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記憶を失くした少女は、それでも生きていく。  作者: あまね


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黒蝶花という希望

次に、私は実験に参加する職員についても尋ねてみた。

今回集まる麻薬依存者は十二人。

二人一組で治療を進めるため、全部で六組になる。

職員については、早出、日勤、夜勤がいて、合計で十二人。

……ぎりぎりだけど、これ以上増やす余裕はないという。

「正直……人員が足りなくてな。バンデの流行病もあるから、バンデに人員を派遣してな」

ショーン大臣は、重たそうにため息をついた。

……バンデでの流行病か。

お父様やカイテルさんから、ちらりと聞いたことがある。

この二か月で、三千人もの人が亡くなったらしい。

しかも、まだ患者の数は減っていないという。


水の魔法使い、風の魔法使い、浄化系の魔法使い――

患者の体温を保ち、あるいは抑制するための、火の魔法使い、温度調整系の魔法使い――

呼吸困難や不安を和らげるため、精神系の魔法使いも欠かせない――

さらに、各街の医師、看護師、薬師――

考え得る限りの人材が、すでに送り込まれているという。

(いつか……)

いつか、風の魔法使いのカイテルさんも、行かなくちゃいけないかもしれない……。

そう考えると、胸がぎゅっと苦しくなる。

あんな危険な場所に、カイテルさんを行かせたくない……。

できるなら――行かせたくない。

私に、何か役に立てることはないだろうか……?

肺炎は、バイ菌による病。

バイ菌……。

病原体……。


(……あっ!)


頭の中で、点と点がつながった。

おじいちゃんの昔の冒険譚だ!

あの話が――あるじゃない!?

(なんで今まで、思い出さなかったのよ……!)

「あの……」

声をかけると、ショーン大臣が顔を上げた。

「うん?どうしたんだ?」

(もしかしたら……万に一つでも、役に立つかもしれない)

少しためらったあと、ショーン大臣に話すことにした。

「肺炎は、バイ菌による病気ですよね?」

そもそも、ショーン大臣が田舎娘の突拍子もない提案を、どこまで聞いてくれるのか……。

「そうだが?」

「えっと……ナイルウィズ国に、ナレム樹海があります」

「……ああ、確かにあるな」

ショーン大臣は、まだ話の意図が掴めていないようで、首を傾げている。

「あの樹海には、『黒蝶花』という花があるんです」

「こく、ちょうか……?何だ、その花は?」

眉間にしわを寄せる大臣の横で、ラシェルさんも首をかしげた。

「……聞いたことがありませんね」

「『黒蝶花』は、とても珍しい花で、ナレム樹海にしか群生していないんです」

二人は、小さく頷いた。

「夜になると、花びらが漆黒に変わって、夜の森と溶け合うような姿になるそうです」

おじいちゃんから聞いた話を、必死に思い出しながら言葉を選ぶ。

「形は、蝶が羽を広げたみたいで……風に揺れると、本当に蝶が飛んでいるように見えるんです」

かっこよくて、可愛くて。

自由に空を飛ぶ、真っ黒な蝶々を連想してしまう。

一度は、見てみたいと思ったことも、何度もあった。

「しっこくの、ちょうの、はね……」

ショーン大臣は、私の話を飲み込もうとしているかのように、何度も呟き、ゆっくり頷く。

「それで……その花が、どうした?なぜ急に?」

「その花は、ナレム樹海の奥の……」

――何て名前だったっけ?

か、うの滝?

き、うの滝?

く、うの滝?

……あっ、思い出した!

「……奥の、何だ?」

ショーン大臣は促した。

「奥の『霧羽の滝』です。『霧羽の滝』の近くには、黒蝶花がたくさん群生しています」

滝の名前を思い出せて、ほっとする私。

「その花には、病原菌を浄化したり、鎮静させたりする効果があるんです」

――おじいちゃんは、ずっと昔にナレム樹海で植物の調査と採取をしていた。

一年ものあいだ、樹海で暮らしていたという。

ほとんど役に立たない一枚の地図を頼りに、奥へ奥へと進み、『霧羽の滝』を見つけた。

そこには、蝶の形をした白い花が、静かに咲いていた。

滝の水音に包まれた場所は、空気が澄んでいて、どこか神秘的だったという。

肺の奥まで息を届けると、体の中がすっと洗われるようで――

おじいちゃんは、そこで一晩泊まることにした。

けれど、太陽の光が失われ、森が闇に沈むと、蝶の形をした白い花びらは、ゆっくりと黒へと染まっていった。

そんな神秘的な光景をぼんやりと眺めていると、視界の端で、黒くなった花が、ほのかに紫色の光を帯びているのが目に入った。


……ここまで話して、私は一度息をついた。

私の大好きな、おじいちゃんの冒険譚。

この冒険譚を語るのは、久しぶりだった。



そして、おじいちゃんは、紫色に光る幻の花の口承を思い出した。

『ナレムの森に黒紫の蝶が現れし時、その羽の下では、病は力を失う』

……病原菌を浄化する効果のある、黒く紫色の花。

当時、妻も、娘の「リーマ」も、肺炎の流行病で失っていたおじいちゃんは、この花で、肺炎を治せないかとすぐ考え始めた。

――あの時、何もできなかった自分のために。

『霧羽の滝』のそばで、何百通りもの調薬を試した。

半年もの時間をかけて、ようやく方法を見つけた。

樹海の奥で見つけた『病祓薬びょうばらいやく』――もちろん、人間にはまだ使っていない。

けれど、生き物に使えないわけではなかった。

最初は植物。

緑疫で腐った植物に病祓薬をかけ、回復させることができた。

次に、樹海に棲む動物たち。

緑疫で倒れていた個体も、悪影響は見られず、むしろ元気を取り戻したという。

黒蝶花の実験を終えたおじいちゃんは、すぐナレム樹海の出口を目指し、ナイルウィズ国の図書館に通い詰めた。

そこで初めて、この花が黒蝶花と呼ばれ、ナレム樹海にしか生息しない珍花だと知った。

ほとんど物語上の黒蝶花。

あの『霧羽の滝』もまた、千年も前から存在すると言われる、幻の滝だ。

その名の通り、滝は常に霧に包まれており、樹海の最奥にあるという。

深い霧と樹海に阻まれ、いつしか霧羽の滝は、半ば伝説と化した存在となっていた。

——それでもおじいちゃんは、確かにその滝を見たのだという。

おじいちゃんは、いつも懐かしそうに語っていた。

「そうなのか……」

ショーン大臣が、低く呟く。

「えっと……実際に肺炎の患者さんには使ったことがありません。でも、生き物には使っています。病原菌で弱った動物にも、緑疫で枯れた植物にも」

私は必死に説明した。

ショーン大臣は、腕を組み、真剣な顔で考え込んだ。

「私が言いたいのは……黒蝶花は、バンデの肺炎にも使えるんじゃないか、ということです」

しばしの沈黙。

「しかし、その調薬方法は……」

「調薬方法なら、私にできます。別の花で同じ工程を何度も試しています。おじいちゃんからも合格をもらっています」

「そうか……なら、問題は黒蝶花だな……」

ショーン大臣はしばらく考え込み、やがて口を開いた。

「……考えさせてくれ、リーマちゃん」

慎重な声だった。

「人間に使った前例がない。王にも、他の大臣にも話す必要がある」

「……はい」

「しかも他国に生息する花だ。許可が下りても、ナイルウィズ国への正式な打診が必要になる」

……だよね。

そんな簡単な話じゃないよね……。

「それでも、私は王を説得してみる。せめて実験だけでもできれば……将来、また肺炎が流行る可能性もあるからな」

「……はい」


もし、おじいちゃんの黒蝶花の研究が、肺炎を治すことができたら――

おじいちゃんも――

奥さんも、娘さんも。

少しは報われる気がした。


そう思いながら、私は無意識に手をぎゅっと握りしめ、心の中でそっと願った。

(どうか、王が認めてくれますように)


その静かな祈りを振り払うように、部屋の空気がふっと軽くなった。

「――さて」

軽く手を叩き、場の空気を切り替えるように、ショーン大臣が声を張り上げる。

「アーロン殿の強い希望で、実験に参加する職員は全員女性にしてほしいんだってよ。ははははっ!」

ショーン大臣の朗らかな声に、私ははっと現実に引き戻される。

(真剣な話をしているのに、他のことを考えちゃだめ……)

自分の心の動きを抑え、

無理やり思考を、ショーン大臣とラシェルさんの会話へ引き戻す。

「警備騎士も全員女性にする、ともぼやいていたな。ははははっ!」

笑いが止まらないショーン大臣を見て、思わず私も微笑んでしまう。

さっきの沈んだ気持ちがすっと消えていった。

——黒蝶花のことは、ショーン大臣に任せよう。

バンデの流行病について、私はできることをした。

知っていることは、すべて話した。

あとは、王と国の最高幹部を信じるだけだ。


お父様は、『新型ディル薬』の実験を、本気で考えているようだった。

七人の治療を間近で見てきたからこそ、私にも分かる。

男性よりも、女性のほうが、患者にとってはきっと、ずっと優しく、安心できる。

お父様の要望通り、実験に参加する職員も警備騎士も、女性で統一する判断は、正しいのだと思えた。

調薬試験の時間が終わるまで、ショーン大臣とラシェルさんと、実験の話を続けた。

話しているうちに、

この場所が、いつか自分の未来の職場になるかもしれない――

そう思うと、なんだか心が落ち着いた。


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