被用者であり戦友
翌日の戦闘は、森の奥深くにある湿地帯で行われた。 相手は【ランクE:ホブゴブリン】三体の小集団。 かつて、僕たちが死に物狂いで挑み、ガインを失った因縁の相手だ。
「――円舞」
シリルが踊る。 ぬかるんだ足場など物ともせず、青緑のコートが蝶のように舞う。 巨大な戦斧が銀色の軌跡を描くたびに、ホブゴブリンの太い腕が飛び、首が落ちる。
「……すげぇな。今日も絶好調かよ」 ニルスが弓を下ろしたまま、白けた声で呟いた。 「俺たちの出番なんてねえよ。矢の節約にはなるけどな」
リズもまた、槍を握る手に力を込めつつも、踏み込めずにいた。 「……邪魔なんでしょ。私たちが手を出したら、あの『完璧なステップ』が乱れるものね」
仲間たちは、シリルを「自分たちとは違う生き物」として見ていた。 疲れを知らず、恐怖を知らず、泥に汚れることもない、冷徹な殺戮機械。 だからこそ、彼らは心のどこかで線を引いていた。 『あいつ一人でいい』 『どうせ私たちなんて必要ない』 そんな卑屈な諦めと、得体の知れない彼への疑念。
だが、僕だけは違った。
(……違う)
僕は盾を構え、シリルの動きを一瞬たりとも見逃さなかった。 彼の背中から立ち上る、わずかな陽炎。 コートの下で張り詰めている、悲鳴を上げる寸前の筋肉。 そして、時折漏れる、呼吸の乱れ。
あいつは化け物じゃない。 人間だ。 僕たちと同じ、血を流し、痛みに耐え、虚勢を張っているだけの、脆くて弱い人間だ。
だからこそ――信用できる。 「完璧な超人」なんて、いつ裏切るか分からない。 だが、「死に急ぐ人間」なら、その行動原理は痛いほど理解できる。
「……ッ、ガハッ……!」
不意に、シリルの動きが止まった。 旋回の遠心力に、酷使された体が耐えきれなかったのだ。 ほんの一瞬の硬直。 口元から赤い飛沫が漏れる。
「――グルァアアアッ!!」
その隙を、ホブゴブリンは見逃さなかった。 残っていた最後の一匹が、棍棒を振り上げ、シリルの背後へ殺到する。
「危ないッ!」 リズが叫ぶ。だが、彼女は距離を取りすぎていた。間に合わない。 ニルスの矢も、つがえられていない。
シリルが目を見開く。 (しまっ……体が、動かな……ッ!) 彼の青緑の瞳に、迫りくる死の棍棒が映る。 防御すら間に合わない。 「天才」の仮面が剥がれ、無様な死が口を開けた――その時。
ドォォォンッ!!
鈍い衝撃音が響いた。 シリルの背中と、棍棒の間。 そこに、泥だらけの影が割り込んでいた。
「――ボ、ボス……?」
シリルが息を呑む。
僕だ。 僕は棍棒の一撃を、小盾で受け止めていた。 まだ折れたままの左腕。 癒えきっていない骨に、鉄槌のような衝撃が走る。
「ぐ、ぅぅぅぅぅッ!!!!」
激痛。 視界が真っ白に弾け飛び、脂汗が全身から噴き出す。 骨が悲鳴を上げ、筋肉が断裂する音を聞いた。 だが、僕は一歩も引かなかった。 泥にブーツを食い込ませ、歯が砕けるほど食いしばって耐えた。
「レン!?」 リズの悲鳴。 「バカ野郎、何やってんだ! あいつなら避けるだろ!?」 ニルスの怒号。
違う。避けられないんだ。 こいつは今、ガス欠寸前のエンジンなんだよ!
僕は盾を押し返し、ホブゴブリンの懐に入り込んだ。 攻撃する余裕はない。ただ、体勢を崩させる。
「シリルッ!!」
僕は血の味がする口で叫んだ。
「何、サボってんだ!! 仕事の時間だろッ!!」
僕の怒声が、シリルの凍りついた時間を叩き割った。 彼はハッとして、僕の背中越しにホブゴブリンを見た。 僕が作った、わずか数秒の猶予。 「部品」をメンテナンスし、再稼働させるための時間。
シリルが笑った。 いつもの澄ました「営業スマイル」じゃない。 口の端から血を垂らし、血管を浮き上がらせた、獰猛で必死な「人間」の笑み。
「……イエス、ボス!!」
ブンッ!!
戦斧が唸る。 僕の頭上スレスレを通過した刃が、ホブゴブリンの首を深々と捉えた。
ズパンッ! 首が飛び、巨体が崩れ落ちる。
戦闘終了。
僕は膝から崩れ落ちそうになるのを、剣を杖にしてなんとか堪えた。 左手が熱い。感覚がない。 たぶん、また折れたか、さらに酷いことになっている。
「……はぁ、はぁ、はぁ……」
肩で息をする僕の元へ、シリルが歩み寄ってきた。 彼は懐からハンカチを取り出し、口元の血を拭うと、複雑な表情で僕を見下ろした。
「……どうして、入った?」
彼が小声で問う。 「僕が避けるとは思わなかったのかい? それとも、恩売り?」
「お前は、避けられなかった」
僕は乱暴に息を吐き捨て、彼を睨み上げた。
「足が止まってた。呼吸が乱れてた。……限界だったんだろ」
「……」
「勘違いするな。助けたんじゃない」
僕は、痺れる左手で、彼の胸ぐら――綺麗なコートの襟を掴んで引き寄せた。
「お前は僕の『武器』だ。高い金を出した、最高級の使い捨てだ。……勝手に壊れることは許さない」
シリルが目を丸くした。 そして次の瞬間、彼はクスクス笑い出した。 それは、初めて彼が見せた、心からの愉悦のような笑い声だった。
「……あはっ、あはははは! 最高だね、アンタ」
彼は僕の手を振りほどくことなく、耳元で囁き返した。
「いいよ。メンテナンスありがとう、リーダー。……僕が燃え尽きて灰になるその瞬間まで、せいぜい上手に使い潰してくれよ」
「ああ。骨の髄までしゃぶり尽くしてやる」
僕たちは至近距離で睨み合い、そして離れた。 そこに友情はない。 あるのは、互いの「死」と「欠陥」を握り合っているという、ドロドロとした共犯関係だけだ。
「レン! 大丈夫!?」 リズとエマが駆け寄ってくる。 「信じらんない! なんであんたがカバーに入るのよ! 死ぬ気!?」
「……リーダーの気まぐれさ」 シリルが、いつもの涼しい顔に戻って肩をすくめた。 「僕が油断した隙を、彼が埋めた。それだけだよ。……いいコンビだろ?」
「はぁ? 何言ってんのよ、この優男……」 リズは気味悪そうにシリルを睨んだが、それ以上は追求しなかった。
僕は痛む腕を抱え、空を見上げた。 灰色の空。 相変わらず、世界は残酷で、救いようがない。 ガインはもういない。僕の左手はボロボロだ。仲間たちの心も荒んでいる。
けれど。 僕の背中には今、時限爆弾のような、しかし確かな熱を持った「人間」がいる。
(行ける)
僕は確信した。 この壊れかけのパーティーで、この歪な関係でなら。 僕たちはもう少しだけ、この泥沼の中で生き延びられるかもしれない。
「……帰るぞ。治療だ」 「はいはい。手のかかるボスだ」
シリルが軽口を叩き、僕の横に並ぶ。 その歩幅は、あえて僕の重い足取りに合わせてあった。
僕たちは歩き出す。 鉄屑と、ガラス細工の殺し屋。 混ぜるな危険の劇薬たちが、奇妙な調和を奏でながら、死への行進を続けていく。




