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3>> 暴かれるもの 

          

   

    

   

   

 カリーナの言葉を聞いて壇上に居た聖女の一人が動いた。小走りでエーに駆け寄るとエーと視線を合わせるように膝を突いてしゃがみ、椅子に座っているエーの顔を覗き込むようにしてエーに微笑みかけた。


「大丈夫よ、わたくしが……、! きゃっ……!」


 エーの顔を覗き込んだ聖女ノエルが小さく悲鳴上げてエーから体を離した。仰け反った反動で尻もちをついてしまった聖女ノエルにアシュフォードが驚く。


「どうしました?!」


 そんなアシュフォードの声に聖女ノエルは困惑した表情でアシュフォードを見上げた。


「お、お顔が……」


「え……?

 ……失礼するよ」


 要領の得ないその言葉にアシュフォードは自分の目で確かめる為に自分でエーの顔を覗き込んだ。


「……っ! な、んだ、これは……」


 アシュフォードはエーの顔を見て驚き、そして姿勢を戻すと怒りが滲んだ表情でビャクロー侯爵家の面々を睨んだ。


「……何故、彼女の顔がこんなことになっているんだ?」


 言われた言葉にランドルは戸惑い、カリーナはアシュフォードから視線を逸した。


「な、なんの事ですかな?」

「そ、それは…………」


 そんな2人を厳しい目で見つめたアシュフォードが後ろを振り返って声を掛けた。


「……誰か、お湯で濡らしたタオルを持ってきてくれ!」


 その言葉に数名がそれぞれに動いた。

 聖女ノエルは悲痛な顔で体勢を戻すと、今度は躊躇(ためら)いもなくエーを抱きしめた。

 ビクリッ、と傍目からでも分かるほどにエーがビクついた。しかし彼女は何も言わない。抵抗もしない。

 ただ椅子に座っていた。

 そんなエーを抱きしめて聖女ノエルが涙を流した。


「大丈夫よ……大丈夫だからね……」


 そんな言葉しか、聖女ノエルは今のエーに掛けることができなかった。




  ◇




 運ばれてきたぬるま湯と濡れタオルが聖女ノエルに手渡され、ノエルは優しくエーの顔を拭いてあげた。


 それを見てカリーナが焦る。


「お止め下さい!」


 叫んだカリーナの言葉をアシュフォードが睨んで黙らせる。


 顔を拭いたタオルをお湯の入った桶に浸けるとお湯は直ぐに白っぽく濁った。それを見た周りの人たちからは困惑の声が小さく上がり、それはエーや聖女ノエルを直接見れない人たちの為にさざ波の様に小声で聖堂の隅々まで伝えられて行った。

「お化粧?」

「それにしては濃い……」

「まだ取れるのか?」

 そんな声が周りから上がる。

 そしてエーの顔を拭いているノエルの表情は濡れタオルでエーの顔を拭く度に険しくなり、そして遂にはノエルが泣き出してしまった。

 それを見ていたアシュフォードが体を屈めてエーの顔を覗き込む。そしてアシュフォードも眉間にシワを寄せて険しい表情を作った。

 その、痛々しいものを見た様な表情に、エーの顔をまだ1度も見ていない人たちの顔にも険しいものが浮かんだ。不安に眉を下げる人も居る。ザワザワと緊張感だけが聖堂内に広がっていった。


 ノエルはエーの顔から邪魔な物を全て拭き取ると、自分の手を優しくエーの頬に添えて聖女の力を使い始めた。ポウッと淡く光るその様子を目にして周りの人々はエーが顔に怪我をしていたのだと知る。

 聖女の力は瘴気を祓う力だが、小さな怪我などなら治せるとも知られている。その様子を見ていた人々から小声でエーの様子が伝えられ、聖堂内に居る人々からビャクロー侯爵家の人間は厳しい目を向けられる事になった。

 この状態で『子供が怪我をしている』と知って『虐待』を疑わない大人は少ない。ランドルとカリーナは自分たちに向けられる視線の不愉快さに小さく歯軋りした。ランドルは周りを威嚇する様に睨みを飛ばし、カリーナは怒りで震える手を握りしめて自分は可哀想な女なんだと周りに訴えるように眉尻を下げてアシュフォードを見ていた。


「大丈夫よ……」


 ノエルがエーに優しく声を掛けるがやはりエーは顔さえも上げることはない。

 そんなエーを見てアシュフォードはカリーナに視線を合わせた。


「……彼女に動いてもらうにはどうすればいいのかな?」


 既にアシュフォードには一番の元凶が分かった気がしていた。

 ランドルとカリーナの態度の差。

 エーの顔を拭くことを嫌がったカリーナの態度や、先程のカリーナの言葉からアシュフォードはこの母親をエー(彼女)に近付けさせてはいけないと考えた。


 ランドルは理由もわからず青褪めた顔でアシュフォードとカリーナを交互に見ていた。

 カリーナだけが悔しそうに唇を噛んでいた。既に高位貴族の夫人として表向きの態度を取り繕っては居られない様だった。


「ビャクロー夫人。

 彼女に私の言葉を聞いてもらうには、どうすればよいのだ?」


 アシュフォードの声は優しげだったが、拒絶など受け付けない強さが含まれていた。

 王太子であるアシュフォードにジッと見つめられて、カリーナは視線を逸らして奥歯を噛み締めて沈黙した。


「ビャクロー夫人」

「か、カリーナっ!?」


 アシュフォードと、妻の態度が理解できずに焦るランドルに名を呼ばれて、カリーナは視線をアシュフォードに戻した。





   ◇ ◇ ◇





「……あ……っ……」

 

 口を開くがカリーナの口から言葉が出て来ない。

 何も言えずに唇をワナワナと震えさせるカリーナの態度に周りの不信感は募るだけだった。厳しくなる周りからの視線に耐えかねたカリーナが堪らずに口を開いた。


「そ、その子は……っ、その子は極度の人見知り、ですの……

 ふ、ふふっ、そうです……っ! その子は人見知りなのでっ! 母であるわたくしが横に居ないと人前で喋ることもできないのです……っ!

 な、なので殿下……っ!? わたくしがそちらに行っても宜しいかしら?

 わたくしがその子の隣に居ればその子も安心して殿下にお返事できますわ!

 ですから、宜しいかしら?」


 そう言ってカリーナは早足でエーの側に駆け寄ろうとした。しかし直ぐにその足は止まる。

 エーの横にはアシュフォードが立っているのだ。この状況で、侯爵家の夫人だからといって簡単にアシュフォードに近づけさせるほどこの国の騎士たちは甘くない。どこから出てきたかも分からない速さで騎士二人がカリーナの前を塞ぎ、カリーナは驚きのあまりつんのめり、危うく出て来た騎士にぶつかるところだった。


「キャッッ?! な、なんですの!?」


「それは私の言葉だよ。夫人」


 騎士の後ろからアシュフォードの声が聞こえる。少し呆れた音を含んだその声にカリーナはあからさまに悔しがっで顔を(しか)めた。

 それを周りの人たちが見ていることも忘れて。


「何故ですの?!」


「今この状況で、貴女を私の側に近付けさせる騎士は居ないだろう。貴女は自分の状況を理解していないのか?

 何をそんなにも焦っているのかは分からないが、今の貴女はこの子の側に居る為に何をするか分からない。その“何をするか分からない”、の中に私への危害も含まれているから騎士が出て来たんだ」


「そんなっ!? 危害だなんて?! そんなことはいたしませんわ!」


「それが分からないから騎士が居るのだ。それに、この子の側には私や聖女が居る。安全面で言えばこれ以上の場所は無いだろう。だから貴女はそこに居てくれていい。

 人見知りで母親が側に居ないと喋れない? もう14にもなるというのにか?

 何故もう14となる貴族の令嬢が母親の補佐が無ければ言葉も話せないと言うのか? 彼女は声が出ない訳じゃないのだろう? 一人で歩くことも出来て、自分が何をすればいいのかも理解して動けていた。それなのに今更母親が側にいないと何も出来ないと言うのはおかしくはないか?

 人見知りだと言うのならば、ならば今は丁度良いではないか。彼女ももう14になり、母に頼ってばかりでは居られないだろう。ここで一人で話す練習をすれば良い。

 さぁ夫人。

 彼女に『自分で話す』ように言うんだ」


「……っ!!」


 有無を言わせぬその圧力にカリーナは唇を噛む。

 その様子にランドルも自分たちの立場の悪さを理解して焦るが、王太子であるアシュフォードの威厳ある態度に喉を震わせて冷や汗をかくことしか出来なかった。何か、何か言わなければ、どうにか事態を打破してエーを手元に戻さなければと思うが、ランドルにはもうどうすることもできなかった。

 

 黙り込んでしまったビャクロー夫妻にアシュフォードは眉間にシワを寄せてため息を吐いた。

 そして改めてカリーナを見る。


「では、言葉を変えよう。

 ビャクロー夫人は私が言うことを実行してくれればいい。

 こう、エー(彼女)に言うんだ。


『今、貴女の肩に触れている人の言葉を聞け』と」


 その言葉にカリーナはビクリと大きく体を揺らした。そんな言葉を、言える訳が無い。……だが……

 アシュフォードは自分を見ている。

 周りの人たちはアシュフォードが言った言葉に「使用人への指示のようだ」と訝しげに囁いて殆どの人がカリーナを眉間にシワを寄せながら見ていた。


「あ……そん……、あの…………」


 顔面蒼白で目に涙を溜めながら怯えるカリーナの姿は被害者の様だった。現状を上手く理解できていない遠くの席の人々は何が何だか分からずにカリーナを不憫に思う者も居た。だが殆どの者たちは今何が起こっているのかも分からずに混乱していた。

 新しい聖女はどうしたんだ? と既に大聖堂の外まで話は伝わっていた。


 全ての人の視線が自分に向かっていることを肌で感じ取ったカリーナはもう思考がうまく働かない程に動揺していた。

 逃げたくても逃げられない。

 愛する二人の娘は自分の後ろで抱き合って震えているのだろう。自分を助けてくれそうにない二人の娘にカリーナは怒りさえ感じていた。夫であるランドルもただ震えて青褪めて使い物にはならない。

 ──何故こんなことに?! 何故っ!?!?──

 そんな言葉ばかりがカリーナの頭を埋め尽くし、そして不意に合わさったアシュフォードとの視線に遂にカリーナの思考は観念した。



「…………エー……

 王太子殿下の言うことを聞きなさい」


 カリーナの声が聖女ノエルの耳にも届く。ノエルに聞こえるのだからエーにも確実に聞こえていた声だった。

 しかしエーは何の反応もしない。

 そのことにカリーナはパッと口元に笑みを浮かべてエーを見た。


「ほ、ほらっ! どうです?! エーはわたくしが側に居ないから何の反応もできないのです! 見ましたよね!? 皆様!!」


 周りの顔を見渡してカリーナは焦りの気持ちを隠して困ったように笑ってみせた。

 しかしそんなカリーナをアシュフォードは表情を変えずに見つめている。そしてその冷めきった視線をスッと細めた。


「夫人。私の言葉を聞いていなかったのか?

 私は『私が言うことを実行してくれ』と言ったのだ。これは“お願い”ではない。


 この子は“王太子殿下”などという言葉を聞いても分からないのだろう?」


 疑問形だったが確信していると思われる声音でそう言ったアシュフォードにカリーナは息を呑むほどに驚き、周りの人々は耳を疑う言葉を聞いたとざわついた。


「なっ……っ、な、……

 そ、そんな訳……ありませんわ……そんな…………」


 困ったように苦笑いを浮かべるカリーナの苦し紛れにも見える表情に周りの人々の顔に不信感が浮かぶ。

 この国に生きていて王太子を知らないとかあるのか? 平民の子供でも知っているぞ……

 周りの人々の囁き声にカリーナは唇を噛み怒り、怒鳴りそうになるのをグッと堪えた。

 そんなカリーナをじっとアシュフォードは見ている。

 カリーナを止めた騎士たちも、周りの人々も全員がじっとカリーナを見ている。


 騎士たちはこのままカリーナがアシュフォードの言葉を無視するのであれば不敬罪として剣を抜くことも考えていた。一人が静かに腕を動かし、カリーナをじっと見つめたままに剣の柄に手を置いた。

 それだけでカリーナの怒りは恐怖に書き換えられる。この場で斬り殺されてもおかしくないのだと認識する。

 

 カリーナは体から血が無くなるような気がした。自然と体は震えだし、息が上がる。震える唇を自然と舌で湿らせていた。カラカラに乾いているはずなのに唾を飲み込んだ喉がゴクリと鳴った。


 アシュフォードの視線から自分の視線を逸らすことすらできずに、カリーナは震える唇で言葉を、発した。


「あ……、ぁ…………エー……

 エー……、今、……貴女の肩に手を置いている人の言葉を聞きなさい……」


 それは小さな声だった。

 ザワザワと人々が小声で話し合う声がさざ波のように聞こえていた聖堂内の中で、カリーナの声は近くに居る人たちにしか聞こえない様な音量だった。

 だがエーは答えた。


「はい。わかりました」


 その声はとても子が親に返事をする声には聞こえなかった。





   ◇ ◇ ◇ 





「……エー嬢?

 ……………エー?」


 アシュフォードは最初にエーに敬称を付けて声を掛けた。しかしエーはピクリともしない。だから次に敬称を外して呼んでみた。そうするとエーの体がピクリと動いた。頭が少し動いたが顔を上げることはなかった。


「……はい」


 少ししてエーが返事をした。

 それはとても小さく、戸惑いを含んだものだった。名前を呼ばれたがどうしたらいいのか分からないのだろう。そのエーの戸惑いが周りにも伝わる。

 それだけでノエルは目頭が熱くなった。どうやって育ったらこんな風になるのかノエルには想像もできなかった。


 アシュフォードはエーのその反応を見て確信する。この子は自分の名前を『エー』とだけしか理解していない。『嬢』という敬称すら知らない。高位貴族の令嬢なのに『どうすればいいのかも分からずに』戸惑っている。

 アシュフォードは奥歯を噛み締めたくなる気持ちを腹の底に押し込んでエーを見た。

 そしてエーに声を掛ける。


「エー。顔を上げて周りを見なさい」


 短く、簡単な言葉で。

 アシュフォードは優しくエーに声を掛けた。

 その言葉を聞いて、初めてエーは首を上げて、顔を皆に見せた。


「……っ!」「ぇっ!?」「あっ……!」


 エーの顔を見た人たちから様々な声が漏れる。そんな人たちをエーは無感情に見回した。エーからすれば初めて見るたくさんの人の顔だった。エーは最初だけ少し目を見開いたように見えたが、その後はただ言われた通りに周りを見回しただけだった。

 そのエーの顔にはところどころに青痣(あおあざ)が浮かんでいた。片方の頬が不自然に赤くなっていて、青白く血色の悪いエーの顔色を更に不気味に彩っていた。聖女ノエルが少しだけ癒しの(ちから)を使ったと言っても怪我を瞬時に治せる訳では無い。痛みを少しだけ軽くするくらいだ。特に長年積み重なった負傷の跡には本当に気休めになるかならないかだろう。

 人々が目にしたエーの肌の色はとても高位貴族の御令嬢の肌色とは思えなかった。

 貧困層の平民よりも色の悪い肌に対してエーの着ている服が余計に異質に見えた。ゴミを飾り付けしても所詮はゴミには変わりないと思わせるような、そんな見た目をエーはしていた。


「エー。おいで」


 アシュフォードはエーの前に手を差し出した。そのアシュフォードの手にノエルがエーの手を取ってアシュフォードの手の上に乗せてあげた。そうしてエーの手を優しく握ったアシュフォードはエーの手を引いて歩き出した。エーはただそれについて行く。


「っ、エー!!」


 堪らずカリーナがエーの名前を呼んだ。

 その声にエーは周りが驚くほどにビクリと体を揺らしてアシュフォードの手を離してカリーナに振り返った。


「はい」


 カリーナを振り返ったエーは無表情にただカリーナを見て立っていた。

 そんなエーにカリーナは焦りを隠そうともせずに声を飛ばす。


「エーっ! こちらに来」


「ダメだよ」


 カリーナが言葉を言う前にアシュフォードが後ろからエーの両耳を塞いでカリーナを見た。

 睨むでもなく笑うでもなく感情の読めない目でアシュフォードに見つめられたカリーナは言葉に詰まり、そしてそんなカリーナとアシュフォードを遮るように騎士が立ち、カリーナの視界からエーを遮断した。

 騎士に睨まれたカリーナは言葉が喉から出ずに青褪める。


 アシュフォードはエーの両耳から手を離すと優しくエーの両肩に触れた。


「あの人の言葉は聞かなくていい。私の言葉を聞いて」


「……はい」


 アシュフォードに再度手を引かれたエーはその後に続く。

 父であるランドルも姉であるシャルルもサマンサもただそれを見ていることしか出来なかった。

 どうしてこうなった? 何が起こっている? 何故こんなことに?

 3人の頭の中にはもうそれしかなかった。

 今日は着飾って聖女選定の儀に出席して楽しむ日ではなかったのか? ()()()()()()()()()やっぱり駄目なんだ。()()を外に出すんじゃなかった。()()()()()()。そんな思いがビャクロー家の面々の中で渦巻く中で、当事者である()()が王太子殿下に手を引かれて歩いて行く。

 そうして演壇(えんだん)へと上がって行き、エーがまた『クリスタルでできた小さな花樹(かじゅ)』の前に立った。


「「「……っ!」」」

「……だ、だめ……よ……っ」


 ランドル、シャルル、サマンサが息を呑み、カリーナが弱々しく拒絶の言葉を呟いた。

 だがそれを気にかける者は誰もいない。騎士たちだけが物言わず厳しい目でビャクロー家の面々を見ている以外はみんな演壇(えんだん)の上に立つ王太子とエーを見ていた。


「エー。これを触って」


「はい」


 アシュフォードは花樹(かじゅ)を指示してエーの後ろに下がった。エーは言われるままにクリスタルの花樹(かじゅ)に触れた。


 エーが触れると花樹(かじゅ)は光り輝きながらその花弁を開き、美しく咲き誇る姿を人々に見せた。その輝きはアシュフォードがエーの手を取って花樹(かじゅ)からその手を離すまで続いた。

 美しく優しい光に不安が広がっていた聖堂内に安堵の溜め息がチラホラと零れる。何やらごたついていたがちゃんと聖女様が見つかったんだと人々の口元に微笑みが戻る中、その聖女であるエーは花樹(かじゅ)の光にすら何の反応もせずにただ前を見て立っていた。


「おめでとう。君は聖女だよ」


 アシュフォードが優しくエーに話しかける。

 そのことにエーはアシュフォードを見上げてその顔を見るが、エーの表情は変わることはなかった。


「……“聖女”とは、何か分かるかい?」


「もうしわけありません」


 アシュフォードの問いにエーはそう返事をした。『知らない』でも『分からない』でもなく、そう返事をした。

 そのことにアシュフォードは痛ましげに眉を寄せる。

 この子はどこまで知らないのだろう……いや、どこまで、どの程度まで“知っている”のだろうかと、アシュフォードは胸を痛めた。


 そんなアシュフォードとエーの側に大司教が近付いてきた。遠くからずっと静かに事の成り行きを見ていた大司教はただ静かにアシュフォードに声を掛ける。


「新しい聖女を歓迎します。

 さて、……通例であれば新しい聖女から皆に言葉を頂くのですが……、今回は殿下から喜びの言葉を頂くことに致しましょうか?」


 普段と変わらない表情の大司教であったが内心では心穏やかではなかった。式典用のローブの下に隠れた手は小刻みに震え、それを止めるように大司教の手は握りしめられていた。子供のこんな姿を見せられて、何も思わないような人間が大司教になることはない。だが彼は怒りをコントロールする術を知っているので、平然(へいぜん)とした態度でそこに立っていた。

    

   

    

    

             

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