永遠の鉄屑…愛された永遠の鉄屑
昼下がりのギルド酒場。 まだ日も高いというのに、ここには饐えたエールの臭いと、夢破れた男たちの体臭が充満していた。
俺、ガラムは、欠けた木製ジョッキを揺らしながら、向かいに座る相棒のボズとくだを巻いていた。 俺たちはランクDで頭打ちの、いわゆる「万年・中堅崩れ」だ。 大きな博打は打てない。地味な採取や、街道の護衛で小銭を稼ぎ、こうして安酒で喉を焼く。それが俺たちの日常だ。
「……なぁ、ガラム。聞いたかよ」
ボズが、ニヤニヤしながら身を乗り出してきた。 酒焼けした顔に、下卑た好奇心が張り付いている。
「あ? 何だよ」 「あの『鉄屑』の連中だよ。……調子に乗ってた、あの四人組さ」
俺は鼻を鳴らした。 ああ、知っている。最近、妙に鼻につく連中だ。 半年ほど前、借金まみれになってどん底まで落ちたくせに、なぜか這い上がってきたあのパーティ。 汚いツナギを着て、ボロボロの武器を持って、ドブネズミみたいに走り回っていた連中。
「……あいつらがどうした? またドブ掃除で大金拾ったか?」
「ひっひっ。……逆だよ、逆」
ボズは声を潜め、しかし隠しきれない愉悦を込めて言った。
「全滅したらしいぜ」
俺の手が止まった。 ジョッキの中の液体が、小さく揺れる。
「……マジか」 「マジもマジよ。さっき、捜索隊が戻ってきたって噂だ。……『深緑の村』にある森の奥深くで、ミンチになってたってよ」
ランクD相当の魔物がうろつく危険地帯だ。 調子に乗ったか。 身の程知らずが。
「……はっ、傑作だな」
俺は口の端を歪めて笑った。 胸の奥で、どす黒い安堵感が広がる。 自分たちより下の存在が、自分たちを追い越していくのを見るのは不快だった。 だから、彼らが落ちてくれたことが、正直嬉しかった。
「言わんこっちゃねえよな」 俺は声を大きくした。周囲の客にも聞こえるように。
「あいつら、最近ツイてただけなんだよ。ボロい鎧に、あんな錆びついた剣で……『実戦仕様』だなんだとイキがってたが、所詮は金のない貧乏人の言い訳だろ?」
「違いねえ! ちゃんとした装備も買えねえ奴が、英雄気取りでダンジョンに潜るからこうなるんだ」 ボズも同調して笑う。
「あーあ、無様だねぇ! 『鉄屑』は所詮、鉄屑置き場がお似合いってことか! 夢見てねえで、一生下水道の掃除でもしてりゃあ長生きできたのになぁ!」
俺はジョッキをテーブルに叩きつけた。 爽快だった。 俺たちが踏み出せない場所に踏み込み、そして死んだ馬鹿ども。 彼らの死は、俺たちの「何もしない賢さ」を証明してくれる最高の酒の肴だ。
「乾杯だ! あの馬鹿どもが、俺たちに『分相応』ってやつを教えてくれたことにな!」
ガハハハハ! 俺たちのテーブルから、嘲笑が爆発した。 周囲の冒険者たちも、苦笑いしながら、あるいは同意するように頷いている。 死んだ奴は負け犬。それがこの街のルールだ。
その時だった。
ガァァァァァァンッ!!!!
凄まじい音がして、俺たちのテーブルが跳ね上がった。 俺のジョッキが倒れ、安酒がズボンにかかる。
「あつッ!? な、なんだテメェ……!」
俺は怒鳴りながら顔を上げた。 そこに立っていたのは、一人の女だった。
ギルドの受付嬢、ミリア。 いつもは愛想笑いを張り付かせ、事務的に仕事をこなしている大人しい女だ。 その彼女が今、ステンレスのトレイで俺たちのテーブルをぶん殴り、鬼のような形相で俺を睨み下ろしていた。
「……え、ミリアちゃん? どうし、た……」
ボズが引きつった笑顔で声をかけようとする。
「黙れッ!!!」
ミリアの絶叫が、酒場の喧騒を一瞬で切り裂いた。 彼女の肩が激しく上下している。 その大きな瞳からは、ボロボロと大粒の涙が溢れ出していた。
「な、なんだよ……客に向かって……」 俺が虚勢を張ろうとすると、ミリアは俺の胸ぐらを掴み上げた。 か細い腕のどこにそんな力があったのか、俺の体が椅子から浮く。
「あんたたちに……あの人たちの何が分かるのよッ!!」
悲鳴のような怒号。
「汚い装備? 貧乏人? ……そうよ! あ人たちはボロボロだったわよ! 毎日毎日、泥だらけになって、あんたたちが嫌がるような汚れ仕事を引き受けて……! 爪の間まで真っ黒にして、それでも笑って働いてたのよ!」
彼女の声が震える。 涙が、俺の顔にポタポタと落ちてくる。
「借金を返すためだけじゃない……。死んだ仲間への贖罪のために……! あんなに必死に生きてた人たちを……何も知らないあんたたちが、笑う権利なんてないッ!!」
「だ、だってよぉ……死んだら終わりだろ? 無茶した結果じゃねえか」 俺は視線を逸らしながら反論した。
「無茶!? 無茶なんてしてないわよ!」
ミリアは泣きじゃくりながら叫んだ。
「あの人たちは……誰よりも慎重だった。誰よりも準備をしてた。……今回の依頼だって、村の子供を助けるために……報酬なんて二の次で……! 自分たちが盾になる覚悟で行ったのよ!しかもこれはギルド側の問題でもあるの!」
彼女の手から力が抜ける。 俺は椅子にドサリと落ちた。 ミリアはその場に崩れ落ち、床に手をついて慟哭した。
「なんで……なんでなのよぉ……」 「やっと……やっと借金も終わって……これからだったのに……」 「レンさん……リズさん……あんなに、あんなに頑張ってたのに……神様なんていないじゃない……ッ!」
彼女の泣き声だけが、静まり返った酒場に響く。 俺は、濡れたズボンを拭くことも忘れ、呆然としていた。 いつもは「死にました」「はいそうですか」で処理される冒険者の死。 だが、この受付嬢にとって、彼らはただの登録番号ではなかったのだ。
その時。 ギルドの入り口が開き、重苦しい空気が流れ込んできた。
ゴロゴロ……ゴロゴロ……
荷車の音。 捜索隊が戻ってきたのだ。 その荷台には、汚れた麻布が掛けられた、四つの膨らみが乗せられていた。
ギルド中の視線が集まる。 俺も、吸い寄せられるように立ち上がり、入り口へと近づいた。
捜索隊のリーダーらしき男が、沈痛な面持ちでミリアに歩み寄る。
「……すまない。発見が遅れた」
男の声は低かった。
「……遺体の損傷が激しい。……見るなら、覚悟してくれ」
ミリアはふらふらと立ち上がり、荷車に駆け寄った。 そして、震える手で、最初の一枚――一番大きな膨らみの布をめくった。
そこにあったのは、短い銀髪の女だった。 リズだ。 だが、その体は無惨だった。 自慢の重装歩兵槍は折れ、中古の鎧は胸の部分がひしゃげていた。 全身に無数の刺し傷。 だが、彼女は前のめりに倒れていたらしい。背中には傷がなく、正面からの攻撃だけを受けていた。 そして、その腕の中には、エマと思われる小柄な少女の遺体が抱きしめられていた。
「……リズ、さん……エマちゃん……」
ミリアが崩れ落ちそうになるのを、捜索隊員が支える。
隣には、ニルスがいた。 彼は木にもたれかかるように死んでいた。 手にはあの無骨な鉈が握りしめられ、その足元には、矢筒が空になるまで撃ち尽くされた痕跡があったという。 彼の顔は半分が吹き飛んでいたが、残った唇は、ニヤリと笑っているように見えた。 最後まで、敵を道連れにしようとした執念の顔だ。
そして、最後の一人。 レン。 リーダーの男。
彼は、他の三人よりも少し離れた場所で見つかったという。 しんがりを務めたのだろうか。 それとも、最後まで活路を開こうとしたのだろうか。
彼の遺体は、酷いものだった。 右腕がない。 左足もない。 全身が炭化したように焼け焦げている。 だが、その左手だけは、何かを守るように強く握りしめられていた。
「……これは、彼の手元にあったものだ」
捜索隊の男が、一本の剣を差し出した。 レンが愛用していたショートソードだ。 裏街の鍛冶屋で打たれたという、あの「魔剣」。
俺は、その剣を見て息を呑んだ。
噂では、その剣は美しい青緑色のラインが走り、持ち主のマナに反応して光り輝くと言われていた。 仲間の魂が宿っているとか、そんな眉唾な噂もあった剣だ。
だが。 今、男の手にあるそれは、ただの黒い鉄塊だった。
色は、完全に失われていた。 かつて脈打つように光っていたという青緑のラインは、まるで血管が壊死したかのように、どす黒く変色し、光を失っていた。 刃はボロボロに欠け、刀身には無数のヒビが入っている。 それは、持ち主の死と共に、その剣に宿っていた「何か」もまた、完全に死滅したことを物語っていた。
「……嘘……ですよね……」
ミリアが、その黒い剣を受け取る。 ずしり、と重い音がした。 以前のような、温かい熱など感じられない。 ただ冷たく、死に絶えた金属の冷たさだけが、彼女の掌を凍らせる。
「シリル、さん……? レン、さん……?」
彼女が剣に呼びかける。 だが、剣は答えない。 二度と光ることはない。 主であるレンが死に、その命を燃やし尽くして戦った結果、剣もまた、ただの物質に戻ってしまったのだ。
「う……うぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!」
ミリアが、黒い剣を抱きしめて泣き叫んだ。 その慟哭が、俺の耳を劈く。
俺は、自分の手が震えていることに気づいた。 侮辱していた。 馬鹿にしていた。 「所詮は鉄屑だ」と笑っていた。
だが、目の前の死体はどうだ。 リズっていう奴はエマって奴を守って死んだ。 ニルスって奴は矢が尽きるまで戦った。 レンは……この剣が焼き切れて色が消えるまで、命を注ぎ込んで戦い抜いたんだ。
俺たちのような、安全圏で酒を飲んでくだを巻いている「本物のゴミ」とは違う。 彼らは、最後まで足掻いて、泥にまみれて、そして燃え尽きたのだ。
「……クソッ」
俺は、誰にともなく吐き捨てた。 それは彼らへの侮辱ではなかった。 あまりにも惨めな、自分自身への罵倒だった。
荷車の周りには、いつの間にか人だかりができていた。 彼らを知る裏街の労働者たち。 下水道の清掃員。 荷運びの親方。 彼らが、帽子を取り、静かに頭を下げている。
「……いい連中だったよ。仕事は丁寧だった」 「あいつらが掃除した後は、ドブ川も綺麗だったな……」 「馬鹿野郎どもが……これからって時に……」
すすり泣く声が聞こえる。 俺が「ただの鉄屑」だと思っていた彼らは、この街の底辺で、確かに誰かに愛されていたのだ。
ミリアはまだ泣いている。 光を失った黒い剣に、レンの冷たい手に、涙を落とし続けている。 その涙が、剣の黒い煤を洗い流しても、あの美しい青緑色は二度と戻らない。
物語は終わったのだ。 奇跡の逆転劇も、英雄譚も、ここにはない。 あるのは、残酷な結末と、四つの冷たい死体だけ。
俺は、飲みかけのエールを床にぶちまけた。 彼らへの、せめてもの手向けだ。
「……行くぞ、ボズ」 「お、おう……」
俺たちは逃げるように酒場を出た。 背後から聞こえるミリアの悲痛な叫び声が、いつまでも耳にこびりついて離れなかった。
外は、また雨が降り出していた。 冷たい雨が、俺たちの薄汚い心を洗い流すこともなく、ただ街の汚れを濡らしていく。 『鉄屑』たちは、鉄屑らしく、誰にも看取られず(いや、あの受付嬢以外には)、静かに錆びついて逝った。 ただ、その最期に見せた一瞬の輝きだけは、あの黒くなった剣と共に、残酷な記憶として残るのだろう。




