どんちゃん騒ぎ
城塞都市の下層区にある酒場。 ここは昼間から酔いつぶれた冒険者たちが管を巻く、薄汚い場所だ。 だが、今夜の僕たち『鉄屑』のテーブルだけは、王宮の晩餐会のように輝いて見えた。 「う、うめぇぇぇ……ッ!!」 ガインが感涙にむせびながら、分厚い豚のローストにかぶりついた。 表面は蜂蜜と香草で照り輝き、ナイフを入れると肉汁が溢れ出す。普段僕たちが食べている、塩気しかない硬い干し肉とは次元が違う「文明の味」だ。 「おいガイン、泣きながら食うなよ。塩辛くなるだろ」 「だってよぉ、レン!肉が!肉が溶けるんだよ!俺、こんな柔らかい肉、初めて食った!」 ガインは口の周りを脂でギトギトにしながら、幸せそうに咀嚼している。その単純すぎる笑顔を見ていると、数時間前にオークに殺されかけた恐怖が、遠い過去のことのように思えてくるから不思議だ。 「……ふん、食べ方が汚いわ音を立てないで」 向かいの席で、リズが呆れたようにワイングラスを揺らした。 彼女の前にも同じローストポークがあるが、彼女はナイフとフォークを器用に使い、一口サイズに切り分けてから優雅に口に運んでいる。 その所作だけを見れば、深窓の令嬢そのものだ。泥だらけの革鎧を着ていなければ、だが。 「そういうリズこそ、ペース早すぎないか? もう三皿目だぞ」 「うっ......!う、うるさいわね!騎士の体は資本なのよ!それに、いつまた食べられるか分からないんだから、詰め込める時に詰め込むのが兵法でしょ!」 リズは顔を赤くして反論し、また一切れ肉を口に放り込んだ。 彼女の実家が没落したのは数年前。おそらく、彼女の舌はこの味を覚えているのだろう。 「懐かしい味」と「今の惨めな境遇」の間で揺れながら、それでも食欲には抗えない彼女の姿は、なんだか人間臭くて愛おしかった。 「ま、食えるだけ食っとけよ。金貨三枚だぜ? 俺たちの命の値段にしては、随分と豪勢な使い方だ」 ニルスは冷めた調子で言いながら、エールのジョッキを煽った。 彼は食事よりも酒だ。安酒ではなく、ちゃんと濾過された琥珀色の上等なエール。 ニルスは常に「損得」を計算する男だが、今日は何も言わずに財布の紐を緩めてくれた。彼も分かっているのだ。あのオーク戦で、僕たちは一度死んだも同然だと。 これは食事ではない。生存証明の儀式だ。 「……レンくん、腕の具合はどう?」 隣のエマが、心配そうに僕の顔を覗き込んだ。 彼女の前には、野菜たっぷりの温かいスープと、白いパン。肉料理にはあまり手を付けていない。 「痛み止めが効いてるよ。酒のおかげかもな」 僕は左腕を少し持ち上げてみせた。 添え木で固定され、包帯でぐるぐる巻きにされた腕。まだ重いが、あの「魂を削られるような激痛」は引いている。 「エマの縫合が完璧だったおかげだ。あの状況で、よく骨を戻してくれたな」 「……うん。必死だったから」 エマは照れ隠しのようにスプーンを口に運んだ。 その横顔を見ながら、僕はふと、先ほどの治療の感触を思い出していた。 迷いがなかった。 骨の位置を指先一つで探り当て、筋肉の繊維を傷つけないように針を通す技術。 それは、ただの「器用な町娘」のレベルではなかった。 バルガスの冒険者ギルドにいる荒っぽい専門医よりも、遥かに洗練された手技。 「ねえ、エマ」 リズがワインで赤くなった頬杖をつきながら、唐突に言った。 「貴方のその手際、どこで習ったの? ウチの実家お抱えの医者より上手かったわよ。……まるで、『北の国』の術式みたい」 カチャン。 エマの手からスプーンが滑り落ち、スープ皿の縁に当たって乾いた音を立てた。 一瞬、テーブルの空気が止まる。 ガインが肉を食べる手を止め、ニルスが片眉を上げた。 「……え、あ……そ、そうかな?」 エマの声が上ずっている。 彼女は慌ててスプーンを拾い上げようとしたが、指が震えて上手く掴めない。 「北の国って、あの『聖都ノエル』のことか?」 ニルスが興味なさそうに尋ねる。 「ああいう閉鎖的なお高い国じゃ、魔法で全部治すんだろ? エマみたいに針と糸なんて野蛮な道具、使うわけねえじゃん」 「……そ、そうよね! 私、そんな凄いところ行ったことないし! ただ、お母さんに教わっただけで……!」 エマは必死に否定した。 その顔は蒼白で、まるで「触れてはいけない過去」を暴かれそうになった子供のように怯えていた。 彼女は無意識のうちに、自分の右手の甲を左手で覆い隠すように握りしめていた。 そこには、いつも彼女が手袋をして隠している、古い火傷のような痕があるはずだ。 「……リズ、飲みすぎだ。エマが困ってるだろ」 僕は助け船を出した。 「ふん、ただの褒め言葉よ。……でもね、エマ」 リズは僕の制止を無視して、酔った目でエマを見据えた。 「もし貴方が『あっち側』の人間だったとしても、私はどうでもいいわ。……今の貴方は、泥だらけになって私達の傷を治してくれた。それが全てよ」 リズなりの、不器用な優しさだったのかもしれない。 エマは少しだけ目を見開き、そして弱々しく、でも安堵したように微笑んだ。 「……ありがとう、リズちゃん」 会話はまた、他愛のない馬鹿話に戻っていく。 ガインが「デザートも頼んでいいか!?」と叫び、ニルスが「てめぇ、いい加減にしろ」と頭を叩く。 その喧騒の中で、僕はエマの横顔を盗み見た。 聖都ノエル。 マナを濾過し、清潔で高度な魔法文明を誇る、北の楽園。 バルガスの人間にとっては憧れであり、同時に「自分たちを見下す鼻持ちならない連中」でもある。 エマの治療技術。 そして、彼女がひた隠しにする過去。 (……彼女は、ただの孤児じゃないのかもしれないな) けれど、僕は深く聞くつもりはなかった。 誰にだって、語りたくない傷の一つや二つはある。僕たちが『鉄屑』であることに変わりはないのだから。 「よし! 明日からはまた地味な依頼に戻るぞ! 薬草採取と下水道掃除だ!」 「ええーっ!? また臭い仕事かよぉ!」 「文句言うなガイン。金貨三枚、今夜で半分消えたんだぞ」 僕の言葉に、全員が「げっ」という顔をし、そして次の瞬間には大笑いした。 窓の外、冷たい雨はまだ降り続いている。 けれど、今夜だけは、僕たちの胃袋と心は満たされていた。




