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「牡丹を開けるとおっしゃるのですか!?」

スイフーが悲鳴のような声で言う。正しくそれは悲鳴だった。

なぜそれを行うのか。なぜやらなければならないのか。まったく理解できないという慌てた声。

しかしそれがどうした、とでもいうかのように、兄上という男が頷く。

「開けて何がいけない?」

「あの場所は、なりません! 先々代の陛下が閉じてから、開けたことは一度としてないでしょう!」

牡丹が何かさっぱりわからないインユェは、それがスイフーの血相を変えていることが不思議だった。

いったい何が、そこまでスイフーを慌てさせるのか。

それを見ている兄上は、面白がっている顔をしている。

「なんだスイフー。お前がこの娘を気に入っているのか?」

「そう言う問題じゃありません兄上! 牡丹の末路をご存知ではないのですか!?」

「噂話なら山のように聞いたぞ? 高々噂だ」

「その噂に真実があると思わないのですか、牡丹の末路は皆、死ぬのですよ」

人間はいつか死ぬのに、ずいぶんと恐れているようだ、とインユェは聞きつつ思った。

「なあなあ、聞いてもいいか」

「なんだ」

兄上がインユェを見下ろして首肯する。

「牡丹って何だよ、桜花殿みたいだ。やっぱりこの朱宮の中にあるのか? よくわかんねえんだけどさ」

「牡丹は陪都にある宮の一つだ。そこはしばらく、人を入れていないだけだ」

「兄上、嘘はおっしゃらないでください」

「何がうそだ? 何も嘘はついていないだろう」

兄弟二人のやり取りを聞いていても、インユェにはちっとも言葉が通じていない。

「バイトってなんだよ、そっから説明くれないか?」

「陪都とは、都を補佐するもう一つの都だ。陪という字には、補佐の意味がある」

「ふうん、ここは王都? 陪都?」

「ここは王都だ。陪都はここから南に数十ほど行った場所にある」

数十。

「結構な距離だと思うんだけど、その辺はどうなのさ」

「蟲が多い山を抜けるからな、安全な回り道ができるまでは、結構な難所が多かった」

「へえ。蟲が多いだけで難所っていうんだ」

「お前の基準はどうなんだ?」

「そりゃ、狩れない蟲がいたら大変だ。山の主とか言われてるような一個最強な奴とかがいたら死にそうな場所かもしれないけど、普通の蟲なんだろう? おれの敵じゃない」

「お前はなんならば狩れないのだ?」

男の疑問符に、インユェは腕組みをして考え込む。

「一般的にはどうなんだろ、大蜈蚣三匹くらいだったら余裕。蛞蝓鬼くらいだったら群れでもやりあえるし、林天蚕の幼体だったら三日間ぶっ通しで追いかけても平気。追いかけて途中で狩るのもできるぜ」

男たちが唖然としていることに、インユェは気付かない。頭の中で次々と、今まで狩ってきた蟲たちを数え上げていく。

牙になって数年、しかし足になったばかりのころから数えれば十年ほどは狩人をしている。

その間に、狩ってきた蟲は数多。敗北すれば死があるのみという厳しい世界だったので、撤退か勝利しか経験したことがない。

「お兄さんたちどうしたんだよ、顔が険しい」

「大蜈蚣三匹はこの前目の当たりにしたが。お前は蛞蝓鬼の群れを相手にできるというのか? あの刃の通らないぐにゃぐにゃした蟲を」

兄上が感心した声で言う。

インユェは匕首を抜き放った。ざわり、周りがどよめくのも気にしない。

実は彼らは注目の的になっていたのだが、インユェは視線を気にしない。

気にする理由がどこにもないのだ。害されるわけでもない。敵意もない。そういう視線を、気にするほど自意識過剰になれないのがインユェだった。

「これ、特別製なんだよ」

「ただの、木剣の刃に石を取り付けただけの物に見えるが?」

「お兄さん見る目がないね」

インユェのあけすけな言葉に、スイフーが顔色を青褪めさせた。

彼の兄は、そういうことを言われたことがないのだ。

機嫌を損ねてしまえば、スイフーでもかばえないかもしれないのだ。

しかしインユェは、隣の慌てっぷりが分からない。

慌てているのは伝わってくるのだが、なぜそうなっているのかさっぱりわからず、わからない以上訂正もなにも、あったものではない。

「これはね、蟲殺しの石なんだよ。あんたの鉄の刃物くらいだったら、余裕で切り飛ばせる。鋭いのに、蟲の体液でも切れ味が落ちない。蛞蝓鬼程度の粘液で、切れなくなるやわな武器じゃないんだよ」

見せつつ言えば、男はまじまじと刃物を眺め始める。

しかし、見た目で言えば旧式の、時代遅れというのも語弊がありそうな旧時代の代物だ。

男は見ているだけでは、判断できなくなったらしい。

「おい、貸してみろ」

「なんでおれが、一つきりの武器をあんたに渡さなきゃならないんだよ、いやだ」

男は機嫌を悪くしたのか、ほんの少し眉をしかめた。

「じゃあ、さきにあんたのそれよこせ」

インユェは、男の懐に持つ短剣を指さした。

「おれだけ刃物ないとかないぜ。先に貸してくれたら貸す」

男は大きく目を見開いた。

やはり、護身用の刃物を奪われるのは気分が悪かろう、とインユェが思った時だ。

「なぜ、俺が懐に持っていると、わかった……?」

その声は驚きに満ちていた。

「そんなもん、足音聞きゃわかるんじゃないの? あんた踏み込みがちょっと強いから、刃物にぶら下げた房が音たててるぜ」

そこまで言ってから、インユェは話をはじめに戻すことにした。

「話戻すんだけどさ。牡丹って何か、ちゃんと教えて」

男二人は、突然の話題の変化についていけなかったらしい。

なぜそこに戻るのか。話しはまだ終わっていないというのに。

自由気ままを性分とするインユェは、自分が自由に話題を変えていることにも気付かない。

「おい、刃物の話題は」

「それあとでできるだろ、牡丹が気になる。陪都の宮の名前なのはわかるんだけどさ。意味が分からないんだけど。なんでスイフーは牡丹を開ける? のをいけないと思うんだ? 牡丹に何があるんだ?」

男の言葉に、するすると疑問を並べていくインユェ。

男はにやりと笑い、スイフーは逆にため息を吐く。

「牡丹はさっき言っただろう、陪都の宮の一つだ」

「ただの宮じゃないんだろ? ただの建物開けるだけで、なんでスイフーが慌てるのさ」

「それはだな、先々代の皇帝が牡丹に入ることを禁じたからだ」

「なんで? 理由ってものがあるんじゃないの?」

「お前は非常識だがバカではないらしいな」

「山の常識が平地と相いれないだけ。おれは村では常識的だったぜ」

村の人間が聞けば、首をぶんぶんとふって否定するだろうことを、インユェは平然と言った。

本人は常識的なつもりなのだ。まわりが諦めて止めなかっただけ。そして山に入ってばかりのインユェを、注意する時間もなかっただけだと、当人ばかりが知らない。

「牡丹、牡丹殿というのだがな、そこは呪われているという噂が立った」

「呪い? なに、呪い師でもなんかしたの」

「牡丹殿に入った、それなりの女たちが次々と死んでいってな」

「ふうん。毒は? 病気は?」

「は?」

「次々死ぬなら毒だろ。牡丹殿の死人たちに共通した病は?」

インユェにとって毒は身近だ。蟲を扱えば毒は自然と触れることになるし、山神が病を運ぶといわれてきた村ではまた、病も身近だ。

「お前は敏いな? 俺もそうだと思うが、女たちが毒殺されたとも、病に倒れたとも、どうにもわからない」

「分からないだけだろ? 原因があるはずだ」

「お前は物が分かっているのか馬鹿なのか。お前本当にわからないと思っているのか?」

男が身もふたもなく言う。その理由を、いまいち理解できない。

「おれは馬鹿だけど物はわかってるぜ」

「言っただろう、それなりの女が次々と原因不明で死んでいくから、呪いだとうわさされていると」

「へえ、死んでいくから呪いなんて安直だな」

インユェの感想は、男のツボだったらしい。

男が突然笑い出し、それはもう楽し気に笑い、涙を拭いた。泣くほどおかしかったらしい。解せない。

「笑ってんじゃない」

「すまんな、お前は理解が早い。つまりまあ、牡丹殿は入れば呪われるといわれている殿になっているわけだ。お前にはそこに入ってもらいたい」

インユェは眉を少しだけ釣り上げた。

「それっておれは死んでもいいってわけ? 変な病気が残ってたらどうするんだよ」

「お前は俺の物だろう?」

男がのぞき込んでくる、視界は男の秀麗な顔立ちを目いっぱいに映す。

そこでインユェは、思い出した。そうだ、自分はこの男の物になったのだ。

物になったという事は奴隷というわけで、奴隷など仕事が全然わからない、なにせ村には奴隷を使うほど裕福な家はなかった……男が言うことに従わなければならない身の上になったという事だ。

「そっか、そうだっけな」

男の目は妙なほど心臓を打ち抜いてくる赤色で、体の奥底の何かを震わせる。

その目を見つめていれば、男はふん、と機嫌がよさそうな声を漏らした。

「お前は俺の命令だけは絶対だ。牡丹殿には入れ。いいな?」

「うん」

インユェは馬鹿正直にうなずいた。彼女はもともと、気質としてはひねくれていない。

正直だし素直だ。

自分の言ったことを曲げることもない。

「分かったならそれをよこせ」

「それはいやだ」

それでも、匕首を渡すのだけは抵抗があり、インユェはそれを抱きしめていやいや、と首を振った。

「俺の命令は聞くんだろう」

「それでもいやだ。譲れない。おれに残ってるの、これだけだから」

この蟲の体液にまみれた服と、匕首、ほかにもう、インユェが故郷をしのぶための物はない。

持ってきていないのだから当然だが。

インユェが譲らずに男をにらむ途中だった。

ぐう、と間抜けた音が、インユェの腹からなった。

「お前……」

男が唇を微妙にひきつらせて、言った。

「腹が減ったのか?」

「だって、朝から何にも食べてない」

鳴った腹をたいして恥ずかしいと思わず、インユェは言う。

「何も? お前が仕えていた后妃は誰だ? そこまで宮女をいたぶる奴はいなかったと思ったが?」

「おれは誰にも頭を下げて生きてこなかった。あんた以外」

インユェの言葉に、男が瞠目した後、また笑いだした。豪快な笑いっぷりだ。

「お前の主は真実、俺だけなのだな」

笑いが止まらない声で言った男が、インユェをまたのぞき込む。

「たらふく食わせてやろう、何が好きだ?」

「大蜈蚣の炒めたの」

インユェが思いついた、世界で一番おいしい料理を聞いて、男がまた、何がおかしいのか笑った、男は笑いのツボが浅いらしい。

そしてスイフーはそんな二人のやり取りを見て、ハラハラ、とした顔をした後、召使らしき人間を呼びつけ、何か手配を始めていた。


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