茶の湯が冷める時
国の最高幹部の定例会議。
アーロンは、今日の参加者をゆっくりと見回す。
王様。大賢者様。十大大臣。
だが、今日は――正確には数日前の定例会議から、農林省大臣ラウリー・ブレイズの姿がなかった。
理由はここにいる全員が知っている。ラウリーは失脚したのだ。
まだ、王様の『二週間』が経っていないが、そんなことは関係ない。
王様がそう仰った時点で、あいつはすでにこの場から消えた者になっていた。
次の農林省の大臣は誰なのか、ちらりと王様から聞いた。ラルフ・ブレイズと同じような凄腕らしい。
――ナイゲル・ウェルズ男爵。
代々続く貴族、ウェルズ家の男爵当主。
アーロンより十歳ほど年下の敏腕職員で、王への忠誠心も強い。
もっとも、ナイゲルはまだ十大大臣に正式に任命されていないため、この場にはいない。
現在は特例として、トレスト北部へ出張し、乾季による問題の解決に当たっている。
水が不足するこの状況では、トレストで作物を育てるのは難しい。
国民に食料が行き渡らなくなると判断した王様は、王都から大量の食糧を出し、トレストの民に配給する決断を下した。
かなり水際の対策だ。
今年は、水量の回復を期待するのは難しいだろう。
せめて、国民が食べ物に困らない状態だけは守らなければならない。
毎日、ナイゲルは通信用の鳥を飛ばし、王様へ現況を報告している。
来年に向けて土壌に栄養を加え、次に雨が降ったときに備えて貯水施設の点検も進めているらしい。
王様は、ラウリーを農林省大臣に任命してしまったことを、今でも後悔していると仰っていた。
「私の考えが不十分だった。もう少しよく考えていれば、ラウリーが十大大臣の職に向いていないことは分かっていたはずだ。ラウリーに悪いことをしてしまった」
ラウリーは、父親のように王宮で職に就くよりも、商人の道を選んだ。
彼は敏腕な商人だ。利益を生み出すための鋭い洞察力と判断力を持っている。
だが、十大大臣には合わない。
十大大臣は、多くの国民のために考え、行動しなければならない。
求められるのは、利益ではなく、国民の豊かさだ。
そう考えると、アーロンは内心で小さくため息をついた。
「なぜラルフの息子はああなんだ」
――そんな考えが頭によぎったが、子どもが必ずしも父親と同じ道を歩むわけではない。
カイテルだって、アーロンのように王宮で策を巡らせ、日々会議に出るよりも、外に出て剣を振るうほうが性に合っている。
ラウリーは、これから商会の運営に専念してくれればいい。
これから、十大大臣にふさわしい者が十大大臣となるのなら、国民が苦しむことはないだろう。
そして今日の議題は――
アーロンにとっても、王様にとっても、民にとっても、そして国にとっても、きわめて重大なものだった。
「王様、前日カレル森で発見した麻薬団員ですが、どうやら彼らの麻薬依存に治療の兆しが見えます」
「……何だと?麻薬依存症の治療……だと?……どういうことだ?」
王様も、他の十大大臣も、顔を顰める者もいれば、首を傾げる者もいる。
一方で、大賢者様は、何かを悟ったかのように微笑み、小さく首を縦に振った。
――大賢者様は、ディル薬のことを予知していたのかもしれない。
――かつて、カイテルとリーマのことを予知していたように。
「皆さん、『ディル』という植物はご存じですか?」
「ディル?もちろんさ。王宮にもある、あの高い木のことだろう?それがどうした?」
王様は、やや呆れたように眉をひそめた。
「では、そのディルの特性はご存じですか?」
「特性……?ただの木、ではないのか?」
「そうではないらしいです。そのディルという木は、空気も水も浄化してくれるだけでなく、人間の体内もきれいにしてくれる木だそうです」
アーロンは、わずかに誇らしげに語る。
「今思えば、確かに王宮の空気はきれいですよね。
王宮の中には何か所も焼却場があるのに、ほとんど煙の臭いがしない。
皆さんは、おかしいと思いませんか?」
「確かにそうだが……しかし、アーロン殿、そのディルと麻薬の治療はどう関係しているのだ?」
保健省大臣のショーン・ベックは眉間に皺を寄せ、少し声を荒げた。
国民の健康はショーンの責務だ。
国民の健康を預かる立場として、麻薬治療の話題を前にして、冷静ではいられない。
アーロンの回りくどい説明に、苛立ちがにじむ。
「ショーン殿。『急がば回れ』という言葉をご存じですか。
この話は麻薬治療に直結する、非常に重要な内容です。
まず皆さんに正しく理解していただく必要があります。
どうか、もう少し落ち着いてください」
アーロンは、自分より十歳も年上のショーンに、淡々と言い返した。
「ディルか・・・・・・」
森林保安省のマイケル・テュラン子爵は、何かを思い出したように呟いた。
「そういえば、マラーヤの鉱山地区は、異様なほど空気がきれいだと報告書で読んだことがありますな。
あそこにディルがたくさん植えてありますが、
それがディルのおかげだとは、考えたこともありませんでしたな」
マイケルは、アーロンの説明に腑に落ちた様子で、何度も深く頷いた。
「ええ。重要なことですが――我々人間は、ディルの特性をまったく理解できていませんでした……。
ディルは、ただの木ではありません。
空気や水をきれいにするだけでなく、人の体内までも浄化する力を持っているそうです。
そして、人間の体内が麻薬で汚染されてしまった場合、ディルによってその"汚れ"を浄化できると考えられます」
王様の目が、鋭く細められた。
「……何を言っている? そんなに単純な話ではあるまい」
「成功例はあります。私が最近保護した少女から聞いた話です。
彼女の祖父は、麻薬依存者をディルで治療していました。
四か月で、その人物は麻薬から解放されたそうです」
「……成功例が、実在するのか……」
王様は、しばらく言葉を失い、深く考え込む。
「はい。数年が経った今でも、その元麻薬依存者は元気に、その少女の村で暮らしているそうです」
ショーンの目が、いっそう真剣な色を帯びた。
「……どういう治療なのだ、アーロン殿?」
アーロンは、まるで自分が発見したかのように、得意げにニヤリと笑った。
「簡単です。そのディルの葉をたっぷりと茹で、その煮汁を麻薬依存者に飲ませるだけです」
「そんな簡単なことではないだろう!?」
ショーンが声を荒らげた。
「ええ。問題は、そこからです」
アーロンは小さく息を吐き、続ける。
「ディル薬を作ること自体は容易です。
しかし、その後――服用する者が受ける苦痛は、想像を超えるそうです」
「このディル薬は、非常に強烈な味です。飲み込めば吐いてしまう。
体内に溜まった汚れを浄化しようとする反応でしょう。
それでも、飲み続けなければなりません。一日三回、大きなバケツ一杯を…………四か月間です」
アーロンは沈黙に包まれた最高幹部たちを見回した。
「四か月、飲み込んでは吐く。
麻薬の快感と、治療の苦痛――どちらを選ぶかは本人次第です。
しかし、多くの者は苦痛よりも、麻薬がもたらす快感を選んでしまうでしょう」
アーロンは深くため息をつく。
「一見、簡単そうな治療ですが、麻薬から自由になりたいと強く願わなければ、治すことはできません」
言葉に力を込め、王を見据える。
「ですが、先ほど申し上げたように、成功例は確かにあります。
ディルは、どこにでもある植物です。
調薬も簡単です。
私は、この方法を試す価値があると考えます」
王は、アーロンの視線を真っ直ぐに受け止めた。
「確かに試す価値はある。しかし……誰に試すのだ?むやみに麻薬依存の民に使うわけにはいかない……」
「いるのではありませんか?いま、病院に」
「……あの十一人の麻薬団員のことか?」
「はい。彼らは犯罪者です。我々の指示に従うのは、当然でしょう」
王様は額に手を当て、深く考え込む。
「王様、もしこの十一人の治療が成功すれば、麻薬に苦しむ多くの国民を助けることができます。
そして、この薬は、デリュキュース国の歴史にも名を刻むでしょう――国を変える一歩になるのです」
「・・・・・・わかった。あの十一人に、ディル薬を使おう」
「承知いたしました。明日より治療を開始します」
「もし…………うまくいったなら、治療施設も必要になるだろうな」
思案げに、ショーンが口を開いた。
「アーロン殿。明日の治療に、保健省の者を同行させたい。成功すれば、施設運営は保健省の仕事になる」
ショーンはアーロンを見つめ、静かに頷いた。
「私も同意見です。保健省の職員もぜひ同行してください。麻薬依存の問題は、我々が協力してこそ解決できる」
「結果次第だな。成功したら・・・・・・全国に広げよう。四か月、だったな?」
王は念を押すように続ける。
「治療中の経過はすべて記録せよ。もし――成功したなら、本格的に国民への治療を開始する」
王は小さく嘆息した。
「辛い治療だろう。しかし、麻薬をやめたいと願う民は多いはずだ」
アーロンは、提案が無事に通ったことに、静かに胸を撫で下ろした。
しかし、ある人物は密かに拳を握り、血が滲むほどの力を込めながら、誰にも気づかれぬよう、王と大賢者、そして十大大臣を睨みつけていた。
その視線に宿るものが、忠誠ではないことを、まだ誰も知らない。
定例会議の後、十大大臣がそれぞれの省に戻っていった。今ここにいるのは、王様、大賢者様、アーロン、ロラン、バロウズだけだった。
五人とも、さきほどの会議の時とは違い、寛いだ姿勢でゆっくりとお茶を飲みながら歓談している。
「アーロン、さっき君が言っていた『最近保護した少女』とは、もしかしてリーマちゃんのことか?」
王様は目をキラキラさせ、興味津々といった様子でアーロンに尋ねる。
先ほどまでの威厳ある姿とはまるで別人で、今はただのいたずら好きな青年にしか見えない。
「そうですよ。リーマしかいないでしょう?」
「へぇ~、じゃあ、いつ王宮に連れてくるんだ?
いつ紹介してくれる?
もう何日も経ってんじゃないか?
私も、ジュリアも、フェローも早くリーマちゃんに会いたいんだぞ」
フェロー大賢者もロランもバロウズも、思わずふふっと笑った。
「結局今のところ、リーマちゃんに会ったのはファビアンしかいない。
我が息子ながら、ズルすぎる。
ルーシアンだってめちゃくちゃ会いたがってるぞ」
王様は、羨ましげに続けた。
ルーシアン様は第一王子であり、この国の次期国王とされている人物だ。
国民思いで自国への愛も深く、頭の回転も良く、決断力もある。王位を継ぐに相応しい資質を備えている。
一方、第二王子のファビアン様は、王様に似た性格ではあるものの、王の座には興味がない。
王宮に留まって国民を支えるよりも、外に出て直接国民を支えたいと考えるタイプだった。
ルーシアン様は、弟とは対照的に、飄々とした態度とのんびりとした口調が特徴だ。
遊び心が豊富で、親しい相手を揶揄うのを好む。
もっともこの数年、その標的はもっぱらカイテルだった―――リーマのことで。
以前には、わざと大勢の前で、
「そのうち婚約の報告でも聞けるかな~?名前なんだっけ?早く会ってみたいな~」などと囁き、
カイテルを本気で呆れさせたこともあった。
カイテルはかなりうんざりしているが、いくら親しい間柄とはいえ、相手が第一王子では、さすがに堂々と文句を言うこともできない。
子どものような一面を持つルーシアン様だが、仕事に関しては別人のように真面目だ。
その柔らかな口調と性格を、外交や他国との会議、部下の前で見せることは一切ない。
その点は、父親である王様とよく似ていた。
「王都に来てまだ数日です。そんな状態で、いきなり王様、王妃様、第一王子、大賢者様に会ったら、リーマは驚いてしまいますよ」
アーロンは小さく嘆息した。
「むしろそれは、拷問ですよ。ファビアン様が第二王子を知った時でさえ、『死刑?』とかぼやいていたぐらいでしたよ」
そう言って、アーロンは再び一口お茶を飲み、さらに言葉を加える。
「王様や王妃様に会ったら、今度は『国外追放?』とでも思ってしまうでしょう?」
「じゃあ、いつなんだ!?
『できるだけ早く紹介しろ』とあんなに言ったのに!カイテルめっ!」
王様は口を尖らせた。
この姿を見られるのは、この場にいる四人だけだ。他の大臣や職員に見られてしまったら、王の威厳は地に落ちてしまう。
まったく……。
「王城で仕事をすることになってからです。
今はダメです。
我慢してください。
リーマは当分、どこかへ行ったりはしませんから」
「リーマちゃん、可愛いよね〜。
天然で明るくて〜。
そんなリーマちゃんに会えなくて残念ですね〜。
王様って、意外と大変ですね〜」
ロランは笑いながら、わざとらしく王様を煽る。
「そうだな。俺たちは、会いたい時にいつでも会えるのにな。
夕食だって、リーマちゃんと食べたいと思ったら、いつでもできるのにな。
アーロンの許可なんか、必要ないよな。王様って、意外と気の毒だ」
バロウズがロランの言葉を引き継ぎ、ニヤニヤと笑いながら、さらに王様を煽った。
「何だと!?今すぐリーマちゃんを連れて来い!
王の命令だ!
カイテルを死の崖淵に追い込んだあの子に、早く会いたいんだよ!」
王様は、完全に駄々をこねていた。
まったく……いい歳をした大人が、こんな顔で、こんな態度で、駄々をこねる姿は、正直見るに耐えない。
「王、そのうち会えますよ。リーマはこれから、動物のことや薬のことで忙しくなるでしょうから、今はやめておきましょう」
フェローは落ち着いた声で、王を宥めた。
王様は不満を押し殺すように、肩をすくめ、深く嘆息する。
「……薬、か。王都に来て間もないのに、麻薬治療の提案に、動物を操って、麻薬工場の発見……
本当に、特別な子だな」
そう言って、王様は大賢者様へ視線を向ける。
「ルーシアンとリーマちゃん、ファビアンとリーマちゃん。どっちがいい?何か予知は見えるか、フェロー?」
「どっちもダメでしょうが!?」
アーロンが即座に声を上げる。
「ふふっ、王。カイテルとリーマは、お互い運命で結ばれています。
あの二人は、そっとしておきましょう」
大賢者様は穏やかな笑みを浮かべた。
大賢者様がそう仰るなら、きっと本当にそうなのだろう。
そもそも、三年前のあの重大任務にカイテルを推薦したのも、大賢者様だった。
そして、その任務でカイテルはリーマと出会った。
―――森でリーマと出会った、あの時の任務も――大した内容ではなかったはずなのに、大賢者様は強く、カイテルの参加を望んでいた。
しかし、そんな穏やかな大賢者様は、穏やかな声が打って変わって、低く、真剣な声で言い始める。
「しばらくしたら、王様がリーマに会えるでしょうーーー
少々大変でしょうが、命に関わることないと、思います」
「・・・・・・」
突然の言葉に、ここにいる全員が、硬直して、静かになった。
それまで寛いでいた空気が、音を立てずに消えた。
「どう、言うことだ?予知か?」
王様は眉間に深く皺を寄せ、ぼんやりとどこかを見つめている大賢者様を、じっと見据える。
「近い将来に王は・・・・・・眠りに、落ちます」
大賢者様は一点を見つめたまま、そう告げた。
だが、その視線の先には、何もなかった。
その場にいる誰も、言葉を発することができなかった。




