6>> 使用人・弟に起きた事
ビャクロー侯爵家のお取り潰しが決まった。
オルドランという後継者が居るが『ビャクロー』の名そのものが皆から嫌悪されたことから、残しても不幸しか生まないと判断されたのだ。
ランドルやカリーナや姉二人が裁かれている間に、ビャクロー侯爵邸では一部の使用人たちも騎士たちに捕まっていた。
家令や執事、侍女やメイド長や料理人など。エーの存在を知っていたと思われる者たちの中から、どうにかできたのではないかと思われた者たちが反論の余地もなく捕まった。
エーの存在を知っていても本人たちにはどうにもできなかった者たちにはお咎めはなかった。エーの乳母たちなどがそうだ。エーを助けたことが万が一バレれば本人の命どころか家族の命が危ないと思えば、どれだけ良心が痛もうとも助けることはできないだろう。やはり『自分の家族の命』を一番大切に思うのは、仕方のないことだった。
だが、バレたとしても命まで脅かされることはない者や、バレないようにどうにかできたであろう者には、情けは与えられなかった。
特に料理長やその周りの料理人には厳しい目が向けられた。エーには貧民街から来た乳母兼メイドが作る野菜くずのスープと硬い黒パンだけを与えるように指示されていたのは分かっているが、料理人がその気になればいくらでも侯爵家の面々を騙せたであろうと思われた。エーの乳母たちは、夫人や姉二人はエーが食事をしている時間には滅多に現れなかったと言っている。乳母たちが料理している姿を誰かが確認したことも一度もなかったとも言っていた。
だったら、料理人はバカ正直に野菜くずなど用意せずに『厚く剥いた皮(と言えるような実質皮の付いた野菜)』を渡すとか『周りだけ黒い中身は普通のパン』や『黒い皮の中におかずやジャムが詰まっているパン』等に変えるとか、いくらでも『幼子の栄養面』を考えられたはずだった。エーの食事に夫人や姉たちが目を光らせて常にチェックしていたなら兎も角、そんなことは全く無かったと他の使用人たちが証言していることから、料理人たちのその行動も『エーへの積極的な虐待』だと判断された。少しでも『子供を助けたかった』という姿勢が見えていればそんな判断は下されなかっただろう。
そして他には、家令や執事やメイド長や専属侍女たちなどが『本人の意思によるエーへの虐待への加担』と判断された。
使用人は奴隷ではない。上級使用人ともなれば、家主が間違っていれば意見し、間違いを正さなければならない。必要であれば、外への報告をすべきだった。それをビャクロー侯爵家の使用人たちは誰もしていない。『生まれた三女がまともに育てられていない』と知っていて、何もしなかった。『何かしようと思えば行動できた立場だったのに』、だ。
ビャクロー侯爵家に怯えて行動できなかったとなると、それは王家や騎士隊よりも『ビャクロー侯爵家の方が怖い=強い』と思っていた証拠だろうと、使用人たちは白い目で見られた。
捕まった使用人たちは牢に入れられたが、捕まらなかった使用人たちが日常に戻れたかと言えば、当然そんなことはなかった。
殆どの使用人たちには三女の存在は『身体がとても弱い為に領地にて過ごしている』と教えられ『別邸にはカリーナの愛人が住んでいる』と教えられていた。下級の使用人たちにはそれを疑う理由すらなかった。……だが、事態はもう『知らなかった』では収まらない状態になっていた。
ビャクロー侯爵家の悪評は国内外に知れ渡っている。“聖女選定の儀”は他国の人間が見に来るほどに有名な祭りだ。観光に来ていた他国の者が見たことを黙っている訳がなかった。ある意味有名になったビャクロー侯爵家で働いていた者たちを自分のところで雇いたいと思う者は居なかった。当然次の就職に必要な紹介状など無い。黙って働こうとしても前の職場が言えない時点でまともな仕事場が与えられる筈も無かった。
知らなかった、知る立場になかった、子供が居ることすら知らなかった。その言葉を信じてもらえたとしても『ビャクロー侯爵邸で働いていた』と知られた時点で周りの見る目が変わった。罪は無かったとしても、平穏な生活には戻れなかった。そして…………心の優しい者や、心が弱い者が自責の念に苛まれ、自死を選んでしまっても……それもどうしようもないことだと思われた……
牢に捕まった者たちにはもっと過酷な現実が待っていた。
エーへの虐待を積極的に行っていたと判断された料理人たちは牢の中で鞭打ち刑に処され、他者に料理を振る舞う資格なしとして手がまともに動かないように処置された。これでもう料理人は名乗れない。そして十年間の荒れ地での農作業を命じられた。
ランドルに指示されてエーの乳母兼メイドを毎年雇っていた家令や侍従もエーへの積極的な虐待をしていたと判断されている。貧民街の平民は命令されたことしかできないと言ってもいい。ならばその彼女たちを実質雇っている立場の者が上手く立ち回ればエーの生活環境だってもう少し良くなった筈だった。だが彼らはそれをしなかった。する必要がないと判断したのだ。その『子供を守る意思の無さ』が重く見られて、彼らは鉱山での強制労働の刑となった。期間はエーの歳の14年。だが彼らが行く鉱山は一番危険な場所でもあった。作業員を補充しても補充しても減っていく、そんな鉱山で彼らは仕事をすることとなる。これはカリーナや姉たちの専属侍女たちも同じだった。カリーナたちの側で彼女たちは確実に三女の姿を見ていた。『主人に逆らえなかった』は通じない。彼女たちも泣いて叫んだところで鉱山での奉仕活動を命じられた。
他の上級使用人たちはエーと直接関係することはなかったことから、料理人たちや家令たちよりは軽い刑となった。
しかし鞭打ち刑の後に身分は剥奪された。侯爵家の上級使用人ともなれば全員が貴族の身分だ。彼や彼女たちはいくら自分にはどうすることもできなかったと訴えても、その役職から責任を取らなければならなくなった。平民になった彼や彼女たちは王都から離れた領地に平穏を求めた。実家が領地持ちの者たちは実家の領地へと移り住んだが、『聖女を虐待した家の使用人だった』とバレれば実家もどんな目に遭わされるか分からない為に、家族も助けることはできなかった。その為、全員が肩身を狭くして生活するしかなかった。どれだけ秘密にしていても何故か必ず周りに知られて嫌悪に染まった目で見られ、直ぐに厄介者だと避けられた。当然助けてくれる手も殆どない。
侯爵家の上級使用人として誇りとプライドを持って生きていた面々には、その生活は牢屋にいることよりもツライものとなった。
そして……
ビャクロー侯爵家当主の実子となるオルドランは…………
◇ ◇ ◇
まだ11歳の彼は教会預かりとして一生教会の敷地内で生活することに決まった。
オルドランは何も知らないどころか、自分に姉がもう一人居ることすら知らなかった。大聖堂で保護された時の彼はただ混乱と困惑の中に居た。侯爵家の嫡男として育てられたオルドランは取り乱すことはしなかったが、騎士たちに何処かへ連れて行かれる父親たちや自分を見る周りの視線の変化にその小さな体を震えさせていた。
ビャクロー侯爵邸に彼の実母である“ビャクロー侯爵家当主の愛人”がいることは周知の事実だったので、大聖堂からオルドランは邸へと返され、実母と共に邸で謹慎と言う名の軟禁をされることになった。その時点でビャクロー侯爵家の終わりを皆が肌で感じていたので、そのことに誰も反対はしなかった。邸にやって来た騎士たちに話を聞いた“ビャクロー侯爵家当主の愛人(オルドランの実母)”ことネアアス子爵家の次女オデットですら、青褪めながらも大人しく受け入れた。
今回の騒動を大聖堂内で見ていたネアアス子爵夫妻は直ぐに行動を起こした。
王家に掛け合い、娘はこちらに帰して下さいと頭を下げたのだ。オデットは好きでビャクロー侯爵家当主の愛人になった訳では無い。ランドルに金で買われたも同然だった。しかしオデットの両親だって娘を売りたくて売った訳では無い。小さいながらも領地を持っていた子爵家には、守るものが多かったのだ……
オデットはちゃんと納得してビャクロー侯爵家当主の愛人となった。そしてオルドランを産んだ。だが産んだだけでオルドランはビャクロー侯爵夫妻の養子として登録されている。オデットの立場は“雇われ乳母”でしかなかった。だからオデットの両親はやっと我が子を取り戻せると必死になった。
調べずともオデットがエーの虐待に加担していないことは分かった。そもそもビャクロー侯爵家でのオデットの立場はエーの次に悪かったと言っても過言ではない。夫人のカリーナから蛇蝎の如く嫌われており、娘たちも母に倣って父親を誘惑した娼婦のような女であるオデットを軽蔑していた。ランドルはオデットを性奴隷のように扱い、そんな扱いでも次の子が生まれなかったことから、何かしらの薬は飲まされていたのだろうと思われている。カリーナが“二人目”を許す訳がないからだ。そんな邸の中で、オデットは常に周りに怯えるように生活し、部屋から殆ど出ることもせず、出る時は極力オルドランの側に居た。
そんな彼女を家族の下に帰し、自由にしてあげることに誰も反対はしなかった。
だがオルドランはそうはいかない。
間違いなくビャクロー侯爵家の直系の血を引くオルドランをオデットと一緒にネアアス子爵家に行かせる訳にはいかなかった。『侯爵家の血』を持って、後から騒ぎになっては困るからだ。オルドランが何もしなくても、オルドランの子供が、自分には高位貴族の血が流れていると知って何かしでかしても困る。しかもオデットが子爵家に帰るということはオルドランの身分も子爵家に属するということだ。他の貴族が都合よく使おうとするかもしれない為、オルドランはオデットとの縁を完全に切らせる必要があった。
殺しもしないし酷い目にも遭わない。
ただ一生を静かに俗世から隔絶された場所で神に祈りを捧げながら生きるだけだ。次期侯爵家当主として育てられたオルドランにはつまらない人生かもしれないが、それが彼の為だとオルドランの処遇が決まった。
その話を聞かされたオデットは、反論もせずにただ静かに聞いていた。彼女の表情からは感情は読み取れず、悲しんでいるのか、望んで産んだ訳では無い子供から解放されることに喜んでいるのか、対応した者たちには分からなかった。
そしてオデットとオルドランが一緒に居られる最後の日。
派遣された騎士隊がビャクロー侯爵邸で目にしたものは、
血塗れのオルドランを抱き抱えて跪く血に染まったオデットの姿だった。
「この子の子種を作る部分を切り取りました。そして直ぐに傷口を焼いて、下級ポーションを掛けてあります。
この子にはもう子孫を残す機能はありません。
ですから、どうか……
どうかわたくしからこの子を取り上げないで下さいませ……
この子と二人、平民として王都から離れた場所で静かに暮らします。この子にも絶対に近付かないように、過去を話さないように言い聞かせます。
わたくし……いえ、私とこの子、二人、身寄りの無い平民として、ただこの国の為に生きると誓います……
ですからどうか……
どうか……っ、お願いで御座いますから……、私からこの子を取り上げないで下さいませ……っ
どうか……どうか………
どうか……お願いで御座います…………」
血塗れの子供を抱いて泣くオデットに騎士たちはどう声を掛けていいのか分からなかった。
どうかお願いです。
私から子供を取り上げないで……
そう静かに泣く母親に、周りは混乱した。
一瞬オルドランが死んでいるのではと緊張が走ったが、オルドランはただ眠らされているだけのようだった。眠らされた後に『部位』を切り取られたのだろうと思われた。
そんなオルドランをオデットは強い力で抱き締め、女性騎士たちでも二人を引き離すことはできなかった。
ビャクロー侯爵邸の前で娘が出てくるのを待っていたネアアス子爵夫妻が直ぐに呼ばれ、オデットを説得しようとしたがオデットは首を縦には振らなかった。
オデットの母親が優しく娘に伝える。
「……彼はまだ、貴女を待っていてくれているのよ?」
その言葉にオデットの目から涙が溢れる。
だがオデットはオルドランを手放そうとはせず、更に深く抱き締めると、困ったような優しい笑みを母親に向けた。
「私もあの人がまだ好きよ。
でもダメなの。
だって私、この子の母親だもの」
そう言ってオルドランの額に口付けた。
その姿に両親はもう何も言えなかった。
オルドランを手放せばオデットには自由が戻って来る。彼女を愛し、彼女への愛を誓って独り身を貫いている元婚約者がきっとオデットを幸せにしてくれるだろう。しかしオルドランは……
オルドランは教会に入ればもう二度と自由には生きられない。衣食住は約束され、肉体的苦痛に苛まれることはないだろうが、一生を決められたルールの中で変わらない毎日を送ることになる。
オデットはそれが分かっていたからこんな暴挙に出たのだ。
息子に自由を……
両親よりも、愛する人よりも、望まない妊娠で産んだ子供を選んだオデットに、誰もが何も言えなくなった。
◇
元々被害者なオデットをこれ以上苦しめることはないと、オデットの願いは聞き入れられた。
オルドランはオデットと共に平民として、ネアアス子爵家の領地の端で生きることを許された。
自由と言っても二人がネアアス子爵領を出ることは禁止される。だが両親が陰ながら援助することは許された。
もうこれ以上、ネアアス子爵家の人たちに悲しい思いをさせる必要はないと王太子が判断したからだった。
オルドランが目を覚ました時、下半身に痛みはあったが、大好きな産みの母親に抱かれて、初めて見る人たちだが自分をとても優しい目で見てくる人たちに見守られていて、なんだか幸せな気持ちになった。
だからその後に色々言われたことも、あまり重く考えずに受け入れられた。
平民のルールを覚えるのは大変だろうなと思ったし、自分に姉がもう一人居て、その人が聖女だったとちゃんと順を追って聞かされた時は驚いたが、オルドランにはちゃんと受け入れることができた。元々二人の姉たちとは挨拶すらまともにさせてもらえなかったので、今更姉が増えてもオルドランにとってはあまり変わらなかったというのもあった。カリーナが自分の母親ではないことも、カリーナから言われて知っていたので、オルドランはむしろ自分に自由を与えてくれたオデットに感謝しかなかった。
侯爵家の嫡男として育てられていたオルドランは突然平民として生きることになり、自分の子供を持つこともできなくなったが、むしろ柵から解放されたような晴れ晴れしさで、全てを受け入れた。
最上級ポーションを使えば身体は戻るだろうが、平民には一生かけて稼いでも買える物ではないし、オルドランにはポーション製作所の被験者になる資格もないだろう。回復の希望がないことが、逆にオルドランの気持ちを楽にした。
オルドランを縛るものは……もう何も無いのだ……と…………
これでやっと『何者でもない一人の“人”』として生きていける……と…………
きっとエーに会えることはないのだろうけど、
貴女も幸せになって下さい……
と、オルドランはエーを思って、無限に広がる空に祈った…………
(※オルドランの話を番外編で書きたいと思います)
(※※※次からはエーの救済回となります)