第四話
いつの日か、友達の、そのまた友達に起こった悲惨な事故の話を聞かされた事がある。
そんな事あったんだな、なんて当たり障りのない言葉しか返せなかったっけ。
俺に話をした友達は、本当にいい奴だったんだけどな……。そう苦々しげに宙を見上げて呟いたのを今でも覚えてる。
放り出される四肢。衝撃を諸に受けて軋む体。ぼやける意識。
ああ、景色がスローモーションで見えるっていうの、本当だったんだな。
いつしか聞いた話が現実に起こった事に関心する。まさかそれがこんなに若く、そしてこんな状況で自分に訪れるなんて考えもしなかった。段々と視界が反転し、グレーのアスファルトが見えた。
その色から連想するのはあの猫。あいつは助かったのだろうか。そんな自分の呑気な思考は先を覚悟しているからだろうか…。
その時、視界の隅に映った猫に視線を遣ると目が合った。歩道にちょこんと座るその猫はその小さな頭を傾げていた。
―――――そっか、お前助かったんだな。良かった…。
自ずと口端が上がった。刹那、
ガン!ズザザアアッ……
誰しもがその光景の行く末を目で追い、地面に激突した少年体が玩具のように逆らうことなく反動で宙に浮き、次に落ちた時は勢いよく手足を振り回しながら転がりそして止まった。
グレーのアスファルトに赤い溜まりが彩られた。
「お、男の子が惹かれたぞ!」
「誰か救急車を!」
ようやく通常の速度で再生された世界。先程までは聞こえなかった街の喧騒が優の耳に入ってきた。視界がどんどん赤くなっていくに連れて意識が薄れていった。
俺、死ぬんだ―――。まだ遣りたい事あったのに…、ていうか……あれ……。
「痛くねー…?」
むくりと起き上がった優の目の前には慌てた様子のスーツを着た男性がいた。衝撃を受けたからなのか視界が微かに光って見えた。
「君!大丈夫なのか!?」
男性は驚愕の表情で起き上がった優を見つめながら、起き上がるのを助けるように彼の背に手を添えた。優は大丈夫と伝えながら辺りを見渡せば、いつもなら車が右往左往している筈の大通りは違った喧騒に包まれていた。周囲の人達は各々携帯で電話をかけたり、誰かを呼びに行ったり、これ以上車が突っ込んでこないように誘導したり。目の前の男性もまた、優に異常がない事を確認すると自分の携帯を使ってどこかに電話をかけていた。
ふとあれ程の衝撃を受けたにも関わらず、どこも痛みを感じない自分の体を見下ろした。地面に着いていた右手を顔の前まで持ち上げ開いては閉じてを繰り返した。ちゃんと動く事にある意味感動したが、それよりも重要な事に優は気付いた。
――――光ってる?頭ぶつけたら星が回るってのはよく聞くけど、これはなんか違う気が……。
視界が微かに光って見えていたのは自分が淡く発光しているからという仮説に行き着いた時、
『父ちゃん!俺の手光ってるっ』
突如フラッシュバックした光景にハッと我に返った。幼い頃の自分の記憶にこの光を見たような気がした。と思ったらスーっと徐々に光が収縮し何事もなかったかのように消えてしまった。なんだったんだ、そう訳のわからない現象に戸惑っていた時、遠くの方からサイレンの音が聞こえてきた。誰かが呼んでくれていたのだろう救急車が近くで停車し、中から救急隊員の人が数人ストレッチャーを担いでこちらへと向かって来る。
「車に轢かれたというのはこの少年ですか!?」
「はい、ですが怪我等は特に見られなくて…」
「ご協力感謝致します。状況をお聞かせ願いたいのでこちらへ…」
優に付き添っていた男性が救急隊員と離れていったのを合図に、別の隊員が優の前に膝をついて座った。
「君、大丈夫か?どこか傷む所はないかい?名前言えるかい?」
優の肩に手を置いて心配そうな表情でで見つめて来る隊員は、名前を名乗ればホッとした表情に変わった。
「とりあえず一度このまま病院へ搬送するよ。どこか打っていたらいけないからね」
そう言って優の脇に手を差し入れ立たせ救急車へと誘導した。正直何故あの事故で助かったのか自分自身でも驚きで、成すがままに乗り込んだ優を乗せて一時病院へと向かったのだった。
◇ ◇ ◇
「優ッ!!」
バンッ!と開け放たれた病室のスライド扉。そこから突進してくる人物は今朝とは違えど、どこかデジャブを感じさせる状況に優は苦笑いし今から来る衝撃に立ち向かうべくベッドの上で踏ん張り拳を構えた。
「うっせ馬鹿親父!病院は静かにしろって常識知らねーのか!?」
「ぐはっ!……だ、だって優が車と衝突したって聞いて俺、…俺ッ!!」
「っだ―――!わーったからッ!頼むから俺の耳元で叫ぶのヤメてくれッ」
顔面にヒットした筈なのにけろっと生き返り抱き着き叫ぶ親父。なんで俺の周りには耳元で叫びたがる奴がこうも多いんだ。敷島もそうだし親父もそう。しかも二人共暑苦しいったりゃありゃしない。
首に腕を回し抱き着いてくる子離れできない親父の顔に手を当てて離れろと押し返しても今日の親父はしつこい。これでもかと顔を左右に振り俺の手を振りほどこうとしやがる。顔面は涙と鼻水で溢れかえりそれを俺に擦り付けようとするのも正直勘弁して欲しい。「病院ではお静かにお願いしますね?」そうようやく看護師さんに注意されて黙った親父はベッド脇に置かれた椅子に腰を下ろした。俺も俺でベッドに座る形で収まった。そんな俺等を見て仲良いんですねと笑顔になった看護師さんに親父がそりゃあもちろんですとも!と豪語したのは看護師さんの手前、目を瞑ろう。
親父が来る迄に検査は終わっていて医者からは状況を聞けば無傷だというのは奇跡としか言いようのないと聞かされていたが、看護師さんはそれを今親父に話していた。自分は二度目の話だがそれを他人事のように聞こえる俺はおかしいのだろうか。
そもそも奇跡っていうのか。そこそこスピードの出た乗用車に撥ねられ数メートル飛ばされ硬い地面にぶつかった。あの一瞬は物凄い衝撃が体を走ったのも覚えている。けど起き上がった時には痛みなんてへの字も残ってなくて周りにいた人達も結構驚いた顔してたのも頷ける。
これは奇跡というよりも、俺の体が異常なんじゃないか?しかも正体不明の光も見た。何故か誰もそれを指摘しなかったって事は見なかったのか?じゃあ一体あれは……、
「優?」
「へ?」
余程考えに耽っていたのだろう。気が付けば看護師さんは消えていて親父が心配そうな表情で俺を覗き込んでいた。
「あ、悪ィ…、ちょっと考え事」
「本当か?どっか痛い所とか、」
あわあわと手を動かして身を乗り出してくる親父はまだ俺の事を心配なのだろう。そりゃあんな事故にあったんだから気持ちもわからいではないが、看護師さんを呼んで来ようと言って椅子から立ち上がった親父の腕を掴み勢いよく再度座らせると当たり所が悪かったのか蛙が踏みつぶされたような変な呻き声を上げて悶絶した。
「大丈夫だって!ていうかもう何度も言わせんな」
「俺一回しか言ってないのに」
親父が言う前に何人にも同じ事言われてんだよ。そうぼやけば悶絶しながらも親父は苦笑いした。多少癪に障るが日常に戻ってきたのだと、このだらしのない親父の顔を見てようやく納得した気がした。
「今日一日は安静にしといた方がいいって医者が言ってたからもう親父帰れよ」
「なんでそう邪見に扱うかな……」
説教し出しそうな雰囲気を察知した俺がギロリと睨めばわかったっと、だから睨むのやめて。と観念して溜息を吐いた。
「学校に連絡して事情説明しとくから。明日は一応休めよ?」
「わーってるって!あ、そういえば俺の携帯は?」
あの時は呆然と救急車に乗せられたから荷物がどうなったのかすら覚えていなかったが、親父曰く焦って病室まで来たから聞いていないとの事だったので、それも聞いておくと言って再度立ち上がった。
「あ……、あとな」
そう呟いた親父を見上げれば言い淀むような、苦悶するような表情で見下ろして来た。なんだ、と聞けばこれから仕事があるから一旦家に帰らないといけないらしい。
親父の仕事は夜の勤務で一応バーを経営しているらしいが、未成年の俺が来る事を執拗に拒み続ける為、どんな感じの店なのか、どこにあるかすら教えてくれない。お前が成人したらな!とはぐらかす親父に内心、本当はヤバい仕事してんじゃないかと疑う時期もあったが、普段の体たらくな親父を見てどこにそんな度胸があると考え直した。
「別に構わねーよ。けど看護師さんに荷物の件だけは聞いてくれよな」
「それはもちろん」
笑顔で言った親父は病室を出る間際、寂しくなったらいつでも連絡してね、なんて語尾にハートマーク付いてんじゃねーかと思うくらい調子に乗りやがったが、こっちが言葉を発する前に出て行った。
「……寂しくなんかなんねーよ」
親父がいなくなった為に静かになった病室。それによって扉の向こうからは人の声が俄かに聞こえた。
ベッドに寝転がり見慣れない天井を仰げば思考を埋め尽くすのは、やはり今日のあの光の事。
「なんだったんだろ…な、」
忘れていたが部活で扱かれた疲れと事故の疲れも相まって、目を瞑れば訪れる睡魔。フラッシュバックした小さい頃の記憶が本当なら、明日親父に聞けばわかるか。そう考えに至った俺は暗闇に身を任せ眠りについた。