2-5
それでもインユェは余裕を崩す事はない。彼女の余裕を崩せるだけの事態など、滅多に起こりもしない。
彼女は周りの役人をぐるりと見まわして、にっこりと笑った。
それはどれだけ襤褸に包まれた身なりをしていても、生来の美しさを感じさせるものだった。
役人たちがわずかばかり、動揺する。
彼らを見ながら、インユェは思いついた。
「あんたたち、陪都公の近くに行ける?」
役人たちは怪訝そうな顔になった。当然だ。
こんな、奴隷以外の何物でもなさそうな女が、陪都公と口にするなどありえない。
「おれさ、陪都公に会いたいんだよ」
笑顔を崩さずインユェは言う。
「だからさ、連れてってよ、それかどっちに行きゃあいいのか教えてもらえない? そうしたら自分で歩いていくからさ」
「お前、自分の立場をわかっているのか?」
「わからないでどうするんだよ、あの人におれは必要だ」
どこからその自信がわいてくるのか、と周りが思うほど、普通の調子でインユェは言った。
肩に長柄刀を担ぎ、何の問題もないと言いたげに言う彼女。
その彼女を、まじまじと見て、ひとりの役人が顔色を変えた。
「おい、この女……」
「どうした?」
「お達しに書かれていた女と一致しないか」
「えっ……」
役人たちはその言葉を聞いて、お達しの中身を思い出す。
金髪に金の目をした、美貌の女。蟲狩に秀でている。
そして、それが奴隷だったとしても連れて来い。
目の前の女はそれのほとんどに合致していた。
蟲狩にたけているかは分からない。
だが、この女は金髪に金の目をして、美貌だ。
一致するところは多かった。
「……」
お達しでは、そういう女が現れたら、陪都公の元まで引っ張ってこいと言う事が伝わっていた。
そして、見つけた人間には給料とは別に、報酬が与えられるという事も。
「そうか」
役人たちは武器を下ろした。
そして一人が進み出る。
「陪都公に会いたい、と言ったな」
「言ったけれど?」
「ならばこっちだ、ついて来い」
「連れてってくれるんだ、ありがとう」
インユェは、自分が賭けに勝利した事を知った。
この調子なら、陪都公、ヤンホゥにすぐに会えるだろう。
怒られるだろうか、だがしょうがない。
全ては甘かった自分がいけないのだ。
そんな事を思いながら、インユェは男たちに付いて行った。
男たちはインユェが逃げ出さないようになのか、彼女を囲って歩いている。
そうなると、見た目の独特さも相まって、インユェは非常に目立つ事になった。
視線を集めているのは、いつでも不思議なのがインユェで、今度もなんでこんなに人目を集めているんだろう、と考えてしまっていた。
インユェは奴隷の身なりをしていて、その奴隷が物々しく役人に取り囲まれていれば、誰であろうと目立つ、などはインユェの考えの中にはない。
不思議だな、で全て済ましてしまうのがインユェだった。
自然を相手にしていると、こうなるものなのだ。
自然は身なりを気にしない。自分の中に入って来たものの素性はどうでもいい。
そこにあるのは絶対的な自然の掟なのだ。
そう言う場所に長いこといたインユェは、人がどう思うだのという事にはとんと疎かった。
自覚がない、非常に問題な状態でもあった。
彼女はそんな中、壁に囲まれていない道を歩き、目を丸くした。
そこの建物は背が高く、村では見た事のない建築様式をしていた。
赤い提灯が揺れていて、朱塗りの柱がよく目立つ。
一階には格子戸があり、そこも朱塗りで、奥が見えないように障子でおおわれている。
あそこはいったい何なのだろう。
「なあなあ、あれ何」
「妓楼の一種だ」
「妓楼って?」
「自分を売っている女性たちの事だ」
「ふうん」
いったい自分の何を売って商売しているんだろう。
そんな事を思うのは、彼女の里には存在しない商売だからだ。
体を売り、文字通り身を粉にして働く女性というものを、インユェは知らない。
知る必要がなければ、人間覚えない物なのだ。
ほかにも暖簾のある店や、香ばしい匂いのする店などが立ち並ぶ区画を抜けた頃には、インユェはすっかり腹が減っていた。
何しろ夜に黒水爬蟲を食べた後、何も口にしていない。
その状態で半日以上たっているのだ。
腹が減らないわけがない。
だがインユェは耐える事にした。
ヤンホゥがくれるだろうご飯は、きっとおいしいはずだから。
空腹は食事を何よりもおいしくさせるもので、インユェはそれを実感してばかりだった。
あちこちの区画を、もう覚えられない程延々通り、ようやく陪都の中心につく。
そこは都と同じように壁に囲まれていた。
役人たちとインユェはそこで、意外な光景に目を見張った。
そこには、金の髪をした女がたくさんたくさん並んでいた。
連れてきたらしい役人たちもちらほらといる。
人数が多すぎて、人数の把握のために、いろんな人間が行きかっていた。
「……」
役人たちは、インユェを眺めた。
正確には、ぼろぼろの衣装に目をやった。
列に並んでいる金の髪の女性たちは、それなりに着飾っていた。
それに対して、彼女の何というみすぼらしい身なりだろうか。
そう言った思いを抱かせる、差がそこにはあった。
金髪に金の目の女というのは、膨大な数、存在している。
そして、蟲狩にたけているなど、その現場にならねばわからない。
そのため、駆り出される役人たちの目安は見た目だけだった。
そして彼らは、このたびのお達しを、陪都公が妃に迎え入れたい女の条件だと認識した。
そのため、うまい汁を吸うために、息のかかった女を陪都に送り込む諸侯がおり、さらに奴隷などでも構わないという条件から、報酬のために買い上げるという事も起きていた。
それを、インユェは知らなかった。
そのため、肩に長柄刀を担ぎ、平気な顔でいた。
列は捌けていく。次々と出て行く落胆した女性たち。そして陪都公がいるらしい扉の前では官僚がいて、いきなり手を差し出してきた。
それが何なのか、インユェは知らなかった。
この騒ぎに乗じて、袖の下が行きかっている事も、官僚に袖の下を渡さなければ、陪都公に取り次いでもらえない事も知らなかった。
そのため、無感動にその手を眺め、扉に進んだ。
当然、官僚たちは色めき立ち、インユェを止めようとした。
ここで、どこの誰かも知らない、金儲けの邪魔をする女を放ってはおけなかったのだ。
だがインユェは、止める男たちが空気か何かの様に、息を一つ吸い込み、一声放った。
「ヤンホゥ様」
官僚たちはせせら笑う所だった、彼らの頂点が、こんな奴隷の声など聞く物か。
だが。
扉の向こうが静かになった。
物を置く音、それから椅子が動く音を、インユェの耳は拾っていた。
そして。
向こうから開かれることのなかった扉が、開かれた。
官僚たちは愕然とした心で、その扉を見ていた。
「インユェ、か?」
扉を開いた男が言った。この場で一番豪勢な姿をした男だ。
彼はしばし、時が止まったような顔をした。
それくらい、目の前の女の身なりはひどい物だったのだ。
そんな身なりの中、汚れた金髪の奥で、きらきらと輝く黄金の瞳が、彼を見つめていた。
その金色が、笑った。
楽しそうに笑った。
そして、何のためらいもなく、彼女は膝をつき、最上級の礼をとった。
男はそれを見下ろした。赤い瞳はインユェを隅々まで眺める。
身なりは最悪で、手枷に足枷をはめた女を、見下ろした。
瞳が合わさる。
男は呼吸を取り戻した。そして、陪都公としては前代未聞の行動に移った。
彼は、着ていた外套をばさりと脱ぐと、インユェの肩にかけた。
「風邪をひく」
「おれは風邪なんて引かないです。ほら、馬鹿となんとかは風邪をひかないっていうだろ、おれはなんとかのほうです」
「無事か」
「見たままが全てですよ」
「ひどい目に遭ったのか」
「あんまり」
「今までどうしていた」
「奴隷船に乗ってました。あ、売られたらしいんですけどね、蟲退治したらここまで送ってもらえることになったんです」
「汚いな」
「そういうものじゃないですか」
男はインユェの頬に手を添えた。そして彼女の泥と蟲の体液にまみれた顔をそっとなでる。
「お前はいつでも、俺に会う時は汚れているな」
「そうでもないですよ」
「風呂に入れ。あともっと暖かい恰好を用意する」
「それって宮廷風のひらひらですか」
「気に入らないのか?」
男が笑えば、インユェは微妙な顔をする。
悩む顔だ。
「気に入らないんじゃなくて、身の丈に合わないような。おれこんなじゃないですか、あんな綺麗な格好、もったいない気がする」
「そうか、だがお前はそういう恰好をしなければならない」
「お仕事?」
「そうだ」
インユェはそこで、着せかけられた外套をかぶり直した。
「へへ」
インユェはここで、無邪気に笑った。
「あったけえ。それとヤンホゥ様の匂いがします。香の匂いだ。これ結構気に入ってるんです」
「そうか? ならば同じものを用意させよう」
そこまで周りの目を全く気にせず会話した二人だったが、ヤンホゥはそこで役人たちを見て、言った。
「女が見つかった。もうこれ以上、女を宮内に入れるな」
「は……」
官僚たちは開いた口がふさがらなかった。
しかし、陪都で陪都公という頂点の命令は絶対だ。
彼らは恭しく頷き、彼らの金儲けを邪魔したインユェに苦い気持ちになっていた。
そんな彼らを気にもせず、インユェは自分を連れてきた人々を示した。
「あの人たちがさ、連れてきてくれたんです」
「ほう。では約定通り報酬を手配しなければな」
そして二人は扉の中に入っていった。
残された人々は、もう、頭が通常通り働けなかった。
何から何まで、非常識なことが起きていた。




