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なるほど、初対面の時の対応は一般的な対応だったに違いない。

ここ数日、貴族というものに触れてきたインユェは、蟲の入ったスープをまた一口飲みながら、后妃たちのお喋りを聞いていた。

どうもこの集まりの頂点は宰相の娘であるシュエイジン姫で、彼女の庇護を受けている部分がある女性たちばかりのようだ。

そんな彼女たちの会話は流れるようで高等で、インユェの頭の中を右から左に通り抜けていく。

それを幸いと、インユェはお菓子に手を伸ばす。どうにも、食事の保障があっても、インユェは目の前に食べられるものがあると手を伸ばしてしまう。

それも、別格においしいものならなおさらだ。

そしてなんともうれしいことに、あの蒸し菓子と同じものが卓に並んでいる。人数分あるので、一個は食べてもいいだろう。

インユェはそう判断した。点心は驚くほど繊細な味わいで、蟲の体液を水代わりに飲んでいるような奴が食べるには、いささかもったいないほどだ。

シャヌ姫は、インユェよりも緊張しているようで、顔つきが固い。自分から話を始めることがないのは、いったいなぜなのか。

インユェだから思う事だが、これは普通のことなのだ。身分の低いものが、その場を仕切る女主人よりも出張るのは無礼で、シャヌ姫の対応もまた、一般的なものだった。

それをインユェが知らないだけで。

どうも自分は、知恵がなさすぎるようだ、とインユェは話を聞いている。

右から左に流しているだけだが。

こうして女性たちを見ていると、やはりあの時の自分は、つまみだされてぽいっとされてもおかしくない風体だったのだな、と実感していた。

彼女たちの衣は清潔で甘いいい匂いがして、そしてとてもきれいだ。

壁画にある天女のようだとまではいかないが、それと同等だと思う。

こんなものを日常的に着ているのだ。あの時の、悪臭を放つ狩人衣装を着ているインユェは、ものすごい無礼というか、汚い存在だったに違いない。

小汚い、なんてものすごくやわらかな言い方だったのだろう。

追っ払われて当然だったのだな、とやっとわかった。

わかるまでに非常に時間がかかったが、納得できたインユェは気分がいい。

そんなインユェが見ている間、彼女たちは優雅に流行の衣装や最近の行事の話などをしている。

どれも聞き覚えのない、謎の言葉の羅列だ。

聞かなくても問題ないだろう。

どうせ陪都に行ってしまう身の上だ。

王都の行事を知らずとも、問題はないはずだ。

そんなことを思いつつ、蟲の汁物を一匙。よくアクが抜かれている蟲の出汁は、煮だした苦すぎるお茶にちょっとした甘さを加えている。

非常においしい。これお替りできないものだろうか。

そんなことを考えていた時だった。

「それにしても、インユェの肌はきれいなものですわね」

シュエイジン姫が、インユェを見やって話しかけてきた。

彼女は、インユェをそれなりに扱うことにしたらしく、初対面の時とは全然違う態度である。

それもたいしたことではない。

日常のインユェを見た後に、牙のインユェを見た旅の商人は、同じ人間に対する態度とは思えない態度になったものだ。

とても下出に出た態度になったものだ。

それはインユェが突出した蟲狩の腕を見せつけたからなのだが、そこまで思い至らない足りない頭のインユェは、気にも留めなかった。

それと似たようなことが起きていても、インユェは一向に気にならない、普通だと思っているのだから。

「何か特別な方法を知っているのではなくて?」

インユェは知らなかったが、都では玉の肌はもてはやされている美の象徴である。

滑らかな真っ白い肌というものは、この王都では大変な価値を持っていた。

しかし聞かれたインユェは、ううん、とうなった。

村ではインユェ程度の肌の男性が山といて、彼らとの共通点は何だっただろうか。

ちょっと思い出して、インユェは椀をみた。

「たぶん、これ」

これ、と指さされたのは蟲である。

かたい殻付きの芋虫を指さし、インユェはとうとうと語る。

「これな、すごい滋養があるんだ。あと、蟲の生血っつうの? そういうの飲んでるやつの方が肌きれいだよ。穴蜻蛉の幼虫、穴ヤゴっていうんだけどな、それを絞った汁は肌荒れにすごくいいんだ。面皰とか腫物とか、何でも治っちまう。北の山じゃみんな顔に塗ってた」

聞いている女性たちは呆気に取られている。

それは聞いたことのない文化だからだろう。

「そうなの……? 聞いたことがないわ」

「山の知恵だし、平地で穴ヤゴはええっと……あ、いっぱい採れるっけ。湿っぽい土にいっぱいいるもんな。まだこっち来てから見たことないけど。たぶんいるよな、温かいほうがわいてくるわけだし」

シャヌ姫の呆気にとられた声に、またこれも呑気に返す。

蟲の知恵は、別段隠しているわけではないのだ。

「ねえ、それはどこで手に入るかしら?」

女性の一人が身を乗り出す。

彼女は顔にできものができていた。化粧をそれで隠しているようだった。

「どこって……考えたことない」

インユェは問われて、答える。

「おれそういうの、採ってくる役割だったし……お金払って手に入れるものでもなかったし、いつでも欲しかったら採りに行ったし……」

少しぼんやりと話すインユェ。

話ながら、彼女は思い出していた。フーシャとの思い出を。

顔にひどいできものができてしまったフーシャは、それを痛がっていて、痒がっていて、可哀想だったのだ。

だからインユェは、天候が悪いのに、山に入った。

そして目的の穴ヤゴを手に入れたが、雨のせいで足場を崩し、どことも見当がつかない場所で一夜を明かしたのだ。

一晩あけてみればそこは、村の放牧場と目と鼻の先のような場所で、ほっとしたことを思い出した。

フーシャはもう、それは泣きじゃくり、人目もはばからず泣き続け、もうそんなことしないで、と訴えてきた。

おまけに義弟たちが、普段は絶対にしない怖い顔で、インユェを怒ったのだ。あれはびっくりした。

村は牙の突然の失踪に慌てふためていて、捜索隊を結成する寸前だった。あれは迷惑をかけてしまったな、などとさすがのインユェも思ったほどだった。

穴ヤゴの効果はてきめんで、一週間でフーシャのできものは治っていた。

そこだけはよかったわけである。

「あなたが採ってくるの?」

后妃の一人が不思議そうな声で言う。

「あなたでも捕まえられるなら、誰でも捕まえられるのではなくって?」

もう一人の后妃が言う。

インユェはそこで気分を害した。

誰でも捕まえられるならば、牙の誉れはない。

穴ヤゴは伸びる口を持っていて、距離を測り間違えたら一瞬で食われてしまう。

それで何人も足を失ってきた。ひどいときには同じ年に、爪が二人食われたこともあった。

「誰でもできることじゃねえよ」

インユェの声は低くなった。

誰でもできることではない。

この、自分だから一人でどうにかできるのだ。

同じことを、そこら辺の人間に行われては面目丸つぶれである。

インユェの、今までの何をいわれても平然とした調子とは、一転した声に、后妃たちは動揺した。

声が違う。気配が違う。

目の前にいるのは、ただの女ではないと、女の直感がなくともわかる。

以前それを目の当たりにした、シュエイジン姫は一番よく分かったらしい。

「ごめんなさいね、蟲狩のことを、わたくしたちは何一つとして知らないのですわ」

「そう? そういうもの?」

「蟲狩なんて初めて聞く職業だわ」

一人の后妃が言う。彼女の名前を聞いていないことを、インユェは思い出す。

だが聞いても、意味がないだろう。

名前を聞いても、どれくらい偉いのか、わからないのだから。

インユェは、どう説明しようか、と考えた。

蟲狩は当たり前の職業だと思っていたせいで、的確な言葉が思いつかないのだ。

麗妃に言ったように、長ったらしく説明をしても聞いてくれるだろうか。

インユェはうんうんと悩んだ。誤解されてもどうも思わないわけではない。

ちゃんと認識されないのは、ちょっと癪に障るのだ。

「蟲狩はな、文字通り、蟲を狩るんだ。蟲ってわかる?」

「大きな虫でしょう?」

「どれを蟲っていうかわからないけど。そうだな、普通の虫と違うんだ。あ、思い出した。大地の気を吸収して育つのが、蟲って北の山では言う」

「普通の虫とどう違うの?」

「特別な力や薬効がある。すごい奴だと、一滴で千人を殺す猛毒を生成できるよ」

インユェがあっさりとしゃべることは、后妃たちにとって未知の世界だ。

「あとな、生命力が半端じゃない。なかなか死なないし、倒すのだって厄介だ。大型になればなるほど、危険は跳ね上がる」

「それを、狩るの?」

「うん。蟲狩は、そういうのを狩るのが職業。おれがいた北の山では、山に入ってひたすら蟲を追いかける生活をしたりした。おれも半年、山にこもってたこともある」

「まあ……」

彼女たちは驚いている。

それくらい、インユェがそんな生活をしてきたように見えないのだろう。

仕方がないことだ。見た目ばかりは変えようがない。

「あと、お金持ちの女の人なら、持ってない? 蟲の皮」

「持っているけれど……?」

「あれはぎ取ってくるのも蟲狩の仕事。あれの肉、うまいんだよな」

インユェは、誰も手を付けていない点心を一つつまんだ。

口に入れる。ふかふかとした生地は柔らかく、中身はあまいさらりとした漉し餡である。おいしいのでもう一個。

「こういったものとどちらがおいしいのかしら?」

問いかけてきたシュエイジン姫は強かった。

いいや、インユェを自分とは違う世界の人間だと、判断したからかもしれない。

「甘いのはなんでもうまいよ。村じゃこんな手の込んだ料理食べないし。箸も使ったことなかった。おれの村な、蕎麦の粉を水で溶いて薄くのばして、焼いて、山菜と一緒に蟲の肉を包んで食べるのが普通だった。お茶菓子は香辛料を効かせた干した蟲の肉だった。蟲もうまいよ、でも甘いお菓子はいっぱい感動するな」

「まあ」

シュエイジン姫がくすくすと笑った。

「あなたにどうして、第一皇子様が興味を持ったのかが分かったわ」

「ふうん」

「だって、近年陪都の付近では、蟲の被害が深刻なんですもの」

「なるほど、経験者が必要ってわけか」

「そうなのですか?」

シャヌ姫が聞く。驚いた声に、シュエイジン姫は頷く。

「穀物の畑が、軒並みやられたという話も出ていますのよ? もっと南では、人が食い殺されているとか」

「まあ、なんて恐ろしいんでしょう」

「王都は城壁がありますから、安全ですよね」

インユェは、それらを聞いて、自分は衝立のほかにも、そういうものにかかわることをしていくことになるのだな、と判断した。

ヤンホゥのそばにいる以外に、そんなこともしなければならないのか。

仕事が多そうだ。

というか、どこから教えればいいのだ。

インユェは、まだ始まってもいないものを考え始めた。

蟲の生態からか。

それとも狩り方か。足跡の見分け方か。

呼び寄せ方か。人らしさをごまかす方法からか。

いったいどれから始めればいいんだろうか。

ぐるぐると考えが回り始めたインユェを見て、シュエイジン姫はさらに別の話題を持ちかけてくる。

「あなたは、ヤンホゥ様と親しいのかしら?」

「ええっと?」

考えていたところに、急に話を持ってこられて、インユェは戸惑った。

「なんで?」

「この前、一緒に食事をしていたと聞いておりますわ。そのあと、同じ部屋で眠ったとか」

シュエイジン姫以外が、どよめく。

陪都公の寵愛のある女性ならば、彼女たちのように、夫が渡ってこない女性よりも、宮廷内で権力をふるえるからだ。

「ああ、あれ。飯食って床で寝たらいつの間にか布団に運ばれてた。その時何されてたのかはわからない。でも、あの人、寝たのか?」

言いつつインユェは、その時を思い出し、眉を動かした。

衝撃だったことに、眠っても気を抜かないはずの牙、インユェは、男に運ばれてしまっていたのだ。

衝撃以外の何物でもなかった。今まで一度もそんなことがなかっただけに。

しかし、男はインユェが起きた時に卓上の書類を仕分けていたので、一晩のうちに何が起こったのか、インユェは当事者なのにわからないのだ。

「寝てないよな……あれ絶対に寝てない。徹夜は能率が悪いのに」

インユェはぶつぶつと言い、それからああ、とシュエイジン姫を見やった。

「お姫様はヤンホゥ様の寵愛がほしいのか?」

それを聞いて、シュエイジン姫は微笑む。

「いいえ」

はっきりとした否定だった。そこに嘘は見当たらなかった。

「わたくしは、第一皇子様の后妃ですもの」

「えらいなあ、ブレてなくって」

インユェは感心し、果物に衣をつけてからりと揚げて、飴を絡ませたものをつまんだ。

「うまい」

しかしシュエイジン姫以外の女性たちは真っ青である。

当然だった。

自分たちの不作法な発言を、忘れるわけがないのだから。

言われた当人はすっかり忘れているが、言った方はもう、血の気が引いてしょうがないのだ。

そんな時だった。

「インユェ、ここにいたのか?」

笑い声を含んだ、美貌を連想させる声がかけられ、女性たちは声の方を見て、目を見開いた。

そこには陪都公が立っていた。

「ヤンホゥ様」

インユェは立ち上がった。

そして一目散に近付き、裾に膝に、土がつくのも構わずに膝を着こうとした。

「服を汚す。立ったままでいい。インユェ、お前が椿にいないと聞いて、驚いてみればここか。なにか楽しい話をしてもらっていたのか?」

「お貴族様の上等なおしゃべりを聞いていました。お菓子おいしいです」

インユェは馬鹿なほど正直に、言っていた。

もともと嘘はつかない性分だ。それを聞いて、男ヤンホゥが、笑いながら問いかけてくる。

「お前は甘い菓子も好きか。そうか。ほかに何か困ったことはないか?」

「いいえぜんぜん。そうだ、でもわがままを言っていいのなら、動きやすい服がほしいです」

「お前はその格好が似合っているだろう」

「頭が重いです」

「着飾って俺を楽しませろ」

「それもお仕事ですか」

「そうだな」

「わかりました」

インユェが、ヤンホゥに間違いのない忠義を誓っているように見えても、なにもおかしくない光景だった。膝をついて、両手を合わせて、一礼をするなど、昨今の貴族ですら行わない、ありえないほど正式な、そして厳粛な忠義の姿勢だった。


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