ひどい話
「きゃー! 可愛い!」
女は己の膝の上によじ登ってきた子犬に、思わず喚声を上げた。
エサの匂いにつられたのか、生後間もないと思しき子犬がバタバタと登ってくる。
「ええ。エサが欲しいの?」
女はカフェのテーブルで、己の足を登ってくる子犬を抱き上げた。見れば周りの客も似たようなものだ。カフェの席で、思い思いに子犬とたわむれている。
そう、ここは子犬カフェ。子犬を愛でながら、カフェを楽しめる趣向のお店だった。
「はい。どうぞ」
女は自分用とは別に買った、子犬の為のビスケットを差し出す。子犬はおいしそうにビスケットに食らいついた。
「あはは。がっついちゃって」
女が子犬の様子に喜んでいると、後ろから声をかけられた。
「気に入っていただけてますか?」
女が振り返ると、店員がにこやかに立っていた。カフェの店員という割には、どこかあか抜けないようにも見える。カフェテーブルよりは、事務机が似合いそうな生真面目な顔をしている。
「ええ。いいところですね。私、犬大好きなんですよ」
「それはよかった」
「でも、ここって公営なんですか?」
女は男の腕に巻かれた、市職員の腕章に目をやる。見れば店員は全員が腕章をしていた。
「ええ、そうですよ。私達は公務員なんです」
「へぇ? 公営の子犬カフェって訳ですか」
女は子犬を撫でてやりながら、感心したように辺りを見回す。何処から見ても普通のカフェにしか見えない。店員が腕章をしている以外は、他店と比べてもおしゃれですらある。
「こちらは初めてですか? 表の看板とかは、見てらっしゃらない?」
「ええ。子犬の姿を見たら、飛び込んじゃいました」
「そうですか」
店員の顔が一瞬曇った。
「でも何で公務員さんが、仕事でこんなカフェをしてらっしゃるんですか?」
「それは……」
「あっ? ひょっとして捨て犬対策ですか? そう言えば子犬しかいませんものね。里親を探してるんですね」
「そうです。それがこの子犬カフェの趣旨です」
「へぇ、凄い! いい話ですね! こんなに可愛いんですもん。直ぐに見つかりますよ! 里親!」
「それが、そうだといいんですが……」
「どうしました?」
女はその店員のためらいがちな様子に不審を感じる。己の腕の中で暴れる子犬を抱き締め直し、不思議そうに店員を見上げた。
「ひどい話なので、本当は入店前に確認と言いますか、ご了承と言いますか、その知っていてもらうものなんですが……」
「はい? どこがひどい話なんですか? 捨て犬の里親を探す。いい話じゃないですか?」
「いや、ひどい話です。ですんで、ここでお帰りになった方がいいかもしれません」
「え? 何ですか? 今、聞きたいです」
「後悔しますよ。ひどい話ですから」
「大丈夫です」
「落ちも何もありません。ただそういう話だというだけですよ」
「構いません」
「そうですか。それでは――」
と、店員は子犬に優しい視線を落として話し出す。
子犬は確かに里親を探す為にここにいること。里親さえ見つかれば直ぐにでも引き取ってもらうこと。ここにくれば子犬がいると、犬好きの市民には好評であること。
そしてここの子犬は公営の施設に捨てられた――つまり処分待ちの子犬であること。本来なら三日と経たずに処分されてしまうこと。ここには特別に猶予されていること。それでも最大でもひと月しか居れないこと。
店員はそこで口を閉ざす。
「ひと月で里親が見つからなかったら、どうなるんですか?」
女は手の中の子犬を抱き締める。子犬は無邪気に女の手を舐めた。
「処分です」
「……処分」
「処分です」
「……ひどい話ですね」
「そうですね」
「でも私…… この子、飼えません…… 私の家、マンションだから。ごめんなさい……」
「いいんです。飼えないなら飼えない。それは誰も責められません」
店員は女の手の中で手足をばたつかせる子犬を見た。似たような子犬が、店のあちこちで可愛がられている。ひと月前にも見た光景であり、ひと月後にも見る光景だ。
「何よりひどい話なのは、僅かばかり里親に出しても、何百匹を処分しても、このカフェから子犬が居なくなることがないことですね」
子犬ははやり無邪気に、女の手を舐めていた。