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気に入らなくなったので書き直しました。ちょっと話の流れが違います。
こっちの方がしっくりくるような気がしますね。
「ふうん」
インユェは何もしていなかった。ぼろぼろの衣装は、インユェの素性をごまかした。
持っている得物がとんでもなく普通ではないが、鼻で笑われて終わった。
鉄製の武器というものを持っていないというのは、田舎者と、そして野蛮と思われて終わるらしかった。
そこが都や陪都の甘さだった。
前時代的な物の威力を甘く見すぎているらしい。
それも、女が持っていれば、その得物の威力もたかが知れている、というのが認識らしい。
まあ、面倒くさい手続きをしなくていいらしいのは、便利だ。
船のふちに腰かけ、男たちが手続きをするのを眺め、インユェはどこら辺が別れを告げる機会だろうか、などと考えていた。
河を下ってきた船は、船内を調べられることも普通らしい。
それは色々なものを隠し持っているかどうか、調べられるという事でもある。
まあ、この船はそんな隠すものなどないのだし、すぐ終わるだろう。
インユェは、口に指を突っ込み、歯の間に挟まった蟲の殻を引っ張り出そうとしていた。
意外とこれが気になるもので、取れないといつまでももやもやとするのだ。
そんな事をして時間をつぶしていると、男たちの手続きが終わったらしい。
「インユェ」
声をかけてきたのはひげの男で、やっと終わったのかと見れば、彼は何とも言い難い表情をとっている。
「なあ、この船の護衛として、正式に雇われないか?」
誘う声は割と好意的だった。
これまでの彼女のやってきた事を思えば、それは格別の物だった。
普通、あれだけの強さを見せられて、これだけの好意的な言い方になる事はない。
どこかで必ず、恐れや嫌悪の色が混ざる物なのだ。
ひげ面の男の言い方は、そういった物を感じさせなかった。
「おれは自分のやりたい事をする。この船の護衛は、そんなにやりたいものじゃない。おれは泳ぐのそんな好きじゃないし、ぐらぐら揺れる船っていうの、苦手みたいだし」
それは船での戦闘で気が付いた弱点だった。
自分はどうやら、船という安定しない面での戦闘が苦手だという事だ。
別に精進すればいいのだが、やはり揺れない地面を歩く方が性に合っているのは事実だった。
そのため素直にそう言ったインユェを見て、男は肩をすくめる。
「やれやれ、あんたほどの腕利きとは二度と縁がなさそうなんだが」
「当然だろ、おれは牙だ」
「牙ってなんだ」
「村で一番強い蟲狩の称号」
「ふうん、……あああっ!?」
男は一拍遅れて目を剥いた。
そんな驚く事だろうか。まあ、こんなか細い見た目ではしょうがないかもしれない。
平地に来てからの経験から、インユェはそう判断した。
山では見た目で実力を測られないが、平地では見た目が重視される。
「牙、あんた今、牙って言ったのか!?」
「言ったけど」
それがどうしたのだ。だが驚くという事は、牙が何たるかを知っているという事でもある。
「知ってんの?」
「風の噂で……当代随一の腕を誇る蟲狩を、北の魔の山では牙というって」
「ああ、おれの里、魔の山とか言われてんの? 確かにいろいろいるけどさ。ん。牙を知ってたんなら早く言えばいいのに」
「普通思うか! そんな細っこい見た目で……弱そうで……牙は筋骨隆々の屈強な女だとばかり」
「残念、実際はこんな女だ」
男は何かを激しく悔しがっていた。
「北の魔の山に行ったとき、俺は牙との縁組を勧められたんだ……」
「へえ、あんたおれの旦那になるかもしれなかったの」
ちょっとびっくりしたが、男の言葉には続きがあった。
「村の血が濃すぎるから……新しい血を入れるために、子供をつくるのに協力してくれと言われたんだが……」
なんか聞き覚えがある。インユェは記憶をさらって思い出した。
「! ああ、二年前におれにあてがわれるはずだったの、あんた? 最後の最後で逃げられたって村長が言ってたっけ」
そうだ。
二年前に、インユェは一時期、そう言った男の相手をするように命じられていた。
だがそれが成功したことは、一度もない。
村長もわかっていなかったのだが、平地の男というものは、自分よりも強い女には魅力を感じないやつが多いのだ。
山では崇拝の対象になるほど強いインユェは、そう言った男たちにとって、話で聞くだけなら何の魅力もない相手なのだ。
実際に彼女を見れば、考えも変わったかもしれないが。
その結果として、インユェはいまだ処女だし、夫もいない。
その事実は、男を盛大に悔しがらせていた。
「知っていたら……結婚して、一緒に暮らすっていうのを……」
男の想像は、決して叶わない。
「残念、もうおれ売約済みだから」
そのわけを、インユェはざっくりと言った。
「本当に?」
「ああ」
「それが、陪都に来た理由だというのか?」
「そうそう。おれの殺せない相手が、この陪都にいるんだ。おれはそいつにまだ捨てられていないはずだから。そこに行かなくちゃいけない」
「もし捨てられていたら?」
「そん時はそん時だろ、でもおれは行かなくちゃいけない」
フーシャの代わりなのだから。
彼女はそれをちゃんと覚えていた。自分が何のために平地まで来たのかを覚えていた。
そして、ヤンホゥの衝立なのだ。
役目を捨てるのは、捨てられたと判明してからでいい。
「おれは自分の役割ってもんをわかってるんだ」
インユェは手を離し、とん、とこれまた無造作な足運びで桟橋に着地し、悠々と歩き始めた。
男はそれをいつまでも見送っていた。
その視線を感じ取りながらも、インユェは一度も振り返らなかった。
その未練を持たない所が彼女の良さでもあり、欠点でもある。
一度狩ると決めた蟲はどこまでも追いかけていくのだが、ほかの生き物、特に人間への執着心がかなり薄いのだ。
去る者は追わず来る者は拒まず、といった姿勢をとり続けていた彼女にとって、まさにヤンホゥは特別な男だった。
最も、彼女はまだあの男に捨てられていないと思っていたので、別に去られたわけではないというのが前提なのだが。
そんな彼女は、歩きながらも自分の問題点に気が付いた。
「場所分かんねえんだっけ」
そこだった。太陽を見れば方角が分かる。空気の匂いを嗅げば、市場のような場所がどこかもわかるし、どちらが河なのかも十分わかる。
だが、建物は分からない。
まして、一度も来た事がなければ、見た事もない建物を探すのだ。
陪都に入って早々に、インユェは手詰まりの状態になっていた。
宮城とよく似た造りの陪都は、やはり坊とかいうらしい集まり方をしていて、複数の建物がまとめて高い壁に囲まれている。
これでは探しようがない。調べようもない。
足りない頭を回転させて、彼女が道を探そうとした時だった。
「おい、こんなところに居やがったのか!」
いきなり、彼女は腕をつかまれた。
考え込んでいたせいで、たたらを踏む。
掴んだのは男で、どこかの商人らしい顔をしていた。
「てこずらせやがって。ようやく見つけた、このくそあま」
それはいったいどういう事だろうか。
「なに、おれの事探してたの。というか離してくれないか。邪魔」
「ごちゃごちゃ喋ってんじゃねえ! 奴隷の身分でご主人様に刃向かおうってのか」
男はインユェの言い方がすべて気に入らなかったらしい。
いきなり頬を叩かれた。
思い切り音を立ててはたかれたのだが、インユェがこれしきの事で衝撃を受けるわけもない。
村に大角甲虫が入ってきて、村で集めた一年分の樹液を根こそぎやられた時に受けた、体当たりの方がよほど衝撃がある。
あれは痛かった。骨が折れたかと思ったし、それでも意地になって首を落とした時、足をひねって全治一週間ほどの捻挫になったのもまた痛手だった。
あの季節は蟲狩に都合のいい季節で、租税用の蟲の殻を集めている最中だったっけな、などと彼女は暢気に考えていた。
「さっさと来い!」
それでも引っ張られていく。
だが腐ってもインユェは牙だった。
彼女がその気になれば、男程度の筋力で引きずっていけるわけがない。
少しだけ体重を移動させ、体勢を変えただけで、男はインユェを引っ張っていけなくなる。
「離せよ」
インユェは朗らかに言った。
彼女の沸点は変な所にあって、頬を叩かれた程度では怒らない。
「逆らおうっていうのか……!?」
「だから離せって言ってんだよ。あんた耳は聞こえていないの? そういうもんなの? 冗談もたいがいにしたら?」
インユェはそう言い、腕を自分に引き寄せた。
途端男は地面に転がった。
そんな男を眺め、インユェは長柄刀の石突を地面に置き、それにもたれかかるようにしゃがみ込んだ。
「おれを誰と勘違いしているの?」
「ひ、ひいいっ!!」
彼女の笑みは捕食者の笑みによく似ていた。
男はたちまち顔を真っ青にさせた。
華奢なインユェだが、格が違うと知らせたのだ。
「ど、奴隷の癖に……!!」
「そこが大間違い。おれはあんたの奴隷じゃない。おれの主は一人きり」
インユェは歌うようにそう言った。じゃらりと手枷足枷を鳴らし、おどけた調子で言って見せる。
「おれの主はおれが決めた。それでもってあんたじゃない」
「親分!」
インユェが言った時、男の周りに、屈強な男たちが集まってきた。
男の顔に血の気が戻り、たちまち叫ぶ。
「その奴隷を捕まえろ! 性根を叩き直してやる!」
それは一種の恐れだった。
未知の物に対する恐れであり、同時に不気味さに対する恐れだった。
なぜならば、華奢な女がどうあがいたからと言って、樽のように太った男を転がせるわけがないのだ。
先ほどの事は何かの間違いだと、男は思いたかったらしい。
屈強な部下らしい人間たちが、インユェを取り囲む。
「ああ、面倒くさい」
呟き、インユェは長柄刀を一度振った。
振って構え、ひょうひょうと言ってのける。
「死にたくないなら、退きな」
これを、鎧具足に身を包んだ男が言ってのけたら、それは実に様になっただろう。
だがインユェは女で、ぼろぼろの奴隷の中でも最下層の身なりをしていて、おまけに奴隷の象徴でもある枷を手足にはめていれば、様にならない物だ。
おまけに武器も石でできている。
男たちが舐めてかかるには、十分な要素がそろいすぎていた。
男たちは、格の違いに気が付かなかった。
「女、痛い目に遭いたくなかったら、おとなしく捕まりな」
「いやだぜそんなの。なんであんたらの言うことを聞かなくっちゃいけないわけ」
インユェはそう言い、目を細めた。
囲まれていては、誰かを押しのけなければ道を作れないし、跳躍するには長柄刀がいささか邪魔だ。
これしきの重さを邪魔だと思うインユェではないが、長さが致命的に長すぎた。
やっぱり匕首が恋しいな、などと考えつつ、インユェは構えた。
ざわりと周囲がどよめく。
彼らにとって、奴隷が牙をむく場面など滅多にある物ではないのだ。
どよめきは広がり、わずかばかり、同情の声が漏れてくる。
あんな若いのに。
あんなか弱いのに。
あんな体で。
どれもこれもがインユェが敗北すると思い込んでいる声たちで、しかしインユェは気にならない。
有象無象の言うことなど、気になるわけもない。
ただインユェは構えた。次の瞬間には、決着がついてしまうと誰もが思っていた。
それもインユェの敗北という形で。
男たちの一人が、にやにやと笑いながら言ってくる。
「今ならまだ許してもらえるぜ。旦那は寛大だ」
「何、許されなきゃならないわけ? あんたの旦那だろうが何だろうが、おれが許してもらわなきゃいけない相手じゃない」
「その口もすぐにきけなくなるぜ」
「あっそ、出来んだったらやってみな」
にいとインユェは挑発的に笑った。人間相手にはこれがよく効く。
美女が挑発的に笑うのを見て、意欲がわかない男などいるわけもなく、そのお高く留まった面を引きずり落としたいと思うものだ。
男のその口だった。一気に飛びかかってきた男を、インユェは軽くかがむ事でかわした。
売り物に対する手加減なのか、速度は鈍いもいい所。馬鹿にされているようで、インユェは気に入らなかった。
この牙相手に、こんなのろまな動きで、捕まえられるわけがない。
体勢の崩れた男の襟首をつかみ、軽々と放り投げる。勢いのついた男は無様に転がって、蛙のつぶれたような音を立てた。
それを見もせずにインユェは言う。
「次、来な。何人がかりだってかまいやしねえよ、おれに勝てるわけもない」
男たちは、馬鹿にされた分を取り返すべく、一気に群がってきた。
結果は簡単で、男たちは地面に倒れ伏すばかり。
このころになると、人だかりが出来上がり、うるさい観衆が現れ始めていた。
こういうのは嫌いだ。インユェは思う。
こんなよわっちいのを転がしたからと言って、インユェが強いという証明にもならない。
弱い者いじめは性分に合わないのだ。
そんな事を思いつつも、インユェは騒ぎを聞きつけて現れた役人たちが、自分を取り囲んだので、実は面倒くさい事になりだしたのだな、とここでようやっと気が付いた。