無自覚な善
……腹が立つ。
いや、正確に言えば、計算が狂ったことに対する不快感だ。
だが――
目の前に立つ"代表"の口から、直接その言葉を聞いた瞬間、
その不快感は、わずかに甘さを帯びた。
――誘拐が成功した、と。
……ふふ。
ようやく、手の届く場所に来た。
ただそれだけの事実が、胸の奥を静かに満たす。
あとは簡単だ。
未来を折り、希望を削ぎ、幸福を細かく砕き、あの無垢な在り方を、形が残らないほど歪めるだけ。
計画を壊した存在には、それ相応の"後始末"が必要だ。
――実行役は、長く欲を溜め込んだ連中。
……ふふ。
人間というのは、扱いやすい。
感情と欲望を煽れば、自分が何を壊しているのかすら考えなくなる。
笑みが、自然と浮かんだ。
……
七人は、本来、壊れる予定だった。
違法入国者。
名もなく、記録もなく、脅かせば従い、逃げ道を塞げば縋る。
麻薬を作らせ、麻薬に溺れさせ、自分で自分を裏切る存在にする。
それを、何度も、何度も繰り返してきた。
使い潰したら、森に捨てる。
あるいは廃街区域に捨てる。
そして、次の獲物を手に入れる。
その積み重ねが、この国を内側から腐らせていく。
完璧だった。
依存は、恐怖よりも確実だ。
逃げたいと思っても、身体が拒否する。
この方法で、人間を。
この国を。
ゆっくりと壊していくはずだった。
それなのに――
……"治した"?
その話を聞いたとき、
一瞬、意味が理解できなかった。
治る?
依存が?
耳を塞ぎたくなった。
だが、事実だった。
七人は、治っていた。
しかも、それは救済でも、慈善でも、革命でもない。
ただ、頼まれたから、やっただけ。
本人に、深い意図はない。
使命感も、怒りも、正義もない。
(それが、一番、質が悪い)
目的のない人間は、脅せない。交渉できない。読み切れない。
あの存在は、「助けたいから」動いたのではない。
「お願いされたから」
「できることだったから」
それだけ。
その結果、七人は依存から抜け、証言できる状態になり、こちらを"恨む理由"を手に入れた。
それだけではない。
これから先、同じように"触れるだけで壊す"存在が増えていく。
この国の闇を、少しずつ、剥がしていく。
(……理不尽だ)
こちらは、計算していた。
土地を選び、人を選び、弱みを把握し、支配した。
何年もかけて、この歪みを、この形に育ててきた。
それを――
無意識に踏み潰された。
「リーマ……」
名前を思い浮かべるだけで、思考にノイズが走る。
敵意がない。
計画を壊した自覚もない。
だから、謝らない。
怖がらない。
(悪意がない人間ほど、制御できない)
救った自覚がないから、奪った自覚もない。
それなのに。
(こちらだけが、損をしている)
七人は、もう使えない。
依存を失った者は、恐怖に縛れない。
しかも、自分を縛っていた存在を"恨む理由"まで与えられている。
……余計なことを。
胸の奥に、冷たい苛立ちが溜まっていく。
あの存在は、敵ではない。
だが――
放置できる存在でもない。
「……無自覚な人間ほど」
厄介で、
そして――
壊しがいがある。
静かに、目を伏せる。
(何も知らないまま、すべてを失う顔……)
想像するだけで、内側が、じわりと満たされていく。
組織は、作り直せる。
麻薬工場も、人員も、また揃えればいい。
だが――
人間は、違う。
一度壊せば、二度と元には戻らない。
……ふふ。
その光景を思い描くことで、ようやく、思考は静まっていった。




