イブニングローズ
……
「お父さん、お母さん、お兄ちゃん、ソラを見た!?
部屋にいないんだけど……」
あずかは、今にも泣き出しそうな顔で両親に聞いた。
「見てないけど……かご、開いていたの?逃げちゃったかな?」
「逃げたなんて!」
あずかは首をぶんぶん振る。
「鳥かご、閉めてなかった……でも、ソラは絶対部屋から出ないよ!
ずっと私のそばにいてくれたもん!
シクシク……すごく頭がいいの!
でも、さっき見に行ったら、シクシク……いなかったの……シク……」
「あずか、落ち着いて。一緒に外を探そう」
そう言って、家族みんなで外を探した。
けれど、どれだけ探しても、ソラの姿は見つからなかった。
「そのうち戻ってくるかもしれないよ」
お母さんはそう言って慰めてくれた。
けれど、何日たってもソラは戻らなかった。
あずかはたくさん泣いて、
――そして、諦めるしかなかった。
……
翌朝、私は体の時計通りに目を覚ました。
また夢を見た気がした。
目をあげても、周りがぼんやりと見える。
目をこすると、涙が出ていたのに気づいた。
……えっ?
どうして?
喪失感だけが心に残っていた。
なんだか胸が苦しい。
朝なのに……これはなんなんだろう。
私は寝間着の袖で涙をぬぐった。
気持ちを切り替えて起き上がった。
部屋を見回すと、リオとリアの姿がなかった。
執事長のニクソンさんが屋敷の使用人たちにリオとリアのことを通達したから、
リオとリアは私と同じ部屋で寝ることになっている。
それなのに、今はいない。
……まさかまだ騎士団にいるのかしら。
心配だわ。
私は支度を整えると、庭を散歩しながら裏庭の小屋をそっと覗いてみた。
すると、リオとリアが気持良さそうに寝ているのが見えた。
「はぁぁ〜よかった〜」
胸の奥のざわつきが、少しだけ静まった。
無事に戻ってきたのね。
いつ戻ってきたのかな。
私はリオとリアの眠りを邪魔しないように、そっと小屋を通り過ぎた。
散歩のあと、図書室へ行き、保健省の医療部採用試験の勉強を始めた。
試験は三ヶ月後。
王都の生活に浮かれていて、フワフワしている場合じゃない。
もし試験に落ちてしまったら、この屋敷の人たちに顔向けできなくなってしまう。
私は気を引き締めて、一時間ほど集中して勉強した。
……あっ。
もうそろそろ朝食の時間だわ。
図書室を出て、食堂に向かう途中、廊下でカイテルさんにぱったりと会った。
「カイテルさん、おはようございます。
……昨日、かなり遅くまで騎士団にいたんですか?」
私たちは話しながら一緒に食堂に向かった。
カイテルさんの顔色があまりよくない。
ちゃんと眠れたかな。
「リーマ、おはよう。
昨日はちゃんと休めた?ゆっくり眠れた?」
「はい、ちゃんと休めました。
でも、カイテルさんは……あまり寝ていませんよね?
顔色が……
昨日、その後、大変だったんですか?」
「ちょっとね。いろいろ調査することが多くて。
あの十一人の取り調べも、まだ終わっていないんだ」
「私にできること、ありますか?
……植物とか動物とか」
私に手伝えそうなことはないと思いながら、自然に口に出してしまう。
「ありがとう。でも大丈夫だよ。リーマは勉強に集中してね。心配しなくていい」
カイテルさんは、相変わらず優しい微笑みで、優しく頭を撫でてくれる。
顔色はよくなくて、すごく疲れているみたい。
今夜は、手作りのハーブティーを作って、カイテルさんに飲んでもらおう。
食堂に入り、席に座ってしばらくお父様とお母様を待つ。
ほどなくして、二人が食堂に入ってきた。
お父様もカイテルさんと同じく、顔色があまりよくない。
「カイテルも顔色が悪いわね。ちゃんと寝たの?」
私とカイテルさんがお父様とお母様に挨拶して、朝ご飯を食べ始めると、お母様がカイテルさんに声をかけた。
「二時間前ぐらいに戻ってきましたので、少し休めました。この後はまた騎士団本部に行きます」
……私が起きた頃に戻ってきたんだ。
「昨日は大変だったわね。アーロン様もほぼ朝方に戻ってきたから」
お母様が心配そうに言った。
……お父様は王城に朝方までいたの?
じゃあ、今夜お父様にもハーブティーを作ろう。
「犯人の取り調べが一番時間がかかったんだ。
十一人もいるんだが、あいつら下っ端ばかりで、上に誰がいるか知らないと言い張る」
お父様がため息をついた。
あの人たちの上にいる人は、おそらく植物の知識も調薬の知識も豊富な、とても頭のいい人なのだろう。
「小屋にも特に痕跡はないですからね」
カイテルさんがだるそうに言った。
私は料理を取って、そっとカイテルさんの皿に置いた。
少しでも元気が出ればいいなと思って。
カイテルさんは、ぱっと嬉しそうにその料理を口に運んだ。
美味しそうに食べているのを見て、ほっとした。
よかった。
カイテルさんには、ちゃんとたくさん食べてほしいのだ。
「昨日は麻薬と原材料を騎士団本部に運ぶだけで時間がかかったんだな。おまえは今日は何をする?」
「その十一人の取り調べと、身辺調査を任されています。今日はそれを進めます」
「何か見つかるといいんだが」
お父様が元気なさそうに嘆息した。
「あ、あのう……麻薬は、どうやって処分するんですか?」
これがずっと気になっていた。
麻薬の処分は簡単にはできないはずだ。
どうするのだろう。
燃やす?
水に溶かす?
土に埋める?
……いや、ダメだね。
あの麻薬は匂い自体が毒だから、燃やしたらさらに強くなる。
水が汚染されるだけで、その水をどう処分するのかという新しい問題が生まれちゃう。
埋めたら、植物が育たなくなるだけで、麻薬がなくなるわけじゃない。
「百瓶以上もあるからな。さすがに簡単には処分できない。
土の魔法使いたちに大きな炉を作らせて、その中で燃やす予定だ。
あの麻薬の臭いは毒だから、密閉した空間で燃やすのが一番だろう」
お父様が説明してくれた。
「頑丈な炉が必要だから、何人かの土の魔法使いが担当することになったよ。
普通に捨てることも、水に溶かすこともできない。
万が一外に漏れたら、国中が大変なことになるからね」
カイテルさんが続ける。
……なるほど。
やっぱり、ここでも魔法の出番だね。
物事が一気に楽になったよ。
すごいな。
……魔力が全くない人間には、居場所がなくなっちゃうよ。
「全部取り調べが終わったら、それをやるんだ。あの麻薬は証拠だから、今はまだできないんだ」
カイテルさんが言った。
「そうなんですね。他の植物はどうですか?
……植物も燃やすんですか?」
イブニングローズは珍しい花だし、鮮やかな紫色でとてもきれいだ。
値段も高いし……
お茶にしたら疲労回復も期待できる。
……一本、二本くらい、もらえたりしないかな。
「そうだ。植物はまだ麻薬にはされていないが、証拠だからね。調査が終わったら全部燃やすよ」
「……そうなんですね……そうですよね……」
あの麻薬団の上の人から、イブニングローズの繁殖地を聞き出せたらいいのに……
そしたら、私はリオとリアを連れて採りに行くのに……
「どうしたのか?」
カイテルさんが首を傾げる。
「……い、いいえ。何もないです」
私はまたカイテルさんに料理を取って、話を誤魔化した。
さすがに大事件の証拠をくださいなんて言えないわね……
言いづらいわね……
言ったら牢屋に放り込まれそうだし。
……うぅぅぅぅ。
でもでも、イブニングローズ……
燃やされちゃう……
「言ってみて。植物はどうしたのか?」
カイテルさんが覗き込むように私に近づく。
「……えーと、あ、あの小屋に紫色の薔薇があるんじゃないですか?」
私は話すことにした。
「あの薔薇は珍しくてきれいで、疲労回復のお茶もできるんです……
燃やしたらもったいないなぁなんて思って……」
「……なるほどね。でも証拠だからね……」
カイテルさんは難しい顔をした。
……ですよね。
「……せめて繁殖地がどこなのか知りたいです。そしたら自分で採りにいきます……」
「ふふっ、さすがだね。でもあの薔薇は麻薬の材料だから、危ないじゃないか?」
「そんなことないです。何を混ぜるか気をつければ大丈夫ですよ。
麻薬の材料にもできるかもしれません。
でも、あの小屋にあるたくさんの植物を見たら、多分麻薬のためだけにあったわけじゃないと思うんです」
「……ううん?
それはどういうことだ?
麻薬じゃなかったら何のために?」
お父様は急に表情を険しくした。
……お父様を不安にさせてしまった。
「あの小屋にたくさんの植物があって、その中の六種類の植物とイブニングローズを混ぜたら回復薬になるんです」
「あぁ、回復薬か。
はぁ……また大変なものだと思ったよ」
お父様は安心したかのようにため息をついた。
安心したお父様を見ると、私は次の言葉が言えなくなった。
あれは少々訳アリの回復薬なんです、お父様……
イブニングローズ……
ダメだった……
もったいないなぁ……
お父様はさっさと朝食を食べ終えようと、黙々と口に運ぶ。
朝食の後にはすぐ王城に出かけないといけないらしい。
カイテルさんもお父様に負けず、疲れた顔で気だるそうに食事をとっている。
私はまた料理を取って、カイテルさんの皿に置いた。
いつもカイテルさんが料理を取ってくれるから、こういう疲れた時こそ、私がサポートしてあげないと。
朝食が終わるまで、私はときどきカイテルさんの皿に料理を取ってあげた。
朝食後、お父様が屋敷を出る前に言った。
「リーマ、これお土産だ。勉強しながら食べるといい」
私は首を傾げ、差し出された白い箱を開ける。
中を見ると、四角と三角の美味しそうなお菓子が入っていた。
「うわぁ、美味しそう〜!これは何ですか?どうして急に?」
朝ご飯でお腹はいっぱいだったけれど、この美味しそうな二つのお菓子なら、完食できる自信がある。
「ケーキだ。あの小屋を見つけてくれたお礼だ」
「ありがとうございます!美味しくいただきます!」
お父様は優しく微笑み、ウィリアムズさん、カイテルさんと一緒に馬車へ乗り込んだ。
私は三人の姿が見えなくなるまで見送り、バーナードさんのところへ向かった。
ハーブを受け取り、丁寧に洗い、裏庭に並べて日干しにした。
今日の太陽は強く、空気も乾いている。
午後には、きっとしっかり乾燥するだろう。
夕方、お父様とカイテルさんが戻ってきたら、このハーブでお茶を淹れれば完成だ。
茶葉の準備を終え、私は図書室へ向かった。
しばらく勉強に没頭していると、
「お嬢様、ケーキとお茶です」
メイドさんが声をかけ、父が買ってくれたケーキとお茶を運んできてくれる。
「ありがとうございます!」
メイドさんはにこりと微笑み、静かに図書室を出ていった。
私はケーキをひと口食べ、温かいお茶を飲んだ。
うーーーーーん!
あんまーーーーいっ!
美味しいっ!
口の中から消えたよっ!
……
そういえば――
目覚めたときにもやもやがまだ消えていない。
……あれは、何だったんだろう。
ふと窓の外から鳥ちゃんの鳴き声が聞こえた気がした。
胸がまた苦しくなった。
私は小さく首を振って、再び本に視線を落とした。




