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鉄屑達の生き方  作者: ヤスナー


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絶望と死の淵

「嘘……でしょ……」 リズの槍先が、カタカタと震える。

身長二メートル強。 全身が鋼鉄のような筋肉の鎧で覆われた、豚のような顔を持つ亜人。 鼻孔から荒い白煙を吹き出し、その手には人間の胴体ほどもある太さの丸太が握られている。

「オ……オオオオオオッ!!」

【ランクD:オーク】

森の奥にいるはずの怪物が、なぜかこんな街道近くにまで降りてきていた。

「総員、散開ッ!! 囲まれるな、逃げ……」

僕の指示は、絶望的な風切り音にかき消された。 オークが跳躍したのだ。 その巨体に見合わない瞬発力。一瞬で距離を詰められ、目前に影が落ちる。

「ガイン、受けろッ!!」

「うおおおおッ!!」

ガインが『廃材の大剣』を全力で振り抜く。 ゴブリンの頭蓋を粉砕した必殺の一撃。それが、オークの脇腹に直撃する。 ――ドゴォッ! 鈍い音。だが、骨が砕ける音ではない。まるで分厚いゴムタイヤを叩いたような、間の抜けた音。 オークの筋肉が、鉄塊を弾き返したのだ。

「な……弾かれた!?」 ガインの手が痺れ、大剣を取り落とす。

「ブモォオオッ!」 オークが鬱陶しそうに腕を払い、その裏拳がガインを襲う。 「ガインッ!」 僕は間に割り込み、小盾を構える。 衝撃。 交通事故に遭ったような理不尽な運動エネルギーが、僕の左腕、肩、そして背骨を貫通した。 「がはっ……!?」 視界が回転する。 僕は枯れ葉のように吹き飛ばされ、泥水の中に転がった。左腕の感覚がない。折れたか、脱臼したか。

「レン! ガイン!」 エマの悲鳴。 起き上がろうとするが、肺が空気を吸い込まない。 目の前では、オークがゆっくりとガインに歩み寄っていた。丸太を振り上げる。あんなものを食らえば、ガインの体なんてトマトのように潰れる。

(動け……動けよ、僕の足……!)

死ぬ。 ここで終わる。 僕たちの戦争は、こんな道の端で、あっけなく――。

「……下がってろ」

その声は、雨音に混じって低く、気だるげに響いた。

藪の中から一人の男が現れた。 泥で汚れた灰色のマント。隻眼には眼帯。無精髭を生やした中年の男だ。 たまたま通りがかったのか、それとも僕たちの拙い戦闘を見ていたのか。 彼は僕たちを一瞥し、オークを見上げ、そして深く、深くため息をついた。 その表情には恐怖も焦りもない。あるのは、面倒な残業を押し付けられた労働者のような憂鬱だけだった。

「……ちっ、寿命が縮むな」

男が懐から何かを取り出し、噛み砕く音がした。気付け薬か、痛み止めか。 次の瞬間。

ドクンッ!!

心臓の音が、僕の耳にまで届いた気がした。 いや、違う。男の体から、空気が爆ぜるような圧力が放たれたのだ。

身体強化(オーバーロード)

「う……あ……」 僕たちは息を飲んだ。 それは、英雄譚で語られる「光り輝くオーラ」なんてものじゃなかった。 男の首筋に、ミミズがのたうつようにどす黒い血管が浮き上がる。 顔の皮膚は瞬時に赤黒く変色し、白目は血走って真紅に染まる。 そして何より――雨に打たれた彼の体から、ジュウウウゥッという不気味な音と共に、猛烈な「蒸気」が立ち上ったのだ。

体温が沸騰している。 筋肉が限界を超えて悲鳴を上げている。 その姿は、頼もしい味方というより、今にも爆発しそうな「時限爆弾」か、あるいは「鬼」そのものに見えた。 怖い。 オークよりも、目の前のこの男の方が、遥かに「生物として間違っている」。

「ブモッ?」 オークが、本能的な危機感を察知して振り返る。 だが、遅い。

「剛剣――」

男の姿が掻き消えた。 泥を踏む音すらない。 蒸気の残像だけを残し、男はすでにオークの懐にいた。

「――断ち」

大上段からの、シンプルな一撃。 けれど、その剣速は視認できなかった。 ただ、空間に銀色の線が一本、カミソリで引かれたように走っただけ。

ズンッ!

一拍遅れて、衝撃音が響く。 オークが振り上げようとしていた丸太のような右腕が、肩の付け根から空高く舞い上がった。 断面から鮮血が噴水のように吹き上がる。 オークが絶叫しようと口を開く。 だが、その首にはすでに、二本目の銀色の線が走っていた。

ドサリ。 巨大な豚の首が、泥の中に落ちる。 巨体が膝をつき、ゆっくりと前へ倒れ込む。

圧倒的な暴力。 技術や戦術なんて次元じゃない。 ただひたすらに、命の前借りで得た出力で、理不尽をねじ伏せただけ。

「ふぅー……ッ、しぃー……ッ」

男は、独特な呼吸音を漏らしながら剣を振るい、血糊を払った。 蒸気はまだ立ち上っている。雨が彼の体に触れるたびに、ジュッと音を立てて蒸発していく。 彼は剣を鞘に納めると、膝に手をつき、激しく咳き込んだ。

「ゴホッ! オエッ……! ……あー、クソ」

地面に吐き出された唾には、赤黒い血が混じっていた。 浮き上がっていた血管が徐々に引き、赤黒い皮膚が、土気色の不健康な顔色に戻っていく。 鬼が、ただの疲れた中年に戻る瞬間だった。

彼は震える手で懐を探り、よれよれの紙巻きタバコを取り出した。 指が痙攣していて、なかなか火がつかない。 何度目かの挑戦でようやく紫煙を燻らせると、彼はけだるげな隻眼を僕たちに向けた。

「……何ボーッとしてやがる。死んでないなら動け」

紫煙と蒸気が混ざり合い、彼の顔を曖昧に隠す。

「素材を剥ぎ取れ。肉は食えねえが、牙と皮は金になる。……俺は少し、休むから……」

そう言うと、彼は濡れた切り株にどっかと腰を下ろし、天を仰いだ。 鼻からはツーっと、一筋の血が垂れている。それを拭おうともせず、彼はただ、雨空を睨みつけていた。

僕は震える体を叱咤し、動かない左腕を抱えながら立ち上がる。 これが、ランクDを殺すということ。 これが、強くなるということ。 憧れていた「ベテラン」の姿は、あまりにも痛々しく、そして残酷なほどに凄絶だった。

「……ありがとうございます」

僕の声は届いているのかいないのか。 男はただ、短くなったタバコの煙を目で追っているだけだった。

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