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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

千両劇場(センリョウバコ)【デモ】

作者: 平三線
掲載日:2025/11/20




  奇術師とは、魔法使いの役を演じる役者である───── ロベール・ウーダン

 "Un prestidigitateur c’est un acteur jouant un role de magicien" ─── Robert-Houdin


 


 プロローグ

 

 第一章 邂逅   

 

 第二章 協力

 

 第三章 告白

 

 第四章 三人

 

 第五章 選択


 第六章 贖罪




 

 

  プロローグ


 凍えそうな冬の夜。(きら)めく上弦の月。

 灰色の雑居ビルの屋上を吹き抜ける冷え切った風。女の呆然と握りしめるナイフに付いた血と、眼の前に横たわる二体のうちの片方についた深い傷口を乾かす。

 どうすれば全て無かったことにできるか。彼女の頭にはそれしかなかった。

「大丈夫。大丈夫。落ち着いて」

 彼女は何度も呟いた。

「心配しないで」

 今度は言い聞かせるように強く呟いた。

 彼女は二体のうちの男の方に、今右手に持っているものを持たせた。そして二体ともを屋上から落とした。永遠に続くかのような数秒が経ったあと、(かす)かながらも耳に残る鈍い音が鳴った。

 真冬の風は更に研がれてゆく。彼女は血塗れた右手で左腕を掴みながら非常階段を慎重に下りた。




  第一章  邂逅(かいこう)


 十月十日、金曜日。

 男は絶望していた。何か希望を抱くようなものがなかった、と言った方が正しいかもしれない。特に苦労もせず近所の高校に進学して一年も経っていないというのに、何の不自由も感動もないまま日々を過ごしていた。今だって、隣に立っている小学生が────


「まもなく、二番ホームに、国際空港行き、快速列車が通過しまーす。黄色い線の内側に、お下がりくださーい」


 ───もし自分が小説の主人公だったらなんて、高一にもなって我ながら相当暇だなあ。と、帰りの電車を待っていた玲斗は(れいと)幾分か恥ずかしくなった。もちろん誰も見てはいないしそんなに人も多くない駅なのだが、秋の夕日はまだ強いので少し暑くなった。

 駅のホームは目のやり場に困る。目が合ってしまうのが気まずいからだ。ほとんどの人はスマホに目を向けているのだが、生憎(あいにく)玲斗のスマホのバッテリーは残り五パーセントを切っていて、いつものゲームもできずに向かいのホームの広告を見つめていた。

 特段目を引くものも無かったのでふと正面に視線を戻すと、玲斗は向かいのホームに伏し目がちな女性を見つけた。ちょうど爪先が黄色い線に乗るくらいのところに立っている。水色の服につばの広い帽子。その下では金色に染めたセミロングの髪が夕日を反射している。顔は少ししか見えていなかったが、帽子が一度秋風に吹かれただけでも、玲斗は自分好みの美人だと分かった。

 やはり年頃の高校生である玲斗は目が離せなかった。しばらくそのままでいると、幸か不幸か目が合ってしまった。玲斗はなぜかその瞳をずっと見ていたくなったが、なんとか目を逸らして泳がせていた。すかさず今の立ち位置から移動しようと焦って(かかと)を上げたとき、玲斗は違和感を抱いた。

 まだ正面から視線を感じる。少しの恐怖心と期待を胸に目線を戻した瞬間、轟音とともに列車が玲斗の視界を覆った。

『___ゴトン、___ゴトン』

 最終車両が通り過ぎた後、玲斗は鼓動を抑えきれずにいた。

 彼女が(こつ)然と姿を消していたのだ。

 玲斗は訳も分からないまま線路に注目したが、普段眺めているものと特段変わりはなかった。顔を上げた玲斗は必死にあの帽子を探したが、目に入るのは少し俯く人々と先に見た広告たちだけだった。

「あの数秒間のうちにホームを出た、はずはないか。ここ五車両目だもんな。って何で俺こんな分析してるんだ?」

 玲斗の独り言が思いのほか大きかったのか、隣にいた男子小学生は玲斗を怪訝(けげん)そうに見つめ、黒いランドセルをこちらに向けて去っていった。別に知り合いでもなかったのに玲斗は少しショックを受けたが、おかげで恐らく束の間であろう落ち着きを取り戻せた。

 今の子を見る限り他に見ていた人はいなさそうだと諦めかけていたとき、

『ピロン』

とスマホの通知が鳴った。

 大抵が奇術研究会のグループラインの通知なのでスマホを開くか迷ったが、とりあえず画面を見てみると、親友の(はる)からの連絡だと分かった。と同時にバッテリーが切れそうだったのも思い出した。

 晴は玲斗の唯一といっていい程の同級の友人であり、玲斗と同じく奇術研究会に所属している。

『今日晩飯食べに行かね?テスト終わった祝いで』

『それ最高行こう』と送信する直前に、今日は家族総出で外食する予定があるということを思い出したので玲斗は慌てて文字を打ち直した。

『ごめん! おれ家の用事あったわ 明後日はどう?』

『OK じゃあその日にしよ。僕は玲斗と違って赤点祭りだと思うから現実逃避会かな』

『いや、おれも今回ばっかりは初赤点取りそう じゃあまた』

 その後、晴の少し癖の強い動物スタンプで会話は終わった。

 晴は数年前に、大学生だった姉を亡くしている。綾音といっただろうか。元々片親だったのでそれからは母親と祖父母とで暮らしている。祖父母といってももちろん母方の、だろう。

 当時は人が変わったように無口になり学校にも来なかったが、最近ようやく以前の元気を取り戻し切ったようだ。何だか玲斗まで気持ちが明るくなった気がした。

 いや、明るくなどなっている場合ではない。なぜか先の不可解な出来事を晴に話すのを忘れていた。玲斗はすぐにメッセージを送ろうかとも思ったが、どうせまともに取り合ってくれないだろうという気持ちと話のネタに取っておこうという気持ちを両手に抱えたまま帰路についた。


 玄関についた玲斗は家に入るや否やリビングへ時計を見にいった。白を基調とした部屋に真っ黒の掛け時計なので分かりやすいが、肝心の針は見にくい。針は午後五時半を指している。

「ねえ、帰ったならただいまの一つでも言ったら?てか手洗った?」

 妹の沙莉(さり)の声、台所からだ。どうやら今日は部活がなかったらしい。

「ああごめんごめん。ケータイの充電切れちゃってさ。時間分かんなかったんだよ」

 玲斗は茶色のソファに腰掛けて言う。

「今日は部活オフ?珍しいな」

 すると沙莉はもはや声のような大きい溜め息をついた。

「オフじゃない。緊急の職員会議かなんかで早めに終わっただけ」

「へー。そんなんで記録伸びんの?」

 玲斗が少しからかってみたところ、また溜め息が聞こえた。

「あのさあ、ウチの陸部がブラックなの知ってるよね?入って一年で辞めたとはいえ、もう忘れたの?事故った時に記憶でも飛んだんじゃないの?」

「いや言いすぎだろ。軽症で済んだとはいえ大きめの事故だったって医者も言ってたんだから」

「自転車で事故っただけでしょ?不注意で。運だけはいいんだね」

「あの時は足ケガしてたの。それでも無理して行ったのは俺の判断ミスだけど、しょうがなかったの。それこそ、あの部活〝ブラック〟だから」

 沙莉は一瞬表情を曇らせた。

「そりゃまあ、たまには休みたいけど、楽しいからいいの。最近は記録も伸びてきて、あとで県大会準優勝お祝い会もあるし。てか帰宅部は気楽でいいよねー」

「帰宅部、じゃないとは言い切れないな。うん。とはいえ週三で活動してる」

 沙莉はうっすらと嫌な微笑みを浮かべた。

「活動って、どうせ駄弁ってるだけでしょ」

「いやあそこは反論させてもらうけど、ちゃんと練習してるから」

「怪しいなあ。じゃあちょっとなんかやってみてよ」

 玲斗は慌ててソファに座り直した。ここは部員として、兄としての威厳のような何かを守らねばならない。玲斗はそう思った。  

「はあ。お前、俺の手品ナメてるだろ」

「え?もちろんそうだけど」

「いやちょっとは否定しろよ。ま、この手品を見たらその意見も変わるだろうけどな」

 玲斗はしっかりとツッコミを入れたあと、手品の準備にとりかかった。ちなみに〝マジック〟と言わずに〝手品〟と呼ぶのは奇術研究会のしきたりだ。

 二人は台所の中央に置いてある白いダイニングテーブルに近づき、少し背もたれが高めの椅子に向かい合うように腰掛けた。沙莉は下ろしていた髪を器用に軽く束ねた。

 玲斗はまず重そうな自分のバッグを隣の椅子の上に置き、その中からトランプの箱を一つと深緑の小さいマットを一枚取り出した。

「俺が得意なのはトランプを使ったやつなんだ。そういう系のに限っていえば、俺は部の中で一番上手いって言われてるんだぞ」

 玲斗はマットを手元に敷きながら得意げに言ったが、沙莉の表情はまだピクリともしない。

「はいはい。分かったから早くやって」

「じゃ、始めるぞ」

 玲斗の実力は確かなものだった。

 玲斗は箱から左手へカードの束を移し、慣れた手つきでマットの上に五十四枚のカードを表向きに綺麗に並べて見せた。

「お、なんかそれっぽいじゃん」

 沙莉の言葉に合わせて、玲斗はそれっぽく咳ばらいをした。

「では、この中からお好きなカードを一枚選んでください」

「そのキャラ何?急に」沙莉は気味の悪そうな顔をした。

「手品をするときは相手をお客さんだと思って演技するってのがうちの決まりなんだ。ま、あんま気にすんな」

「ふーん。じゃ、これで」

 半信半疑ながらも、沙莉は並べられたカードの中から一枚を選んで指差した。

「ハートのAでよろしいですね」

 玲斗はそのカードを抜き取り、他の束を元あった状態にして束ごと裏向きにし、また左手に収めた。そして右手で摘まんでいる一枚を、カードの表の模様が上から三分の一程度見えるように山のいちばん下に差し込んだ。

 沙莉はすでに玲斗の手元から目が離せなかった。

「ここから、よく見ておいてください」

 玲斗は左手を軽く振って見せた。すると、なんとハートのAは少し動き、山の真ん中あたりまで上ってきている。

「え、え!」

 当然沙莉は驚きの表情を見せた。

 玲斗はもう一度左手を軽く振る。するとまたもやAは少し動き、一番上から二、三枚のところまできている。

「ちょっとまって」という沙莉を無視し、玲斗はさらに左手を振る。遂にハートのAは一番上まで上ってきて、その模様の全体が見えるようになった。

「以上、〝レイズライズ〟でした。どうもありがとうございました」

 玲斗は束を元の箱に戻したあと軽く一礼し、肩の力を抜いた。

「どうだった?思ってたより良かったろ」

「いや、すごすぎない? どうなってんの? そんな変な部に入ってる場合じゃないって」

 沙莉はまだ目を丸くしていた。

「なんだよそれ。ま、流石にこれで伊達に練習してないってわかったろ」

「うん。認める」

 なぜか少しがっかりしているようだ。

「ねえ、もう一個なんかやってよ!」

 さっきとはまるで声のトーンが違う。普段は憎たらしいが、かわいい所もあるんだな、と玲斗は思った。

「嬉しいけど今日はもう終わり。課題やらないと」

「えー。別にそんなのすぐ終わるじゃん」

「あのなあ、中学と高校は勉強のレベルが全然違うんだよ。第一、お前テスト期間なんだろ? こんなことしてる場合じゃないって」

「違うし。まだあと二週間もあるし」

〝も〟ってなんだよ、〝しか〟だろ。と玲斗はツッコみたくなったが、ありきたりなフレーズだったので呑み込んだ。

 玲斗がカバンを担いで二階に上がろうとした時、玄関の鍵が開く音がした。

「ただいまー」

 母の理子(りこ)が仕事から帰ってきたようだ。理子は女手一つでこの二人を支えている。苦労もあるが、その辺の家族よりは仲がいい、と玲斗は自負している。

「おかえり。ご飯はいつ行くの?」

「そろそろお腹減ってくる時間だし、沙莉が帰ってきたらすぐ行こっか」

 理子が言い終わるのと同時に沙莉が駆け寄ってきた。

「もう帰ってるよ! 早く行こ!」

「あら、今日は早いのね。じゃあ玲斗も支度して」

「うん、すぐ準備するよ」

「早くして。」

「分かってるって。お前が早すぎるの。母さんもまだできてないだろ」

 玲斗は、課題ができないという自分への言い訳ができたと半ば安心しつつ階段を足早に上った。


「いやー食った食った!」

 沙莉は帰宅して早々ソファに座り込んだ。

 玲斗はそれを見て自分も休憩しようかと思った。が、課題とテストだけは運動部のクラスメイト(特に晴)には負けられないというプライドが玲斗にはあった。そのため玲斗はまた足早に階段を上り、自室に戻った。

 

 ノルマにしていた量の課題が一通り終わったとき、スマホの時計は二十二時半を表示していた。

「そろそろ寝るか」

 玲斗は最近、早寝早起きを試しに始めている。無論、暇なので、朝にすることといっても風呂と課題くらいである。玲斗は寝る支度を済ませ、ベッドに横たわった。

 玲斗は不思議と眠りにつけなかった。夕方の不可解な体験を思い出していたのだ。

(そういえばすっかり忘れてたけど、あれ何だったんだ。やっぱ疲れてんのかな。憑かれてないといいけど。なんつって。……こんなしょうもないことばっか考えてるから眠れないんだろうな。今日も疲れた。今日も疲れたんだ)

 玲斗はそう自分に言い聞かせているうちに微睡んだ。


 玲斗が目覚めた時、辺りは薄暗い空気に包まれていた。

(まだ夜なのか…いつもなら朝まで起きないのに。眠たくない気もするけど…もう一回寝ようかな)

また入眠に時間がかかりそうだと感じた玲斗は寝返りを打ち、左半身を下にした。

(ん……?)

ふと瞬きをした。遠くの方に人影があるのだが、ゆっくりとこちらに近づいてきているような気がする。水色の服を着ているようだ。

(誰だ……?)

玲斗は眠い目を擦ってもう一度目を向けた。すると、その顔の輪郭がぼんやりと浮かんでくる。

 あのホームで見た、女の幻だ。

 気づいたときには、女は手を伸ばせば届きそうな所まで近づいていた。

「やめろ。来るんじゃない!」

 玲斗は不意に底知れぬ恐怖に襲われ、必死に怒鳴ってしまった。あと少しで女の目元が見える。玲斗は戦慄しようとしたが、その瞬間に頬を裂くように冷たい風が吹いた───


「っああ!… っはあ、あれ…」

 いつの間にか体を起こしていた玲斗は、いつものベッドの上にいた。部屋の対角にある窓からは日光が優しく漏れている。また、頭上のエアコンからは冷房の風が無慈悲に直撃している。

(うわ。消し忘れかよ──二十度? 風量も最大…寝てる間に押してたのか)

 玲斗はまず、風邪を引かないかが心配になった。

(嫌な寝起きだな… あんなこと考えながら寝なきゃ良かった)

 玲斗は重い足取りで一階に降りた。時計は九時を指している。

(まずい遅刻──違う、今日土曜だ。危ねえ)

 玲斗は一人で安堵した。

「寝言にしては声でか過ぎない? 怖いんだけど」

 沙莉が階段をゆっくりと降りながら言った。どうやら起こしてしまったようだ。

「ごめん。変な夢見ただけ」

「はあ。今日せっかく午前中はゆっくりできると思ってたのに」

「悪かったって」

 玲斗は平謝りしたが、もう二度寝する時間じゃないと言って沙莉は自室に戻っていってしまった。

(そんなに声大きかったかなあ…)

 玲斗が思案していると、スマホにラインの通知音が鳴った。奇術研究会のグループラインだ。

『来週の水曜日に新入部員歓迎会やるんだけど、その新入部員に披露する手品考えといてー』

(間宮さん、相変わらず適当だな。それにしても新しい部員か…初めてだな。それにこの時期か…めずらしいな)

『ちなみに私の友達なんだけど二年生だからよろしくー』

(二年って、一個上かよ…これは友達増えそうにないな。)

 玲斗は先輩や後輩といった関係性の人と関わるのが苦手だった。中学生の頃に陸上部を辞めたのも、それが理由の一つとなっていた。もちろん一番の理由は当時の厳しすぎる環境だったのだが。

 玲斗は浮かない顔で『了解』のスタンプを送り返した。

***

十月十五日、水曜日。

『キーンコーンカーンコーン──』

「ごめーん最後にこれだけ配らせてー」

 放課後のチャイムは鳴り終わったが、担任の小山がいつもの粘りを見せたため玲斗は五分ほど遅れて部室へと向かうことになった。物理準備室横の、今は使われていない小さな教室だ。

 奇術研究会、通称奇研(きけん)──部員は十数人で幽霊部員もいるため、廃部寸前である。顧問には国語教師の三田(みた)の名前が部活動紹介の記事などに載っているのだが、この八咫(やた)高校が唯一強豪と言われているサッカー部の副顧問でもあるため、三田が四月から奇研に顔を出したことはない。つまり、学校からも見放されている部、それが奇研ということだ。

 現在の部員の内訳は、玲斗と晴、新田(にった)先輩と部長である間宮(まみや)先輩、そして三人の幽霊部員といった具合であり、男子二人と女子二人で活動していることになる。新田先輩は受験期真っ只中で最近は週一で遊びに来ている。間宮部長の方は推薦という形で進学するらしく、奇研を廃部にさせまいと日々思案している。そしてこのあと、新入部員が五人目のメンバーとなるわけだ。

 玲斗は急いで扉を開けようとしたが、ドアノブを握ったまま手を止めた。中からなにか楽しそうな話し声が聞こえる。

(げ、もしかしてもう始まってんのか?歓迎会ってやつ)

 おそらく三、四人が会話しているのだが、その中に聞き馴染みのない中低音の声──どうやら例の五人目は男子ではないようだ。

 玲斗はドアノブを握る手をゆっくりと引いてみた。

 部屋の右手の方では既に晴と新田先輩が練習をしており、奥には間宮部長がいた。自分のデスクの椅子に座ってこちら側を向いている。とすると、立ったまま部長と話している彼女が新入部員なのだろう。彼女は後ろ姿しか見えないが、短く黒い髪に高めの背丈で、ちょうどバレー部にいそうな雰囲気だ。

「すみませーん、遅れちゃいました」

 玲斗は気持ち申し訳なさそうに言いながら素早く中に入り、扉を閉めようと室内に背を向けた。

「君が、玲斗くん?」

 彼女の声だ。玲斗は微笑を作って振り返りつつ、「はい」と答えた。

「よろしくお願い──」

 玲斗が彼女の顔に目を向けた瞬間、まだ固まり切らない笑みが消えた。

───あいつだ。

 玲斗は瞼の一回をも動かせなかった。散らばった自分を集めることに必死であったのだ。

「二年の羽柴(はしば)なつみっていいます。よろしくね。」

 その明るい笑顔は玲斗の口を少し緩ませ、なけなしの力を振り絞らせた。

「玲斗──神谷(かみたに)玲斗。っていいます。」


 今まさに玲斗が対峙(たいじ)している美女は、確かにあの幻の顔を携えていた。




  第二章 協力


 「こうやってこっそり隠し持つことを〝パーム〟って言って──」

 新入生歓迎会も(たけなわ)を過ぎようとしていた。羽柴は早速、三年生の二人に手品の基本を教わっている。

 無論、玲斗はこの小一時間は終始気が気でなかった。二十分ほど前に披露した手品でも小さなミスが続出した。

「玲斗、さっきの酷かったなあ」

 満面の笑みだ。

 晴に関しては玲斗が普段あまりミスをしないため、今がチャンスだと言わんばかりに煽ってくるのである。しかし玲斗は言い返すことができなかった。晴の言う通り、ミスの原因はすべて羽柴の(おもて)に収束していたためである。まるであの幻に手品を見せているようで気味が悪かったが、その美貌に見惚れてしまっていたこともまた事実であった。

 良くも悪くも、玲斗は夢見心地だった。



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