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1-13

「インユェを連れていく、問題はないだろう?」

その言葉でインユェは瞳を持ち上げる。男が機嫌よさげに笑っている。

その目の色が好ましい。

インユェはそう思えて仕方がなかった。

この色が、この燃え上がる灼熱の色にいっぱいに自分を映して、それがとても好ましい。

果たして自分の目にも、男がいっぱいに映っているだろうか。

そうだったらいい。こんな素敵なことはない、とインユェは心の中でつぶやく。

インユェはそう思い、ヤンホゥがちらりと女性陣を見たので、何かあるのかと気をそちらにやった。

騒めいている声たちは、危険がないから無視していたのだが。

「あの、ヤンホゥ様、よろしいでしょうか」

シュエイジン姫が、后妃が自分より身分の上の相手に対する一礼を行う。

ヤンホゥがすうと目を細めた。

その視界からインユェが消える。シュエイジン姫に目をやり、ほんのわずかに笑顔をきつくして、言葉の続きを待つ態度になる。

「なんだ?」

「インユェはいま、わたくしたちと楽しくおしゃべりをしていましたの。連れて行かないでいただけませんか?」

「そうなのか、インユェ? 俺といるよりも、后妃たちとともにいた方が楽しいか?」

突然の質問に、インユェは目を瞬かせた。

「どっちもあんまり楽しくない」

答えはあまりにも、双方にとって驚くべき言葉だった。

インユェはそれなどどうでもよく、結い上げた髪の毛を気にしつつ、頭を掻いた。

「だってどっちも、おれには話が分からない。いろんなこと、知っていてすごいと思うけど、おれは楽しいと思わないです」

シュエイジン姫がひきつる。

とたん、ぶ、とヤンホゥが噴出した。

またインユェは、彼の笑いのツボを刺激したらしかった。

この人ツボ多いな、と心の中で思う。

「なんでも笑ってますね、ヤンホゥ様」

「お前が笑わせるんだ」

げらげらと笑いながら、ヤンホゥは目じりに浮いた涙をぬぐい、言う。

「それならば、やはりお前を連れて行かなければなるまいな。いろいろと教えておくことがある」

「あ、そういう事なんですか」

その言葉に納得し、インユェはシュエイジン姫に一礼をした。

そのとたんに、大きな手のひらを持つ腕が伸び、インユェはそれを受け入れた。

その腕を回避するのは造作もないが、回避する理由がどこにもなかったのだ。

抱き寄せる腕は大きく、インユェが知る誰よりも拘束力を持っている。

なぜならばこの、インユェを抱き寄せられるのだから。

それでも、自分もよく部下や仲間を抱き寄せたものだ、と思い出す。

牙のインユェは、仲間が死なないように、動くことも多かった。

担ぎ上げたり、背負ったり、小脇に抱えたりもした。

その中でも、よく、間一髪のところを抱き寄せるという、行為はよく行ったものだ。

そのたびに、仲間は顔を憤激で赤らめたことを覚えている。

華奢なか弱そうなインユェにかばわれるなど、村の狩人たちにとっては恥ずべきことだったのだろう。

しかし、ここには敵もいないし蟲もいない。

抱き寄せてかばわなければならない理由が、どこにも見受けられないのだが。

いったいこの男は何を考えて、自分を抱き寄せているのか。

インユェは、自分が抱き寄せられたとたんに、わがことのように顔を赤らめ、きゃあと色めき立つ后妃たちを、訳が分からないまま見ていた。

シャヌ姫でさえ、目を輝かせて、隣の女性ときゃあきゃあという声を分かち合っている。

都のあれこれは、本当に、山育ちのインユェには理解できない。

「ヤンホゥ様」

なぜこんなことをするのか。

敵がいないと思っているだけで、実は危険が迫っているのだろうか。

それならばインユェは、戦わなければならない。

そう言う意味も含め、インユェは男を見上げた。正確にはその、燃えるような炎の瞳を。

口を開き、問いかけようとしたら、彼はあの、楽しそうな人を食った笑顔でインユェを見つめ返してきた。

そのとたんに、音のすべてが遠ざかる。音が遠のき静まり返り、自分の鼓動ばかりが意識されるようになる。しかし、牙という矜持が警報を鳴らし、我に返る。

今のはいったい何なのだ。

わからない。

だが心臓はまだどくどくと動き、手足に熱がたまり、耳はざわめく音を聞いている。

未知の感覚である。インユェにとって未知の感覚は恐れるべきもので、その恐ろしさゆえか、唇がわななきそうになる。

「インユェ」

男が言う。

「俺の所に来るだろう?」

つまらないかもしれないが、と続く言葉を、インユェは聞いていない。

彼の言うことは、今のところ絶対なのだ。

「はい」

返事は捻じ曲がることなく伝わったらしく、ヤンホゥは満足げに唇を吊り上げた。

「あら、残念」

シュエイジン姫が、化粧が分厚くともわかるほど残念そうに言う。

それはおそらく、インユェの話す美容の話に、大いに興味をそそられているからだろう。

この都の、最上位である後宮にいる女が、見た目を気にしないなど、よほどの馬鹿もしくは、非常識でしかありえないのだ。

宮女ですら己の見た目に注意を払い、美しくかつ、主たる后妃を邪魔しない恰好を選ぶのだから。

「ねえ、またお話ししましょう?」

シュエイジン姫がインユェに呼び掛ける。

「おいしいお菓子も、そうだわ、干した蟲の料理も出してあげる」

インユェはそれを聞き、身を乗り出しそうになった。

ヤンホゥが止めていなければ、身を乗り出していただろう。

「干し蟲の戻して素揚げした奴がいい」

そんなインユェを見て、それから微笑むシュエイジン姫を見やって、男がため息を吐く。

「シュエイジン姫、俺のインユェを勝手に餌付けするな」

「ふふふ、だってお話が興味深いんですもの」

初対面の小汚い発言など、まるでなかったような調子である。

彼女自身が声を荒げ、追い出そうとしたことも、なかったことのようである。

インユェは、それを口には出さなかった。

どうでもよかったのだ。別にシュエイジン姫の態度が違うから、なんだというのか。

別に、害がなければ態度がどうこうという話にならないのが、インユェだった。

「今度は、正式にお招きしましょうね」

「別にいいんだけど」

正式に招かれようが、付き添いとして招かれようが、インユェには変わりがないのだから、たいして大きな違いを感じないのだが。

念押しのように言われ、インユェは素直にうなずいた。

この、正式な茶会への招待が、主催者に存在を認められたという証であり、宰相の娘という出自の女性の茶会に呼ばれたい女性、ひいては彼女に存在を認められたい后妃というものが、山といることなど知らず、インユェはそんなものか、と勝手に思っていた。

それが暗黙の了解だという事も、インユェは当然知らないのだ。

「またね」

インユェは茶会を続ける女性たちに手を振り、困り果てた顔のシャヌ姫を見やった。

「ごめんね、途中で出て行くことになっちゃって。でももう大丈夫だと思う」

彼女に話しかければ、シャヌ姫は笑顔になった。

「もう、大丈夫だわ」

「うん、それならよかった」

インユェはそう言い、肩を抱かれたまま桜花殿を出ることになった。

桜花殿の外に出ると、手が離される。

なんだろう、と思えば、壁を背に腕で囲い込まれていた。

「シュエイジン姫に何かされなかったか? あれは思い込みが激しい」

「あー」

インユェはそれ聞いて、最初の出会いを思い出した。確かに、自分に与えられた桜花殿を、己のものと勘違いしていた。

だが、今日はあの時と違い友好的で、悪い印象も行為もない。

「ん、あの人もおれが何か多少わかってるみたいだったから大丈夫」

「お前、シュエイジン姫にどんな対応をしたんだ」

「あんたと最初にあったときみたいな対応」

「ああ」

ヤンホゥが息を吐き出す。安堵の息だ。

「そうだな、お前はそういう女だった」

「何が言いたいのさ?」

「お前が、泣かされているのではないかと、気が気ではなかった」

「変なヤンホゥ様。おれが強いの知ってるだろうに」

「戦いに強いことと精神的に強いことは違う」

「おれの里ではどっちも一緒だったよ。戦いに強くなるには、精神が強くなきゃいけなかった」

誰に言われても何をされても、屈しない鋼の意思が、里の蟲狩には必要とされていた。

「おれは大概のことじゃ泣かないです」

「お前は見た目との落差が激しすぎるだろう」

ヤンホゥが間近な距離でささやくように言う。

その男らしい唇を眺めつつ、インユェは答えた。

「よく言われるんです、それ。なあ、シュエイジン姫は桜花殿にいていいの? あれおれが呼ばれた場所だったんでしょう?」

今さら、インユェはそこに思い至ったのだ。

自分は椿殿を与えられた。

だが、だからと言って、勝手に入ってきたシュエイジン姫を、そのままにするのもどうなのだろう。

都の流儀は知らないが、だからこそ疑問になった。

「スイフー大丈夫? 困ってないです?」

しかし、スイフーの名前を出したとたんに、ヤンホゥは機嫌を悪くしたらしかった。

「なるほど、スイフーが気になるのか?」

「苦労してそうだし」

「お前が気にするのは俺だけでいいと、その足りない頭に刻み込んでおけ?」

ヤンホゥが、インユェの頬をつまみながら言う。

されるがままになったインユェは頷いた。

別に、難しいことではないと判断したからだ。

「わかった」

「あと、お前の疑問に答えよう。シュエイジン姫は宰相の娘だ」

「だから?」

「お前は宰相がどれだけの権限を持つか、わかっていないようだな」

「誰も教えてくれないのにわかるわけないでしょう」

「そうか、では今教えておこう。皇帝の次に偉い。それはものすごく偉い、権力者だ」

「ふうん」

なんだかわからないし、その仕組みはわからないが、とりあえず偉いのだけは通じたインユェは頷いた。

「その宰相の娘を、追い出せるわけがない。后妃が自分の力だけで、桜花殿に引っ越すことはできないから、宰相の意思もそこにあるわけだ。今の宰相は切れ者でな、うかつに機嫌を損ねるわけにもいかない」

「皇族ってやつでも?」

「そうだ。政治の実権の半分を握っている男だからな。それにな、入ってから分かったことだが、シュエイジン姫が桜花殿にいると都合がいい」

「なにそれ」

「桜花殿を狙う后妃たちの牽制が減った。スイフーの胃の負担も軽くなったらしい。飲む薬が減ったと喜んでいた」

「なんで牽制が減るのです」

「シュエイジン姫が、誰もが納得する身分の父親と、母親を持った女性だからだ。彼女ならあり得る、当然かもしれない、とだれもが納得したからだ」

「……?」

「村長の娘と隣の村の若頭が結婚するのは、当然だと思うだろう?」

「あ! うん」

理解できなかったインユェに、ヤンホゥがかみ砕いて説明をくれた。

「正直、ここまで他の后妃たちの泥沼状態に決着がつくとは思わなかったからな」

「シュエイジン姫様様だ」

「だな」

「なあ、聞いていいです?」

「なんだ?」

「おれは、何のためにあんたの衝立以外のこともすることになるんだ?」

「は?」

「だって、蟲の被害すごいんでしょう、ならおれ、そっちでも働くんじゃ」

「インユェ」

男がインユェの腰を抱く。

抱きしめられたと気づくのは、数舜後だった。

「お前は俺の衝立になればいい」

耳元に毒を流すように熱い声で、男が言う。

インユェは、確かにその声に何かを、揺さぶられた。

「俺だけの衝立になればいい。ほかは求めない。俺の平穏のためにそこに居ろ」

「その素直さ、嫌いじゃありませんよ。自分の平穏のために、他人が犠牲になるってちゃんとわかってる人、滅多にいませんもん」

巡回していた兵士は、危うく槍を取り落とすところだった。

陪都公と、見慣れない金髪の女の抱き合う場面を、うっかり見てしまったのだから。

彼は正しく、すぐさま踵を返した。見なかったことにしたのである。


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