鉄屑の安上がりな勲章
季節は冬の入り口。 乾いた風が、傷ついた僕たちの頬を撫でる。
『鬼哭きの岩場』からの帰り道。 行きのような「葬列」の空気は、もうそこにはなかった。
「……あーあ。見てよこれ、特注の穂先が欠けちゃったわ」
リズが槍を撫でながら、大げさに溜息をついた。 だが、その表情は明るい。以前のような虚勢ではなく、仕事をやり遂げた職人のような顔つきだ。 泥だらけの顔には、生傷と、そして確かな自信が張り付いている。
「俺なんかダガーまで刃こぼれだぞ。矢も三本ロストだ。……大赤字だな、まったく」 ニルスが肩をすくめるが、その足取りは軽い。 「でもまぁ、生きてるからな。次は回収してやるよ」
エマも、疲れ切ってはいるが、以前のように怯えてうつむくことはなくなっていた。
そして、先頭を歩くシリル。 彼はいつものように涼しい顔をしているが、その青緑のコートには、今日ばかりは泥跳ねがいくつかついていた。 彼がサボったからではない。僕たちが前線で暴れ回ったせいで飛んだ泥だ。
「……汚れたね」 シリルがコートの裾を払いながら、僕にだけ聞こえる声で呟いた。
「文句言うな。勲章だろ」 僕が返すと、彼はフッと鼻で笑った。 「勲章か。……安上がりなご褒美だこと」
その横顔には、以前のような「孤独な焦燥感」は薄れていた。 寿命を無駄にふかさずに済んだ安堵感。 それが、彼の中にわずかな余裕を生んでいるようだった。
城塞都市バルガスに戻ったのは、日が暮れてからだった。 ギルドの扉をくぐると、いつもの熱気と喧騒が押し寄せてきた。 だが、今日の僕たちは、その空気に飲まれることはない。
「依頼完了。……ホブゴブリン四体、討伐確認済みだ」
僕がカウンターに素材を並べると、受付嬢のミリアが目を丸くした。
「四体……!? またシリルさんがお一人で?」 「いや」
僕は背後の仲間たちを親指で示した。 泥だらけで、傷だらけで、装備はボロボロの仲間たちを。
「全員でやった。……泥仕合だったけどな」
ミリアは一瞬呆気にとられ、それから花が咲くように微笑んだ。 「……おかえりなさい、皆さん。本当の『鉄屑』に戻ったんですね」
「褒めてんのかそれ?」 ニルスが苦笑いする。
報酬を受け取り、僕たちは酒場スペースのテーブルについた。 高級レストランじゃない。いつもの汚い木のテーブルだ。 出てくるのは、薄いエールと、硬いパン、そして脂っこい羊肉の串焼き。
「……乾杯」
ジョッキをぶつける音。 ゴツン、という鈍い音が、今日は心地よく響いた。
「うめぇ……! やっぱこれだわ!」 ニルスがエールを一気に煽る。 「昨日の高級ワインより、この泥水みたいな味が落ち着くぜ」 「同感ね。……あの上品な肉より、この筋張った肉の方が、噛みごたえがあっていいわ」 リズも豪快に串にかぶりつく。
シリルは、水筒の水をちびちびと飲みながら、そんな僕たちを観察していた。 「……味覚まで貧乏性になったのかい?」
「うるさいわね。あんたも食べなさいよ」 リズが串を一本、シリルの皿に放り投げた。 「あんたのおかげで……まあ、死なずに済んだし。これくらい奢ってあげるわよ」
「……どうも」 シリルは少し驚いた顔をして、それから串を手に取った。 彼が僕たちと同じものを食べるのは、これが初めてだったかもしれない。
穏やかな時間。 ガインがいた頃の空気が、少しだけ戻ってきたような気がした。
だが。 この世界は、そんな安らぎを長くは許さない。
ドォォォォンッ!!
突如、ギルドの入り口付近で、爆発音のような轟音が響いた。 扉が蹴破られ、一人の男が転がり込んできたのだ。
「ぐ、ぁ……ッ! どけ……退いてくれッ!」
男は床を這いずりながら、苦悶の声を上げていた。 ボロボロの灰色のマント。隻眼。 見覚えがある。 あの時、オークから僕たちを救ってくれた、あのベテラン冒険者だ。
「おい、どうした!?」 「誰か! 治癒術師を呼べ!」
周囲の冒険者たちが駆け寄ろうとする。 だが、男はそれを手で制した。いや、制そうとして――痙攣した。
「触るなッ……! うつるぞ……!!」
男が顔を上げる。 その形相を見て、ギルド中が悲鳴を上げて凍りついた。
「な……なんだ、あれ……?」
ニルスが震える声で呟く。
男の顔。 その右半分が「青黒い結晶」に覆われていたのだ。 皮膚が硬質化し、まるで鉱石のようになっている。 その結晶は、首筋から頬、そして眼球へと侵食し、メリメリと音を立てて肉体を飲み込もうとしていた。
「カハッ……! ゴボッ……!!」
男が血を吐く。 だが、その血は赤くなかった。ドロリとした、光る青紫色の液体。 マナだ。 血中のマナ濃度が高まりすぎて、血液そのものが変質しているのだ。
英雄病ステージ2結晶化
過剰な身体強化や、汚染されたマナを取り込み続けた冒険者の末路。 肉体がマナの器としての限界を超え、物質として崩壊し、最終的には「魔石」そのものになって死ぬ病。
「くそっ……こんな、ところで……まだ、娘に……金を……」
男は床を爪で掻きむしる。 その指先もまた、パキパキと音を立てて結晶化していく。 激痛なのだろう。男は白目をむき、泡を吹いてのたうち回る。
「……離れろ! 暴走するぞ!」 ギルド職員が叫び、冒険者たちを遠ざける。
僕たちは、動けなかった。 圧倒的な強者だったはずの彼が。 オークを一撃で葬ったあの英雄が。 今はただの、壊れかけた肉塊として転がっている。
「……レン」
隣で、衣擦れの音がした。 シリルだ。 シリルが立ち上がり、その男を凝視していた。
彼の顔からは、一切の表情が消えていた。 ただ、その青緑の瞳だけが、揺れていた。 恐怖? 共感? あるいは――「未来予知」。
シリルは無意識のうちに、自分の胸元――いつも身体強化の負荷がかかる心臓のあたり――を、強く握りしめていた。 その指が、白くなるほどに。
(……見ているのか)
僕は悟った。 シリルは、あの男の中に「自分」を見ているのだ。 今はまだ、吐血と微熱で済んでいる。 だが、いつか必ず、彼もああなる。 体を結晶に食い荒らされ、人間としての形を保てなくなり、孤独にのたうち回って死ぬ。
「……殺してくれ……頼む……痛い、痛いんだ……!!」
ベテランの男が懇願する。 治療法はない。 こうなれば、苦しみを長引かせないために「介錯」するのが、冒険者の最後の情けだ。
ギルドの衛兵が、沈痛な面持ちで剣を抜く。
「……シリル」
僕は小声で彼の名を呼んだ。 シリルは反応しなかった。 ただ、食い入るように「その瞬間」を見つめていた。 自分の未来から目を逸らすまいとするように。
ザシュッ。
剣が振り下ろされる音。 男の絶叫が途切れ、青紫色の血が床に広がる。 静寂。
「……行こう」
シリルが、短く言った。 その声は、震えていなかった。だが、氷のように冷え切っていた。
「……どこへ?」
「宿へ。……休みたい」
彼は串焼きに手をつけることもなく、逃げるようにギルドを出て行った。 その後ろ姿は、いつもの自信に満ちたものではなく、何か巨大な死神に追い立てられているかのように小さく見えた。
残された僕たちは、言葉を失っていた。 せっかくの勝利の余韻は消し飛び、代わりに突きつけられたのは、 「強くなることの代償」と「この世界の逃れられない結末」。
僕は、自分のショートソードの柄を握りしめた。 ガインの死。ベテランの末路。 そして、シリルの未来。
僕たちは、この地獄の一本道を、どこまで歩けるのだろうか。 ふと見ると、シリルの食べかけの串焼きが、冷めた脂を浮かべて皿に残されていた。 それはまるで、彼に残された時間が、そう長くはないことを暗示しているようだった。
「……帰ろう」
僕は仲間たちに告げた。 今夜は、眠れない夜になりそうだった。




