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鉄屑達の生き方  作者: ヤスナー


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帰り道

雨は止むどころか、冷たい霧雨へと変わっていた。 それは傷口に入り込み、熱を持った患部をじわじわと冷やすと同時に、神経を逆撫でするような鈍痛を呼び起こす。 帰り道、僕たち『鉄屑(スクラップ)』の隊列に、いつもの軽口はなかった。 あるのは、泥を踏みしめる重い足音と、荒い呼吸音、そして袋の中から滴り落ちる液体の音だけだ。 僕の背負った麻袋はずっしりと重い。 中に入っているのは、さっきまで生きていたオークの頭部だ。 切断面からはまだドロリとした濃い血が滲み出し、僕の背中を濡らしている。革鎧越しに伝わるその生温かさは、カイロのように心地よいものではなく、他者の「死」が自分にへばりついているという生理的な嫌悪感を催させた。 「……レン。大丈夫か」 隣を歩くガインの声は、いつもの覇気が嘘のように小さかった。 彼はオークの巨大な腕の皮と、牙を抱えている。だが、その手は小刻みに震えていた。 無理もない。あの一撃。僕たちが全力で叩いても傷一つつかなかった筋肉の城塞を、あの中年のベテランは、バターのように両断したのだ。 自分の武器が通じなかった絶望と、上の世界の「異常な暴力」を目の当たりにした恐怖。 筋肉だけが自慢だったガインにとって、あの光景は、自分の存在意義を否定されたに等しかったのかもしれない。「……ああ、平気だ。左腕の感覚がないだけさ」 僕は強がって見せたが、実際は限界だった。 オークの一撃を受けた左腕は、倍ほどの太さに腫れ上がり、ドクドクと不気味な脈動を打っている。 折れている。間違いなく。 骨の断片が筋肉の中で擦れ合う、「ジャリッ」という砂を噛むような感触が、一歩歩くたびに脳髄に響く。 「ごめんね、レンくん。私がもっと早く……」 「謝るな、エマ。君が生きてるなら、それでいい」 エマは、泣き出しそうな顔で歩いていた。 彼女の服もまた、泥とゴブリンの返り血で酷い有様だ。だが、それ以上に彼女を打ちのめしているのは、「何もできなかった」という無力感だろう。 城門が見えてきた。 衛兵が、ボロボロの僕たちを見て、憐れむような、あるいは「また汚い連中が帰ってきた」という侮蔑を含んだ視線を向けてくる。 どうでもいい。今はただ、この重い荷物を下ろしたい。 ギルドに入ると、むっとする熱気と喧騒に包まれた。朝の静寂が嘘のようだ。 ジョッキをぶつけ合う音、怒号、笑い声。 生きて帰った者たちの安堵と、死んだ者たちへの野卑な弔いが混ざり合う場所。 僕たちは無言のまま、買取カウンターへと向かった。 受付嬢のミリアが、書類から顔を上げる。 彼女は栗色の髪を後ろで束ねた、事務的だが親切な女性だ。だが、僕たちの姿を見た瞬間、その表情が強張った。 「レンさん……? 酷い顔色ですよ。それに、その血の量……」 「僕の血じゃないさ。……半分はね」 僕はよろめきながら、背負っていた麻袋をカウンターの頑丈な天板の上に、ゴトリと置いた。 袋の口が緩み、中から赤黒い液体がじわりと広がり、清潔な木のカウンターを汚していく。 「本日の成果だ。……査定を頼む」 ガインとリズも、それぞれの荷物を床に降ろした。 ゴブリン四匹分の耳、爪、そして粗末な武器。 ここまでは、いつもの『鉄屑』の仕事だ。 ミリアは慣れた手付きでそれらを確認し、淡々と記録していく。 「ゴブリンの耳が四。討伐証明品を確認しました。武器は……スクラップ扱いですね。合わせて銀貨八枚と銅貨二十枚になります。……で、そちらの袋は?」 彼女の視線が、僕の前にある血濡れの袋に向けられる。 僕は無言で、袋の底を持ち上げ、中身をぶちまけた。 ゴロン、という湿った音。 豚の頭部が転がり、うつ伏せで止まった。 切断面からは気管と食道がだらしなく垂れ下がり、白濁した目は虚空を見つめている。 そして、ガインが差し出した巨大な牙と、分厚い皮膚。 ギルドの一角が、静まり返った。 「……オ、オーク……?」 ミリアの声が裏返った。 「ランクDのオーク……!? あなたたち、まさか、これを倒したんですか!?」 周囲の冒険者たちの視線が、一斉に僕たちに突き刺さる。 驚愕、嫉妬、そして疑念。 ゴブリン相手に泥仕合をする僕たちの実力は、周知の事実だ。それが、格上のオークを狩ってきた? 「まさか」 僕は乾いた唇を舐め、掠れた声で否定した。 嘘をついて英雄気取りをするほど、僕は馬鹿じゃない。そんな嘘は、次の依頼で僕たちを殺すことになる。 「たまたまだ。通りすがりの『本物』が殺した。……名前も名乗らずに行っちまったよ。僕たちは、そいつが捨てていったゴミ(死体)を拾ってきただけの、ハゲタカさ」 「ああ、なるほどな……」 周囲から、納得と嘲笑の空気が戻る。 「運のいいガキどもだ」「あやかりてえもんだな」 そんな声が聞こえる。 だが、リズだけは悔しそうに拳を握りしめ、唇を噛んで俯いていた。彼女の高いプライドにとって、他人の戦果で金を貰うことは、泥水を飲むより屈辱的なのだろう。 「……事情は分かりました。ですが、素材は素材です。状態は……凄まじいですね。一刀両断されています。切断面が綺麗すぎて、加工の手間が省けると職人が喜びますよ」 ミリアは冷静に査定を続けた。 その言葉の一つ一つが、あのベテランとの実力差を証明する刃となって僕たちの胸をえぐる。 「オークの素材一式。……金貨三枚になります」 金貨。 その響きに、ガインが顔を上げた。 僕たちが一ヶ月死ぬ気で働いて、ようやく手が届くかどうかの大金だ。 「……すげぇ。レン、金貨だってよ……」 「ああ。命拾いした上に、ボーナスまで出たな」 僕は笑おうとしたが、頬の筋肉が引きつって上手く笑えなかった。 カウンターに置かれた三枚の金貨。それは鈍く輝き、僕たちの惨めさを照らし出しているようだった。 これは報酬じゃない。手切れ金だ。 「お前らはこの領域にはまだ早い」という、世界からの手切れ金だ。 「ありがとう。……エマ、こっちへ」 金を受け取ると、僕はすぐにギルドの奥にある救護スペースへと向かった。 これ以上、ここに立っていたくなかった。 救護スペースは、薄暗く、強いアルコールの臭いが充満していた。 硬いベッドに腰掛けると、僕はエマに左腕を差し出した。 「頼む。……やってくれ」 エマが頷き、震える手で僕の革鎧のベルトを外していく。 袖を切り裂くと、そこにあったのは、もはや人間の腕とは思えない色をした肉塊だった。 内出血でどす黒く変色し、皮膚はパンパンに張り詰め、所々が裂けて黄色い浸出液が滲んでいる。 熱を持った患部は、まるでそこだけ別の生き物が寄生しているかのように熱い。 「……酷い。骨が、ずれてる」 エマが指先で優しく、しかし確実に患部を探る。 その軽い接触だけで、脳天を突き抜けるような激痛が走った。 「ぐっ……ぅ……!」 脂汗が吹き出す。 「レンくん、何か噛んで。……魔法で痛みを消すほどの余力は、私にはないから」 エマが革ベルトを僕の口元に押し当てる。僕はそれを思いっきり噛み締めた。 この世界に、便利な麻酔魔法なんてない。 あるのは、原始的で、残酷な治療だけだ。 「いくよ。……せーのッ!」 ゴリィッ!!! 耳元で、濡れた枝を無理やり折るような音がした。 いや、もっと湿り気を帯びた、生々しい粉砕音。 ずれていた骨を、エマが体重をかけて無理やり元の位置に戻したのだ。 「ングググググググッ!!!」 声にならない絶叫。 視界が真っ白に弾け、次に真っ赤に染まる。 激痛という言葉では足りない。魂を直接ヤスリで削られるような感覚。 嘔吐感が込み上げるが、食いしばったベルトのせいで吐けない。 「ごめんね、ごめんね……っ! でも、戻さないと壊死しちゃうから……!」 エマは泣いていた。 大粒の涙を流しながら、それでも彼女の手は止まらない。 彼女は「洗浄」をかけ、傷口の泥と血を洗い流す。 白い泡が立ち、黒ずんだ血と共に膿が流れ落ちる。 そして、彼女は針と糸を取り出した。 麻酔なしの縫合。 針が皮膚を貫き、肉を引き寄せる感触。 プチッ、プチッという皮膚が弾ける音が、不思議と鮮明に聞こえる。 それはグロテスクで、直視に耐えない光景だ。 だが、僕の目には、涙でぐしゃぐしゃになったエマの顔と、血にまみれたその手が、何よりも美しく見えた。 彼女は僕たちの命綱だ。 この痛みが、僕が生きている証拠だ。 彼女が縫い合わせているのは、ただの皮膚じゃない。千切れかけた僕たちの「未来」そのものだ。 処置が終わる頃には、僕は全身汗まみれで、呼吸も絶え絶えになっていた。 添え木を当てられ、包帯でぐるぐる巻きにされた左腕は、鉛のように重い。 「……はぁ、はぁ……ありがとな、エマ。……上手いもんだ」 「嘘つき。……私、手が震えてたのに」 エマがへなへなと座り込む。 カーテンの向こうでは、リズが自分の擦り傷を消毒し、ガインが腹部の打撲に軟膏を塗っている。 ニルスは壁にもたれて、黙ってナイフの手入れをしていた。 全員、ボロボロだ。 金貨三枚を手に入れた代償としては、あまりにも割に合わない痛み。 でも、僕たちは生きている。 あの圧倒的な「死」の具現とすれ違って、それでもこうして息をしている。 僕は噛み締めていたベルトを吐き出し、口の中の血を飲み込んだ。 鉄の味。生きている味だ。 「……今日は、肉だ」 僕が掠れた声で呟くと、ガインが弾かれたように顔を上げた。 「……え?」 「金貨三枚あるんだ。……最高級の豚肉と、エールを買おう。宿で宴会だ」 僕の言葉に、リズは呆れたように、でも少しだけ嬉しそうに溜息をついた。 「アンタねぇ……この状態で宴会? バカじゃないの?」 「バカでいいさ。賢い奴は、冒険者なんてやってない」 そうだ。 僕たちは『鉄屑』だ。 英雄にはなれない。強さへの憧れは、今日、恐怖で塗りつぶされた。 それでも、腹は減る。傷は痛む。 だからこそ、今夜は食べるんだ。 死んだオークのためでも、助けてくれたベテランのためでもない。 今日を生き延びた、無様でしぶとい僕たちの命を祝うために。 救護所の窓の外、雨はまだ降り続いている。 けれど、ギルドの喧騒と、仲間たちの体温だけが、僕たちを冷たい世界から守ってくれていた。

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