試験を舐めている令嬢
今年の保健省医療部採用試験では、セシルが試験官を任された。
これまでは採用試験の運営を手伝うだけだったが、今年は試験官を担当することになった。
任された理由は簡単だ。
人員が足りないのである。
バンデの流行病と麻薬治療の計画が重なり、多くの人員はそちらに派遣されていた。
だから、保健省の平職員であるセシルにも、採用試験の担当が回ってきた。
麻薬依存者の治療――
それは前代未聞の治療方法だった。
麻薬の副作用は誰もが知っている。
一度依存してしまえば、やめることができない。
それでも人が麻薬に手を出す理由は、三つあるとセシルは考えている。
貧困、好奇心、無知だ。
貧困者は、辛い現実を忘れるために麻薬にすがる。
小さな袋が十セル程度――
ご飯一食分の値段で手に入る安さも、その理由の一つだ。
好奇心で手を出すのは、たいてい愚かな貴族だ。
「自分は大丈夫だ」と妙な自信を持っている連中で、同情する気にもならない。
自業自得でバカバカしい。
無知な者は、それを薬や菓子と勘違いして口にする。
見た目は美しく、香りもよく、麻薬とは思えないものも多い。
気づいたときには、もう抜け出せない。
そういう人間が、一番気の毒だとセシルは思っている。
そんなやめることのできない麻薬にも、ついに治療法が見つかったのである。
一介の職員であるセシルは、なぜその治療法が見つかったのか、詳細はまったく聞かされていない。
しかし、治療法そのものは本当に存在するらしい。
その証拠に、最近はショーン大臣をはじめとする複数の大臣が、何度も会議を開いていると聞く。
また別の噂では、その依存症の治療を開発したのは若い女の子だという話もときどき耳にした。
その可能性は低いと思う。
保健省の薬開発部のベテランでさえ、依存症の治療があると知らないことだから、どこかの若い女の子に、その薬を開発できるはずがない。
そんな前代未聞の計画により、保健省の職員の大部分は、
その麻薬依存症の治療施設の開設や国民への告知、
麻薬依存者の受け入れ、
予算の算出、
費用記録など、さまざまな業務に回っているのだ。
というわけで、今日の保健省の医療部の採用試験の試験官の担当はセシルに回ってきたのである。
試験が始まり、受験者が黙々と解答を書き込んでいた。
セシルはその光景を見て、十数年前の自分が保健省の採用試験を受けたときのことを思い出した。
(懐かしいわね)
この受験者の中の何人かはセシルの仕事の仲間になるだろう。
試験が始まって一時間経った頃、最後方の席に座っている貴族の令嬢が周りをコロコロ見始めた。
(……あれ?不正かしら?)
と思った。
――が。
その令嬢は両手で頬杖をつきながら、周りを見回すだけで、特に何かを書き込もうとしなかった。
(不正じゃない?……なるほど。できなくて諦めたんだわ。可哀想に)
医療部の採用試験は、毎年百人以上の受験者がいるが、合格者はわずか十数人しかいないほど難しい。
あんな苦労したこともなさそうな令嬢に、解けるわけがない。
セシルはほくそ笑んだ。
見回りを終えたセシルは、
自分が持ってきた植物の解説書を開いた。
しばらく経ち、セシルはまた試験会場を見回した。
受験者がみんなまだ真剣な顔で頭を抱え、何とか問題の解答を書き込んでいた。
これは当然の光景だった。
しかし最後方の席を見回すと、当の令嬢はまだつまらなそうに頬杖をついていた。
しかも今度は欠伸をし、うとうともしているように見える。
(は?試験を舐めてるのかしら?できなくても、せめて頑張っているようなパフォーマンスをしなさいよ)
セシルは心の中で舌打ちをし、じっとその令嬢を睨む。
その令嬢は座り直して、また頬杖をつきコロコロ周りを見回す。
そしてセシルと目が合った。
だが、その令嬢は試験官のセシルがいないかのようにまた欠伸をした。
まったくこの令嬢はっ!
「問題が難しくても頑張ってみてくださいね。今ここで諦めたら次の試験は来年ですから。もう少し頑張ってくださいよ。自分の可能性を信じてください」
セシルは我慢できなくなり、その令嬢に注意した。
しかし、その令嬢は頬杖をついたまま周りを見回し、首を傾げただけ。
(あなたに言っているのよ!)
セシルは心の中で突っ込んだ。
その令嬢はまた欠伸をして、ついに机に伏せた。
(……はっ?今試験中なんだけど?)
セシルは最後方の席にいる令嬢のところに行き、肩を叩いて令嬢を起こした。
その令嬢は起きて目を擦り、セシルに振り向いた。
近くでその令嬢を見ると、セシルは思わず息を呑んだ。
……この令嬢はとても美しいわ。
寝起きの顔でも、見惚れてしまうほど美しい。
どこの貴族の令嬢かしら。
「問題が難しすぎますか?もう少し試験に集中して頑張ってくださいよ。ここは貴族のご令嬢の遊び場じゃないですよ。周りを見てください。みんな真剣に試験に向き合っていますよ」
この令嬢は何も言わず、首を傾げてセシルを眺めただけ……。
こんな受験者、初めて見たわ。
「聞いていますか?もうやる気がないなら、この部屋を出て行ってください」
セシルはまたイラっとした。
そのつもりで言ったわけじゃなかった。
ただ反省させようとしただけだった。
――だが。
その令嬢はぱっと表情を明るくして、早口で意味の分からないことをまくしたて始めた。
「えっ!?まだ終了時間じゃないですけど、もう試験会場を出ても大丈夫なんですか!?
もっともっと早く教えてほしかったんです。
まあ、教えてくれないよりマシですから大丈夫です。
怒っていませんからね。心配しないでくださいね。
では、こちらをお返しします。また午後の部、よろしくお願いします」
(えっ?心配?怒っていない?)
(あなたじゃなくて、私が心配しないといけないの?)
(……私は怒られる側なの?)
セシルは意味が分からないまま、令嬢から問題用紙と解答用紙を受け取った。
令嬢は見惚れるほどの笑みを浮かべた。
軽く一礼すると、スキップするような足取りで試験会場を出ていった。
セシルはその場でしばらくぼーっと立ちすくんだ。
我に返ると試験官の席に戻り、手に持った令嬢の解答用紙をパラパラと開いて、解答に目を通してみると、
(えっ?)
目を疑った。
その令嬢は全問解答していた。
セシルは問題用紙と令嬢の解答用紙を読んだ。
セシルには分からない問題も多い。
だが、知っている範囲だけでも――
ほとんど正解だった。
セシルは表紙の名前欄を見た。
(リーマ・クーリッジ?)
聞いたことのない名前だった。
医療部の受験者名簿にも、特に印象は残っていない。
貴族だろうか。
もしかして、田舎の貧乏貴族かもしれない。
……いや、あの令嬢のドレスも鞄も靴も、どう見ても高価なものばかりだ。
リーマ・クーリッジ――
まあ、今はいい。
あの令嬢がこの試験に合格したら、その時にあの令嬢の名前を覚えてあげる。
セシルはため息をついて、さっきの変な令嬢の解答用紙を机に置いた。
「あ、あのう!大変です!」
試験の後、セシルが昼ごはんを食べているときだった。
数人の受験者が職員室まで走ってきた。
ここは部外者が出入りする場所ではないと、注意しようとした。
――が。
「せ、正門で男女が喧嘩しているんです!早く来てもらえますか!?」
受験者同士だ、とすぐ察した。
職員が正門で揉めるはずがない。
セシルが正門まで走っていくと、その令嬢が男性の貴族を蹴りつけようとしたところだった。
どうやら、男性の貴族はその令嬢への誘いを断られ、逆ギレしたらしい。
あの美しい令嬢なら、食事の誘いくらいされても不思議はない。
だが、逆ギレというのはどうかと思う。
もっと詳細を聞きたかったが、午後の試験が始まってしまうため、事件の聞き取りは一旦休止した。
その令嬢は、どこか余裕のある様子だった。
試験を諦めた者の顔にも見えるし、自信のある者の顔にも見えた。
セシルには判断がつかなかった。
午後の部の試験が開始して、数十分経ったころ、その令嬢は完成した薬を提出し、軽やかに試験会場を出ていった。
その令嬢の解答を見ると、おそらく満点だった。
(私、人を外見で判断してしまったわ)
少し恥ずかしくなった。
リーマ・クーリッジ、か。
その令嬢は、私の同僚になるのだろう。
調薬試験が終わると、セシルは男性貴族を連れて職員室へ向かった。
少し待ったが、その令嬢はなかなか姿を見せなかった。
「あの女、絶対逃げたんです!俺に暴力を振るったからですよ!」
男性の貴族が口を荒げた。
(違うと思うけどな)
だが、本人が来なければ話にならない。
その場合、非はその令嬢の側にあると判断されるだろう。
しばらく待つと、その令嬢と、ショーン大臣の側近であるラシェル殿が一緒に現れた。
ラシェル殿は、どこかその令嬢に遠慮しているようにも見えた。
(なぜこんな小娘を?)
セシルには理解できなかった。
聞き取りを開始して数分経った頃、男性貴族はその令嬢に完膚なきまで叩き潰された。
――自業自得だ。




