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記憶を失くした少女は、それでも生きていく。  作者: あまね


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二つの朝

……

「散歩に行ってくるね」

あずかは玄関で靴を履きながら、台所にいる母親に声をかけた。

「また、あの林に?あまり深いところまで行かないでね。気を付けて」

母親は手を止めて振り返り、少しだけ眉を寄せた。

「いつも行くとこだから、大丈夫だよ〜」

靴のかかとを軽く踏み鳴らしながら、あずかは笑う。

「今日はやめた方がいいんじゃない?天気が悪いみたいだし、なんだかすごく……」

母親が一瞬言葉を詰まらせた。

「どうしたの?今までそんなこと言ったことないのに。すぐ戻るから、心配しないで」

「……早く帰ってきてね。待ってるから。行ってらっしゃい」

「行ってきます〜」

扉を開けると、ひんやりした朝の空気が流れ込んできた。

あずかは軽く手を振り、そのまま外へ出ていった。

扉が閉まる音がして、玄関は静けさに戻る。

――それが、あずかと母親との、最後の会話だった。

……




空がまだ真っ暗なうちに、私は体内時計どおり目を覚ました。

今日は、待ちに待った試験日。

長い長い勉強生活――それに、お父様のお手伝いの日々も、そろそろ終わりだ。

試験に受かったら、私は社会人になる。

……というか、受からなくても。

この国の最高幹部である十大大臣の何人もの方から、すでに仕事を保証されている。

ふふふっ。

社会人生活、ワクワク!

これからは、自分で稼いだお金でお買い物ができるのだ!

私の数々(?)の功績のおかげで、今日の試験がどんな結果になろうとも、仕事は保証されている!

だから、私は――今日の試験に、まったく緊張していないのだ!


私はるんるんした気分でベッドを降り、軽くストレッチをして、いつもの朝のルーティンをこなした。

屋敷の外に出て、庭をぶらぶら散歩する。


まずは、ちょびっとホワイトウルフちゃんの小屋へ。

中をのぞくと、ホワイトウルフちゃんたちは仲良く寄り添い、気持ちよさそうに眠っていた。

起こさないように、私はそっと足音を殺して通り過ぎる。


そのままの足で、ガイルちゃんの小屋へ。

私が入口に立ったのと同時に、ガイルちゃんが目を半開きした。

眠りを邪魔されて一瞬だけ不満そうな顔をした。けれど、相手が私だと分かると、すぐに表情が和らぐ。

「ガイルちゃん、おはよう。起こしちゃってごめんね」

(ダイジョウブ、ダヨ)

嬉しそうな鳴き声が返ってきた。

今日は試験の日なんだよ、と話すと、

(シケンビ?ソレハナニ?)

と、首をこてんと傾げる。

そうだよね。

ドラゴンちゃんの世界には、試験なんてないよね。


少し話して満足すると、次は庭師のバーナードさんの畑へ向かう。

きれいに整えられた野菜を見ると、村の畑を思い出した。

懐かしいなぁ……。

村を出て、もう三ヶ月も経ったのかと感慨に浸りながら、畑の隣でしゃがんでしばらく眺める。

そのあと、自分の小さな畑へ。

バーナードさんの土いじりを手伝っていいと許可をもらった時、

「植えたいものがあったら、何でも植えていいよ」

と、カイテルさんにそう言ってもらえた。

その言葉に甘え、裏庭の空き地を自分の畑にして、回復薬の材料になる薬草を植えた。

あの七人の看病や、麻薬依存症の治療で忙しい間は、なかなか見に来られなかったけれど――バーナードさんが手入れをしてくれていたおかげで、薬草たちは元気に育っている。

私が育てているのは、六種類の薬草。

これらを合わせると回復薬になり、別々に使えば解熱剤や鎮痛剤、睡眠を助ける薬や疲労回復にもなる。

料理に使えば、味を引き立ててくれる万能な薬草たちだ。

回復薬として使っても問題ないほどに育っているのを見て、私は満足する。

今日、試験が終わったら、久しぶりに回復薬を作って、いつも忙しいお父様とカイテルさんに渡そう。


そう決めてから、自分の花園にも足を運ぶ。

そこに咲いているのは、イブニングローズ。

花園一面が紫に染まり、幻想的な光景が広がっていた。

お母様やバーバラさん、ナディアさんを誘って、ここでお茶をするのもいいかもしれない。

ジョアンナお嬢様や、クロウディア小母様、マーガレット小母様も気に入ってくれそうだ。

私はイブニングローズを五本摘み、丁寧に棘を取り除く。

お花が好きなお母様に、朝食の前に渡そう。



――今日も、平和で穏やかで、清々しい一日になりそうだ。



そう思いながら、イブニングローズの束を抱えて練習場へ向かう。

案の定、そこには汗まみれで剣の練習をしているカイテルさんの姿があった。

カイテルさんは、ほぼ毎日ここで武器の鍛錬をしている。

私もときどき、ここで剣術や護身術、弓の練習を一緒にする。

お兄さんたちがメイソン家に来たときは、無理やり手合せをさせられることもある。

もちろん、勝ったことは一度もない。

相手は国の騎士。

か弱い女の子の私が、勝てるはずもないのだ。

「カイテルさん、おはようございます」

声をかけると、カイテルさんの動きが止まり、こちらを見る。

「リーマ、おはよう。今日も練習するのか?」

汗に濡れたその笑顔は、まるで太陽みたいに眩しい。

胸の奥が、じんわりと満たされる。


……幸せだなぁ。


毎日、この素敵な笑顔を見ていたい。

うんうん。

今日は、確実にいい一日になるのだ。

「今日は休みます。散歩に時間をかけすぎちゃいました。そろそろ朝食の時間ですし、このままだと試験に間に合わなくなっちゃいます」

「そうか。じゃあ今度、また一緒に練習しよう。……そのイブニングローズは?」

「さっき花園を見に行ったら、すごくきれいに咲いていたので。お母様に渡そうと思っているんです」

「きっと喜ぶだろうね。お母様、花が大好きだから」

「はい。喜んでくれたら嬉しいです」

カイテルさんは剣を鞘に納め、「一緒に戻ろうか?」と声をかけてくれた。

私たちは並んで屋敷へ戻り、二階で別れる。

カイテルさんは自室へ支度に、私はそのままお母様の部屋へ向かった。



『コンコン』

ノックして数秒後、お母様の専属メイド、ルイズさんが扉を開ける。

「まあ、お嬢様。おはようございます。奥様にご用ですか?」

「リーマなの?入ってちょうだい」

部屋の中から聞こえたお母様の声に、ルイズさんが一歩下がって道を空けてくれた。

「失礼します。お母様、おはようございます」

「おはよう。朝からどうしたの?……あら、その薔薇は?」

「散歩していたら、イブニングローズがすごくきれいに咲いていたので。お母様に、と思って摘んできたんです。よろしければ、お部屋に飾っていただけますか?香りもほんのりして、気持ちがいいんです」

「まあ、ありがとう。とてもきれいね。じゃあ、ありがたくいただくわ。ベラ、花瓶をお願い」

お母様はそう言いながら薔薇を受け取り、専属メイドのベラさんに声をかけた。

「今日は試験なのね。気楽に頑張っていらっしゃい」

微笑みながら私をソファに座らせ、お母様は片手で私の頬や頭を優しく撫でてくれる。

――まるで、本当のお母ちゃんみたい。

胸の奥が、じんわり温かくなった。

「お母様……お父様とカイテルさんに、がっかりさせないよう頑張ります」

「受かっても、受からなくても、がっかりなんてしないわよ。王都に来てまだ数ヶ月なのに、アーロン様の悩みを何度も解決してくれたでしょう?」

お母様がふんわりと笑みを浮かべた。

「十大大臣の中でも、リーマはとても有名なのよ。今日の試験、本当に気楽でいいの」

そう言って、少し間を置いてから、穏やかに続けた。

「リーマは、もう私たちの家族なんだから」

胸がぎゅっと締めつけられて、じんと熱くなる。

私は本当の娘じゃないのに――それでも家族だって言ってくれる。

視界が滲んで、思わず涙がこぼれた。

「ありがとうございます……っ、ひく……」

「あらあら。朝から泣いちゃう子ね」

くすっと笑いながら、お母様は手拭いで私の涙を拭いてくれた。

その仕草があまりにも優しくて、余計に泣きそうになる。


しばらくして気持ちが落ち着くと、私たちは一緒に食堂へ向かうため部屋を出た。

すると、廊下でカイテルさんが待っていた。

「カイテルさん、待っていてくれたんですか?」

お母様が、くすりと笑って言う。

「少しぐらい離れていても、いいんじゃないかしら?」

「い、いえ、その……さっき下に行ったらリーマがいなくて。お母様と一緒だろうと思っただけで……」

カイテルさんは耳まで赤くしながら話を切り上げる。

「で、では……レディーたち。食堂へ参りましょうか?」

そう言って、私とお母様の手を取り、丁寧にエスコートしてくれた。

――この人たちに囲まれている今が、あまりにもあたたかくて。

私はまた、胸の奥がじんとした。



「リーマ。今日の試験が終わったら、しばらくゆっくりしてもいいぞ。麻薬治療の施設と実験施設は、予定より少し遅れることになった」

食事中、お父様が話しかけてきた。

「そうなんですか?何かあったんですか?」

「建物の修繕が思った以上に手間がかかってな。ただ、大した問題ではない。王城の建築職人が最終チェックをすれば終わりだ。だから、それが済むまでは無理せず休みなさい」

思いがけず「休んでいい」と言われて、胸の力がふっと抜ける。

「はい、わかりました」

「ところで、試験の結果はいつ出るのですか?」

お母様がふと思い出したように尋ねた。

そういえば、私も発表日をちゃんと聞いていなかった。

「確か一週間後だったな。ただ、麻薬治療施設の立ち上げや、バンデの流行病で保健省が人手を取られている。今年は発表が少し遅れるかもしれん」

一週間後か。

まあ、仕事はもう決まってるし、深く考えなくていいよね。



「じゃあ、明日一緒に中央街に行こうか?」

カイテルさんが、ふふっと楽しそうに笑いながら言った。

「リーマの奢り、すごく楽しみにしてるんだよ」

「はい!行きます!私も、カイテルさんにお菓子を奢るの、すごく楽しみです!」

自分で稼いだお金で誰かに何かを買う――それだけのことなのに、胸が誇らしくなる。

「それにさ。他の街にも行ってみない?」

カイテルさんは顔を赤らめ、少し間を置いて、続けた。

「俺、四日間休みを取ってあるんだ。他の街に行って、あそこで観光でもしない?」

「えっ!?い、いいんですか!?」

思わず声が裏返った。

「行きたいです!どこに行くんですか!?」

「マラーヤに別荘があるんだ。そこで、三泊くらいして街を回るのはどう?観光もできるし、のんびりできる」

何かを思いついたように、言い加えた。

「ホワイトウルフの家族も連れていってもいいよ。庭が広いし、近くに森もあるから、喜んでくれると思うんだ」

(ホワイトウルフちゃんたちも行ってもいいですか!?)

「はい!行きます!リオたちは絶対喜びます!」

やったぁ!

場所なんてどこでもいいのだ!

カイテルさんと一緒なら、嬉しいのだ!

しかも、ホワイトウルフちゃんたちまで一緒にいるのだ!

「やるじゃない、カイテル」

「本当に。成長したわね、カイテル」

お父様とお母様が、まるで示し合わせたみたいにニヤニヤしながら言う。

カイテルさんは一瞬、言葉に詰まったように視線を逸らした。

私はというと――なんだか恥ずかしくなって、俯いてしまった。


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