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2-9

そこは外装に反して、埃っぽい空間であった。

覗いただけでそうなのだ、しっかりと明かりを灯せばその捨て置かれた状況ははっきりとする。

いったい誰の趣味だったのだろうか。朽ちて枯れ果てた花を見やり、インユェは正直に言った。

「ここ、どんだけ人が住んでいなかったんでしたっけ」

「先々代から数えて……百年近いぞ。掃除をしておけとあれほど言ったのだがな」

「怖かったんじゃないですか」

百年も開かずの間になっていた場所を、掃除しろと言われてできる女はそうそういないだろう。とインユェは判断した。彼女もできない事があった。例えば十年に一度掃除をするお社だ。そこの掃除だけは、どうしてもできなかった。視線を感じてしまうのである。それも、ただならない視線を感じるのだ。

それの居心地の悪さゆえに、インユェはよく掃除をすっぽかした。後からフーシャに怒られてもそればかりはできなかったのである。彼女にも怖いものはあるのだ。

お社は、人ではない物の視線を強く感じた。第六感とでもいうべきものが、せわしなく警告音を鳴らしてそこを危険だと訴えて来たのだ。

だがここには、そういったものはない。

あるのは住人の恐怖だ。ここの呪いを恐れ、逃げ出した痕ばかりが残っている。

「まあ寝られっけど」

インユェは一人呟き、ヤンホゥを見やった。

「どうします、おれはここで一晩位明かせますけど。あなたはそう言うの、慣れていないんじゃないですか」

「確かに、こういった場所で眠った事はないな」

ヤンホゥも辺りを見回して事実を述べる。

「今から掃除したら、夜が明けますよ。今日はお引き取り? ください」

「お前が俺の所に来るという選択肢はないのか?」

「おれはこれ以上移動したくないです。屋根がある分野営よりはましだし、変な気配もない」

あちこちを見回しながら、インユェはそう言った。寝台がある、だが使えるとは思えない状態だ。

「明日になったら適当に、掃除でも何でもやればいい、でもあなたをここで寝かせられないとは思う」

ここは陪都公と言ったか、この土地で誰よりも偉い人が寝る場所じゃないと、インユェでも分かった。

そのため、彼女は事実を述べたのだ。

それを聞いて、ヤンホゥはしばし彼女を見返した。

「どうしてもか」

「どうしてもというんでしたら、ついていきますけど。おれは眠いんです」

そろそろ体が限界なのだ。どこから蟲に襲われるか分からない奴隷船、という空間はさすがのインユェも緊張する。常に緊張を強いられた空間からやっと解放され、疲れがどっと押し寄せてきていた。

このまま倒れこんで眠りそうな体を、彼女は気力で起こしているのである。

「……では、また来る」

「ぜひそうしてください」

引く事を知っているからか、ヤンホゥが引いた。

そして、一度インユェの事を抱きしめ、彼は出て行った。

それを見送り、彼が戻ってこない事を確認したとたん、緊張の糸が切れた。

インユェは傾く体を自覚しつつ、できるだけ受け身をとって倒れこんだ。

「あー、つかれた……」

一声呟くのが限界で、そこから何も覚えていない。




目を覚ませば見知らない空間で、一度目を開閉させて覚醒する。ここはどこか。瞬間生まれた疑問に答えはすぐに返って来る。陪都の牡丹殿だ。

昨日はいろいろあった、今日はどうなるだろうか。起き上がりながら考え、花瓶に残されているからからに乾いた花を眺める。

それから床にたまった埃を見つめ、最初にするべきことを確認した。

「掃除だな」

本格的な掃除など、何年ぶりだろうか。山にばかりこもっていたせいで、家事は義弟たちに任せっぱなしだった牙は、そんな事を思った。

できないわけではないのだ。やらなかっただけで。家には手の空いた人間がいて、男も女も関係なく仕事をしていた。義弟たちは外で稼ぐインユェの代わりに、家事がよくできた。家に稼ぎを持って帰るのが、インユェの役割でもあり、食料の調達も山に慣れた彼女の役割である。

そうして何も不自由なく生きて来た。しかしここは山の里ではない。

手伝ってくれる人は誰もいないのだ。

一人で何かをするのはいつぶりだろうか。山では基本的に足や爪を連れているので、たった一人で何か生産的な事をするのはずいぶんと久しぶりなのだ。

ぼさぼさになった頭を掻き、ぼろぼろと落ちて来た土埃を見てから立ち上がる。

掃除道具は山と同じものだろうか。そんな事を考えた。





調度品は年代物の一級品らしい。鏡を研げばそれは山では見た事のない輝きを放った。床の絨毯らしきものを外に出し、床を掃けばそこは見事な石の模様が浮かび上がる。

そしてその絨毯自体が逸品で、入念に埃を落として洗えば、里で使っていた寝床よりもはるかに上等の手触りになった。

いろいろな物が次々と発見される。ここの住人たちが持って行かなかったらしい絹の衣は、虫除けの匂い袋のおかげか虫食いもなくきれいなままで、櫃に長い間しまわれていたから色も鮮やかだった。

ほかにも、豪奢な髪飾りや腕輪、靴。

宝探しをしても、これだけのものは見つからないと言っていいほど、見つかる物は多かった。

見つけるのがだんだんと楽しくなり、インユェは掃除に精を出した。

ここは仕えている宮女たちの部屋も豪華で、しかしそちらには何も残されていなかった。

ここから逃げ出した時に、持てる物は全て持っていたのだろう。

それを感じさせる空っぽさで、妙に女の強さを感じさせる徹底さだった。

まあいいのだ。インユェはここでようやく、ここの女主が使っていたらしい寝台に手を付けた。そこに至るまでいったい何時間かかったかはわからない。

途中空腹を覚えたが、誰も様子を見に来ないので、外の人間と接触できないため、食事は後回しである。

後宮にいた時のものすごい空腹感に比べればよほどましで、これしきでインユェは音をあげない。

寝台も逸品だった。もともとは鮮やかな緑色をしていたらしい敷布と掛け布団は、虫除け対策がされていないので虫食いだらけだった。

しかしまだ使える。戸棚に入っていた裁縫道具が使えれば繕えるだろう。そんな事を考えてそれらを外に出し、寝台の埃を全部落として磨き、そうして日が暮れかける。

洗った物を全部片付け、インユェはここでようやく息を吐き出した。

……今日ヤンホゥは来るだろうか。来られても困る。虫食いの布団を直していない。

それは明日にすればいいと思いつつ、インユェはここで思いついた。

「街に出よう」

髪飾りの部品は黄金でできていて、確か金貨は一枚で銀銭五枚と等しい。この飾りは金貨一枚よりもずっと重い。五枚以上になるに違いない。

そう言う計算はできるのだ。牙に上がる前、もう五年は昔だが、インユェは他の足たちとともに交易もしていた。その間に身に着けた計算である。

「街はどんなかな」

誰も来ないのだ。様子を見に来る人もいなければ、覗きも来ない。

ならば何をしたってここに戻ってくればいいのではないか。

ちょっと食事をするために行くだけだ。

それが実は大問題だと知らないまま、インユェは掃除のために着続けていた奴隷の服を脱いだ。櫃から一番地味な物を取り出す。百年前の誰かの持ち物ならば、その所有者はすでに死んでいるから、インユェがもらったっていいのだと判断したのである。

そして帯を締め、磨き上げた鏡に自分を映し、少なくとも奴隷には見えない事を確認したインユェは、金の飾りを一つつかみ、颯爽と牡丹殿を出て……宦官に出くわした。

彼はびっくりした顔をしていた。持っていた明かりが落ちる。地面に落ちた明かりは火が消え、たちまち辺りは薄暗い世界になる。

「あんたさ」

インユェは声をかけた。

「はい」

「出口どっち? そうだ、ヤンホゥ様にさ、インユェがちょっと外に出るって伝えてもらえないか」

「……インユェ、さま?」

「さまなんていらないと思うぜ、こんな女の端にも置けない女」

「実は……ヤンホゥ様が、お食事を共にしたいと、歓迎会を開く故、彼女を迎えに来いと……」

「……」

ご飯が出るらしい。インユェは外に出るのを取りやめた。

よく考えれば、衝立が勝手に外出したらいけないという事に、思い至ったのである。

彼の身近にいなければいけないのだから、これは都合がいい。

「わかった、行くぜ」

宦官は目を白黒とさせていた。

絶世の美貌の女が、こんなばさばさとした口の悪さで、化粧を何もせずに、感情の赴くがままに言葉を発するなど、彼の常識ではありえない事だったのだ。

その美貌がよく分かる笑顔で、インユェは宦官に言う。

「ヤンホゥ様、どっち?」


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