04 「あぁ、彼ならばどんなものでも美味しくいただける」
しつこく私の指を舐める彼の瞳は熱が篭っている。まるで私を愛しているほどの熱さで勘違いしてしまいそうだ。
あぁ、これはなんて素晴らしい夢だというのか。妄想をしすぎてこんな夢まで見てしまったのか。
指を咥える彼をうっとりと見つめ、捕らわれてない方の手で彼の頬を撫でる。目を細め、チュッとわざとらしく指に吸い付く。
「そんなに美味しい?」
「ん、美味しい。俺は前から君を美味しくいただいていたって言ったよね。前よりも君はずっと美味しいよ」
前から美味しくいただいていたなんて私みたいなことを言う。私もたった一つしかない後ろ姿の写真を何度も美味しくいただいた。
写真を焼き増しした分だけ何度もいただいたんだ。今もボロボロになった写真も捨てずに一枚一枚大切にしている。
彼の後ろ姿の写真を思い出して私の顔は気味が悪いほどニヤニヤする。その気味が悪い顔を見ても彼は嫌な顔をしない。
どんだけ優しい彼なんだ。普通だったら引かれるというのに。
「私もあなたのこと美味しくいただいていた」
「うん、知ってる」
彼は知らないと疑いもしなかったことを彼は知ってると頷く。隠れて美味しくいただいていたのに彼は知ってると言う。
どうして知ってるのだろう。私は軽く首を傾げて彼を見上げた。
「俺は君のことならなんでも知ってるよ」
「ほんと?」
「うん。君が俺の家を探すために夜中に表札を見ながら住宅街を徘徊していたことも知ってるし、その前に冷たいシャワーを浴びたことも知ってるから」
あぁ、彼はなんでも知っているんだ。私のことをなんでも知ってるなんて、まるで愛の言葉だ。彼が私に愛の言葉を囁いているみたいだ。
嬉しくて嬉しくて頬が緩むのを止められない。
緩んだ私の頬を両手で包み込み、彼は甘く微笑む。そのまま顔を近付け、チュッと口の端に唇を落とした。
「私のこと本当に知ってるんだ。ふふふっ、嬉しいなぁ」
「君を美味しくいただくためには知ることが大切だからね」
その言葉に同意してしまう。知ることは何よりも大切だ。
彼をずっと追いかけて彼を知り、彼を妄想する。彼を美味しくいただくには彼をよりリアルに妄想しないといけない。写真を胸に抱き、美味しくいただく。
段々と体が火照ってくる。もう冷たいシャワーでは体を冷ますことは出来ない。
「何度、君のこの艶やかな黒髪を愛でたのか。かき集めた髪では君を再現出来ずに苦労したよ」
スッと髪を手で梳くように撫でる。その手は髪の毛一本一本を愛でるかのように絡み付いてくる。
ゾクゾクと体が反応し、瞳からは興奮しすぎたためか涙が出てくる。潤んだ瞳で彼を愛しげに見つめた。
髪の毛さえも愛でてくれるなんて私はもう駄目だ。彼は私が好きなのだと信じてしまった。
彼を追いかけるために家を出てきたストーカー志願の私に優しくするから勘違いをしてしまった。
「私もあなたのものがほしいよ……」
使い捨てたちり紙や着れなくなった服、口に合わなくて捨てられた食べかけのご飯。彼の髪の毛や爪切りで切った爪。どんなものでも彼のものだったらほしい。
出来ることなら写真もいっぱいほしい。後ろ姿だけではなく正面からの写真に上から下から撮った写真や彼の横顔の写真もほしい。
とにかく彼のものだったらなんでもほしいのだ。そんだけ彼を愛している。
「いいよ、君が望むならいくらでもあげる。その代わり、俺に君を頂戴?」
可愛く首を傾げ、彼は微笑む。それは私が拒否しないと分かっている笑みだ。自信しかない笑みだ。
蕩けるような微笑みに魅入ってしまう。なんと魅力的な笑みを浮かべるのだろうか。
その笑みを私に向けてくれることが幸せすぎてどうにかなっちゃいそうだ。
この笑みがいつも見れたら今よりも更に幸せなんだろう。何度も美味しくいただけることが出来るだろうか。
「あぁ、写真を撮りたい」
「それは後でって言ってるでしょ?」
「だけど、今しかない……」
今しかこの笑みは見してくれないかもしれないじゃないか。私はいつでもこの笑みを見たいんだ。写真の中でもいい。私を見つめてくれるならなんでもいい。
いや、私を見つめてくれなくてもいいんだ。私はどんな彼でも追いかけて美味しくいただくことが出来る。
彼に彼女が出来れば、また違うと思うが今のところは彼女を作る気はないみたいだし。大丈夫だ、私はどんな彼でも愛せるのだから。
「駄目だって」
「いやっ、写真撮らせてよ」
ポケットから取り出した小さなカメラを彼に取られる。一つしかない彼の後ろ姿の写真もその中のデータに入っている大切なカメラなんだ。
泣きそうになるのをグッと堪え、必死でカメラ奪還を試みる。
「必死になってる君も可愛い。だけどさぁ」
「あっ」
さっきまで甘く微笑んでいたというのに今の彼の表情はなかった。無表情で彼は私を見つめた。
ゾクッと身震いがする。それは決して嫌な身震いじゃない。彼の新たな表情を見た嬉しさからだ。
「カメラカメラうるさいんだよ。君が俺を好きなのはずっと知ってる。知ってるけど、実際に俺が目の前にいるのにカメラって妬けるなぁ」
ガシャッと勢いよくカメラは地面に叩きつけられる。粉々というわけではないが確実に部品が飛び散り、カメラは壊れていることが確認出来た。
カメラは大切なのに私は全く壊れたことを気にしなかった。だって、彼が呟いた言葉が嬉しすぎてカメラなんてどうでもよかったんだ。