楽うるさいし。おれ出て行ってもいいですか。ご飯どっかで手に入れてきますから」

インユェにとってはこの程度の事は些事なのだが、兵士たちにとっては暗殺者の侵入と言う非常事態である。

その差が彼女とほかの人物の反応の違いを決定づけていた。

だがここで自分を取り戻すのが早かったのは、さすがそれに慣れたヤンホゥだった。

「すまんな」

「謝ることしたんすか。してないと思ってんのに謝られても不愉快です」

彼女の容赦も遠慮もない言葉に、ヤンホゥが苦笑いをする。

彼がそうやって笑うのは滅多にない事で、この異常事態でその笑みを見た女性たちは、歯牙にもかける必要がないと思った少女が、一番の強敵だとここで気付いたのである。

しかしそれを思い至らないインユェは、男を見上げて訴える。

「ご飯の続きはいつ出てくるんですか」

「……お前はそう言うやつだった」

暗殺者を一瞬で床に縫い付けたとは思えない言葉に、男は笑う。笑うしかないのだ。

人間、呆気にとられすぎると笑うしかないのである。

「お前の殿まで食事を運ばせよう。宴は中止だ」

「それで冷めたもの食べろっていうんですか」

「不満か?」

「食べられるんならいいです」

「そうか。……お前は本当に強いな」

ヤンホゥは彼女の頭を撫で、そのくすぐったさでインユェも笑った。






今のはいったい何だったのか。誰もが同じ事を思っていた。

宴の主役である陪都公と、正体の分からない、なぜここにいるのかも誰にも分からなかった謎の女とは連れ立って出て行ってしまい、残された妃たちは彼らが完全に見えなくなって時点で我に返り、次々と殿に戻っていった。

その中でも、爪を噛むほど怒りを覚えていたのはチュンリーと言う后妃であった。

彼女は宴の席で陪都公の隣に座る名誉を受けていた女性だった。

彼女は一度としてこんな屈辱を受けた事がなかった。陪都公は権力の関係で、決してチュンリーの事を蔑ろにしたことがなかったのだ。

それもあって彼女はおごっていた。そして、陪都公が最も大事にしていて愛しているのも自分だと信じてやまなかった。

だが。

それは今日ひっくり返った。陪都公は一時的にしろ何にしろ、あの田舎者の小娘に執心している。そうでなければ何故あの小娘とともに出て行くのか。

ぎりり、と爪を噛む唇がゆがむ。彼女の怒りに触れたくない官女たちも、おろおろとしているだけで、それもまた彼女の怒りに油を注いでいた。

一人くらい慰めてくれる女がいるべきだというのが彼女の見解だったのだ。

さらに。

「あの女……あの方はわたくしにだって笑ってくださったことがないのに!」

彼女の声は独り言と言うには若干大きくなり、最後には怒りに震えてひきつった。

陪都公の笑顔が、何より彼女のプライドに疵をつけていた。

誰にも笑わない、あの陪都公が楽し気に笑うのだ。それもあんな田舎者の美しくも麗しくもない化粧もしていない、身なりなど時代遅れも甚だしい女に。

それは彼女が怒るに十分な理由だった。

つまり彼女は嫉妬していたのである。

あの女は何者なのか。身分違いという事をきっちりと理解させなければ。

チュンリーは思考を巡らせ始めた。

まずはあの女の正体を暴く事からだった。

いいやそれ以上に。

「公の寝所に行くわ。用意をしてちょうだい」

自分の良さという物を、高貴な身分の女性の素晴らしさを今一度、陪都公に思い出させなければならない。

彼女は夜着に着替え、宮女を連れて気合を入れて寝所に向かった。


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