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第二章

 明くる日。

 昨日の自宅での騒動を思い出すと苦情が来てもおかしくなかったことに、今さらながら冷や汗をかき、しかし今朝の起き抜けの気分は悪くなかった。

「そういや所長って、いつ戻ってくるんだっけか?」

「あと一週間は帰ってこないだろ」

 朝十時に出勤した孝介は、既に到着して書類の整理などをしていた轍と雑談していた。

 話題は、所長である桜井源三郎のこと。

「随分と急な話だったよなぁ。いきなりの電話一本でニューヨーク長期出張とか、俺だったら絶対断る」

「この仕事やってたら、依頼を断るってことがどんだけ死活問題になるか分かってるだろう。ただでさえ最近は依頼が少ないってのに」

 元々がそれほど需要のある生業ではない。そのため謝礼金も高く設定せざるを得ず、さらに敷居が高くなるという悪循環が起こっている。

 しかも近年、ロボット技術の進歩に平行して進化し続ける科学技術を最大限活用した高性能防犯設備が多く開発されている。それらをリースするリース会社も相次いで起業したお陰で、他国と比較して低かった日本の犯罪発生率は、より一層低下した。

 不謹慎な話だが、そのせいで自分たちの仕事が減った部分は確かにあった。

 そこに来た、ニューヨークへの出張の話。

 相当に報酬が良かったらしく、源三郎は一も二もなく飛びついた。

 源三郎がニューヨークへと発ってから、今日で十五日目。既に二週間が経過していた。

「その間に来た依頼は、できそうなものなら俺たちで引き受けてもいいとは言ってたが、二週間経って一つもないってのはどういうこった!」

「それがこの業界の現状だ。諦めろ」

 言いつつも孝介は轍と同じ気持ちだった。これまで孝介と轍の二人は源三郎のサポートに徹していた。初めて自分たちに仕事が任されるということに責任を感じつつ、一方では胸躍らせてもいたのだ。

 そんな気持ちが表情に出ていたのか、轍はこの話を急に終わらせると、自分の鞄からおもむろに財布を取り出した。札入れを開いて、空のそれをひっくり返す。

「あーやばい。ちょーやばい。財布の中が寒くって凍えちまいそうだ。知ってるか、一昔前に流行ったらしい風水って占いじゃあ、財布に蛇の抜け殻入れとくと金運が上がるんだってよ」

「眉唾だろ」

「きっと蛇の抜け殻を財布に入れることで、変温動物である爬虫類の性質を財布に転写するんだろうな。そうすれば財布が寒くてもヘッチャラさ!」

「だから人の話を聞け。てか、それじゃあ根本的解決にはなってない」

 蛇が憑いてるのはお前の頭の方じゃないかと疑いつつ、蛇革製の財布を愛しそうに胸に抱いてクネクネしている頭髪メデューサ系な男から視線を外した。

 その時。

 キンコーン、と事務所の扉に取り付けられたチャイムが鳴った。

「失礼します。こちらが桜井探偵事務所でよろしかっ……」

 扉を開けたのは、紺色のスーツを着こなしている秘書然とした妙齢の女性だった。

 二十代半ばに見えるが、孝介と同年代と言われても十分に納得できる。髪を後頭部で結っており、怜悧で、かつ大人しそうでもある涼しげな目元を覆うように赤いフレームの眼鏡を掛けていた。

 その女性は、取っ手に手を掛けたまま静止している。その視線は間違いなく奇妙に体をくねらせる轍に向けられていた。

「……た、はずありませんよね。失礼致しました」

 と、すぐに扉を閉めてしまった。

「「…………」」

 二人で沈黙を重ねる。それから同時に叫んだ。

「仕事の依頼だ!」

「金の臭いだ!」

 突っ込んではいられない。二人は急いで女性の後を追った。

「待って! 待ってください! 合ってます、ここで合ってますから!」

「金との出会いを待ってますから!」

「お前は黙れっ!!」

 エレベーターの前にいた女性は大音声に振り向くと、いきなり始まったどつき漫才に目を白黒させていた。



 来客用のソファに女性を座らせ、自分たちも対面に座るとミラにコーヒーを持ってきてもらった。

 テーブルに置かれたコーヒーを勧めると「頂きます」と言いながら女性は口をつけず、決まりが悪そうに顔を紅潮させていた。どうやら先ほどの格闘系漫才にうろたえてしまったことを恥じているらしい。

 それ以上に顔が赤くなっている人間が目の前にいるというのに。

 孝介は顔の熱を治めようと自分の分のコーヒーに口をつけ余計に顔が熱くなり、アイスにしなかったことを後悔した。

 元はといえば轍が突っ込まざるを得ないような言葉を発したのが原因だというのに、三人の中で一番平然としているのは轍だった。理不尽なものを感じつつ、ニコニコしている轍に話を振ったら何を言い出すか分かったものではない。

 孝介は気を取り直すと、正面の女性に問い掛けた。

「それで、どういったご用件でしょう?」

「は、はいっ」

 焦ったような声を出した女性は、どこか取り乱したようにオロオロしていた。

 しかし、返事をしてからの女性は素早かった。ずり落ちた眼鏡の位置を直し、一つ咳払いを挟んでから胸ポケットから名刺を二枚抜いて渡してくる。

「私は世界平和機関日本支部の近藤菫と申します」

 手っ取り早く自己紹介を済ませた。

 しかし、それを聞いた孝介は眉を顰める。

 ……世界平和機関?

 世界平和機関とは、世界標準の平和の実現、またその恒久的維持を目指す国際機関だ。平和維持軍もこの機関に属し、軍を持っていることからも分かるとおり各地の紛争解決などを軍事力で解決することも辞さない、強硬な姿勢で知られる組織だった。

 そこに所属する人間が、事務所を訪ねてきた。しかもこんな、中東とアジアの核共同開発問題で平和維持軍の話題には毎日事欠かない時期にだ。

 ……臭いな。

 これはさすがに自分たちには荷が勝ちすぎるかもしれない。

 女性――菫は、そんな孝介の内心に構わず話を進めた。

「お察しかと思いますが、本日は依頼があって参りました」

 平坦になった声音に、孝介は姿勢を正した。

「一昨日、長野県と新潟県の県境にある妙高山麓にて発生しました『とある事件』をご存知でしょうか?」

 とある事件、なんて暈した言い方をされては、分かるものも分からない。しかし話の流れを止めるのもどうかと思い、文句は喉元で押さえ込んだ。

「……いえ、存じ上げませんが」

 一応隣の轍に目を向けてみたが、首を横に振るだけだ。

「一晩に、年齢も国籍もバラバラな十六人が殺害されました」

 孝介と轍は揃って息を呑んだ。それを見ても、菫はあくまで淡々と続ける。

「被害者の身辺調査をしたところ、共通点として被害者全員が『イスラ=エル』というキリスト系の宗教一派に属していたことが判明しました」

「『イスラ=エル』……っていうと、あの中東にある国か?」

 孝介が呟きに、いや、と否の声が続いた。

「……『イスラ=エル』。最後まで神に挑み続けた男の名だな。確かヘブライ語で『神と争う者』だったか」

 横合いから、聞いた事のないほど落ち着いた男の声が聞こえてきた。菫の他にも、まだ他に誰か来てたのかと周囲を見回してみたが誰もいない。

 いや、見間違えるほどに雰囲気を変えた男なら、いた。

 邑井轍。

 いつもふざけて周りを巻き込むだけのはた迷惑ボケ担当だった轍。つい先ほども能天気にニコニコしていた轍が、顎に左手を当てて、何やらブツブツと呟いている。菫が轍に視線を向けていることからして、今のセリフを言ったのは轍で間違いないだろう。

 孝介は瞠目した。まさか轍からそんな真面目な知識が出てくるとは思わなかったのだ。

 しかし、菫の「ええ、そうです」という肯定の言葉をもって現実に復帰した。

「『神と争う者』と自分たちを銘打って、切磋琢磨の末に少しでも神に近づこうとしていた宗教団体のようです。とは言っても、生贄を差し出して天使でも悪魔でもない何者かを召喚し人の身体からの脱却を図る、という歪んだ信仰の形態からして、どうやら悪魔崇拝に近かったようですね。実際に教会に問い合わせてみたところ、やはり『イスラ=エル』は異端扱いでした。いずれ神の裁きが下る、と憎らしげに語っていました」

「その宗教団体が一夜にして壊滅したと、そういう事ですか」

 きっと教会の人間は得意げだったに違いない。

「ですが、少し奇妙なんです」

 孝介と轍が首を傾げている前で、菫は脇に置いていた鞄の中から数枚の紙を抜く。それをテーブルの上に置くと、二人の前へと軽く押し出した。

 滑り込んできた、その紙にあったのは――。

「遺体の写真です」

「!」

 孝介は一瞬だけ身を強張らせた。源三郎の助手として幾度か死体の写真も、さらには本物の死体まで見たことはあったが、幾ら経験しても慣れるものではない。ところが轍は少しも動じていなかった。苦し紛れに孝介も死体の写真をまじまじと見る。

「…………ん?」

 見てみると確かに違和感があった。これまで見てきた死体の写真となると、もっと目を刺激するような色があったはず。なのに、これらの写真は、ともすれば人が眠っている写真ではないかと言われても信じてしまいそうな落ち着いた色合いだった。

 そう。

「出血が無い?」

「その通りです。さらに言えば、外傷すら見当たりませんでした」

 菫は死体の写真を並べ、

「司法解剖の結果、死因は全て心臓麻痺でした。どうも心臓にピンポイントで強力な電気ショックが加えられたようで」

「そんなことが……」

 できるのか、という疑問のセリフは最後まで続かなかった。

 孝介は――いや現代に生きる全ての人間なら、そんな所業の為せる犯人に心当たりがあるのだから。

「…………まさか」

 思考の結果、鼓動が加速度的に早まっていく。

 しかしそれは、現代社会ではあり得ないと一笑に付されるほどの愚かな推測だ。それしかないと思い至っても、人々は決して認めはしないだろう。今はそういう社会なのだ。

「ええ。恐らく、ご想像の通りかと」

 それでも返ってきたのは、孝介の推測を肯定する言葉だった。

 眠ったように息絶えている死体の写真の上で、緊張を伴った三人の視線が交錯する。

「私たちは、この事件をロボットによる殺人事件として調査を進めています」

「……っ」

 確かにロボットなら、三次元座標を特定し、そこに周辺の電子を集中させプラズマすら起こすことも可能だ。

 ロボットは基本的な情報送受信手段として赤外線を利用しているので、赤外線の熱作用により空中の電子を活性化させ誘導することは容易なはず。その上、電気的中性を維持しなければいけないプラズマが起こせるほどの電子操作ができるのなら、局部的に電流を流すことなど訳ないだろう。

 聞いた孝介は唇を噛む。轍がチラリとその様子を見たことには気付かなかった。

「現場にロボットは残っていませんでしたが、そう考えれば話が進むんです。何せ、人間味がないほど現場には物的証拠が無かったので」

 教会の言う神の裁きが、人間が創り出したロボットによって下された。宗教家にとってこれ以上の皮肉も無いだろう。

 ここで轍が質問を挟んだ。

「ロボットが犯人の可能性がある、というのは分かった。でもどうして、この事件に国際平和機関が介入しているんだ? 警察のサイバー犯罪課にでも任せるべきだろう」

「その理由は、お分かりでしょう?」

 もう一度、孝介は血が滲むほど強く唇を噛み、事務所内の掃除を始めたミラに視線を飛ばす。

「――過去に例を見ない、初めてのロボット犯罪、ですか」

「ええ」

 孝介の両親が開発途中のロボットの暴走によって殺された事件。それはIACによって闇に葬られている。もしかしたら、その後に起きたロボットによる事件も様々な情報統制によって揉み消されてきたのかもしれない。それらを知りうる機会のなかった国際平和機関に勤める菫にとって、この事件が歴史上初めてのロボット犯罪なのだ。

「これは歴史を塗り替える事件です」

 失礼な話だが、重大そうに語る菫が滑稽に見えた。

 それにしても、国際平和機関が把握した今回の事件すらニュースで流れないということは、今度は国際的な規制の圧力が掛かっているということになる。

 つまりロボットによる犯罪が、無辜の人々には知られていないまでも、既に各国の首脳や国際機関の上層部の人間たちは知るところとなったということに他ならない。

 確かに、ロボットによって人が殺されたなんてニュースが世間に流れれば、ロボットを所有する人々の間で大混乱が巻き起こることは間違いない。

「人がロボットを創造する時、そこにはアインシュタインコンプレックスが付き物です。オルテガ=ラクスネスもこの例に漏れず、彼の開発したAIには幾つかの基礎プログラムが設定されていました」

「第一条『人間に危害を加えてはならない』、第二条『人間に服従しなければならない』、第三条『この二つ以外の場合において自身の身を守らなければならない』、だろ」

「ええ。そして、この基礎システムは絶対に覆ってはならず、そのためAIにはプログラム改竄防止用の強固なプロテクトが掛けられていました。それすら超えてロボットが犯罪を起こしたということは、何者かがそのプロテクトを解除し、マスタープログラムを変更したということです。ロボットと言っても、あくまで機械なのですから、自ら犯罪を起こすということは絶対にあり得ません」

 菫は一度言葉を切り、孝介と同様にミラへと視線を向けた。

「また、これが単独犯による犯行だとは考えられず、警察はこれを大規模組織が裏についたサイバーテロ行為と判断しました。そういった経緯で現在、この事件の捜査権は世界平和機関に委譲されています」

 菫は一息ついて、ここで初めてテーブルのコーヒーカップに手を伸ばした。音を立てず上品に飲む。カップから唇を離した後、カップに付いた口紅を拭うことも忘れない。

 一方の孝介と轍は気を抜けなかった。

 これまで菫が話したのは、ただの事件のあらましに過ぎない。桜井探偵事務所に来た真の理由は、この後に語られるはずなのだ。

 二人はじっと待っている。菫が話し出すのを。

 しかし、カップを置いた彼女は、しばらく黙っていた。

一分ほど静寂が続き、孝介と轍が顔を見合わせた時、唐突に菫は口を開いた。ただそれは、事務所の壁際に所狭しと並べられた高い本棚を眺めながらの言葉だった。

「たくさん、本があるのですね」

 いきなりの話題に孝介は戸惑った。

「? え、ええ……。ここの所長が極度の濫読家なので、ジャンルも何もあったもんじゃないですけど」

「桜井源三郎氏ですね。お名前だけはかねがね伺っています」

「え、っと……一体誰から?」

「上司からです。自分がいつも懇意にしている探偵がいると」

 一通り本棚を見回し、菫は孝介に視線を戻した。そして、はにかむように微笑む。

 まるで悪戯を告白する少女のように。

「正直に申しますと、上司からその話を聞くたびに私は、今のご時勢に探偵なんて必要ないと考えていました。情報通信が発達し、ほぼ全ての学術フィールドを網羅した知識を電子情報としてネットから取得することができる。そんな時代に人の知識に頼ることは、不確実で非能率的だと。過去にあった冤罪問題などからも正確を期するべき犯罪捜査に人の知識を介在させることに、そこはかとない不安と不満があったんです」

 もう一度、菫は本棚を見た。精神医学であったりエッセイ集であったり流行の恋愛小説であったりと、そこには厚さも装丁もバラバラな本が同列に並べられている。

 それから苦笑を漏らした。

「ですが、思い切って上司にその話をしたらこう言われたんです。『知識は知識であって、それをどこから抽出しようと、それらを組み合わせて知恵としていくのは結局のところ人間なんだ』って。すごく痛かった。それまでの私は、自分が頭のいい人間だと自負していましたから、鼻っ柱が高かった分、余計に」

 ここまで聞いていて理解したのは、この告白が後の核心部分を話していく上で意味を持ってくるのだということ。だから二人は黙っていた。

「それからです。探偵って職業の人に興味を持ち始めたのは。今回こちらに伺う件も自分から手を上げました」

 少女のような笑みを、元の引き締まったクールな笑みに戻す。

 小さな目礼は本来の話に戻る合図だ。

「ここから先は、依頼受諾の返事を聞いてからお話させていただきます」

 これまで孝介たちは源三郎の助手として事件を見てきたが、その中核部分に関わることはなかった。もし源三郎がいない今、自分たちで依頼を受諾したとしたら、その責任は全て自分たちに掛かってくる。いざそんな局面に出くわすと心躍るなんて言っていられず、ただ押しつぶされそうな重圧が圧し掛かってくるのみだった。

 菫の告白の意味が分かった。

 信用と信頼。

 彼女が探偵に対して抱いている想いは興味でもあり尊敬でもあり、なにより信用と信頼なのだ。この判断は、その信頼を裏切らない覚悟をし、信用を違えない覚悟をして望めと言外に言っているのだ。

菫はもう一言を付け加える。

「本日、桜井源三郎氏がいらっしゃらないことは承知しています。私は、あなた方へ依頼しに伺いました」

 一旦言葉を切り、続いた言葉は、こうだった。

「あなた方を紹介してくださった人は、その桜井源三郎氏なのです」

――脳に、全身に、震えが来た。

「現在桜井源三郎氏には、別件でニューヨークへと飛んでいただいています。上司は、その桜井氏から今回の事件の適役をお二方ほど紹介されたそうです。そのお二方の名前が、副島孝介様と邑井轍様です」

 名前を呼ばれて、こちらから名乗っていないことを思い出した。それを契機に混乱していた思考が正常に回り始める。

 以前から世界平和機関と関係があったらしい源三郎が、自分たちを紹介した。

 それを受けて、何の実績も無い自分たちへと本当に依頼を持ってきたということは、世界平和機関が源三郎の言葉を信用しており、それなりの信頼関係が源三郎と世界平和機関の間で構築されているということだ。

 ここで断れば、その信頼関係がどうなるか想像に難くない。

「……………………」

 これまでも、きっと多くの仕事を世界平和機関から貰っていたのだろう。

 答えなど、初めから一つしか用意されていなかった。

 無言で目の前の菫を睨んでみても、凛とした笑みを崩さない。

 窓の外を見る。遠く空の果てにいるはずの、五十間近とは思えない豪胆な男に届けとばかりに、浮かぶ雲を睨みつけた。

 次いで青白い空を見上げながら考えるのは、己の過去。自分の人生は、あの事件により方向が決まってしまった。そして、ロボットが暴走したというその事件の真相を、自分はほとんど知らない。

 ロボットに関わる事件はこれまでもひた隠しにされてきた。今回の事件もそれに連なるもので、過去の事件に関しても何かしらの糸口となるかもしれない。もしこの事件を追っていったなら少しは真相に近づけるんじゃないか。己の人生を変えた事件の本当の姿を垣間見られるんじゃないか。

 これだけ人に大きな影響を与えておきながら、事件の詳細は何一つ自分に届かない。

 腑に落ちなかった。

「その依頼、お受けします」

 気付けば返事をしていた。勝手に決めてしまったこと、隣で苦笑していた轍には申し訳なかったと孝介は思う。



「率直に申し上げましょう」

 書類に諸々のサインをし、契約が成立すると、菫は続きを話し始めた。

「我々は『IAC』が黒幕ではないかと考えています」

 真の中心にある、核心部分を。

 十分に驚きの発言だが、しかしそれには疑問があった。

「……確かにオルテガ=ラクスネスのAIプログラムの改竄なんて、隠れてできる技術者集団はIACくらいしか無いかもしれませんが……。IACがそんな事をするメリットはなんです? 人を殺すなんて危険な橋を渡ってまで得られるメリットは」

「それはまだ不明です。が、考えれば幾つか出てきます」

 言いながら菫は眼鏡の位置を戻す。

「基礎プログラムにある『人間に危害を加えてはならない』という部分を克服することで……、つまり人を傷つけることができるようになって初めて可能となるビジネス。まず医療用のロボット開発が考えられるでしょう。外科手術用ロボットは人の身体にメスを入れることから基礎プログラムに反するため、開発ができませんでした」

 俯き加減で自嘲ぎみに唇を歪めているところを見ると、これは考えている正答ではないようだ。

「こちらなら、まだ良心的な開発方針なので個人的感情としては許せるのですが、それだったらテストとして人を殺すまではしないでしょう。目的と経過に矛盾が生じますから」

「確かにそうだ。矛盾はロボットにとって最大の劇薬だからな」

 轍が応じた。菫は頷きで肯定を示す。

「しかし、もう一つの方が危険なんです。こちらなら矛盾も生じず、おそらくビジネスの規模としても医療用ロボットの数十倍は下らないでしょう」

「……それは?」

 二人とも、大方の予想はついていた。しかし、本当にそんなものが世の中に出回った場合、世界は混沌に落ちることになる。現実逃避か、もしくは覚悟を決めるためかは自分でも判別できないが、短い時間だとしても、ともかく一拍置きたかった。

 そして、答えが来た。

「ロボットの兵器化、です」

「「……………………」」

 予想していたとはいえ、聞いた二人は言葉が出ない。

 自分たちの行動の結果を何も考えていないのか、という憤りと、そこまでして儲けたいか、という呆れ。

「……人の欲は終わりが無い、か」

 不意に孝介は呟いた。

「ん? どうした、孝介?」

「いや、俺もそんな立場にいたら、そうなっちまうのかと思ってさ」

 言った途端、頭部に軽い痛みを受けた。轍が頭を叩いたのだ。文句を言おうとして、しかし轍の言葉に遮られる。

「何言ってんだ、大丈夫に決まってんだろ。それを心配してる時点で、お前は心配ない」

 見ると、男から見ても頼りがいのありそうな笑顔を浮かべていた。

「そんでもって、そんなお前と一緒にいる俺も心配ない。つう訳で無問題だ」

 こんな男ながらに惚れそうな男のくせに、彼女はいないというから驚きだ。現に、目の前にいる菫も、轍にさしたる興味を持っていないように――いや、表現が正しくない。人間として興味深いが異性としては興味を持っていない、というような表情に見える。

 頭に揺らめく天然パーマが原因ではないかと疑っているが、確証はない。

「……よろしいでしょうか?」

 咳払い付きの菫の迂言に、関係ないことを考えている場合ではなかったと孝介は反省した。

「失礼。続きをどうぞ」

 では、と彼女は姿勢を正す。孝介と轍もそれに倣った。

「ロボットの兵器化には二つの大きな障害があります。一つは先ほども述べた通り、基礎プログラムに含まれる『人間に危害を加えてはならない』という条文に反すること。そしてもう一つというのが、こちらも基礎プログラムにある『人間に服従しなければならない』という条文です」

 高度な概念の話で知らず知らずの内に固い表情をしていたらしいこちらを見て、菫は一度話のペースを落とした。

「ロボットを兵器とするためには、人に危害を加えられるようにし、その上で人に服従しなければならないという条文を歪める必要があります。お分かりになりますか?」

「……殲滅対象を含めて全ての人間に服従してしまった場合、兵器としての機能を果さない、ってことですか?」

 言葉を整理する時間を貰った孝介は、これまでの菫の話を吟味して言葉を作った。果たして、それは正解だったようだ。

 菫が満足そうな笑顔を浮かべ、頷いたのだ。

「その通りです。攻撃を望む人間が『撃て』と言い、攻撃を望まぬ人間が『撃つな』と言った場合には、双方を立てようとしたロボットの認識に矛盾が生じますね。『人間に服従しなければならない』という条文には『人間に危害を加えてはならない』の条文に反する場合はこの限りではないと明示されていますが、前提条件として危害を加えられるようになったのなら、こちらも派生的に否定できます。後は全ての人間に服従してしまう可能性を消してしまえばいい」

「……『人間』っていう言葉の意味を限定する、ってとこか」

「ご名答、です」

 轍の返答に一際大きく首肯すると、区切りはついたというふうに、菫は鞄から新たな紙を取り出した。

「ここまでが、今のところ推察されている内容です。これらの事を前提として、お二人にやっていただきたいのはIACの内部調査と、事件現場でのロボット犯罪であるという裏付け調査です。今後、お二人には別行動をとって頂きます」

 調査内容が記された紙面を見て、二人は緊張を隠せなかった。今やIACは世界に名だたる大企業。そこに切って入っていくことに、底知れぬ恐怖を感じたのだ。

 IACには、孝介の両親が巻き込まれた事件を揉み消した過去がある。つまり、自分たちの落ち度で招いた事件であるにも関わらず、IACは断罪されていないということだ。

 IACに不都合だから、という理由で当たり前のように道義的責任を免れてしまう企業を相手取ることは、正直怖かった。

 ここに来てようやく、引き受けた依頼の圧倒的な大きさを思い知った。

「ご心配なく」

 菫の鋭さを持った声が、そんな心配を切り裂いて二人の元に届く。

「それぞれに国際平和機関から一人同行します。この国際機関の名前には、IACと言えども簡単に手出しは出来ないはずです」

「へえ、それなら大丈夫か」

 轍は納得しているが、孝介にはまだ気掛りが残っていた。轍に向かってそれを言う。

「なあ、どっちがどっち――」

「俺が事件現場の調査に行こう」

「…………」

 ……コイツ安全な方を選びやがった!

「ちょっ――」

「分かりました。それでは邑井様には現場調査をお願いします」

 反論しようとしたところで、菫にまで決定印を捺されてしまう。

 今さらだが、依頼を頼まれているはずの探偵二人が、依頼主に会話のイニシアチブを取られているのはどうなのかと疑問に思った。

 その依頼主が、孝介の方を向く。

「それでは副島様がIACの内部調査ということで。そちらには私が同行します」

「おぅっとおいおい、なら俺の方には誰が来てくれんの?」

「邑井様には日本支部内でも有名な方が同行する予定です。――山、ですからね。熊とか出たら大変ですから」

「…………嫌な予感がしてきた。なあ孝介、今なら代わってやっても――」

 報いとばかりにほくそ笑んだ孝介は、轍に最後まで言わせなかった。

「長野って言ったら、あれだ。世俗の垢に汚れていないウブな女の子が沢山いそうじゃないか。よかったな」

「ぐぬぬぬ……! わーったわーったよ! 田舎の純朴カワイ子ちゃん引っ掛けて向こうでよろしくやってやんよ! 俺がどえりゃあ可愛い子連れて帰ってきてもお前にゃ一言も喋らせねえからなっ!!」

 孝介に向って怒鳴るが、それを柳に風と受け流す。トドメに菫がこう言った。

「仕事だと言うことをお忘れなく。あと、そちらに同行する人が、そんなナンパの時間を許すかどうか……」

「ノ――――――――――――――――――――――――――!!」


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