黎明に誕生を
世界の病はいつだって不平等に世界を蝕む
吐き出された吐瀉物をぼんやり眺め霞む視界の中で少年は思考をグルグルと回す
奇病は今日も何万人を狂わせ、殺し、壊すのだそのうちの1人でしかない少年に誰が手を差し伸べるだろうか
少年はこの世に蔓延る奇病虫と呼ばれる虫が引き起こす病
奇病の患者であった
思考はもうやめだ、物心ついた時から少年に価値などなかったのだ、いい加減諦める時だ
心音が死の覚悟をと急かしてくる
心臓の音がどんどん早くなっていく
全身から汗が吹き出しその度に、身体中の穴という穴がヤスリで擦られる様に痛む
苦しいーーーーー
そう思ってしまえばそれは止まらなくなる
苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい
死にたい
視界が白み始めたことに安堵した
ーーたい
こんな世界に後悔なんてなかったのだと、胸を張れていいたのだ、この時はまだ
冷たい感触が肌を刺した
強制的に意識を覚醒させられる
白髪が頬を撫で少女の姿が視界に飛び込んでくる、
「!起きた!やった!」
こちらの気も知らずに少女は喜びを口にしたのである
これが少女ナナミとの出会いであった
「…俺生きて」
びしょびしょに濡れた顔を拭いながら起き上がる、どうやら頭から水をかけられ、意識を戻したらしい
途端に全身の力が抜ける、理由はーーー
考える必要も無いだろう
「えぇ生きています!私頑張ったので!」
はつらつと、まるで親の手伝いを完遂した子供のような仕草で少女は言った
「最悪だ」
「そうでしょうそうでしょう!私に御礼がしたくてたまらなく……え?」
「聞こえなかったのかよ?最悪ってんだ」
「はぁ!?なんでですか!」
「……………」
「……………」
お互いが沈黙した、この短い会話の中お互いの価値観は明らかにズレていることに気づくのは容易だ
不理解を理解したのだ
「私はナナミ、苗字はないよ!」
突然馴れ馴れしくそう言われた
「はぁ?」
本気で意味がよく分からなかった
「だから名前!聞かせてください!聞かせて!」
「名前って……孤児にんなもん」
そもそも、他人と関わること自体少ない孤児に、名前など必要だろうか?
「うわぁ……馬鹿だなーそんなの自分でつければいいじゃない」
「はぁ?」
少し考えて見た、しかし途中で考えるのがあほらしくなった
「めんどい、お前が聞いたんだ、お前がつければ良いだろ」
「え〜…?これだから思春期はうーんそうだね……」
少女は目を伏せ、思案する
「面倒だね!」
「何がこれだからだよ!?」
「全く私なりの気づかいじゃない……名前は赤の他人が考えるものじゃないの!自分で考えれば?」
「お前が始めたんだろうが!?」
それからというものナナミは少年について回るようになった
生きるために盗みをすれば説教と共に明日の食料を手に入れる方法に共に頭を悩ませた
ナナミが何か面白いものを見つけると空かさず少年の元に持ち込むようになった
少量ながらナナミは少年に食べ物を寄越すようになった、一緒に食べたチョコのドーナツは嫌いじゃない
ーーある日ーー
ナナミにゴミを漁る日々を眺めて何が楽しいのかと少し責めるような口調でボヤいた
「……そうだね、楽しくはないね!」
「尚更なんでだよ!?」
「…まだ名前聞いてないでしょ?1ヶ月も経ったのに」
「……お前も懲りないよな」
少年は諦めた、その中に別の何かが混じってる気がしたがそれを忘れ去るよう務めた、咳が喉を着く、慌ててそれを無理やり抑え、ナナミに向き直る
ずっと一緒にいたが、そろそろ潮時だろう
少年は体の芯に染み付いた倦怠感と共に、そう思考する
「あれ今名乗ってくれる流れでは?」
「なんでそうなるんだよ……とりあえず今日はもう着いて来んなよ」
「ちょ、なんでさ!」
「なんでも」
なんでも、そうなんでもなのだ
そう言って振り返りもせずに歩き出した
「ねぇ!なら言いたいことが」
そこで足を止めた
「私……私は…」
じっと待つ
きっと彼女ならわかってくれる
少年は信頼という言葉で飾ったエゴを無言の圧力で示すだけだ
「名前まだ聞いてない」
きっとナナミの言いたいことはそれではないのだろう、だからこそ
逃げた、逃げたのだ、なんて卑怯な
ーー裏路地ーー
「狡い」
言いたいことを隠してしまったナナミに対して?
何も言わせず逃げ出した自分自身に対して?
或いはもっと別の、因果のようなものに対して?
「一体全体誰の話だろうな」
「ッ!」
まるで心の中を見透かしたようなその一言、それだけで、警戒するのには十分だ
人気のない方へない方へ走って行ったにも関わらずそこに立つ影があった
「誰だよ」
「さぁな」
聞いても軽くあしらわれた
黒い髪とその内側に彩を刺す紅が顔をのぞかせる、つり上がってはいるがそれすら、愛嬌に見せるほどの整った幼い顔と、低い背丈、丸みの残る頬がその人物を年下のように見せる、瞳はまさに琥珀と言うべきだ、少しハスキーな声さえなければ女だと誤認しただろう
「用がないならもう行くぞ」
だが少年にとってその宝石すら足を止める理由にならなかった
「まぁ待てよ坊主、息が上がってるぜ?汗も酷い」
「何が言いたい」
元々目つきの悪い瞳をキッと男に吊り上げ睨む、男はそれを無視して手の平で口元を隠し、マイペースに続ける
「飼い猫や飼い犬は死期が近づけば飼い主の前から姿を消すらしいな、最も野良がどうかは知らねぇが、お前は知ってるか?」
訳の分からない話だ、この場面で話す必要性があるとは少年には思えなかった
仮に必要な話だったとしても、今の少年に聞いている余裕は無かった
「なんの話しッ」
息が絶え絶えになってくる、まずい、まずいくる
「お前は野良に見えるが…もしかしてあの小娘が飼い主がわりってことか?それならあれから逃げるのも分からなくないが」
「お前ッ……どこまで知って…おぇッウグッ」
男を問い詰めようと声を張り上げると口の端から今まで我慢してきた全てが飛び出しそうになる
「…当たりか、ならまぁクソガキこれ飲め」
そういうと男は錠剤を見せた
「な…これ……飲めるわけ……」
限界が近づいていても、理性を手放すことはしてはいけない、少年もそれをキチンと理解している
「チッ…めんどくせぇ飲め、ここはまだ人が来る可能性がある、わざわざ被害拡大させねぇために走った努力が水の泡なんてごめんだろ?」
そうして顔に錠剤が押し付けられる
簡単にこちらの考えを見透かし、さも当然の様に決めつける男に、少年は変わらず口を固く閉じる
「はぁーもしこれが毒だとしても、これ飲んで死ぬのも、そのまま奇病で腹食い破られるのと死に方が少し変わるだけだ、四の五の言わずに飲め」
動かない、不信感が体を動かさない
んな事言ってねぇでお前がとっとと逃げろ
動かそうとしても一切動かない口を腹をたてる
どちらにせよ、俺が死ねば腹を奇病虫が食い破って付近の人間の大量虐殺が始まる
そうすれば一番に殺されるのはおそらくこの男だろう
その次はあの気まぐれな少女が
「……お前はもう生きたくないのかよ」
「は?」
掠れた声が音を出した
的外れで無遠慮でトンチキなセリフを脳が咀嚼する、まるで自分のことを勘定に入れていない少年の思考を全て読まれたようなセリフ、違う、どうでもいい、勘定に入れる必要がないから入れなかったんだ、俺が死ぬ、その結果は変わらない
あるのは死んだ後どれだけの人が少女がナナミが死ぬか死なないか、それだけの違いた
男は変わらず無神経に選択を迫る
分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない
どうか生きてくれ
その一言は誰から発された?
音は伴っていたか?
視界が白み始めたことに少年はーーーー
ーーたい
「生きたい」
「そうか、そりゃいい」
硬い感触が喉をするりと通った
胃がひっくり返されたかのような衝撃
何かが這い出てくる
腹の底で蠢く
男は少年の喉に指を入れ、ソレを吐き出させる
「少し横になっとけ、クソガキ」
瞳はまだ薄く開く
吐き出したヘドロがまるで意志を持っているかのように形を成した
あぁ…これは
奇病だ
巨大な芋虫、人間より遥かに大きく隣の建物を簡単に押しつぶす
「逃ッ…げ、ろ!」
掠れた声で、精一杯叫んだ
男には届いただろうか?
一切その場を動かず建物を破壊する芋虫を見据えている
「逃げる……逃げるか……ハハッ、いいな面白い、この後お前はどんな顔してくれるのか俄然興味が湧いた」
そういうと男は地を蹴り跳躍し芋虫を宙返りで飛び越えた
「糸……?」
月の光に反射し何かが金色に輝く
まるで蛍の光のようにも見える糸だ
男は糸を使い高く跳躍したり芋虫の尾を避ける
また一歩、空を自在に飛び回り糸で芋虫の体を切りつける
だがこのままでは明らかにジリ貧だ
明確なダメージが何もなく、芋虫の攻撃は微睡みから体を慣らすように、どんどん過激になっていく
芋虫のせに乗り頭に括り付けた紐を使い芋虫の頭へ、胴体にそって一直線に飛んだ
その過程で建物のガラスの破片を使い芋虫の体に傷がつけられていく
だが突然糸を切られ、男は少年の後ろに大きく投げ飛ばされた
そのまま瓦礫の中で男はぴくりとも動かなくなってしまった
「おいっ…!大丈夫……なわけねぇよな」
痛む体に鞭を叩き起き上がろうとするが体が言うことを聞かない
這って男に駆け寄ろうとするが芋虫はそれを許すはずがないと振り返るしかし
芋虫もまたピクリとも動かないのだ
「なんだよ、知らない男に随分な心配するんだな」
目の前から声がした
先程まで伸びていたはずの男が、何事も無かったかのように目の前に居た
金糸を指に絡め、不遜な様相で男は少年に意地悪い笑みを浮かべる
「さて、自己紹介と行こうか少年」
金糸が強く引っ張られ芋虫の体に紫色の線が出始める
「俺は灯籠 ミズキ世界一腕のいいお医者様だ」
芋虫が爆ぜ霧散する
口元に飛び散った返り血を親指で拭うと、汚い紫のソレが、紅に見えるほど蠱惑的な動作に見えた
「なんで俺を助けた」
口を着いたのは単純な疑問であった、もはやそこに一切の呵責はなかった
「何故?誰に言ってんだクソガキ」
疑問を男は笑い飛ばす
「無論俺がそうゆう男だからだ、覚悟しろよ、俺の視界に入ってきたんだ、お前が生きたくても、死にたくても、逃げたくても、逃げたくなくても、善人でも、悪人でも、人を殺しても、人を生かしても、俺はお前が人間である限り、視界に映る限り、手が届く限り、無条件で生かし続ける、助けてやるんだ、感謝してもし足りないだろ?」
理解した男は傲慢なのだ
当然のように救う、守る、治す
男は鼻で笑い飛ばす、それだけの理由で平気で危険を犯す、まるで自分なら何事もないと確信するように、
男は当然のように感謝を求める、相手がどんな心境にあろうとも、彼は彼の救いを押し付け続けるだろう
何たる傲慢だろうか
だが不思議とそれが不愉快ではなかった
それがこの男
灯籠 ミズキの美徳であり悪徳なのだろう
「名前はあるか少年」
金糸が少年の思考を導いた様に、自然と脳裏にその文字が浮かんだ
口は微笑んでいた
少年は呼吸をする
「…ある、でも一番に言わなきゃならない奴がいる」
帰ってきた少女の元へ
「!…良かった帰ってきた」
ナナミは心底安心したように言う
「あぁ、お前に言わなきゃいけないことができたんだ」
「うん、聞きたい、でもまず聞いて」
「?…あぁ?」
少年の背後で、息を呑む音が聞こえた
それを振り返る間もなく、少女は言葉を紡いだ
「私は名前も知らない君を愛しています、愛していました」
なんと言っただろう
彼女の音は言葉として処理されるのにあまりに時間がかかりすぎた
少年にとっても、少女にとっても
手遅れだったのだ
午前四時
日は照らす
まだ薄い光が
少女のナナミの
無様に腐り落ちたその姿を
最後のセリフに全ての力を使ったように、言い切るだけ言い切れば、そのまま事切れた
腕の中で少女が腐る、
何故?俺はお前に何も与えられなかっただろ
何故?俺はお前に与えられるだけだった
何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故なぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜ
何故だ?彼女は奇病だったのか?また少女が零れる、知らない、分からない、少女の腕が取れる、誰も息をしていない、言いたいことが沢山あった、少女の肌が爛れる
お前だけ言って…逝くのは、ずるいでは無いか
なぁ起きろよ
そう口に出したかった
無理解を無理解と叫びたかった
喉元過ぎればなんとやら、もう既に忘れかけていた、痛みが心臓を襲うのだ
助けてくれよ
そこにいるいる、だが口を開かない
少年は少女を抱え直す
「なぁ……今更は卑怯だと思うか」
ミズキに向かって独り言のように吐き捨てる
なんてさもしい根性だろうか
ミズキは握り締めていた拳を、力無く開き
長いようで短い沈黙を続けていた
目を閉じ大きく息を吸い込んだあと
目を開いた
「……そうだな今更だ…誰にも届くことはない」
「そう……だよな俺はどうすれば…」
「知らん自分で考えろ」
酷く軽蔑した突き放された、自分を救った男にまだすがりつこうとする己の浅はかさに
「謝罪も後悔も懺悔も……それら全ては自慰行為でしかない、それは口にしても口にしなくても変わらない、人は言い訳を止められない、ならせめて、後悔しない方を選べ」
言い聞かせる様にミズキは言った
なんて人だろう、あまりにも残酷だろう、そんなことを言われては
「きっと俺は逃げられない」
喉が震える
視界が歪む、あまりに恐ろしい怪物が瞳からこぼれ落ちた雫に反射しているのが見えてしまう
「俺の名前は……蛍糸だケイト……」
美しい金糸の名を名乗った、救うために奪うあの美しい金糸が今も心を離さない
「俺の名前は蛍糸なんだ…ナナミ…なぁナナミ」
少女の名前も今ここで初めて呼んだのだ
気付いてしまった、気づいていた
少女が何かを隠していることも
自分が少女にしっかり向き合おうとしていなかったことも
不義理な男のみっともない産声が響き渡る
名前は生まれた時に初めて貰う贈り物だと言う話をどこかで聞いた
時は簡単にすぎる黎明の空が白くなりきった頃
「お誕生日おめでとうケイト」
誰の声だろう、誰でもいいだろう、少年は
ケイトは黎明に誕生したのだ
閲覧ありがとうございました!
初投稿なので、誤字脱字がないよう祈りながら投稿させていただきました
今後もダラダラと投稿していこうと思うので、気が向いたら応援お願いします!