雨の降る交差点で
――雨が降っている。
こんな夜中に雨の中立ち尽くしている僕の姿を人はどんな目で見るだろうか。
しかしなんてことない、いつもの事だ。
目の前には交差点。片側二車線の小さいやつ。時刻は現在3:00、車通りはいつも通りほとんどない。時折トラックがとこぞへと向かって行くだけ。いつもご苦労様です。
それからしばらくして、空が白み始める。いつも通り、雨は止まないまま。交差点はだんだん人で賑わいゆく。
若いサラリーマン風の男。少し早めに学校へと向かう幼い姉弟。黄色い傘を差した少年。いつも通りの人たちはいつも通りの格好で過ぎってゆく。
しばらくして、遠くから小学校のチャイムが聞こえてきた。登校五分前ってとこか。
耳聡くそれを聞きつけた少年らは傘にしがみつきながらいつも通り駆けてゆく。
その五分後。いつも通り向こうからカッパを着た少女が駆けてくる。
寝坊でもしたであろう彼女は赤いランドセルのふたを閉め忘れたままもはや間に合わない登校時間目指し走っている。
よほど急いでいたのだろう。信号もロクに確認せず横断歩道に飛び込んでゆく。
でも僕の目はそんなものまるで見ちゃいなかった。代わりに視線が追っていたのは左から走ってくる赤い乗用車。
彼もまた寝坊したのだろう。青信号であることだけ確認し減速せずに交差点を突っ切ろうとする。
――あぁ、もしもこの視界を遮る雨が降っていなければ。
彼は彼女の存在にもっと早く気付けたろうに。
――あぁ、もしもこの道を濡らす雨が降っていなければ。
彼の踏み込んだブレーキはその役目を果たせただろうに。
――しかし雨は降っていた。
いつも通り、いつも通りに。
哀れな少女を弾き飛ばした赤い鉄鋼の塊から慌てたように人が飛び出す。
――彼は、僕は、いつも通り泣きそうな目をしながら彼女に駆け寄り、携帯電話をプッシュする。
数分後、サイレンがこだましながら到来し、少女は白と赤の車へ、僕は白と黒の車へ。うん、いつも通り。
それから数時間後には交差点は一応の平穏を取り戻していた。いつも通り、雨は止んでいた。
――夜になった。不運の形跡はもはや無く、いつも通りの交差点がそこにあった。
やがて夜は更け、短針が真上を向く。日付は変わらない。雨が降っている。…いつも通りの、一日だった。
その三日後、僕は命を絶った。
少女の意識は戻らない、僕が奪った。
その罪の意識に耐えられなかった。
でもそんなんじゃ神様は僕の罪を赦してくれる気にはならなかったらしい。
もう何べんもの『いつも通り』を見続け、それでも終わらない罰。
また今日も『いつも通り』に苛まれるのだろう。それが僕の罪なんだ。一つの尊い命を奪った、僕への。
夜が明ける。いつも通りの人々を見送り、いつも通りのチャイムを聞き、いつも通り少女がやって来て、いつも通り撥ねられる。
――その向こうに、いつも通りではない者がいた。
サイレンが遠のいた横断歩道をこちらに歩いてくる。
「――――もう、いいんです」
その顔を、僕は見慣れていた。嫌と言うほど見せつけられてきた。でも、あり得ない。そんな馬鹿な。だって、
――だって『彼女』は、僕が轢き殺したんた――
「勝手に殺さないでくださいよ、もう」
――え?
「生きてますよ、私。ホラ」
――嘘、だ。だって拘置所で聞いた話ではもう助からないって
「いやいやピンピンしてますって。当時10歳だった少女は車に轢かれたけども奇跡の快復を見せ、その後は大きな事故もケガも無く、とうとう高校生になりましたとサ」
――生きて、た?僕は…僕は殺してないのか?
「…うーん、疑ってるなぁ。しょーがない、じゃあもうちょっと見ててくださいよ」
パチン。
何を、と問おうとして気付いた。雨が、止んでいる。携帯で日付を確認する。
一年が過ぎていた。
交差点の向こうから親子がやってくる。少女は覚束ない足取りながら、母の力を借りながら、それでも自らの足で学舎へと向かっていた。
パチン。
携帯を確認する。どうやら更に二年後らしい。夕暮れが僕と彼女を、交差点を赤く染めていた。
学校帰りだろうか。制服姿の少女たちが右の横断歩道を渡りきり、僕らの目の前で楽しそうに談笑しながら信号を待っていた。
その背中が見えなくなるまでそこに立ち尽くしていた。頬を伝う滴。
「信じてもらえた?」
暖かい感触が身体を包む。
「もう、いいんですよ」
「自分で自分を縛りつけるのは、おしまいにしても」
「――私は、幸せなんだから」
――――長い長い一日が、ようやく終わりをつげた。
了