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第2話

 アヤノはエルナに教えてもらって棚や引き出しを探し、様々な道具が混ざった箱を見つけた。薬草師の工房ではあるが、少しだけ金属の扱いができる工具も揃っているらしい。

 一方でエルナは椅子に腰かけ、足の痛みを和らげながらアヤノの作業を見守っていた。


「チェーンのここがほつれているのと、トップの彫りが歪んでますね。まずはチェーンを細かく修理して……歪みを少しずつ矯正してみるので、多少跡は残るかもしれません」


 アヤノは前世で少しだけ齧った工具の知識を、できるだけ思い出しながら丁寧に作業を進める。エルナは黙って見ているだけだった。いくつかチェーンのコマをつなぎ直し、トップの凹みを小さな金属棒で軽く叩いて修正する。傷付いた部分には、"ヒール"をかけてみる。少しだけなら効果があったように見えた。


「完璧には戻りませんが、これで少し元に戻ったんじゃないでしょうか。」


 しばらくして、アヤノはペンダントをエルナに差し出した。少し痕が残っているものの、チェーンはまた首にかけられそうだ。トップの歪みもある程度まっすぐになり、細工の模様も確認できるようになっている。


「…………」


 エルナは無言でペンダントを手に取り、光に透かすように見つめた。しばしの沈黙の後、微かに唇が震えているのに気づく。喜びなのか、懐かしさなのか――ひょっとすると、壊れたまま放置していたことへの後悔もあるのかもしれない。


「……母にもらった大切なものなの。私がまだ幼かったころ……これをつけて森を歩き回っていた。あのときの記憶が、今でも大切で……」


 エルナはそこまで言うと、目を伏せて続きを飲み込んだ。アヤノは深くは聞かず、ただ静かに寄り添う。

 しばらくそうしていると、エルナは微かな笑みを浮かべた。


「……ありがとう。あなた、意外と器用なのね。聖女がそんなことまでできるなんて、ちょっと意外。」


 先ほどまでの警戒心が薄れ、やや冗談めいた口調になっている。エルナはぎこちなくペンダントを首にかけ、鎖がきちんと留まるか確かめた。


「……また身につけられるのね。」


 エルナは指先でペンダントを優しく撫でた。その瞳には、ほんのわずかだが潤んだ光が見えたように思う。

 その後もアヤノは、エルナの足の様子を見ながら部屋の片づけを手伝った。先ほどまでただの散らかった薬草の山だった場所が、二人で整理するうちに少しずつ整然としていく。エルナは足をかばいながら、それでもアヤノにハーブの効能や調合の手順を教えてくれた。


「これは解熱作用が強い代わりに胃を荒らす可能性があるから、調合に少し工夫が必要なの……」

「へえ……そんな組み合わせがあるんですね。勉強になります!」


 興味津々のアヤノに、エルナは最初こそ「なんでそんなに首を突っ込むの」と不思議がっていたが、次第に「この薬草はね……」と自発的に話すようになっていく。自分の知識や技術を教えることが楽しいのか、イキイキした表情を見せる瞬間もあった。


 夕方が近づき、工房の窓から差し込む光がオレンジ色に染まりはじめると、二人はようやくひと息つけた。エルナは椅子に座り、「ふう……」と小さく息を吐く。アヤノは立ち上がったまま背伸びをし、身体をほぐした。


「今日はかなり片付きましたね。これで動きやすくなるんじゃないでしょうか。」

「ええ。正直、助かったわ。ずっと放置していたから……。それに、ペンダントまで修理してくれて……ありがとう。」


 まだ警戒心は残っているかもしれないが、明確なお礼の言葉が返ってきたのは大きな進歩だ。アヤノは「どういたしまして」と笑顔を返す。


「足の痛みはどうですか?」


 アヤノが尋ねると、エルナは足元を少し動かしてみせる。


「……さっきより痛みはずいぶんマシ。こんなに早く変わるなんて、正直驚いてる。あなたの聖女の力ってのは、いったいどうなってるの?」

「私も全部わかってるわけじゃないんですけど……“治癒力を高める”効果があるみたいですね。体や心が本来持ってる力を引き出すんだと思います。」


 エルナは「ふうん」と唸りつつも、どこか納得したような表情を浮かべた。そしてペンダントに手をやり、そっと握りしめる。

 エルナが窓の外をじっと眺めていることに、アヤノは気がついた。その表情は夕日を眺めているというには、少し固いもののように思えた。


「外に、なにかあるんですか?」


アヤノは聞いてみることにした。


「……実は、外が怖いの。魔獣に襲われたのもこんな時間だった。外を見るだけで、あの恐怖が蘇るの……」


 ポツリと本音をこぼすエルナ。その横顔には、弱々しい陰りが浮かんでいた。


「焦らなくていいと思いますよ。無理に外へ出る必要なんてないです。足がもう少し良くなってから、少しずつ、一緒に練習することだってできますし……」


 そう言うと、エルナは僅かに目を伏せて、申し訳なさそうに呟いた。


「……あなたは、どうしてそこまで……」


 そこで言葉を切るエルナの目には、どこか迷いのようなものが宿っている。


「私はあなたが困っているなら、できることをやりたいだけです。いきなり一人で無理をしなくても大丈夫。少しずつなら進めますよ。」


 アヤノがそう伝えると、エルナは微かな笑みを返した。

 沈み込んでいた夕日が、工房の窓越しに最後の光を放っていた。辺りが薄暗くなるころ、アヤノは再度エルナの足にヒールをかける。温かな光が患部を包み込み、少しずつ回復を促す。


「…………」


 エルナはその光景をじっと見つめる。ペンダントの銀の光が、ヒールの輝きと重なって、わずかに揺れる。


 夕暮れが森を包み始めると、工房の中は淡い闇が広がり、炉の火だけが小さく明かりを灯していた。アヤノはエルナの誘いで、今夜はここに泊めてもらうことになった。街道まで戻るには遅い時間だし、エルナの足の経過を見たほうが安心でもある。


 二人は炉のそばに腰を下ろし、簡単な食事をとる。アヤノは自分の荷物から用意したパンや果物を出し、エルナは工房の棚から乾燥させた野菜を取り出した。互いに少しずつ持ち寄って作った夕食だ。

 食事の間、エルナはほとんど会話をしなかったが、時折ペンダントに手を伸ばして感触を確かめたり、そっと見つめたりしていた。


「……ねえ、アヤノ」


 不意に、小さな声で、エルナがアヤノの名を呼んだ。

 アヤノは「はい?」と返事をして、エルナの瞳を見つめる。


「そ、その……ありがとね。足も、ペンダントも……助けてくれて。私、誰かに頼るのが苦手なの。でも、ちょっとだけ……あなたなら大丈夫かもって思えた。」


 思わぬ言葉に、アヤノの胸は温かな感情で満たされる。彼女はまだ不安定で、心に傷を抱えている。それでも、ペンダントを直してもらったことが、一つのきっかけとなったのだろう。


「良かったです。私も、エルナさんの力になれて嬉しい。まだまだ先は長いかもしれないけど……少しずつ、一緒に治していきましょう。」


 エルナはそっぽを向きながら、照れくさそうに「……うん」と頷く。その仕草がどこか可愛らしく、アヤノは少し笑みをこぼした。

 夜が更け、炉の火が落ち着いたころ、外はすっかり暗闇に包まれている。工房の小さな窓からは満天の星が見える。

 アヤノは工房の隅に簡易的な寝床を作りながら、エルナのペンダントが淡く輝いているのをちらりと見る。アヤノの心にささやかな達成感が生まれていた。


「……おやすみなさい、エルナさん」


 アヤノが声をかけると、エルナはベッドに横たわりながら、「ええ、休んで」と静かに応じる。その声はまだどこか緊張しているが、以前の刺々しさは明らかに薄れている。


 こうして、アヤノとエルナの共同生活が始まった。足の治療をしながら、薬草師としての仕事を手伝う。森を出ることに対する恐怖は、簡単には拭えないかもしれない。

 もしエルナが外へ出る決心をしたなら、アヤノは迷わず手を差し伸べるだろう。一緒に歩いて、彼女を支えたい。

 アヤノは閉じかけた瞳の奥で、エルナが首元に戻ったペンダントを愛おしそうに握りしめている姿を思い浮かべた。彼女は、ほんの少しだけ安心できる夜を迎えているのかもしれない。

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