苦き薬、手は離れず
「あっ、大変……」
私は、出来上がったディル薬を次々とバケツに移している途中で、重大なことに気づいてしまった。
「リーマ、どうしたのか?」
カイテルさんが、すぐにこちらを覗き込む。
か、カイテルさん……顔が……ちょっと近いかも……です。
「リーマちゃん、どうした?何かあったら、私に言っていいよ!」
騎士の一人が慌てて駆け寄ろうとした、その瞬間。
カイテルさんがさりげなく私の前に立ち、低い声で言った。
「リーマに近づくな。バイ菌が移る」
こ、こんな容赦のないカイテルさん、初めて見たかも……。
「こんのヤロウーーーーっ」
騎士の誰かが悔しそうに叫んだ。
「あのう……実は……」
私は申し訳なさで胸がぎゅっとなりながら、正直に口を開く。
「ディルの葉っぱが、足りなくて……。ごめんなさい、私、ちゃんと確認していなくて……」
「そうなのか?どのくらい足りない?」
「あと、碗一杯分くらいです……。一人分、足りないんです」
一瞬、場の空気が止まった。
「あ、で、でも大丈夫です!」
私は慌てて続ける。
「さっき病院の敷地で、ディルの木を見かけました!
すぐ取ってきますから、皆さん、少し待っていてください!」
そう言って、調理場の小屋を飛び出そうとした――そのとき。
『ばしっ』
誰かに手を掴まれた。
振り返ると、そこにいたのはカイテルさんだった。
「リーマ、俺たちが取りに行く」
優しく、でもはっきりとした声。
「麻薬依存の人間が近くに十一人もいるから、念のため、リーマはここにいて」
そう言って、私を安心させるように微笑む。
と、思ったら、
「おい!おまえらも行け!そっちの連中もだ!」
一転して、仲間の騎士たちと保健省職員を指さし、怒鳴るように命令した。
カイテルさん……感情の切り替え、激しくないですか……。
ちょびっと、びっくりしちゃった……。
「俺が戻るまで、この調理場にいて。鍵もかけてね」
念を押すように続ける。
「俺以外の誰かに呼ばれても、扉は開けないで。こいつらでもだ。分かった?」
カイテルさんの目に映っている私は、三歳児なのだろうか。
「……分かりました。手間をかけてしまって、ごめんなさい」
「謝らないで」
そう言って、カイテルさんはいつものように、私の頭をなでなでしてくれた。
その手の温もりに、胸の奥がふっと落ち着く。
なんだか、とても安心した。カイテルさんのおかげだ。
カイテルさん、騎士たち、保健省職員がしばらく、ディルの葉っぱを取りにいった。
私は一人、ポツンと調理場の小屋で待つことになった。
しばらくして、
「リーマ、終わったよ」
扉の向こうから聞こえた声に、私はぱっと顔を上げる。
鍵を開けると、カイテルさんが立っていて、その手には、確かに碗一杯分のディルの葉っぱがあった。
「ありがとうございます……。あの、他の皆さんは?」
「この後も薬を作るから、あいつらには、もっとたくさん葉っぱを集めてもらってる」
そう言って、にこりと笑う。
「じゃあ、残りの薬を作ろうか」
「はい、ごめんな……」
言い終わる前に、カイテルさんの指が、そっと私の唇に触れた。
「『ごめんなさい』より、別の言葉を聞きたいな」
「……えーと……あ、ありがとうございます」
カイテルさんは、満足そうに、優しい笑みを浮かべる。
胸の奥が、きゅっとして、どきどきして……
なぜか、少しだけ、涙が出そうになった。
カイテルさんのおかげで、足りなかった一バケツ分のディル薬が無事に出来上がった。
ディルの葉っぱ集めから戻ってきた騎士たちが、そのバケツを持ち上げ、十一人の小屋へと向かう。
これからは、騎士たちの仕事だ。
私はカイテルさんと並んで、騎士たちの後について十一人の小屋へ向かった。
小屋の前には、麻薬団員の十一人がすでに集められている。
十一人は顔色が青白く、力なく地面に座り込み、こちらを見る目にも生気がない。
騎士たちがその十一人を見るなり、
「おい!起きろ!これを飲め!
リーマちゃんがお前らのために作ったんだ!一滴でも残したら、ぶっ飛ばすぞ!」
さっきまで優しかった騎士たちは、
その十一人を見た途端、別人のように怒鳴り始め、
小屋の前にある椅子と『バンッ!』と蹴り飛ばした。
私は心の中で「ひゃっ!」と声を上げ、思わずビクッとしてしまう。
あの優しさは、どこへ行ってしまったのだろう。
……全然、容赦がない。
十一人はおずおずと騎士からバケツを受け取ると、
隠す気もないほど露骨に嫌そうな顔で、
ディル薬をくんくんと嗅ぎ、空虚な目で見つめた。
そして全員が、まるで死を覚悟したかのようにゴクリと唾を飲み込み、
震える手でバケツを持ち上げ、ぎゅっと目を閉じて、ディル薬を口にする。
おぉ〜。
意外と思い切りがいい人たちだね〜。えらいえらい。
あんな激マズなものを、あそこまで豪胆に飲むなんて、私には絶対できないなぁ。
ふと、数年前にルネおばちゃんで何度も見た光景が、頭の中に蘇る。
……懐かしいなぁ。
十一人が薬を飲み込むと、全員が口元を歪め、目をぎゅっと閉じた。
まるで、この激マズさが一秒でも早く口から消えてほしいと、心の底から願っているかのように。
しばらくすると、
「うえーーっ」
「げえーーっ」
小屋の中に、そんな声が次々と響き、十一人全員が思いきり、豪快に吐き始めた。
うーん……。
まあ、ちょっと可哀想かも……。
でも、ここまで苦しい思いをするくらいなら、
一生麻薬なんかに手を出さない方が、ずっと楽で幸せだよね。
この十一人の中から、たった一人でもいいから、この治療を最後までやり遂げて、二度と麻薬に染められませんように。
「おい!手を止めるな!早く飲め!もっとだ!」
「これはリーマちゃんが作った薬だぞ!」
「感謝しながら口に入れろ!」
「おい!そこのおまえ!なんだその顔は!感謝しろって言ってんだろ!」
そんな容赦のない騎士たちの声に囲まれながら、見守っているうちに、いつの間にかバケツの中のディル薬は、すっかり空になっていた。
騎士たちの厳しさのおかげだろうか。
それとも、十一人の覚悟のおかげだろうか。
ふぅぅ~。
とりあえず、今日一回目の治療は、これで終わりだ。
ヘロヘロになった十一人を、騎士たちは次々とベッドへ放り込んでいった。
十一人とも、ベッドに放り込まれても身じろぎ一つせず、『うぇぇぇーーー……』と唸り続けている。
……本当に、ルネおばちゃんの時と、まったく同じ光景だ。
あの頃は、私が必死に、ヘロヘロになったルネおばちゃんを簡易ベッドまで運んでいた。
か弱い女の子の私が、すっかり大人の女性を運ぶのは、至難の業だったなぁ。
十一人とも、よく頑張ったね。
……今日は、あと二回、残っているけど。
私は再びディル薬の調理場へ戻り、次の薬を作り始めた。
一日に三回分だから、まだまだ作らないといけない。
私が作っている間、何人もの騎士と保健省の職員が立ち会った。
この作業は四ヶ月も続く予定だから、一般市民の私がずっと通うのは良くない、とお父様は言っていた。
「騎士と保健省職員にも、作り方を教えるように」
……とは言われたけど。
正直、とても簡単な薬だから、あまり教えることはないと思う。
それでも――
この薬が、本当にこの十一人に効くのか。そこだけは、やっぱり気になる。
この薬は、私の責任だ。
もし、失敗してしまったら……私に、何が起こるんだろう。
あとでお父様に、定期的に様子を見に来てもいいか、聞いてみよう。
「この鍋の水量なら、ディルの葉っぱは一袋で大丈夫です。
中火で煮て、水が濃い茶色になったら完成ですよ。簡単でしょう?」
私は、にっこり笑って、保健省職員と騎士たちに説明した。
「リーマちゃん、すごいね〜。可愛くて、頭もよくて〜」
一人の騎士が、いきなり褒めてくる。
ふふふ。
まあね〜。当然と言えば当然かな〜。
だって、私には最強のおじいちゃんがいるもんね〜。
「リーマちゃんが作ると、すごく簡単そうに見えるな〜。さすがだな〜」
別の騎士も続けて言った。
でも実際は、お湯に細かく潰されたディルの葉っぱを入れるだけで、
あとはお湯が勝手に仕事をしてくれる。
誰が作っても、簡単そうに見えるのだ。
「この後もリーマちゃん、いる?まだ帰らないよね?いてくれたら、僕、やる気出るんだけどな〜」
また別の騎士が、そんなことを言い出す。
……でも、帰るかどうかを決めるのは、私じゃないよ。
「そうだね〜。薬のことで聞きたいことも多いし、ショーン大臣にきちんと報告もしないといけないし。
もう少しいてくれたら、嬉しいなぁ」
保健省職員も続けた。
こんなに簡単な薬の、どこをそんなに聞きたいのだろう。
「この鍋が終わったら、すぐ帰る。こ・の・お・れ・が、連れて帰る!」
カイテルさんが、苛立った様子で代わりに答えた。
あれ?
今朝は「一日中病院にいるけど大丈夫?」って心配してくれていたのに、急に予定が変わったのかな?
「リーマちゃんがいないと調薬できないだろ?
おまえ一人で帰れよ!っていうか帰れ!おまえが邪魔だ!帰れ!」
さっきの騎士が、カイテルさんに怒鳴る。
でも、それはダメなの!
カイテルさんが先に帰ったら、私はどうやって帰ればいいの?
まだ屋敷までの道、覚えてないんだよ!
「だったら、おまえらはさっさと作り方を覚えろ!簡単だろ!?」
カイテルさんの口調が、少しだけ荒くなる。
もしかして、急用ができたのかもしれない。
「リーマ、この鍋が終わったら、すぐ帰ろう。この後は、こいつらに任せればいいから」
連れて帰ってくれる人がそう言うなら、私は従うしかない。
「わかりました。皆さん、ディル薬と、その十一人のこと、よろしくお願いしますね」
私は、にっこり微笑んだ。
この薬のことは私が言い出したのに、結局こうして他人任せになるのは、少し申し訳ない気もする。
でも私は騎士じゃなくて、ただの一般市民だ。
……この辺りの線引きは、正直よくわからない。
「うぅぅぅ……かわい……」
騎士たちと保健省職員が同時に何か呟き、顔を赤らめた。
かわ?
川?皮?
かわって、何だろう。
二度目のディル薬が完成すると、カイテルさんはすぐに私の手を掴み、調理場を出て、馬車へ向かう。
よほど急いでいるみたいだ。
どうか、あの十一人が、麻薬の地獄から解放されますように。
この治療を最後までやり遂げて、ルネおばちゃんみたいに新しい人生を歩き、幸せになってほしい。
***
今日の仕事でずっと緊張していたリーマは今、窓際に背もたれて、眠っていた。
緊張が解けたのだろう。
朝から、ずっと落ち着かない様子だったから。
はぁ――本当に、目が離せない子だ。
薬を作る横顔も、誰かに声をかけられて戸惑う表情も、
全部が、放っておけない。
仕事だとわかっている。
必要なことだとも、ちゃんと理解している。
それでも、あんな場所で、あんな大人たちに囲まれて、
少しでも不安そうな顔をさせるのは……正直、嫌だった。
守りすぎだと言われてもいい。
三年も我慢して、今こうして再会したのだから。
空っぽだった三年間を、この子は静かに埋めてくれた。
過保護だと笑われても構わない。
あの子が、安心して笑っていられるなら、
その隣にいる役目くらい、俺が引き受ける。
――それだけでいい。




