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道の虫

作者: 黒川衛次

「……だからな、人間がいくら一人で頑張っても月には届くわけがないねん。高跳びのオリンピック選手でも無理なもんは無理や。例え腕の長さが10メートルありますっていうバケモンみたいな新種の人間がおったとしても月には到底届かない。せやから、人はその問題を解決するために協力してロケットを作ったんや。団結の力は凄いっちゅうことや」


標準語とエセな関西弁を混ぜて持論を述べる横山を僕は見もせずに、適当に相槌を打ちながら歩いている。先程までクラスで可愛い女子トップ3について熱く話し合っていたのに、気がつけば月とロケットの話にすり変わっていた。


横山はよく話が飛ぶ。この前も、数学の教師の中山についての愚痴を言い合っていたら、いつの間にか最新のスマホの値段が高すぎることについて話していた。話が飛ぶと言っても、横山の話の飛び方は何か異質だ。彼の話す話題は急にすり変わっていても気づかない。いつも話し終わった後に、前と後では明らかに異なる事を語り合っていた事に気がつく。おそらく、僕が横山の話に夢中になっていたからなのだろう。


かと言って、横山は飛び抜けて話が上手い訳では無い。実際、僕は横山の話で笑ったことはあまりない。と言っている今も、僕は大して真剣に隣の男の話を聞いてはいない。何故こんな変な話をしているのか、数分前の記憶を辿ってみたがわからなかった。思い出せたのは、僕と横山が思うクラスで一番可愛い女子は、前から三列目の席の岡崎さんだということが一致していたぐらいだ。


横山はだいぶ個性的な人間だ。これは僕だけが思っていることではない。クラスのほぼ全員がこの意見に同意するだろう。僕が出会ってきた人達の中で、この男だけ色が違う。色というのは髪色や着ている服の色ではなく、その人から発せられる固有のオーラのようなものだと僕は考えている。


例えば、クラス一の美人である岡崎さんの色はとても薄い水色。横山の話していた腕が10メートルもある気味の悪い人間も、おそらくは薄い緑か茶色だろう。だが、横山だけははっきりとした黄色だ。表すなら、神や仏の後光に近い。横山と一緒に歩いていると、偶に、本当の神がすぐ傍にいるような錯覚に陥ってしまう。思わずひれ伏したくなるほどの眩しさがこいつにはある。僕は、彼をなぜだか崇拝しているのかもしれない。


「なあ、日下部ってガム食ったことある?」


横山がまた話を切り替えた。今日は珍しくその事について気がつくらしい。


「え?ガムぐらい食ったことあるよ」


「それは何味?」


「ガムってめちゃくちゃ味あるから、どんなのを食ったのかとか指摘せんと分からん」


「じゃあ、質問変えるわ。何味のガムが一番上手いと感じた?」


「強いて言うならブドウ」


「なるほど。俺はソーダ味のガムしか食わんことにしてるから、ブドウのガムの味が一生分からん。まあ多分ブドウの味がするんやろうけど、それでも悲しいな。俺も食いたいわ、色んなガム」


「なんでソーダのガムしか食わねえの?普通に他のも食えば良くない?」


「なんでやろな。考えたこともなかったわ」


冗談を言っているのかと思ったが、横山は本当に少し悲しそうな顔をしていた。ソーダ味のガムしか食べないという謎のこだわりは奇妙だが、普段のこいつの行動を考えてみれば、不思議にも腑に落ちる所がある。


高校1年、夏休みが始まる前の、終業式の日。横山はどこで捕まえてきたのか、カナブンを僕にちらりと見せてはそれをガリガリという音を立てて貪った。僕はすぐにそれを吐き出させようとしたが、指示されたことを頑なに拒み、ついには飲み込んでしまった。何をしているのかと問いただしたところ、


「夏休みが始まるってことはな、みんなにとっても俺にとっても嬉しいことなんや。でな、本当に嬉しいことがあったら日本人は文化的な習慣で赤飯を食うねん。でも俺は食うもんは別に赤飯じゃなくてもいいと思っとんねん。なんでもいい。だから俺は敢えて誰も食わないカナブンを食ったんや。そっちの方がめでたいと思ったんや」


そもそも夏休みが始まる前に赤飯は食わないし、更にその代わりに、カナブンを食う人などもいない。本気で彼の正気を疑った。


だが、そんな彼の異常さも仲良くなるにつれて少しずつ慣れていった。僕は、そんな彼の変わりに変わった性格に惹かれたのだと今になって思う。だから、ソーダ味のガムしか食べないからといって今更疑問に思うことはない。


しばらくの沈黙の後、僕が口を開く。


「なんか横山って宇宙人みたいだな。普通の人には無い発想持ってるし、それを実際にするヤバさもあるし。人間の姿をした別の生き物みたいな。」


これが僕の本音なのかもしれない。「人間の姿をした別の生き物」は、普通に捉えれば悪口だが、横山に対して悪口を言っている自覚はなかった。寧ろ褒め言葉に近かった。心のどこかで僕は彼を尊敬している気がする。


「俺宇宙人ちゃうで、人間やで。そういうお前はなんか海の底でゆらゆらしてるワカメみたいだな」


「俺そんなワカメに見える?」


「雰囲気がワカメっぽい。俺は自分の事人間って思ってるけど、お前は七割ぐらいワカメだもん。」


「そうか?」


「そうやで。てか今何時?そろそろ急いで帰らんと、家で飼ってる金魚が腹空かしてんねん」


「その金魚食わねえよな?」


「俺は食わねえよ。死んだら悲しいやろ?その悲しみで俳句を書いてみたい。書いたことないから。てか今何時?」


「六時二十分ぐらい」


じゃあなも言わず、横山は急に走り出していった。徐々に後ろ姿が小さくなっていく。それを僕は呼び止めもせず、ただ見ていた。


あいつは、果たして金魚が死んで悲しむのだろうか。死なせたいのなら餌を与えなければいいだけの話だが、それをしないのがあの男の特徴だと思う。また、悲しんだとしてどんな俳句を作るのだろうか。それがなんとなく知りたい。知りたいというより、横山に憧れているという方が近い。

僕には無い「色」を彼は持っている。僕の色は無色透明だ。それは単純に個性がないということなのかもしれない。だから、彼のような色を欲しがっている。


空は淡いオレンジ色で染められて、アスファルトの歩道を照らしている。芋虫が、立ち止まった僕の前を通り過ぎようとしている。僕は芋虫をつまみ上げ、口の中に恐る恐る入れた。僕は横山に成れないことを痛感させられた。

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