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1-14

衝立になれと言われ、了承した。

インユェはその意味をよく分かっていなかった。

そのため、夜更けに扉が叩かれ、とっさに身構えてしまった。

牙の五感を甘く見てはいけない。牙になるためには素質も重要で、五感が鋭くなければならない。

インユェは鋭敏な感覚を持っていた。そしてそれを信じる程度には自分に自信があった。

そのためインユェは、叩かれた扉を見つめ、袖の中に匕首を隠し、身構えたのだ。

そして扉の向こうから、ややあって声が聞こえてきた。

「インユェ殿、お召しです」

「お召しってなにが」

インユェは、その声が宦官特有の高めの声音であることに気が付いた。

朱宮に入れる男性は、陪都公とスイフーと、そして宦官だけである。

宦官は、妃に子供を孕ませることができないので、宮女たちと並んで后妃たちの世話をするし、朱宮で陪都公とスイフーの近くで仕える事が出来るのだ。

そのため宦官の権力が、時にとんでもなくなるのだが、インユェはそんなのは知らない。

扉の向こうの宦官は、なにが、などと聞かれて困ったらしい。

一瞬黙った。

見事に黙った。

インユェは答えがないのでじっとして、扉が開くのを待った。

だが扉は開かない。

お召しがなんだかさっぱりわからないまま、インユェは待った。

誰も説明をくれないのは困るのだ。たぶん衝立になるのに必要なことだから。

その程度の学習能力は持っているので、インユェは宦官の言葉を舞った。

だが答えがない。

インユェは扉を開いた。

相手は、着崩れた夜着のインユェを見て、目を軽く開く。

それは化粧っ気がかけらもないからだ。

化粧をしなくとも白い肌、大粒の瞳は鮮やかな金色、まつ毛は長くそろっていて、唇は桜色。

それは宦官が見たことのない、美しさだという事にインユェは気付かない。

宦官は、化粧の厚い女性たちに見慣れていたが、粉黛の女性たちはよく知っていたが、インユェはそんなものを欠片もつけていなかった。

宦官はたしかに、インユェに見惚れた。

しかしそれだけの容貌も、寝癖でぼさぼさでそれをぼりぼりと掻きまわしてあくびをすれば、魅力は半減するというものだろう。

髪すら、インユェは平均より短いのだから。結えるギリギリの長さの髪も、夜のろうそくにきらきらと金色に光っていた。

素材はとてもいいのが、宦官であっても見て取れたらしい。

「陪都公がお召しです」

「だからお召しって何だよ」

見とれてぼうっとして、自分の職分を思い出した宦官がそういえば、インユェはそう切り返す。

「寝所に来てほしいという事です」

「ああ。うん、今から? 夜遅いんだな」

インユェは、ちらっと、通路にいる、椿殿で働いている女性たちを見やった。

気配が複数だと思ったのは、宦官以外にも彼女たちがいたからだ。

「インユェ様、お着換えを」

「いらねえだろ、そのまま行く」

「しかし!」

「お召しとかいうのだったら、急がなきゃいけないだろ」

インユェは、寝化粧をしようとする女性たちを払い、宦官を見やった。

「どこ行きゃあいいのさ」

「こちらです、案内いたします」

宦官が、目を白黒させながら答える。こんな后妃は今まで一度もいたことがない。

皇帝や第一皇子、そして陪都公のもとに召される女性が、化粧をしないで、身なりも整えないで行こうとするのは、宦官の理解を超えていた。

この女性は頭が弱いのだろうか。宦官がそんなことを考えたとしても、なにもおかしくない。

「んじゃあ、行ってくるわ、適当に戻ってくるから」

インユェは椿殿で世話をしてくれる女性たちを見て、そういった。

それは、お召しの意味を欠片も理解していないから、言える言葉だった。

椿殿の宮女たちは、ひきつった顔でそれを見送った。

そして見送ってから、はっとした。

この殿舎のインユェが、寵愛を受ければ、自分たちは良い目を見られる。

だがその逆だったら、自分たちの先はお先真っ暗だ。

見送ってから、なぜ陪都公が気にいる化粧と、美しい夜着に着かえさせなかったのかと、彼女たちは後悔した。

だが引き戻すことはできず、彼女たちは顔を見合わせた。

「次は……」

「次なんてありますか」

「それを祈りましょう……」

一方、そんなこともうっすら聞こえていたインユェは、宦官に話しかけた。

「お召しってそんなに大事?」

「……」

宦官は答えない。仕方がないのでインユェは推測していくしかない。

お召しが寝所に行くことならば、それはたぶん、衝立としての役目だ。

だが。

疑問が頭をもたげる。

ここは王都だ。陪都の女というものが、積極的だという話は聞いたし、仕事の邪魔になるとも聞いた。インユェはそれを防ぐ衝立になるのが仕事だと言われた。

つまり、王都では何も仕事がないはずなのだ。

そうであるのになぜ、インユェはお召しを受けているんだろう。

「陪都公がお召しというのは、夜伽のことです」

「ヨトギ? 蓬ならうまいけど、なにそれ」

哀れなのは宦官だ。ここまで田舎者の女というものと、接触したことがない、朱宮の宦官である。

まさかそこから説明をしなければならないなど、誰が思うか。

この女はとても残念だ、と宦官が内心思ったとしても、何らおかしなことではない。

見た目は極上だ、が、中身がいけない。

こんな中身の女を夜伽に呼んだ陪都公はおそらく、朱宮で遠目にこの女を見たのだろう、とインユェの椿入りの詳細を知らない宦官は判断した。

「寝所を共にすることを、夜伽といいます」

そして宦官は、直接的な言葉は言わない。幾重に包まれた物言いをする。

それが全く、通じないとも知らずに。

「一緒に寝たらヨトギなのか?」

「そうです」

宦官は、これで通じた、と思ってほっとした。

だがそれは、次の言葉でぶち壊された。

「じゃあおれ、村じゃほとんどの男とヨトギしてんな」

宦官はしばし足を止めそうになった。

しかし、足を止めなかったのは、見事な宦官魂で、職務を全うしようとしたからだ。

「は……」

インユェは、その反応から、なにかまた、自分は間違えたと悟った。

「なんか言葉通じてないな、ああ、面倒くさい、あとでヤンホゥ様に聞くから」

この女、頭は大丈夫か。

それとも、こんな言葉も通じないほど、田舎の出身なのか。

宦官は激しく疑問を感じ、しかし黙った。

それを見て、やっぱり自分は何か大いなる間違いを犯しているらしい、と判断できたのは、経験の結果だった。

まあいいのだ、と思いなおす。

わからなかったら、ヤンホゥに聞けばいい。彼は笑いながらもきっと、言葉の意味を、田舎者のインユェでもわかるように、説明してくれるに違いない。

なぜならば、その意味も知らなければ、衝立としての役割も全うできないのだから。

そう思いつつも、宦官の先導で歩けば、朱宮を出る廊下だ。

「朱宮を出るの」

「陪都公の寝所は、朱宮にはありませんので」

「じゃあどこにあるのさ」

「朱宮を出てしばらく行った場所です」

「へえ」

インユェはちらちら揺らめく蝋燭の炎を見つめ、それが反射する白い漆喰の壁と朱色の柱を眺めた。

暗いのは平気だ。宦官のろうそく以外のつるされた灯篭があるから、廊下がよく見える。

これだけ明るければ、インユェは楽に動ける。

夜目の利くインユェにしてみれば、昼と同じだ。

本当に、王都や朱宮は、お金持ちなんだな、とインユェは実感する。

村ではこんなに明かりは焚かない。

燃料は薪で、薪とりも女子供の仕事で、手に入れる燃料に限りがあった。

運が良ければ、蟲のふんという携帯に便利な燃料も手に入ったが。

あれは良い燃料だった。軽いし長い間燃える。

長期の狩の時は、重宝したな、などと思っていると、通路をどう行ったのかわからなくなった。

またやってしまった、と思いつつ、インユェは宦官に問いかけた。

「椿に戻るときにはどうすればいい?」

「迎えの者がよこされるでしょう」

宦官の言葉はそっけない。だがインユェは気にしない。

気にするほど繊細でもないのだ。

「そっか、そりゃよかった。道覚えられねえから、いざとなったら屋根に上がんなきゃいけないもんな」

そのあとは沈黙で、インユェは夜でも美しい宮殿の廊下を進んでいった。




そして連れていかれたのは、豪華な部屋の前だった。

宦官は扉を叩く。叩いてなぜか恭しく一礼をして、言う。

「インユェ殿を連れてきました」

「ご苦労」

扉の向こうから声が聞こえてくる。ヤンホゥの声で、インユェは本当に、彼がまだ寝ていないことに驚いた。

インユェなど熟睡していたのだが。

それは山の生活が、夜明けとともに始まり、日が沈むと終わる循環だからだが。

「はいれ、インユェ」

扉の奥でヤンホゥがいい、宦官は彼女を見やった後、燭台を渡してきた。

一人で入れという事らしい。

インユェは華奢な燭台を握りつぶさないように細心の注意を払い、握って、扉を遠慮なく開けた。

山で狩りを行うときは、隠密行動もまったく問題なく行えるのだが、日常生活ではがさつさが如実に出ているインユェであった。

扉を開ければ、そこは思ったよりも落ち着いた空間だった。

建物自体が朱色が多く使われているため、それに合わせて柱なども赤い。

壁も白い。

だが調度品、インユェがちっとも覚えられない類のものたちは落ち着いた色合いをしているし、目もちかちかとしない。

青紫色なんてない。毒々しい紫もない。

そこで書物を広げていたヤンホゥが、インユェを見て言った。

「ずいぶんとすさまじい恰好だな、北の山の人間は、人と会うにも髪をとかさないのか」

「夜も整えなきゃならないのか?」

インユェは逆に問い返した。

「人に会うのだから、昼も夜も同じだろう」

ヤンホゥの言葉に、インユェは納得した。たしかにそうだ。

昼は皆がそろって髪をくしけずり、結い上げ、整えてくれる。

だが夜は人手を借りられないから、自分でどうにかするしかないのだ。

今度から、櫛がある場所くらいは覚えよう、とインユェは心の中で思った。

そんなことを思いつつも、インユェはヤンホゥに問いかけた。

「ここは王都で、女性たちは来ないのに、何でおれを呼んだんです?」

「既成事実を作るためだ」

「既成事実」

いったい何を既成事実というのだろう。

インユェが首をかしげると、彼女の疑問も通じたらしい。

答えてくれた。

「陪都に入る前から、お前は俺の寵愛が厚いという事にしておけば、陪都の女どももいきなりよその女に俺を取られたと思わないだろう」

「そういうもん?」

インユェは、よくわからなかった。

「それって、そんなに早く出回る噂なんです?」

「こういう事の方が、意外と出回る。インユェ、これからお前は、俺に寵愛されていることになるぞ」

何が楽しいのか、満面の笑みのヤンホゥ。

インユェは、それに目を奪われた。

その顔があまりにも楽しそうで、無邪気な悪ガキの表情だったからだ。

その顔が好きだな、とインユェは思った。

明るく無邪気で、楽しそうな笑顔の中で、違う色味で燃えている瞳を、素直にきれいだと思った。

あれほしいな、とまた思う。

あれが自分に向いているならば。

衝立も悪くないな、などと考え、彼が持っている書物に目を止めた。

「あ、泥蝗」

それは山ではあまり見かけない類の、蟲だった。

湿った平地によくいるやつで、ぎりぎり村の近くにいる蟲だった。

「知っているのか?」

「村にも出た。蕎麦が食われてめちゃくちゃ大変な時もある奴ら」

「これがな、陪都付近の村に出る」

「これは倒すの簡単だろ、間接狙えば動きが止まる」

「倒したことがあるような言い方だな」

ヤンホゥが軽く身を乗り出す。興味があるらしい、とインユェは判断し、村でのことを語る。

「まあね、おれじゃなくても楽勝だぜ、こいつら。ただ数が多いから、村じゃ結構大変だった」

数の問題というものがあるのだ。

「もっと聞く?」

「ああ、そこに座れ」

インユェは、ヤンホゥが示した長椅子に座った。彼もまた、書物を持ったまま隣に座る。

でかい人だ、とインユェはヤンホゥの隣に座って感じた。

インユェはそこまで大きくも小さくもない。平均的だ。

だがそれを包み込めそうなヤンホゥは、大柄な方なのだろう。

着物の隙間から除く胸板は、分厚そうだと思う。実際にはわからないが。

確かに手をつかんだとき、それなりの重量だったななどと考えていると、ヤンホゥが顔を寄せてくる。

「話の続きは?」

「何から聞きたい?」

「対策方法だ。倒す以外にあるだろう」

「こいつらは、壁があるとそこに沿って走るんです。だからそれなりに頑丈な壁を作って畑をかこっておけば、侵入を防ぎやすいんです。絶対ってわけじゃないけど効果はあったですよ」

「ちなみにこれも食うとかいうのか?」

「こいつらはなんつうの、筋っぽいから煮込みです」

「どう煮込む」

「塩と木の蜜でじっくり弱火で。じっくり根気よく煮込むと、いい味が出て、これをこう、山菜と一緒につつんでぱくっといくと実においしいです」

インユェはその味を思い出した。義弟相手にやる料理はそれなりで、時間があるときに作っておけば携帯食にもなる。よく水っ気を飛ばせば、一か月ほど常温でもつのだ。

しかし、食べ方よりも、対策方法にヤンホゥは興味があるらしい。

「ほかに何かしていなかったか?」

「周りに蟲除けの草をはやすんです。こっちでも育ちますかね、茨みたいな草で、切るとくしゃみが出る匂いがするんです」

インユェが何とかその草の説明をすると、ヤンホゥは息を一つ吐き出した。

「お前の村は、じつによく、蟲と生きてきたんだな」

インユェは頷き、あくびをした。

「眠いのか」

「寝ているところを起こされましたから」

「そうか」

くすりとヤンホゥが笑い、インユェを持ち上げた。

「では、寝るとしよう。話しの続きは、明日でいいか」

「おれが教えられることなら何でも教えますよ、ヤンホゥ様」

インユェはあくびをまたし、持ち上げられるなんて足時代以来だな、などと思っていた。

そのまま柔らかな布団に寝かされ、ヤンホゥも入ってくる。

「そうだ、ヨトギって……」

ヨトギの意味聞こうとしたインユェは、ヤンホゥが一瞬固まったことに気付かなかった。

「……共寝をすることだ」

「ふうん」

やっぱり一緒に寝るのがヨトギなのか。インユェはなんとなく納得できなかったが、宦官もヤンホゥも同じことを言うので信じることにした。

「おれでよければ、いつでもヨトギにきますよ」

ヤンホゥも布団に入る。そしてかすかに笑う声。

「誰もかれもが、お前のようならさぞ楽なのにな」

「おれであなたが楽になるならそれでいい」

インユェは言ってから目を閉じた。


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