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回廊を延々と歩き、インユェが連れていかれたのは、大きな卓のある場所であった。

見事な卓である。そしてそれは朱塗りで目にも鮮やかに赤い。

造形も素晴らしい。彫刻の優美さはインユェが知っているものとは大きくかけ離れている。まるで別物、と同じ卓という言葉が似合わない印象を受ける。

光を取り入れる高価なガラス細工がはめられた窓はふちが格子のようになっており、飾り格子とでも呼べばいいのだろうか。

そんなものの向こうから、星の明かりと月の明かりが瞬いている。

そして外でも火を焚いているに違いなく、その橙の光もよく見えた。

そしてその面以外の場所は、美々しく飾られている。見たことのない大きな鳥の絵が極彩色で描かれている。

そしてインユェが見たことのない、薄い浅葱色のツボが陳列されている。

中身は入っているのかを、インユェが問いかけようとした時だ。

「座れ。じきに食事が出てくるだろう」

兄上が尊大な調子で言った。インユェはどこに座ればいいのかわからず、ちょこりと床に座った。村では床に座るのだ。床に茣蓙でも敷けば完璧で、インユェは座って驚いた。

布が張られているのだ。それも起毛した布で、ふかふかである。

まるで毛皮の上に座っているかのようだ。

感心してそれを撫でれば、スイフーが指摘した。

「そこの卓の椅子に座るんだ、インユェ」

「ここに座っていいのか? でもそしたら、上の人と同じ席に座ることになるんじゃねえの? それって都ではいいことになってんの?」

村は身分の上下を気にしない部分も多かった。

だが都では身分というものが、ちょっと信じられないくらい重要視されていることも、この数か月でインユェは学んでいた。

招かれた人がその家の主と相席するのはいいが、身分の低いものが上のものと席を同じくする。

それは今までの経験と合致しない。

首を傾げ男を見やれば、男が言う。

「俺は構わない、座れ」

「そんじゃすわる」

インユェはありがたく座らせてもらうことにした。

椅子は絹が敷き詰められており、当たりが柔らかい。

都の技術ってのは村と全然違うものなのだ、とこんなところで軽く衝撃を受けた。

都は衝撃の連続だが。

椅子に座って辺りを眺めまわし、天井の見事な朱色と緑と青の模様に言葉を失っていると、扉が開かれた。

そして入ってきたのは、覆いのかぶせられた皿を持った女性たちだった。

彼女たちは、薄汚れたインユェを見て一瞬、嫌悪の表情を浮かべたが、すぐさまそれを隠し、卓に次々と皿を載せていった。

そして運び終わると、一言も声を発さずに、一礼をして、静かに去っていった。

インユェは、皿の数にびっくりしていた。

皿の数はいったいどれだけなのか、とても、貧しい村では考えられないだけの品数である。

肉の焼けた香ばしい匂いに、白い蒸しパン、白いのだ、小麦だ、それだけでもうぜいたく品、があり、甘じょっぱいたれがかかった炒め物、くつくつと煮込まれているに違いない野菜の煮込みに、穀物を蒸かして油でこんがりと揚げて、あんかけをかけたもの。

ほかにもこまごまと、野菜の和え物や汁物が並んでいた。

インユェは常識が崩壊する音を聞いた気がした。

なんだこれは、都ではこんな食事が普通だというのだろうか。

いいや、ありえない。

インユェの常識ではありえないだけの品数である。

男がインユェを見やって言う。

「お前のために用意した。食え」

言われてインユェは、男を見た。

もしかしてこれは、手なずけるための餌なのだろうか。

人慣れしない獣をエサで釣るように、牙のインユェが心を許すと思ったのだろうか。

そんなことをしなくとも、インユェはとっくに、男の物なのだが。

しかし料理に罪はない。インユェは、さっそく炒め物に手を伸ばした。

親指に人差し指、中指で料理をつまんだあたりで、妙な視線を感じた。

その視線の先を確認すると、スイフーが唖然としていた。

しかし害意はない。

それだけを確認し、インユェはつまんだものを口に入れた。

見た目通りとろとろのたれが絶妙で、葉物野菜と根菜、何の肉だろうか、インユェが食べなれていない肉が口の中でゆっくりほぐれていく。

これだけでも、ものすごい贅沢品のようだ。

またつまむ。つまむ。

蒸しパンに手を伸ばし、ちぎって野菜の煮込みに浸す。

口に入れると、出汁の繊細な味が蒸しパンにしみこんで、口の中を潤す。

そこまで食べてから、インユェは男が興味深そうにこちらを眺めていることに気付いた。

何が不思議なのだろうか。

「おい、お前」

呼びかけられて、目を合わせれば、男が聞いてきた。

「お前は、箸を使わないのか?」

「はし?」

インユェはその聞きなれない名前に首を傾げた。

はしとは橋のことだろうか、使わないとはいかなることか。

なにかあるのだろうか。周りを見回せば、これまた精緻な彫り物が施された、金属製の、二本の細っこい棒が揃えておかれていた。そのわきには、曲線を描く先がへこんだ、やはり金属製で細工が見事なものが置かれていた。

棒は何なのだろう。このへこんだ物はいったい。

まったくわからないでいるインユェを見て、男が立ち上がった。

卓を回って、インユェに近付き、それらを示して言う。

「お前は箸もレンゲも見たことがないんだな」

「これが箸? レンゲ?」

インユェが赤子のように言葉を繰り返すと、男がちょっと唇を緩めた。

「そうだ。こう使う」

男が見本を見せてくる。箸というものの一本をつまみ、もう一本を指の間に通すようにする。

そしてそれを、動かして見せた。

ぱくぱくと動くそれはなにか、曲芸のようで、難しそうだ。

レンゲの方はまだ真似ができそうな使い方である。

汁物などを掬うだけである。

「難しいな、なんでこんなのしなきゃいけないんだ?」

「都ではこれを使うのが常識だ。覚えろ。これをこうしてだな、つまむ、ほぐす。わかるか? 箸もレンゲもないとは、北の里はかなり胡人の風俗が根強い場所なのだな」

インユェはそれを一生懸命にまねした。

だがうまくいかない。

まったく知らないものを使うというのは、そういうことだ。

いくらやっても、手が滑る。だんだんといらいらしてきたが、八つ当たりをしてどうなるというわけでもない。

インユェは耐えた。

男が覚えろと言ったのだから、インユェは覚える義務があるのだ。

幸い、インユェはそこまで不器用ではない。

なんとか、握りこむ程度まで箸というものが使えるようになった。

そして頑張って、それを使って少しぬるくなった料理を口に運ぶ。

やはり違和感が付きまとう。

だが、熱い汁や煮物を食べるのに、これは理に適っている部分があるかもしれないな、と思った。

「都ではこれとこれを使って飯食べるの?」

「口の中の物を食べきってから喋れ」

男のもっともな指摘にうなずき、飲み込んでからもう一度問いかける。

「都では箸とレンゲは常識?」

「常識だな」

「ふうん」

ところ変われば品代わる、もこれだけ分かりやすいものもないだろうな、とインユェは思った。

それでも蒸しぱんの下に敷かれている笹の葉をどかすのに、指を使うことに関しては、男も怒らなかった。

たっぷり食べて、お腹がくちくなったインユェは、そこでようやく、男の素性が気になり始めた。

自分を手に入れた男は、いったい何をしている人なのだろうか。

これだけおいしい料理を食べさせてもらえるのだから、それなりに身分は高いのではないだろうか。たしか武人といっていたが、ただの武人が奴隷一人に、これだけの食事をさせるだろうか。

疑問が頭を占めてきて、とうとうこらえきれなくなり、インユェは食後の茶を飲む男に問いかけた。スイフーは何か用事があるらしく、途中退席していった。

そのためこの豪華な部屋には二人きりである。

「あんた、さ」

呼びかけは男を示す。名前も知らない男だから、インユェはあんたというほかない。

「俺がどうかしたか?」

「仕事何? スイフーの兄ちゃんなんだろ、それなりにえらい人?」

「まあ偉いだろうな。生半な身分ではない」

「そんなあいまいな言い方じゃわからない」

インユェの困った声を聴き、男がするりと答えた。

「俺は陪都の主だ」

「ええっと……陪都はここの都を補佐する場所で、そこの主? え、王様みたいなもの?」

「俺は陪都公という身分だ。陪都で最も身分が高いことになっている」

男の答えは明瞭で、インユェのよく理解していない頭でも十分に理解できた。

「陪都公って、公ってなに」

「公的な役職についているからついている通称だ。高い身分という証明でもある」

それはそうだろう。

陪都の主だというのなら、インユェが想像していることが正しいのならば、男はとんでもない身の上だ。

そして陪都の宮という牡丹殿は。

「なあ、ほんとのほんとに、牡丹殿に、おれみたいな山猿入れていいのか? もしかして凄く身分の高い女性を入れるための殿舎なんじゃないのか?」

そう言う結論に至ることができるのだ。

皇帝の言葉をひっくり返せるだけの身分という事も踏まえると。

「なに、どうせ誰も恐れおののいてはいらない場所だ。山猿が一匹入ったから、どうこうなるわけでもないだろう。それにな、俺は気楽な相手がほしい。確実に俺を裏切らない保証がある奴がな、宮の一つで俺を待っているなど、ずいぶんな事だとは思わないか?」

「蟲狩意外に何にもできないけど」

「俺はお前にそのような素質を求めているわけではない。陪都での避難場所だ」

「おれ避難場所って……」

「陪都の女は積極的でな、寝所に押しかけてくる。仕事の邪魔になって仕方がない。そういう時、牡丹にいる女のもとへ行けば、少しは恐れもするだろう。そしてお前は強い。間違いなくな。殺しても死ななさそうだ。毒にもそれなりの知識を持っているのだろう?」

「蟲の半分は毒腺を持っているから」

それなり以上の知識を持っているし、調合もできるのだが、インユェはそれを言うことはしなかった。

毒の調合は、村の秘密の一種でもあるのだから。

「俺がほしいのは、邪魔者を防ぐ衝立だ」

身もふたもない言い方であるが、しかし好ましい言い方だった。

見捨てられなかった時点で、死なせることができなかった時点で、インユェは押し負けている。

そのため、インユェは彼の目をちょっと見てから笑った。

「わかった、おれ、あんたの衝立になる。だからおいしいご飯、いっぱい食わせてくれよ」

「さすがに、大蜈蚣の炒め物は用意できないぞ」

「それは自分でやるからいい」


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