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記憶を失くした少女は、それでも生きていく。  作者: あまね


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白い霧の先

私はるんるんした気持ちで、楽団のチケット販売所に向かった。

中央街の喧騒が背中に残り、胸の中は楽しみでいっぱいだった。

その次の、一瞬間。

私の目の前に、真っ白な霧が広がった。

――あれ?

今日は天気が悪いのかな?

中央街では、朝霧が出ることもある。

そう思って、私は深く考えず、なんとかこの霧を抜け出そうと歩き続けた。

目の前には、あるはずのチケット販売所へ。

すぐそこにあるはずだった。

――しかし。

いくら歩いても、販売所に辿り着かない。

足音だけが、霧の中にやけに大きく響く。

おかしい。

こんなに歩く距離じゃない。

胸の奥が、じわりと冷たくなった。

怖くなって、カイテルさんのところに戻ろうと、後ろを振り向く。

すると、目の前にぼろぼろの馬車があった。


……えっ。

なぜここに馬車が?


しかも、中央街で見るような、手入れの行き届いた馬車じゃない。

木は割れ、金具は錆び、布は擦り切れている。

場違いなくらい、汚れていた。

その馬車から、二人の男が降りてきた。

何か言おうとした瞬間、

「きゃあ!」

と叫ぶ前に、口に布のようなものを当てられた。

鼻に、強いにおいが広がる。

(なに……これ……)

息ができない。

頭がぐらりと揺れて、次の瞬間、すべてが――真っ暗になった。



***

気付けば、私はどこかの部屋の真ん中に横たわっていた。

「……っ」

体が、重い。

意識だけが、遅れて戻ってくる。

何とか起き上がり、見回す。


『パチッ、パチッ』


何度も瞬く。

目が慣れるにつれて、部屋の様子が見えてきた。

壁はひび割れ、床はところどころ欠けている。

湿った空気が肌にまとわりつき、ひんやりとしている。

人が住んでいる気配がない。

(……ここ、どこ……?)

(私、まだ中央街かな?)

でも、中央街の建物はこんなに荒れていない。

静かすぎる。

音が、何も聞こえない。

その静けさが、逆に不穏だった。


――カイテルさんは、どこなの?


胸の奥が、ぎゅっと締め付けられる。

涙が溢れそうになるが、ぐっと引っ込める。

(泣いている場合じゃないわ)

周りを見回す。

扉が、一つだけあった。

そこに向かおうと立ち上がろうとしたが、体が言うことを聞かない。

視線を下げると、足がひもで縛られていた。

手首も、同じように。

――もしかして。

胸が、どくんと大きく跳ねる。

私が……誰かに、誘拐……された?

言葉にすると、急に現実味が増す。

なぜ。

どうして。

――田舎娘の、私が?

頭が真っ白になる。


(どうしよう?)


周囲を必死に見回すが、刃物も、使えそうなものも、何もない。

まあ……そりゃ、そうだよね。

縛っておいて、切るための道具を置くはずがない。

恐怖が一周して、二周して、三周して。

気付けば、頭の中は妙に冴えていた。

いま、私は――ものすごく落ち着いている。

正直怖い。

でも、怖がっているだけじゃ、ここから出られない。

頭をフル回転させ、どうすれば逃げられるかを考える。


――すると。


『チチッ』(だいじょうぶ?)

小さな声が聞こえた。

少しびくっとして、音のした方を見ると、

壁の隙間から、三匹のネズミちゃんが顔を出していた。

そのまま、ちょこちょこと私の方へ走ってくる。

「ここ、どこなの?」

自分でも驚くほど、落ち着いた声が出た。

(ハイガイクイキ、ダヨ)

「はいがい……くいき?」

少し考えて、思い出す。

廃街区域だ。

この前、カイテルさんが話してくれた――

難民や犯罪者、元犯罪者たちが住みつき、

王都の中にありながら、王の手がほとんど届かない無法地帯。


じゃあ、私はまだ王都にいる。

中央街から、遠くない場所。

それだけで、少しだけ希望が湧いた。

なぜここに連れてこられたのか――

……それは、後で考えよう。

今は、とにかく逃げる。

「このひも、解いてくれる?」

(ワカッタ!)

ネズミちゃんたちが、足と手首のひもを一生懸命齧り始める。

「誰が私をここに連れてきたのか、わかる?」

(人。フタリ)

人、二人……?

楽団前で見た、あの馬車。

そこにいた二人の男の顔が、ぼんやりと浮かぶ。

「あの人たちは、いまどこ?」

ネズミちゃんが首を横に振る。

(ワカラナイ)

「どうして私がここにいるの、知ってるの?」

(ハコバレタノ、ミタヨ)

「そう……ありがとう。助かるわ」

ネズミちゃんたちは『チュッチュッ』と鳴き、嬉しそうにしっぽを揺らした。

やがて、ひもが切れる。

足も、手も、自由になった。

よろけながら立ち上がる。

まだ少し、頭がふらつく。

「ここを出たいんだけど、案内してくれる?」

(イイヨ!)

ネズミちゃんたちは、扉の方へ走っていった。


――そのとき。


『キィ……』


古い蝶番が軋む音を立て、扉がゆっくりと開いた。

ネズミちゃんたちは、はっとしたように壁の裏へ逃げ込んだ。

「へぇへぇ、もう目覚めたのか~」

低く、粘つく声。

「うん?なぜ紐が……」

一人の男は顔を顰める。

「おい!おまえ、縛らなかったのか?」

そして、もう一人に向けて聞いた。

「あぁ?縛ったぞ!まあ、これからどうせ要らんだから。別にいいだろう?」

その男がニヤッとしながら答える。

すると、二人ともだらしなく笑いながら歩いてくる。

「確かに〜」

「いいタイミングだな~」

もう一人の男も、口元を歪める。

空気が、一気に濁る。

――本能的に、危険だとわかった。

気持ち悪い。

男が近づき、私は後ずさる。

そして背中が壁に当たり、逃げ場がなくなった。

二人の男が手を伸ばし、私の頬をなでる。

その手は冷たく、ぞっとする。

本当に、気持ち悪い。

吐きそうだ。

「この顔、すげぇそそるなぁ」

「すげぇ可愛がってやるから、安心しろよ」

二人の男が、顔を寄せ合ってニヤニヤする。

……全然、安心できない。

「こんないい女と遊べるなんてな」

「ボス、まだ戻ってこねぇのかな~」

「ボスより先に遊んだら、ヤバいよな」

「やべぇ……俺、興奮してきたわ」

一人の男が、ズボンを下ろしながら話した。

――ヒヤッ。

背筋を、氷でなぞられたみたいだった。

「我慢しろ。ボスはこの女のことを上に報告してる。すぐ戻ってくる」

もう一人の男が、私の頬を撫でながら言う。

吐き気がこみ上げる。

こんな手、触れられたくない。

カイテルさんみたいに、温かくて優しい手じゃない。

もう一人の男が、ズボンを脱ぎかけた男を引っ張り、二人は部屋を出ていった。

扉が閉まる音がして、

ようやく、息ができた。

……ホッとした。

思わず、力が抜け、座り込んでしまった。


……さっきまで、あんなに幸せで、楽しかったのに。


……カイテルさん、助けて。

声には出せないまま、心の中でその名前を何度も呼んだ。


「お、おい!な、なんだこんなネズミは!?」

外から男の騒ぐ声が聞こえた。

(ネズミちゃん……?)

何かが倒れる音、怒鳴り声や慌てた足音。

胸がドキドキして、私はその一つ一つに耳を澄ませる。

やがて、嘘みたいに静かになった。

私は一度、深く息を吸い、ゆっくり吐いた。

――大丈夫。

今なら、いける。

勇気を振り絞って、立ち上がり、静かに扉へ向かう。

そっと扉に近づく。

静かに扉を開け、わずかに顔を出して覗くと、男が床に転がり、情けない声を上げて喚いていた。

その周囲を――

十数匹のネズミちゃんたちが、男の周りをぐるぐると走り回っている。

――ふぅぅ。

ネズミちゃんは、仲間を連れてきて、私を助けてくれたんだ。

「みんな、ありがとう」

声が思った以上に声が震えていた。

(ダイジョウブダヨ!)

小さな鳴き声が、元気よく返ってくる。


私は男の腰に下げられていた剣を外し、そのまま――

男の顔面を、思いきり蹴り上げた。

「私を、可愛がるんだって?」

私は力の限り、男の股間を蹴りつけた。

「私を、遊ぶんだって?」

二人の男が完全に気絶するまで、私は何度も、容赦なく蹴り続けた。


(……ジョアンナお嬢様の、このきれいなドレスだと、あまり蹴りの威力が出せないわね)


そんな場違いなことを考えながら、私は小さく息を整えた。

この部屋は、居間か、それとも台所だったのだろう。

家具は雑に置かれ、生活感はあるのに、人の気配がどこか歪んでいる。

そして、扉はもう一つあった。

――早く、ここを出ないと。

カイテルさんのところに戻らなくちゃ。

私が、どれくらいここに閉じ込められていたのかは分からない。

でも、カイテルさんなら……絶対に、私のことを心配している。

だから、無事だって、安心させてあげないと。


『ガチャ』


外から、かすかに扉の音が聞こえた。

――ヒヤッ。

続いて、ゆっくりとした足音が、階段を上ってくる。

(……ここ、二階なんだ)

私は音を立てないように扉へ近づき、息を殺す。

両手で大きく剣を持ち上げた。

『キィ……』

居間の扉が、わずかに開く。

その瞬間、私は思いきり、剣の持ち手の部分を振り下ろした。

「あぁっ!」

倒れたのは、男だった。

さっきの男が言っていた――ボス、だろうか。

念のため、もう一度、顔面を蹴りつける。

男はそのまま、完全に気絶した。


眼鏡をかけていて、高そうな服を着ている。

首にも高そうな首飾りをつけ、指にも高そうな指輪をはめていた。

どれも、この廃街区域では場違いなほど、上質そうだ。

なぜ、こんなお金持ちが、廃街区域にいるの?

(……おかしい)

理由がわからないからか、余計に恐怖を感じた。

私は、男から一歩距離を取った。

近づくほど、胸の奥がむずむずと、不快にざわつく。

……何だろう、この嫌な感じ。

(……コノニオイ、キライ)

ネズミちゃんたちが、鼻先をひくりと動かし、嫌そうに鳴いた。

この男から、ほんのり甘い匂いがした。

甘くて、重くて、喉の奥にまとわりつく匂い。

(この人……ここで「遊んでる」んじゃない)

私はそう気づいて、背筋に冷たいものが走った。

この男は、廃街区域に"迷い込んだ"お金持ちじゃない。


――ここを、利用している側だ。


ネズミちゃんの様子を見ると、どこかで見たことのある光景だと、ふと思った。

鼻先をひくつかせ、毛を逆立てるその仕草。

――数ヶ月前、カレル森で起きた出来事が、鮮明に蘇った。

(動物が、近づかない場所には……理由がある)

("匂いが嫌い"ってことは……まさか)

「この匂いって、どんな匂いなの?」

私は、何となくネズミちゃんに聞いてみた。

(アマクて、クサイ)

その答えに、背筋がぞくりとする。

(……麻薬……かも)

すぐにカイテルさんのところへ戻るべきか。

それとも、この匂いの出所を確かめるべきか。

「……その匂いのところ、連れて行ってくれる?」

(ウーン……)

私のお願いに、ネズミちゃんは明らかに迷っていた。

やっぱり、相当嫌な場所なのだろう。

(本当に……麻薬、かもしれない)

「お願い。連れて行って」

(……ワカッタ)

ネズミちゃんたちの感情を読み取り、私は胸がちくりと痛んだ。



(無理をさせて、ごめんね)


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