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鉄屑達の生き方  作者: ヤスナー


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28/31

美味しいご飯

街に戻り、ギルドでの換金を済ませた俺たちは、いつもの酒場ののれんをくぐった。 時間はもう深夜に近い。 店内は、一日の仕事を終えた労働者や、安酒でくだを巻く冒険者崩れで溢れかえっている。 紫煙と、酸化した油と、人の熱気が混ざり合った独特の臭い。

「……空いてるか?」

俺が声をかけると、顔なじみの店主が、厨房の奥から顔を出した。 彼は俺たちの姿――泥とゴブリンの返り血で黒く汚れたツナギ、そして腰に下げた無骨な武器――を見て、一瞬だけ目を丸くし、すぐにニヤリと笑った。

「おう、いつもの奥の席が空いてるぜ。……今日は『労働者』の顔じゃねえな。随分と血生臭い客が来たもんだ」

「鼻がいいな、オヤジ」

俺はカウンターに、さっき換金したばかりの銀貨を数枚、チャリンと弾いた。

「一番いい肉をくれ。骨付きの羊肉だ。……人数分、焼き加減はレアで」

「あいよ! とびきり脂の乗ったやつを出してやる!」

俺たちは奥のテーブル席にドカドカと座り込んだ。 椅子がきしむ。 その音さえも、昨日の家具運びの疲れとは違う、心地よい重さを伴っていた。

しばらくして、ドンッ! とテーブルに巨大な皿が置かれた。 ジュウウウゥゥ……という食欲をそそる音と共に、香ばしい煙が立ち上る。 骨付きの羊肉のロースト。 表面はカリッと焦げ目がつき、ナイフを入れると赤い肉汁が溢れ出す。添えられたジャガイモと玉ねぎが、その脂を吸って金色に輝いている。

「……いただきます」

誰からともなく声を上げ、俺たちは肉に食らいついた。 ナイフとフォークなんて上品なものは使わない。 骨を手で掴み、獣のようにかぶりつく。

ガブッ。 口の中に、熱い肉の塊が飛び込んでくる。

その瞬間。 俺の舌の上で、爆発が起きた。

「……ッ!」

俺は目を見開き、向かいに座るリズを見た。 彼女もまた、信じられないものを見るような目で、手元の肉を見つめていた。

「……なによ、これ」

リズが、口元についた脂を手の甲で拭いながら呟いた。

「味が……全然、違う」

俺も同感だった。 同じ店だ。同じ肉だ。味付けのスパイスも、焼き加減も変わらないはずだ。 家具運びの後に食べた時も「美味い」とは思った。 だが、それは「燃料補給」としての美味さだった。空っぽになった胃袋に、カロリーを流し込むだけの安堵感。

けれど、今夜の肉は違う。

噛み締めるたびに、濃厚な旨味が脳髄を直撃する。 スパイスの刺激が、まだ戦闘の興奮が冷めやらぬ神経をピリピリと逆撫でする。 肉の繊維を引きちぎる感触が、さっきゴブリンの首を斬り飛ばした感触と重なり、ゾクゾクするような快楽に変わる。

「……ああ、くそ。美味え……」

ニルスが、涙ぐみながら肉を頬張っていた。 「なんだよこれ……昨日の肉はゴムみたいだったのに……今日の肉は、とろけやがる……!」

「……生きてる味がする」 エマが、静かに、しかし力強く言った。 彼女は大きな口を開けて肉を噛み切り、ゴクリと飲み込んだ。 「私……自分の力で勝って、自分の足で帰ってきて……今、食べてる。誰かに守られた食事じゃない。……私たちが勝ち取ったお肉……」

そうか。 これが、「狩り」の味か。

労働は、時間を切り売りして金を得る。そこにあるのは「消耗」と「対価」だ。 だが、冒険は違う。 命をチップにして、死の淵を歩き、奪った命を金に変える。 そこにあるのは「生存」と「略奪」だ。

今、俺たちが咀嚼しているのは、ただの羊肉じゃない。 俺たちが生き延びたという「勝利」そのものだ。 血管を駆け巡るアドレナリンが、最高のスパイスとなって、味覚を極限まで鋭敏にさせているのだ。

「……ははっ」

俺の口から、乾いた笑いが漏れた。 懐かしい感覚だった。 ガインが生きていた頃。俺たちがまだ無知で、希望に燃えていた頃。 初めて依頼を達成して食べた肉は、こんな味がしたっけ。

いや、あの時以上だ。 一度すべてを失い、泥水を啜り、地獄を見てきた今の俺たちだからこそ感じる、強烈な「生」の実感。

俺は、骨に残った肉をこそげ落とすように食べた。 野蛮で、汚くて、最高に美味い。

「……酒だ! オヤジ、エールを持ってこい!」

俺は叫んだ。 すぐにジョッキが運ばれてくる。 並々と注がれた琥珀色の液体。泡が溢れ、テーブルを濡らす。

「乾杯だ」 俺はジョッキを掲げた。

「何に?」 リズが、骨を皿に置きながら聞いた。その顔は脂と煤で汚れているが、どんな貴族の化粧よりも美しく見えた。

「俺たちにだ」 俺は言った。 「一度死んで、ゴミ溜めから這い上がってきた……しぶとい『鉄屑』どもに」

「……いいわね。それ」 「違げえねえ。俺たちこそが最強の塵屑だ!」 「……ふふ。乾杯」

ガチャンッ!!

ジョッキがぶつかり合う。 泡が飛び散り、俺たちの顔にかかる。 一気に喉へ流し込む。 冷たい炭酸と、苦味と、アルコールが、焼け付いた喉を潤していく。

「ぷはぁーッ!!」

ニルスが空になったジョッキを叩きつける。 「たまんねえ! これだよ、これ! この一杯のために、俺は今日、泥の中で矢を射ってたんだ!」

リズも豪快に飲み干し、口元の泡を拭った。 「ああ……生き返る。……家具運びの後の酒は、ただの麻酔薬だったけど……今は、ガソリンみたいに燃えるわ」

俺たちは笑い合った。 周りの客が、何事かとこちらを見ている。 汚いツナギを着た集団が、高級な肉を貪り、馬鹿みたいに笑っている。 滑稽に見えるかもしれない。 だが、今の俺たちには、確かに「輝き」があった。

それは、新品の鎧のような表面的な輝きじゃない。 溶鉱炉の中でドロドロに溶かされ、不純物を取り除かれ、赤黒く発光する鉄の輝き。 熱くて、危険で、触れれば火傷するような、生命の輝きだ。

俺はふと、腰に手を伸ばした。 『青緑シリル』の柄に触れる。 ドクン、と剣が脈打った気がした。

(……お前も、食いたいか?)

心の中で問いかける。 もちろん、剣は肉を食わない。 だが、俺が感じるこの高揚感、この「美味さ」は、マナを通じて剣にも伝わっているはずだ。

『悪くないね、ボス』

あいつのキザな声が聞こえた気がした。

『泥臭い食事だ。マナーもなってない。……でも、今まで見た君たちの中で、一番いい顔をしてるよ』

(……うるさい。お前の分まで食ってやるよ)

俺は、二本目の羊肉に手を伸ばした。 腹はもう膨れてきているが、食欲が止まらない。 体中の細胞が、栄養を、エネルギーを求めて悲鳴を上げている。 明日も戦うために。 もっと強くなるために。

「……ねえ、レン」

リズが、少し酔いの回った目で俺を見た。 「私たち……戻れたのかな」

「あ?」

「あの頃に。……ガインがいて、シリルがいて……私たちが『力』を欲してた、あの頃に」

俺は肉を噛み切り、飲み込んでから首を振った。

「戻っちゃいないさ」

リズの表情が少し曇る。だが、俺は続けた。

「戻る必要なんてない。……今の俺たちは、あの頃よりずっと強い。ずっと汚くて、ずっと狡賢くて……ずっとしぶとい」

俺は、自分の汚れた手を見つめた。 ゴブリンの血と、羊肉の脂と、機械油が染み込んだ手。

「あの頃の輝きは、磨き上げられたメッキだった。……でも今は、錆びても折れない鉄だ。俺たちは戻ったんじゃない。……進んだんだよ」

リズはハッとして、それから優しく微笑んだ。 「……そうね。そうだったわ」

彼女は自分の重装歩兵槍――テーブルの横に立てかけられた鉄塊――を愛おしそうに撫でた。 「私、この汚い槍が好きよ。……東方の特注品より、ずっと手に馴染むわ」

「俺もだ」 ニルスがナイフで肉を切り分けながら言った。 「前の高い弓より、この安物の長弓の方が、俺の性根に合ってる気がするぜ」

エマも、空になった皿を見つめて頷いた。 「私も……今の自分の方が好きです。守られるだけのお姫様より……泥んこの殴り屋の方が、ご飯が美味しいです」

俺たちは、過去を懐かしんでいたわけじゃない。 過去の死者たちを背負いながら、今の自分たちを肯定できたのだ。 この肉の味は、その証明書だ。 「お前たちは生きていていい」「戦っていい」「食っていい」という、世界からの許可証だ。

「……食ったら、寝るぞ」

俺は最後の肉を平らげ、言った。

「明日は早い。……装備の手入れもしなきゃならない」

「へいへい、人使いの荒いリーダーだ」 「ふふ。……望むところよ」

俺たちは店を出た。 夜風が熱った頬に心地よい。 見上げた空には、満月が輝いていた。 その光は、泥だらけの俺たちを、スポットライトのように照らし出していた。

俺たちの影が、石畳に濃く落ちる。 かつては頼りなく揺れていた影が、今はどっしりと地に根を張り、黒々とした存在感を放っていた。

(おやすみ、シリル。……いい夢見ろよ)

肉の余韻と、生きている熱を腹に抱えて、俺たちは宿への道を歩き出した。 その足取りは、かつてないほど力強く、そして誇らしげだった。 俺たちは鉄屑。 世界で一番、美味い肉の味を知っている、最強の鉄屑だ。

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