01 まさかの婚約破棄
スタンリーは一月遅れで王都入りした。シャーリーのおかげでリハビリも問題なく、歩行に支障はない。
パトリシアはシトリン家のタウンハウスから学園に通っていて、ようやく愛しの婚約者に会えるとるんるん気分だったが、出迎えてくれたのは長姉のセリーナだ。
「姉様、お店はいいの? パティはまだ帰ってないのかな」
「スタン、落ちついて聞いてちょうだい。あのね、パティはバートレット家にいるのよ」
「はっ?」
スタンリーは驚きの声をあげた。
バートレット家はパトリシアの母の実家だ。
侯爵家で三姉妹の長女が後を継いでいるが、末っ子のパトリシアの母とは折り合いが悪かった。病弱なパトリシアの医療費の工面を断ったし、妹夫婦の葬儀にも顔をださず、当然姪のパトリシアを引き取るのも拒否している。絶縁関係のはずだった。
「学園入学に際して、姪を他家に預けたままなのは外聞が悪いからと申し出られて。我が家では断ったのだけど・・・」
「今更じゃないか。・・・はっ、まさかパティは無理やり連れて行かれたの?」
「いいえ、あの子が自分からお世話になると行ってしまったのよ」
長姉は苦々しい顔になった。スタンリーは信じらなくて首を横に振る。
「まさか。パティだって、嫌っていたじゃないか。あの人たちは身内じゃないって」
「ええ、そうね。もしかしたら、パティはバートレット家から何か言われたのかもって思ったのだけど、それらしいことはなかったわ。
ただ、第三王子殿下から、婚姻前から婚約者の家に世話になるのは外聞が悪いと忠告されたようなの。
『天涯孤独ではないのだから、バートレット家で養育するのが筋だ』と仰せになったらしいわ。それで、バートレット家が動いてパティが了承したみたい」
「そんな! パティを見捨てたくせに・・・」
スタンリーは憤慨して大きく顔を歪めた。
生まれたばかりのパトリシアは育つかどうか微妙だった。
両親が医療費の工面でバートレット家に頭を下げると、『病弱な女児などさっさと諦めて次の子を産めばいいだろう』と言われたのだ。オーデン夫妻はあまりの薄情さに絶句し、バートレット家とは関わらないようにした。必要最低限の付き合いで冠婚葬祭以外で顔を合わせることはなかったが、彼らはオーデン夫妻の葬儀に欠席した。当然、姪のパトリシアを引き取るのも拒絶だ。
シトリン家では全員がバートレット家に怒りを抱き、パトリシアを引き取る際にバートレット家に絶縁する旨を示した。
『バートレット家の血筋のパトリシアを引き取るが、バートレット家にはいかなる迷惑もかけず、金銭の援助も何の支援も請求しない』と神殿契約で誓言さえした。後から、何か言いがかりなり、政略の駒扱いされるのを警戒したのだ。
「もしかして、パティは僕たちに迷惑がかかると思ったんじゃ?」
「そうね、第三王子殿下から、わざわざ声がかりがあったから・・・。
パティからは貴方が王都へ着いたら、連絡して欲しいと言われていたの。貴方と直接話したいことがあるそうよ。先ほど連絡したら、今すぐバートレット家へ来てほしいと伝言があったわ。
到着したばかりで疲れているとは思うけど、パティを説得できるのはスタンだけだわ。
殿下の言い分なんて気にしなくていいと伝えてちょうだい。我が家は男爵家だけど、高位貴族と伝手がないわけではないもの。殿下やバートレット家を気にすることはないから」
シトリン家では希少で貴重な薬草も出荷しているので、高位貴族からも一目置かれているのだ。
「うん、パティを必ず連れて帰るよ」
パトリシアはシトリン家のために自己犠牲心を発揮したのだと思ったスタンリーは力強く頷いた。
「スタン、お久しぶりね。怪我はもういいの?」
「パティ、僕は大丈夫だよ。ごめんね、心配させてしまって。君のほうが大変だったでしょう、でも、もう大丈夫だからね」
スタンリーは久しぶりに会う婚約者に相好を崩した。
以前よりも艶のある髪に少しだけふっくらとしたパトリシアは元気そうだ。侯爵家で虐げられていないようでほっとした。
目の前に用意されたお茶と焼き菓子も上質なものだとみてとれる。専属らしい侍女がワゴンの側に控えていて、さすが侯爵家と思う待遇だ。
それでも、パトリシアがこの家で幸せだとは判断できない。
とりあえず、家に戻ろうと説得しようとしたら、意外にもパトリシアは素直に応じなかった。
「スタン、本当にシトリン家の皆様には感謝しているのよ。わたくしがここまで丈夫になれたのも、皆様のおかげだし、両親が亡くなった後も面倒をみてもらってありがたいと思うわ。
でもね、学園に通ってから、他の人と関わるようになっておかしいと思うようになったのよ。
親族が絶えているなら仕方ないけど、最初からシトリン家にお世話になるとか外聞がよくないわ。だから、正常に戻したほうがいいと思って」
「でも、パティ。バートレット家は「事情があったのよ、スタン。母と伯母の仲がよくないから誤解していただけなの」
パトリシアがスタンリーを遮って話し始めた。
パトリシアが生まれた当時、バートレット家当主が体調を崩して長女が代行していた。慣れぬ当主業で取引で損害をだしてしまい、バートレット家は資金繰りが厳しかった。それで、医療費を断るしかなく、少々きつい物言いになってしまったという。
葬儀に欠席したのも夫が事故に遭って入院や手術で忙しなく、葬儀にでる余裕がなかった。事故は故意に引き起こされた可能性があって、捜査が難航していた。物々しい雰囲気でパトリシアを引き取る環境ではなかったそうだ。
「伯母は手紙をだす余裕もなかったそうなの。母と仲がよくなかったせいで、誤解されてしまってずっと気にしていたそうよ。殿下からの声がけでちょうどよく和解のきっかけになったの。
伯母は思っていたよりも良い方で、わたくし、悪く思い込んでいたのが申し訳ないくらい。母と不仲だったのは気が合わないぐらいのことで大袈裟なものではなかったの。
だから、スタンも心配はしないで。わたくしはとてもよくしてもらっているから」
「そ、そうだったのか・・・。
でも、パティ、婚家に行儀見習いで早くからお世話になっている例もあるのだし、あまり神経質になることはないだろう?
今まで通りに我が家で暮らしてもいいじゃないか。セリ姉様も気にしているよ」
「それは本当に申し訳ないと思っているわ。でもね・・・」
パトリシアは申し訳なさそうに目を伏せた。
「わたくし、子供の頃は寝込んでばかりで他の人と交流がなかったでしょう?
それで、唯一接してくれた貴方に固執してしまったけど、よくない態度だったわ。貴方はシトリン家の跡取りなのだから、家の利になる相手を選ばなくてはいけなかったのに。
わたくしと言えば、両親は亡くなって後ろ盾にはならず、お情けの爵位しかない没落寸前の貴族だわ。このまま、婚約を続けるのはお互いによくないと思うのよ」
「え・・・。パティ、何を言っているの?」
スタンリーは頭の中が真っ白になりそうだった。いつもキラキラした水色の瞳は伏せられて、パトリシアは俯いている。
「あのね、わたくし、貴方が好きだと思っていたの。でも、それはお友達を失いたくなかっただけ。ただの執着心だったのよ。
幼い頃だから、勘違いしても仕方なかったわ。お互いに学園で様々な方と交流をもって広い視野を身につければもっと相応しい相手が見つかると思うのよ」
「パティ!」
スタンリーが悲鳴のような声をあげた。パトリシアの言葉が信じられなくて脳内が麻痺しそうだ。
「待って、パティ。家の利なんて関係ないよ。僕は君が好きだ、家族も全員君を望んでる。僕たちの仲は良好だったじゃないか。学園で何か言われたの?
気にしないで。僕たちが必ず君を守るから」
「スタン・・・」
パトリシアが困ったように目を伏せる。
「そうじゃないの、違うのよ。ごめんなさい、貴方やシトリン家の皆様の厚意はとても嬉しいわ。
でもね、わたくしたち、幼い頃からずっと一緒で婚約者だったけど、もう家族みたいだったでしょう? あのね、家族に恋はできないわ」
「え、どういうこと? 家族で何が悪いの?」
「・・・わたくし、学園でお慕いする方ができてしまったのよ。本当にごめんなさい」
パトリシアに深々と頭を下げられて、スタンリーが石化する。
『僕のパティがそんなことするわけないだろう?』とヒューゴーを笑い飛ばしたのがものすごく昔のことのようだ。
「や、やだな、何を言って・・・」
「わたくしとの婚約を解消して欲しいの。
わたくしの心変わりが原因だから、わたくし有責の破棄にするのが当然なのだけど、その、心苦しいのだけど、破棄にすると醜聞になってお互いによくないと思うの。嫡男の貴方には次期男爵夫人となる方を見つけなくてはいけないし。
円満な婚約解消、または不都合が起きて婚約を白紙にしたことにしてもらいたいのよ」
パトリシアはさらに深く頭を下げて膝につきそうだ。
スタンリーが口をハクハクとさせて言葉にならないでいると、ノックがして一人の貴婦人が現れた。
パトリシアより髪も目も色が濃い。赤毛に青い目の婦人はパトリシアの伯母でバートレット家当主だ。
「パトリシア、お話はお済みかしら? シトリン男爵令息には直接お礼を言いたかったのよ、わたくしに紹介してちょうだいな」
「伯母様、こちらがスタンリー・シトリン男爵令息ですわ。わたくしの恩人ですの」
「ええ、我が家が立て込んでいた時に、貴女の面倒を見てくれた方ね。我がバートレット家へようこそおいでくださいました。
シトリン男爵令息、パトリシアを保護してくださってありがとうございます。貴方のご家族にも本当にお世話になりました。
パトリシアも学園に通い、一人前の淑女になるのですもの。これ以上、あなた方にご負担をおかけするわけにはいかないわ。パトリシアは当家で引き取りますのでご安心くださいませ」
「そんな! 負担なんかじゃありません。パティはもう我が家の家族なんです、パティを取りあげないでください」
スタンリーが血の気の引いた顔で反論するが、声が震える。パトリシアとはあまり似ていない当主は値踏みするように目を細めた。
「まあ、パトリシアを家族と思ってくださったのね、嬉しいわ。でも、パトリシアには心からお慕いする方ができたのよ。今の歪な状況ではパトリシアが可哀想だわ。
あなた方には心から感謝しているけれど、弁えていただきたいのよ。今では状況が変わったのだから。
パトリシアのためを思うならば、我が家で暮らしたほうがいいとわかるでしょう?」
「ま、待ってください。いきなり、そんなことを言われても・・・」
「貴方のパトリシアへの好意には同情もあったと思うわ。寝台から離れられない病弱な女の子だったのですもの。幼い頃からの思い込みで愛情だと勘違いしている可能性があるわ。
貴方も本当にパトリシアが好きなのか、離れてみて確認したほうがいいのではなくて?
パトリシアもあなた方から距離を置いて冷静に考えているところよ。なにしろ、この娘はずっとシトリン家の薬のお世話になっていたでしょう。もしかしたら、強制依存していた疑いがあるわ」
「強制依存だなんて!」
「ああ、言い方が悪かったかしら? 誤解させてしまったら、ごめんなさいね。
シトリン家の薬草からできる薬は確かに効能が高く評判なのだけど、他にも効果のある薬はあるし、シトリン家特製だけが唯一ではないでしょう? パトリシアはもう大丈夫だと言いたかったのよ。
これまでパトリシアを保護してくださったお礼は言葉では表しきれないくらいだわ。でもね、本当にパトリシアの幸せを願うなら、落ちついてよく考えてもらいたいの。
パトリシアを家族と思ってくれているのでしょう? パトリシアの意思を優先してくれないかしら。
もちろん、これまでお世話になったお礼は十分にするわ。金銭だけでなく、お礼の品も贈らせていただくから」
「お金なんていりません!
パティ、よく考えてくれ。僕たちはあんなに仲が良かったじゃないかっ」
泣きそうに顔を歪めるスタンリーからパトリシアは顔を背けた。
「ごめんなさい、スタン。いえ、シトリン男爵令息。わたくしを軽蔑してくださって構わないわ。
でもね、わたくし、自分の心に嘘はつけないの。貴方が恩人で大切な幼馴染であるのには違いがないけど、わたくしはもう・・・。本当に申し訳ないと思うわ」
「そ、そんな・・・」
スタンリーは呆然としてその後の話はよく覚えていなかった。気がつくと、自宅に帰り着いていた。
出迎えた長姉の顔を見た途端に、涙が溢れだす。子供のようにしゃくりあげながら、途切れ途切れに語る弟の背中をセリーナは無言で撫でてくれた。
いつもお読みいただきありがとうございます。
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