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鉄屑達の生き方  作者: ヤスナー


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16/31

二人きりの甘い夜

「ねえ、ボス。……付き合ってよ」

それは、命令とも懇願ともつかない、甘く湿った声だった。

外は相変わらずの雨だ。 僕、レンは、宿の狭い自室で、明日の作戦計画を練っていた。机の上にはボロボロの地図と、ガインの遺品である認識票。 そこへ、ノックもなしに入ってきたのが、シリルだった。

「……付き合えって、どこへだ。リズなら一階の酒場で潰れてるし、ニルスは道具の手入れ中だぞ」

僕は地図から目を離さずに答えた。 シリルは、いつもの完璧な青緑のロングコートを着込み、スカーフをきっちりと巻いている。戦場でも汚れ一つないその姿は、このカビ臭い部屋には不釣り合いなほど煌びやかだ。

「違うよ。他の有象無象なんてどうでもいい」

シリルは僕の机に手をつき、地図の上に自身の影を落とした。 ふわりと、香水の匂いが鼻を掠める。鉄錆と血の臭いを隠すための、強く、あざとい花の香り。

「君と二人きりがいいんだ。……飲みに行こうよ、レン」

「断る。金がない。それに僕の左手はまだ死んでるんだ」 「金ならある。僕が出す」

チャリ、と金貨の擦れる音がした。 シリルは僕の椅子の背もたれに手を回し、耳元へ顔を寄せた。

「……それとも、怖い? 僕に『壊される』のが」

挑発的な響き。 僕はため息をつき、ペンを置いた。 この「時限爆弾」のご機嫌取りも、指揮官の仕事のうちか。

「……一杯だけだぞ。明日は早い」 「ふふ。……いい子だね、ボス」

連れて行かれたのは、酒場ではなかった。 宿の屋根裏にある、物置同然の小さな隠し部屋だ。 シリルが宿の主人に金貨を握らせて借りたらしい。

「ここなら、誰も来ない」

シリルは埃っぽい床に、持参した高級ワインのボトルと、銀のグラスを二つ置いた。 窓はない。明かりは、床に置かれた一本の蝋燭だけ。 揺らめく炎が、シリルの整いすぎた顔に深い影を落とす。

「……乾杯しようか。共犯者同士の夜に」

シリルがグラスを差し出す。 僕は無言でそれを受け取り、一口飲んだ。 驚くほど芳醇で、重い味。僕たちが普段飲んでいる泥水のようなエールとは別世界の液体だ。

「……で? 何が目的だ。給料の交渉か?」

僕が尋ねると、シリルはワインを一気に煽り、口元を拭った。 そして、けだるげに言った。

「暑い……」

「は?」

「暑いんだよ、このコート。……重いし、蒸れるし、肩が凝る」

シリルは立ち上がり、白いスカーフを乱暴に解いた。 さらに、あの完璧な防壁であるロングコートのボタンを次々と外し、床に脱ぎ捨てた。

その下に現れた姿を見て、僕は息を呑んだ。

てっきり、男物のシャツか、あるいは晒しでも巻いていると思っていた。 だが、そこにあったのは、汗で肌に張り付いた、薄い絹のキャミソール一枚だった。

月光のような白い肌。 華奢な鎖骨。 そして、布越しにもはっきりと分かる、柔らかく膨らんだ胸の曲線。

「……お前」

僕の声が上ずった。 中性的な美少年? 違う。 骨格の細さも、腰のくびれも、男のそれではない。

「……女、だったのか」

シリルは、僕の反応を楽しんでるように、艶然と微笑んだ。 そして、汗で濡れた前髪をかき上げた。

「ギルドへの登録は男にしてある。……ナメられたくないし、変な虫が湧くのも面倒だからね。何より、『薄幸の美少年』の方が、貴族の奥様方からのウケがいい」

彼女はドサリと僕の隣に腰を下ろした。 近い。 肩が触れ合う距離だ。 彼女の体からは、異常なほどの「熱」が発せられていた。 身体強化の後遺症だ。内側から沸騰するような熱が、彼女の白い肌をほんのりと桜色に染めている。

「……驚いた?」

シリルが、ワインで濡れた唇を指でなぞる。

「ああ。……でも、納得もした」 僕は動揺を押し隠して答えた。 「マナの許容量が少ない、と言っていたな。一般的に、女性は男性よりマナの回路が細いことが多い。……だから、無理やり拡張しているのか」

「ご名答。……可愛くないね、君は」

シリルは不満げに唇を尖らせると、僕の膝の上に、自分の足を投げ出した。 行儀の悪い、しかしひどく扇情的な仕草。 ブーツを脱ぎ捨てた素足は、傷だらけだった。 綺麗なのは顔と、服を着て見える場所だけ。 その下は、度重なる負荷で毛細血管が切れ、青あざと火傷のような痕で斑模様になっている。

「……痛むか?」 僕が足のあざを見ると、彼女は自嘲気味に笑った。

「痛いよ。熱いし、気持ち悪いし、常に内臓をヤスリで削られてるみたい。……だから、飲まなきゃやってられない」

彼女は手酌でワインを注ぎ、また一気に飲み干した。 ペースが早い。 血を大量に失っている体に、アルコールが回るのは早いはずだ。

「おい、飲みすぎだ」 「うるさいなぁ。……ボスなら、管理してよ」

シリルが、とろんとした瞳で僕を見上げた。 その瞳孔は少し開いていて、危うい光を宿している。

「ねえ、レン。……私、頑張ってるよね?」

口調が変わった。 作り物の「僕」が剥がれ落ち、素の「私」が顔を出す。

「痛くても笑ってる。血を吐いても澄ましてる。……完璧な商品でしょ? 誰も私が、こんな欠陥品だなんて気づいてない」

彼女は僕の胸に手を置いた。 その手は、火傷しそうなほど熱い。

「でも、君だけは気づいた。……私の『嘘』を見抜いて、その上で『使ってやる』って言った」

彼女の指が、僕の鎖骨をなぞり、首筋へと這い上がる。

「嬉しかったなぁ。……『助ける』なんて偽善じゃなくて、『使い潰す』って言ってくれて。……ゾクゾクした」

「……酔ってるぞ、シリル」

「酔ってなきゃ、こんな話しないよ」

彼女は、猫のようにしなやかに体を滑らせ、僕にのしかかってきた。 キャミソール越しの胸の感触が、僕の腕に押し当てられる。 甘い香水と、鉄錆のような血の匂い、そして濃厚なアルコールの香りが混ざり合い、僕の理性を麻痺させようとする。

「ねえ……もっと見てよ」

シリルが、僕の耳元で囁く。 熱い吐息が鼓膜を震わせる。

「綺麗なシリルくんじゃない。……中身が焼け焦げて、ボロボロになってる、本当の私を」

彼女は僕の手を取り、自分のキャミソールの下――脇腹のあたりへと導いた。 そこには、硬く隆起した、醜い傷跡があった。 マナの暴走で皮膚がひきつれ、ケロイド状になっている。

「汚いでしょ? 熱いでしょ? ……これが代償。私が『最強』であるための対価」

「……ああ。熱いな」

僕はその傷跡から手を離さなかった。 ただの火傷じゃない。彼女が命を削って戦っている証だ。 ガインが筋肉を鍛えたように、彼女はこの痛みを纏っている。

「……変な男」

シリルがくすりと笑い、僕の顔を両手で挟んだ。 彼女の顔が近づく。 長いまつ毛。充血した瞳。微かに震える唇。

「普通、引くよ。……あるいは、憐れむか。でも、君の目は違う」

彼女の親指が、僕の唇を強く擦る。

「君は、値踏みしてる。……『こいつはまだ壊れないか』『あと何回使えるか』って。……最低で、最高のオーナーだ」

「僕たちは鉄屑だからな。使えるものは何でも使う」

「ふふ。……じゃあ、今夜はどう使う?」

シリルは、僕の首に腕を回し、体重を預けてきた。 彼女の体温が、僕の服を通して伝わってくる。 それは欲情というよりも、高熱を出した子供が親にすがるような、切実な温もりだった。

「私、今、すごく不安定なんだ。……熱くて、痛くて、寂しくて……誰かに滅茶苦茶にされたい気分」

彼女の唇が、僕の耳を甘噛みする。

「レン……。私を慰めてよ。……メンテナンス、してよ」

「……バカを言うな」

僕は、彼女の肩を掴んで、少しだけ体を引き剥がした。 拒絶ではない。これ以上近づけば、僕の中の何かも壊れてしまいそうだったからだ。

「お前は僕の武器だ。……武器を手入れするのは戦場の仕事だ。ベッドの上じゃない」

「……つまんない答え」

シリルは不満げに頬を膨らませたが、抵抗はしなかった。 彼女の体から力が抜けていく。 急激な酔いと、身体強化の反動による疲労が一気に押し寄せたのだろう。

「……ケチ。……臆病者。……インポテンツ」

「言いたい放題だな」

「……でも、そこがいい」

シリルは僕の肩に頭を預け、ふふ、と力なく笑った。

「……リズには、内緒だよ。……あの子、私のこと嫌いみたいだし。……女だってバレたら、余計に面倒だ」

「分かってる。……墓場まで持っていくさ」

「……うん。……あと、ニルスにも。……あいつ、金勘定うるさいから……」

彼女の声が、次第に小さくなっていく。 規則正しい寝息が聞こえ始めた。

僕は、肩に重みを感じながら、動けずにいた。 彼女の体はまだ熱い。 まるで、燃え尽きる寸前の炭火だ。

僕は、自由な右手で、彼女の青緑の髪を梳いた。 サラサラとした手触り。 戦場でゴブリンの首を刎ねていた時と同じ髪とは思えないほど、繊細だ。

「……おやすみ、シリル」

返事はない。 ただ、無防備な重みだけがそこにあった。

この美しくも醜い「時限爆弾」は、いつか爆発して死ぬだろう。 その時、僕は泣くのだろうか。 それとも、「損をした」と舌打ちするのだろうか。

今はまだ、分からない。 ただ、この隠し部屋の暗がりの中で、互いの体温と秘密を共有しているこの瞬間だけは。 彼女は「武器」ではなく、ただの「寂しがり屋の少女」で。 僕は「指揮官」ではなく、ただの「雨宿りをする少年」だった。

窓の外では、まだ雨が降り続いている。 世界は冷たいが、ここにある熱だけは、火傷するほどに熱かった。

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