鉄屑達の朝
「レン、行こうぜ。今日の依頼、ゴブリン三匹だってよ」
隣で能天気に笑う大男がいる。相棒のガインだ。 背丈ほどの巨大な廃材――刃のない鉄塊を、小枝のように担いでいる。 こいつは馬鹿だ。僕が「地面を殴れ」と言えば、そこが崖でも迷わず殴るような大馬鹿野郎だ。 だが、こいつの馬鹿げた腕力がなければ、僕の死体はとっくに森の養分になっていただろう。
「……ああ、行こうかガイン。油断するなよ、昨日は隣のパーティが全滅した」
「へへっ、レンがいれば大丈夫だろ! 晩飯、肉入りスープ食いたいなぁ」
僕はため息をつき、腰の指揮官用ホイッスルを握りしめる。 城壁の外は地獄だ。 一歩間違えば、僕たちはただの肉塊になる。 それでも僕たちは、今日を生き延びるために門をくぐる。 世界を救うためじゃない。 こいつと一緒に、今夜の温かいスープを飲むために。
そう独りごちて、僕は相棒の背中を叩いた。 ガインが振り返り、ニッと白い歯を見せる。その屈託のない笑顔だけが、この灰色の世界で唯一、勇者たちがいた時代の名残のように明るかった。
僕たちはギルドの重厚なオーク材の扉を押し開ける。 途端に、鼻をつく臭気が肺を満たした。 安酒と、乾いた血と、錆びた鉄の臭い。そして何より濃いのは、あちこちから漂う「消毒用アルコール」の刺激臭だ。かつて冒険者ギルドといえば、夢と野望の熱気に満ちていたらしいが、今ここにあるのは野戦病院の待合室のような、陰鬱な静けさだけだった。
「うへぇ、相変わらず臭せぇなぁ。朝から消毒液の匂い嗅ぐと、腹が減るぜ」
「お前の食欲中枢はどうなってるんだ、ガイン」
呆れながらフロアを見渡すと、いつもの席――入口から近く、かつ逃げやすい窓際の席に、見慣れた猫背の影があった。
「……遅えよ、リーダー。日が暮れちまう」
木製のテーブルに矢尻を並べ、油を染み込ませた布で丁寧に磨いていた少年、ニルスだ。 彼は僕たちを一瞥すると、ふんと鼻を鳴らして磨き終わった矢を矢筒に戻した。その手つきは職人のように繊細だが、目は常に周囲を警戒して落ち着きがない。
「悪いな。ガインが朝飯のおかわりを粘っててね」
「おいおい、食える時に食っとくのが兵士の鉄則だろ?」
「その兵士の食い扶持を稼ぐために、俺たちが何本矢を節約しなきゃならねえと思ってんだ。……今の相場知ってるか? ゴブリン一匹の耳で、まともな矢が三本しか買えねえんだぞ」
ニルスはぼやきながら、テーブルに置かれた勘定書きのようなメモを指先で弾いた。 物価の高騰と、報酬の据え置き。人類が劣勢になればなるほど、前線の消耗品は値上がりする。世知辛い話だが、これが僕たちのリアルだ。
「矢が惜しいなら、私が突くわよ。アンタは後ろで震えてなさい」
凛とした、しかしどこか刺々しい声が頭上から降ってきた。 現れたのは、銀色の髪をポニーテールに束ねた少女、リズベット――通称リズだ。 その整った顔立ちは貴族の令嬢そのものだが、身に纏っているのは継ぎ接ぎだらけのプレートメイル。かつての名家の紋章は削り取られ、泥と煤で薄汚れている。
「おはよう、リズ。今日も機嫌が悪そうだな」
「最悪よ。朝起きたら鎧の留め具が一つ錆びてたの。油はさしたのに……この国の鉄はどうなってるのかしら。マナが濁ってるせいで、鉄まで腐りやすくなってるんじゃない?」
「あはは……まあまあ、リズちゃん。私が後で磨いておくから」
リズの背後から、小柄な少女がひょっこりと顔を出した。 衛生魔術師のエマだ。彼女は大きな鞄を抱きしめるように持ち、心配そうな瞳で僕たち全員の顔色を確認している。彼女の鞄からは、薬草独特の青臭い匂いがした。
「おはよう、エマ。薬の補充は?」
「う、うん。止血用の軟膏と、あと『痺れ消し』も少しだけ。……高かったけど、必要だと思って」
「助かる。この辺りのゴブリン、最近は爪に麻痺毒を持ってる個体が増えたからな」
僕がそう言うと、リズは露骨に顔をしかめた。
「ゴブリン……はぁ。かつての騎士物語じゃ、ゴブリンなんて農民でも追い払える雑魚だったはずよ。なんで私たちが、五人がかりでそんな下等生物を狩らなきゃいけないの」
「その下等生物に、先週のパーティーは二人食われたけどな」
ニルスが冷や水を浴びせるように言うと、リズは言葉を詰まらせ、悔しそうに唇を噛んだ。 そう、プライドだけで生き残れるほど、今の世界は甘くない。
その時、ギルドの奥にある『上級者専用エリア』から、どっと重い音が響いた。 誰かが椅子ごと倒れたのだ。 視線を向けると、歴戦の冒険者らしき大男が、床に突っ伏して痙攣しているのが見えた。彼の右腕は肩から先がなく、真新しい包帯が巻かれている。
「あーあ、また『マナ酔い』か。ありゃあ飲み過ぎだな」
「……お酒?それとも魔法?」
「両方だろ。痛み止め代わりの安い蒸留酒と、身体強化の後遺症だ」
ニルスが冷たく吐き捨てる。 ギルド職員たちが慣れた手付きで男を運び出していく。その光景を、誰も気にした風でもなく、酒を飲み続けている。 あの男は、かつてランクBのミノタウロスを単独で足止めした英雄の一人だと聞いたことがある。そんな彼ですら、今は酒とマナの毒に蝕まれ、ただの肉塊になりかけている。
リズが小さく身震いし、エマが僕の袖を掴んだ。 ガインだけが
「もったいねえ、酒こぼしてるぞ」
と見当違いな場所を見ていた。
僕はパンと手を叩き、沈みかけた空気を断ち切った。
「よし、無駄話はそこまでだ。仕事の時間だぞ」
「へいへい。で、今日のメニューは?」
「東の廃村跡。斥候ギルドの情報だと、ゴブリンの小集団が住み着いてるらしい。数は三から五」
僕が指を三本立てると、リズが槍を担ぎ直して不敵に笑った。
「五匹も? ふん、私たちを舐めないでほしいわね」
「舐めていいぞ。油断したら死ぬのはこっちだ」
「分かってるわよ! ……一匹たりとも、街には行かせない。それだけでしょ」
リズの言葉に、エマが深く頷く。ニルスは「へいへい」と肩をすくめて立ち上がり、ガインは巨大な鉄塊――『廃材の大剣』を軽々と持ち上げた。
「行こうぜレン! 早く終わらせて、肉食おうぜ!」
「ああ。……ニルス、先導を頼む。エマは絶対に僕の後ろから出るな。リズは左翼、ガインは僕の合図があるまで動くなよ」
「了解」
バラバラの声色が重なる。 僕たちは『鉄屑』。 英雄になれなかった、世界にしがみつくためのチーム。
ギルドを出ると、鉛色の空から冷たい小雨が降り始めていた。 肌を刺すような、濁ったマナを含んだ雨だ。 それでも僕たちは歩き出す。城壁の向こう、死と隣り合わせの日常へ。
「……本日もメンバーよし、と」
僕は誰にも聞こえない声で呟いた。




