装備の新調
裏通りの灼熱と煤煙から抜け出し、俺たちは表通りにある一般的な武具店『赤髭の店』へと足を踏み入れた。
ここは新人冒険者や、金のない傭兵御用達の店だ。 店内には新品の輝きはない。あるのは、防錆油の鼻を突く臭いと、使い古された革の臭い、そして雑多に積み上げられた鉄と鋼の山だ。
「いらっしゃい。……なんだ、冷やかしか?」
店主は俺たちの格好――作業用のツナギと、薄汚れた姿を見て、あからさまに嫌な顔をした。 無理もない。今の俺たちは冒険者というより、ただの肉体労働者に見えるだろう。
「客だ。……金ならある」
俺は、なけなしの金貨袋から、虎の子の一枚を取り出してカウンターに置いた。 金貨一枚。 これが、今の俺たちがリズの装備に割ける限界額だ。
かつての彼女なら、「金貨一枚? 小手の片方も買えないわ」と鼻で笑っていただろう。 東方の特注槍に、ミスリルコーティングの軽鎧。あの頃の彼女は、総額で金貨二十枚以上の装備を身に纏っていた。
だが、今のリズは違った。
彼女は無言で店内を歩き回り、埃を被った棚の奥から、一本の槍を引き抜いた。
「……これにするわ」
彼女が手に取ったのは、装飾など一切ない、無骨な【重装歩兵用の長槍】だった。 柄は太い樫の木で、穂先は分厚い鉄。 美しさの欠片もない。ただ「突いて殺す」ためだけに作られた、軍の放出品のような代物だ。
「……いいのか? 重そうだぞ」
俺が声をかけると、リズは槍をブンと振るった。 風切り音が低く、重く響く。
「いいのよ。……軽くて鋭い槍は、折れたわ。変異種の筋肉に弾かれて、私の腕力じゃ押し込めなかった」
彼女は穂先を愛おしそうに撫でた。
「でも、これなら……重さで叩き潰せる。折れる前に、相手の骨を砕けるわ」
実用一点張り。 華麗な騎士の槍術ではなく、泥臭い殺し合いを選んだ証だ。
次は防具だ。 金貨一枚の予算では、新品の鎧など手が出ない。 彼女は「中古品コーナー」へと足を向けた。
そこには、死んだ冒険者が遺した装備や、引退した者が売り払った武具が山積みになっていた。 凹んだ胸当て、鎖が千切れた帷子、血のシミが落ちていない革鎧。
リズは、その山の中から、サイズの合うものを淡々と選び出した。
「……これと、これを組み合わせれば、急所は守れる」
彼女が選んだのは、鉄板を革で繋ぎ合わせた【小札鎧】だった。 あちこち色が違うし、左肩の鉄板には大きな爪痕のような傷が残っている。 前の持ち主は、おそらくそこで死んだのだろう。
「……縁起が悪いとは思わないか?」 ニルスが顔をしかめる。
「思うわよ」 リズは即答し、そのボロ鎧を身につけた。 ガチャリ、と重苦しい音がする。
「でも、前の持ち主の『失敗』が刻まれてる。……教訓になるわ。ここを狙われたら死ぬって、教えてくれてるもの」
彼女は鏡の前に立った。 そこに映っているのは、銀髪の美しき女騎士ではない。 継ぎ接ぎだらけの鎧を着て、鉄塊のような槍を持った、薄汚い傭兵くずれ。 だが、その立ち姿は、以前よりも遥かに重心が低く、安定していた。
「……おやじ。これでいくらだ」
俺が尋ねると、店主は少し驚いた顔をして、そろばんを弾いた。
「歩兵槍が銀貨三枚。中古の鎧一式で銀貨六枚。……締めて銀貨九枚だ」
金貨一枚(銀貨十枚相当)で、お釣りが来る。 ギリギリの予算内だ。
「……釣りはいらないわ。その分、槍の穂先を研いでくれない? あと、鎧の革紐を新しいのに替えてちょうだい」
俺が言うと、店主はニヤリと笑った。
「へぇ。……言うようになったじゃねえか、ガキ」
店を出た時、リズは完全に「鉄屑」仕様になっていた。 煌びやかさはゼロ。 だが、隣に立つと、頼もしい鉄の臭いがした。
「……似合う?」 リズが少し不安そうに俺を見た。
「ああ。……最高に強そうだ」 俺は本心で言った。 「お姫様には見えないが……頼れる相棒には見える」
「ふふ。……褒め言葉として受け取っておくわ」
リズは、重たい槍を肩に担ぎ、コツンと石突きで地面を叩いた。
「さあ、次はニルスの弓ね。……その後はエマの杖。全員分揃えたら、また一文無しよ」
「上等だ。……稼げばいい」
俺は腰の『青緑シリル』に手を添えた。 鼓動が伝わってくる。 リズの新しい槍も、俺の剣も、血を吸いたくてウズウズしているようだった。
「行くぞ。……まずは装備を揃えて、体を慣らす。その後は……」
俺たちの視線は、街の外――北の空へと向けられた。 そこには、俺たちを一度殺した雪山がある。
「リベンジだ」
俺たちは歩き出した。 金貨一枚の重みを知った背中は、もう簡単には折れない。
リズの装備を整えたその足で、俺たちはニルスのための店へと向かった。 それは、きらびやかな冒険者用武具店ではなく、城壁の近くにある、狩人や猟師が出入りする地味な『弓矢工房』だった。
店内には、獣の油と乾燥した木の匂いが漂っている。
「……へぇ。悪くねえな」
ニルスは壁に掛けられた弓を、値踏みするような目つきで眺めていた。 以前の彼なら、飛距離が出る「複合弓」や、魔力補正がついた「魔弓」を探しただろう。 だが、今の彼が手に取ったのは、一本の太い木の棒――削り出しの【長弓】だった。
「イチイの木か。……弦の張りが強えな」
ニルスが弦を引き絞る。 ギリギリギリ……と、軋む音がする。 かなりの筋力がいる。連射には向かない。だが、一撃の威力は高く、構造が単純だから泥にまみれても壊れにくい。
「……おい、店主。これと、矢を三ダースだ。矢羽は鷲じゃなくていい、鴨の安いやつでいい」
「矢尻はどうする? 鋼鉄製は高いぞ」
「鉄屑でいい。……どうせ使い捨てだ。当たれば死ぬ、それで十分だろ」
ニルスは笑わなかった。 かつて「一本銀貨五枚」の高級矢を使っていた男が、今は質より量を選んでいる。 それは「下手な鉄砲数撃ちゃ当たる」という意味ではない。 「絶対に外さない距離まで近づいて、確実に殺す」という覚悟の表れだった。
そして、彼は追加で意外なものを注文した。
「あと、あの鉈をくれ」
「……鉈?」 俺が聞き返すと、ニルスは腰のベルトを指した。
「弓が使えない距離……乱戦になった時のためだ。ダガーじゃリーチが足りねえし、刃が欠ける。……鉈なら、骨ごと叩き割れるだろ?」
猟師が藪を切り開き、獲物を解体するための鉈。 分厚く、重く、武骨な刃物。 それを「対人・対魔物用」のサブウェポンに選んだのだ。
「……接近戦もやるつもりか?」
「やるさ。……もう、お前やリズだけに前を張らせねえよ。矢が尽きたら、俺も泥の中で殴り合う」
ニルスはニヤリと笑い、金貨一枚をカウンターに置いた。 その目は、損得勘定を超えた、飢えた獣のような光を宿していた。
最後はエマだ。 彼女は、街の古着屋の奥にある、防具コーナーに立ち尽くしていた。
普通、後衛の治癒術師といえば、魔力を高める絹のローブや、精神を安定させる装飾品を身につけるものだ。 だが、エマが選んだのは、それらとは対極にあるものだった。
「……これ、ください」
彼女が指差したのは、分厚い綿と羊毛を何層にも重ねて固めた【布鎧】だった。 色は地味な茶色。 見た目はただの分厚いコートだが、刃物を通しにくく、打撃の衝撃を吸収することに特化している。
「エマ、それは……重くないか? 詠唱の邪魔になるぞ」
リズが心配そうに声をかけるが、エマは首を横に振った。
「ううん。……ローブじゃ、爪を防げないの」
彼女の声は震えていなかった。
「シリルくんが死んだ時……私、何もできなかった。怖くて、近づけなくて……。でも、これなら」
彼女は布鎧の分厚い袖をギュッと握った。
「これなら、多少殴られても死なない。……もっと前で、みんなの近くで、回復魔法がかけられる」
「……エマ」
「それに、これなら……レンくんが怪我をした時、私が盾になれるかもしれないから」
あの日、シリルが俺の盾になったように。 一番弱かった彼女もまた、誰かを守るための「壁」になろうとしていた。
そして、武器。 彼女は杖を選ばなかった。 彼女が腰に吊るしたのは、護身用の【メイス】だった。 杖の先についた鉄の塊。 魔法の増幅効果など皆無。ただの鈍器だ。
「魔力切れになったら、これで殴るの」
エマは、少しはにかみながら、しかし本気でそう言った。
「ゴブリンの頭なら、私でも割れる練習したから」
あの泣き虫で、血を見るのが嫌いだったエマが。 メイスを握りしめ、「頭を割る」と言った。 その変化が、俺には痛ましくも、頼もしかった。
全員の装備が揃った。
リズの、ボロボロだが頑丈な重装歩兵槍と小札鎧。 ニルスの、強力な長弓と、人殺しの鉈。 エマの、衝撃吸収の布鎧と、撲殺用のメイス。 そして俺の、シリルを宿した魔剣と、傷だらけの小盾。
総額、金貨四枚にも満たない。 見た目は、その名の通り『鉄屑』の集まりだ。 煌びやかさは欠片もない。泥臭く、血生臭く、貧乏くさい。
だが、俺たちが並んで歩くと、街の人々が道を空けた。 汚いからじゃない。 そこから漂う、異様な「殺気」と「覚悟」に気圧されたからだ。
「……揃ったな」
俺は呟いた。 腰の『青緑シリル』が、ドクンと脈打った気がした。 あいつも笑っているだろうか。 『うわぁ、ひどい格好。センスないね』と、鼻で笑っているかもしれない。
「行くぞ。……リハビリだ」
俺たちは街の門へ向かった。 目指すは、一番近くの森。 相手は、かつてシリルが「徒労だ」と吐き捨てた、雑魚の代名詞・野良ゴブリン。
だが今の俺たちにとって、それはただの雑魚じゃない。 俺たちが「生まれ変わった」ことを証明するための、最初の生贄だ。
夕陽が、俺たちの新しい――いや、古くて汚い装備を、赤く染め上げていた。




