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転落の果て

――翌日。



彼は俺を、廃街区域へと連れて行った。



「おい……ここは廃街区域だぞ?どこへ行くつもりなんだ?」


不安に駆られ、俺は周囲をきょろきょろと見回す。


廃れた建物が並び、あちこちに人が寝込んでいた。


死んでいるのか、生きているのか、見分けられない。


鼻を突く異臭に、吐き気がこみ上げてくる。


だが、奇妙なことに、人の声はまったく届かない


生まれて初めて、足を踏み入れる場所だった。



「あの薬を扱ってる"代表"のところさ」


「なんで、こんなところにいるんだ?ここは廃街区域だぞ?」


彼は、さも当然のように言った。


「あの薬はな。廃街区域じゃなきゃ、ダメなんだよ」


そして、俺を見て、口の端を吊り上げる。



「むしろ――廃街区域に、相応しいだろ?お前も、そう思うだろ?」



――ここは、あの回復薬に相応しい?



どういう……意味だ……?




……あっ。



俺、バカだった。



本当に、どうしようもないほどのバカだ。


なんで、今まで気づかなかったんだ?



あの薬は、回復薬なんかじゃない。


最初から、そんなものじゃなかった。



――あれは、麻薬だ。



そして、俺は……



麻薬に……



どっぷりと、はまってしまっていた。



血の気が、すっと引いた。



――俺の人生は、もう終わりだ。



いや。



まだ、大丈夫だ。



父親にも、妻にも、周りにも―――バレなければいい。


麻薬に手を出したら、もうどうしようもない。


それでも、バレさえしなければいいんだ。


事業も、薬も――全部、うまくやってみせる。


俺には、商売の才能がある。



絶対に、大丈夫だ。



そうやって、俺は何度も何度も、自分自身に言い聞かせた。




そして、麻薬を売って初めて知った。



――麻薬そのものは、驚くほど安価だということを。



俺は今まで、あの柄の悪い貴族に――徹底的に、ぼったくられていたのだ。




麻薬の密売は、想像以上に繁盛した。


俺は王都だけでなく、宝石事業の名目で他の街へ赴くたび、その裏で、貴族たちに麻薬をばら撒いた。


――驚くほど、受けがよかった。


俺は、あの柄の悪い貴族と同じように、貴族相手に、高値で売りさばいた。


気づけば、宝石の事業よりも、麻薬のほうが、はるかに多くの金を生み出していた。


次第に、心に余裕が生まれた。


若い頃と同じように、柄の悪い貴族とつるみ、賭け事に溺れ、女遊びにも、再び手を出すようになった。


――それでも。


俺は、妻を愛している。それだけは、胸を張って言える。



だが同時に、罪悪感は日に日に膨れ上がり、俺は、次第に妻の顔を、正面から見られなくなっていった。



……それでも、大丈夫だ。



俺は、妻にも、息子にも、困る思いはさせない。


息子の将来のために、事業をさらに大きくし、安定させておく――それが、父親としての責任だ。



「あなた……最近、あまり帰ってきませんわね……

何か、ありましたか?

私に、お手伝いができることがありませんか?」



彼女は、泣きそうな顔で、言葉を続ける。



「私たちは……夫婦ですから。

私は、何でも受け止めますわ。

どうか……話してください」



懇願するように、涙があふれ、彼女の手が、そっと俺の手に触れた。



「何でもない。心配するな。事業はうまくいっている。

君も、ディランも―――困ることは、何一つない」


「……」


彼女は、意を決したように、俺の手を強く握りしめ、まっすぐに、俺の目を見て、口を開いた。


「最近……廃街区域で、あなたをよく見かけると、社交界で耳にしましたわ。

遊郭街でも……。

あなたは――私に、話したいことはありませんか?」



その瞬間、俺の全身から血の気が引いた。――知ってしまったのか。



「誰がそんなことを言ってるんだ!?廃街区域だと!?遊郭街だと!?」



否定しなければならない。そう思った、次の瞬間だった。



制御できない怒りが、どこからともなく込み上げてきた。


頭が、熱に浮かされたように真っ白になる。


――そして、俺は怒鳴っていた。


彼女は、何も悪くない。


それは、わかっていた。


俺は、彼女を愛している――それも、間違いない。



「ち、違うなら……違うと言ってください!私は……あなたを、信じますから!」


その言葉が、なぜか――俺の神経を逆なでした。


「うるさい!うるさい!うるさいんだよ!俺に指図するな!」


俺は、力任せに彼女の手を振り払った。



――次の瞬間。



鈍い音がして、俺の手が、彼女の頬を強く打っていた。



彼女は床に倒れ込み、ゆっくりと顔を上げる。



そこにあったのは――俺の知らない人を見るような、困惑した目だった。


彼女の口元から、血が流れている。


頬には、はっきりとした傷が残っていた。



「ち、ちがう……わ、わざと……じゃないんだ……」



言い訳にもならない言葉をこぼしながら、俺は後ずさりし――そのまま、逃げ出した。



自分を落ち着かせるため、俺は商会へ向かい、麻薬を吸った。



――ようやく、心に余裕が戻った。




翌日。


彼女と顔を合わせても、彼女は俺を、そこにいないかのように扱った。


視線も、言葉も、何一つ向けてこない。


……俺は、逆に安心した。


俺の秘密は――バレなければ、いい。




しかし――三ヶ月前。



俺は父に呼び出され、父親の執務室に立たされていた。



「ラウリー。お前――最近、何をした?」



静かな声だった。


それが、かえって俺の胸を締めつける。


「何を……とは?仕事ぐらいですが?」


「その目だ。目が落ち窪み、今は暑くもないのに、汗が滝のように流れている。

それに、その手……見ろ。あんなに震えているじゃないか!」


父は鋭い視線で、俺を射抜くように睨みつけた。


「それだけじゃない。

キャシーに手をあげたな!?

彼女が、どれほど苦しんでいるか……お前には分からんのか!」



「―――っ!あ、あれは……!わざとじゃないんだ!」


必死に、言い訳を探す。



だが――


「お前……麻薬に手を出したな!」


父の声が、雷のように落ちた。



「この、バカ者が!!

お前の怪しい行動は、すでに調べた!

廃街区域に何度も足を運び、事業の帳簿に載っていない金も宝石も、

お前の商会の金庫に大量に隠されている!」



「なぜだ!?あれほど事業がうまくいっていたのに!

なぜ、麻薬に……!

しかも、お前は――売買にまで手を出した!」



「何かあったら、相談しろと……俺は、何度も言ったはずだ!」



父の声は、怒りと失望で震えていた。



「ブレイズ家を潰す気か!?

十大大臣の息子が麻薬を売っていると知れたら、この家は――終わりだ!」


父は、鬼のような形相で、俺を怒鳴りつけた。



そして――


「お前のような息子はいらん。

ブレイズ家に、お前のような人間はいらない。

――出ていけ!」



その瞬間だった。



――魔が差した。


頭が、真っ白になった。


思考が、すべて途切れた。


気づいたときには――


俺は、執務室の壁に飾られていた剣を掴み、父の胸を――その心臓を、貫いていた。




時間が、止まった。




この国の法律では、人の命を奪うことは――死に値する。




俺も。



ブレイズ家も――



もう、終わりだ……。




俺は自分の寝室に行き、麻薬を吸い、無理やり自分を落ち着かせた。


胸の奥のざわめきが、嘘のように静まっていく。



――父の遺体を、どうする?



考えた末、俺は再び父の執務室に戻り、ソファに腰を下ろした。


そして、ブレイズ家の主治医を呼んだ。


主治医は、執務室に入り、床に倒れた父の遺体を見るなり、その場で固まり、言葉を失った。


俺はソファで、父の心臓を貫いた剣を、布で丁寧に拭きながら――


自分でも信じられないほど、冷静な声で言った。



「父は、心臓発作を起こした」



「……えっ?」



「心臓発作だ。あなたも、そう診断するんだろ?」


俺は視線を上げず、剣を拭き続ける。沈黙が、重く落ちた。



「……で、ですが……ラルフ様が……」



「それとも――」



俺は手を止め、主治医を見た。



「あなたも、心臓発作を起こしたいのか?」



「――――っ!」



主治医の顔から、血の気が引いた。



「い、いいえ……いいえ……!」



「父は心臓発作を起こした。……あなたも、そう思うよな?」



「は、はい……。ラ、ラルフ様は……心臓発作を……起こされました……」



「よろしい」



俺は、剣を置いた。



「今日中に、埋葬を終わらせろ。丁寧に、静かにな。王宮への報告は――俺がやる」



「しょ、承知……いたしました……」



主治医は深く頭を下げ、逃げるように部屋を出ていった。




――三日後。



王の辞令により、俺は急遽父の後任として、農林省大臣に任命された。


……意外にも、うまくいった。



まさか――この俺が、十大大臣になれるとは。



遠い昔の自分の目標が達成できた。



俺はあの時、ひとりでほくそ笑んだ。





それなのに――それなのに!!


俺は、政治にまったく才能がなかった。


たった三ヶ月で、俺は大臣の席から引きずり下ろされた。


――俺は、知っていた。


最初から、分かっていた。



俺は、ただ運よく十大大臣になっただにすぎない。



この手で父を殺し、その座が俺に転がり込んできただけだ。



実績を残せなければ、いつでも引きずり下ろされる。



――それは最初から分かっていた。



だからこそ、乾季の問題を解決しようと必死になった。


父が残した対策も、すべて試した。


だが、トレストの貯水施設の運用はうまくいかなかった。


水不足を早く解消したい一心で、俺は先のことを考えず、貯水施設の水を農地へ一気に注ぎ込んだ。


その場では、確かに成果が出た。



しかし、うまくいったのは貯水施設の水を使っている間だけだった。


水が尽きた途端、俺には何も残らなかった。


水魔法の騎士を出しても、土魔法の騎士を動かしても、状況は変わらない。



王から


「二週間で解決しろ」


そう告げられた時点で、俺は理解した。



――ああ、これは猶予じゃない。


失脚の宣告だ。




俺は床に散らばるガラスの破片を眺めながら、

これまでの自分の愚かさを思い浮かべ、執務室を出た。



廊下を歩く足音だけが、やけに響いた。




父が亡くなり、俺が失脚すると、使用人は一人も残らず屋敷を去った。


妻も、息子を連れて、実家のバンデへ戻ってしまった。



迎えに行こうと思った。



――だが、やめた。



俺と一緒にいるほうが、あの二人に未来はない。



完全な自暴自棄だった。



十大大臣の座など、断ればよかった。



なりたいと思っていたのは、ずっと昔の話だったのに。



あれさえなければ、生活はほとんど変わらなかったはずだ。



妻も、息子も、この屋敷を出ていくことはなかった。



十大大臣にならなければ……。




俺は寝室に入り、引き出しを開けた。


中から、一本の薬を取り出す。


透明な液体が、静かに揺れている。



――これは、麻薬じゃない。



俺の、復讐のための道具だ。



この薬は、あの"代表"に勧められて買った薬。



こんなものは興味がないが、いつか役に立つんだろうと言われ、「確かに」と思った。



こんな小さな一本で、千セルもする代物だ。



それでも俺は、大金を払ってこれを手に入れた。



いつか、必ず役に立つと思っていたからだ。



そして――その「いつか」は、今だ。



ラウリーは薬の瓶を強く握りしめた。




その眼差しには、もはや迷いはなかった。


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