6>> 変わっていく
フレッドが引っ越してきて朝と夕方、家の前を通る時にオデットは家の中から挨拶をした。
わざわざ外に出て側に寄ったりはしない。ただ互いに顔を見せ合う。そして挨拶を交わす。それだけの関係に見えた。
それでも、そんな小さな変化でオデットの表情は随分と変わった。心から穏やかになったように周りには見えた。
しかしそれと同時にアルにも変化が現れた。オデットへの甘えが酷くなったのだ。側に居れば抱き着きたがったし長くオデットの姿が見えなくなると不安がり常にオデットがどこに居るか知りたがった。眠る時は必ずオデットの横で、身体のどこかがオデットに触れてなければ寝れないかのようだった。
そんなアルをオデットは優しく受け止め、その全てを受け入れた。アルが口にしなくても、その心が分かるような気がしたからだ。
『僕の側に居て』
『僕を一人にしないで』
『僕を置いていかないで』
そう言いたいのにできないアルをオデットは抱き締めた。不安にさせてごめんなさいねとその頭を優しく撫でながら。
そんな二人に……いやアルに、不満を持った者が居た。
村長の孫の一人であるワッツだった。
「おい! お前まだ貴族のお坊ちゃん気取りかよ! 俺たち平民はお前くらいの歳になったらもう大人の男と一緒なんだぜ!
お前ももう平民なんだからいつまでも母ちゃんに甘えてんじゃねーよ!」
突然言われた言葉にアルは心底驚いた。
そんなつもりはなかったからだ。
ただオデットと離れたくない。一人になりたくない。置いていかれたくないと不安に怯えて母の側にいただけなのに、それを『甘えている』と指摘されたことが衝撃だった。
「そ、そんなつもりは」
戸惑うアルにワッツの弟であるガゼルが二人の間に入ってワッツに向かって苦笑いを浮かべた。
「兄ちゃん、そんな風に言ってやんなよ。アルだってまだここに来て慣れてないんだし色々あって心淋しいんだよ。なぁ」
そう言って眉を下げた笑みで見られてもアルは何と返事をしたらいいのか分からなかった。
だってアルには、“そんなつもりはなかった”から。
ちゃんと理解しているつもりだった。ちゃんと割り切れてるはずだった。
アルはここに来てちゃんと『新しい自分』になっているつもりだったのだ。
それなのにあまり年齢も変わらないワッツやガゼルに『まだお前は貴族の令息のままだな』と思われていることに少なからずアルはショックを受けた。
甘えていたつもりもない。ただ母に遠くへ行って欲しくなかったからだ。自分を置いて誰かのところへ行って欲しくなかっただけだ。
甘えているつもりなんて……
指摘されたことに戸惑うアルの腕をワッツは掴んで引っ張った。
「っ?!」
「お前は知らないことが多過ぎる!! かぁちゃんの有り難みをもっと知るべきだぜ!!」
「ちょっと、兄ちゃん!?」
ワッツから言われた言葉の意味も分からず、何処に連れて行かれるのかも分からないままにアルは腕を引かれるままに歩いた。その後ろを弟のガゼルがついてくる。
家を出て小高い丘までそこそこの距離を歩いた。そしてその先にある小さな教会の建物が見える所までくるとワッツはアルの腕を離した。そして教会と併設された建物の側で走り回る子供たちを指差してアルを見た。
「あいつらは孤児だ。
お前、あいつらの前でも母ちゃんに同じ事ができんのかよ」
言われて息を呑んだ。
遠目に見える子供たちは8人。その半分はアルより小さい年齢に見えた。その周りに大人の姿は見えない。年長者と思われる子供たちが自分より小さい子の面倒を見ているようだった。
そんな子供たちの前でアルはオデットの手を握って側を離れないようにくっついたままで居られるだろうかと言われて……何故かアルは羞恥心を感じてカッと顔が赤くなった。瞬時に『できない』と、『そんな甘えん坊の幼子の様な事はできない』と思った。そしてそこで初めて、ワッツが自分に対して『甘えている』と言った意味を理解した。
“オデットは自分の庇護者だからオデットは自分だけを見ていて当然”
“自分は子供だから唯一の肉親である母を求めて当然”
だと、無意識に思っていた。
その、“オデットが居る前提の考え方”に気付いて、アルは急に恥ずかしくなった。
そんなアルにワッツが言う。
「あいつらに親は居ない。だから側に居たいと思うことすらできない。だから親の居る俺たちは恵まれてるんだ。居るだけで有難いんだぜ!
それなのにお前はなんだよ、かぁちゃんの自由奪ってさ! 貴族さまが何歳まで子供でいれるか知らないけど、ここじゃあもう俺たちくらいの歳の奴らは一端の男としてやらなきゃいけないんだ! かぁちゃんの後ばっかついてくような恥ずかしいマネすんじゃねぇよ!
あの家に来たならお前はもう俺の弟みたいなもんなんだから、お前が恥かくと俺が恥ずかしいんだよ! 分かるか?!」
最後は怒鳴るように言うワッツをアルは驚いた顔で見返していた。
怒られた。
恥ずかしいと言われた。
そして最後に……
「弟……?」
言われた言葉を聞き返していた。そんなアルにワッツは両手を腰に当ててフンッと鼻を鳴らした。
◇
ワッツは真正面からアルの目を見て言った。
「一緒の家に住んだら家族だろ。
そしたら年下のお前は俺の弟になるじゃねーか」
何を当然のことをと言わんばかりに答えたワッツにアルは混乱と、そして少しの恥ずかしさを感じてムズカシさを覚えた。
家族。弟……、そんな風に考えたこともなかったからだ。
そんなワッツとアルのやり取りを後ろで見ていたガゼルが苦笑いを零してアルの前に来た。
「そうだぜ。お前があんまり甘えただと俺たちが恥かくんだからやめろよな。
今まで色々あってお前も大変なの分かるけど、オデットさんだけがお前の全てじゃないだろ? 不安があるなら俺たちにも頼れよ」
「つか母ちゃん離れした方がいいぜ?! 今のまんまじゃ他の奴らにもお前のこと紹介しずらいんだよ! オデットさん連れて皆んとこ行く訳にもいかないしな」
「みんな?」
アルはワッツとガゼルから出てくる言葉に驚かされるばかりだった。目をパチパチさせて聞き返すアルにワッツが逆に不思議そうに見返す。
「ダチだよ友達。村の奴ら」
「いつ会わせてくれるんだってすげぇ言われるんだぜ? 皆お前が気になって仕方ないんだよ」
「やべぇ奴じゃないとは言ってるんだけどな〜」
「顔が貴族だからな〜」
ワッツとガゼルのやり取りにアルの頭はついて行くのがやっとだった。『顔が貴族……』出てくる言葉のどれもに驚かされてアルは何とも言えない表情になっていた。
ただそのやり取りに出てきた言葉のどれにも悪意を感じることはなくてなんだか変な感じがする。
「僕は……」
「「ん?」」
何かを言わなければと口を開いて溢れたアルの声にワッツとガゼルが耳を傾ける。自分を見る二人の目には穏やかな感情しかない様だった。拒絶の感情など微塵も滲まないその二つの視線にアルの中の何かが緩む気がした。オデットしか居なかった場所に、違う空気が流れてくる様な……そんな変化……
「僕は……もう、貴族じゃない……」
アルの口から溢れた言葉はアルの意識外のものだった。言った後で、あっ、と思った。不満にしか聞こえないその言葉をワッツとガゼルがどう思うか。瞬時に焦ったアルの肩にワッツの手が置かれた。
「貴族とは言ってねーよ」
そのワッツの言葉にガゼルが続ける。
「“顔”が、って言っただろ? アルは顔が、貴族なんだよ」
ウンウンと頷きながらそう言ったガゼルにアルは困った顔を向けた。
「それって……どういう意味だよ……」
答えたのはワッツだった。
「意味も何もそのまんまだよ。顔“が”貴族なんだよなぁアルは」
「仕草も結構“貴族”だよね」
「そうそう、動きも“貴族”」
二人の言葉にアルは当惑して肩を落とした。そして溜め息と共に言葉を吐いた。
「そんなの……どうしたらいいんだよ……」
仕草など今まで培ってきたものだ。むしろ家庭教師から厳しく教え込まれたものだった。それを指摘されても今直ぐどうにかできるものではない。それにアルは『平民の仕草』など知らない。どうすればいいんだよと、思ったことがそのまま顔に出ていたのかアルを見ていたワッツとガゼルが面白そうに笑ってみせた。
「だから俺たちがいるんだろ」
「任せろ、兄弟。お前の母さんが知らないこと、いっぱい教えてやるからさ!」
そう言ってワッツとガゼルは左右からアルの肩に腕を回して並んだ。
え?、っと思っていたアルは二人に流されるままに並んで歩いた。初めて肩に感じる年齢が変わらない他者の体温にアルは戸惑う。そしてアルを挟んで交わされる楽しそうな会話にも不思議な感じがした。
ワッツとガゼルの会話は一方的でアルは話を聞き取るのがやっとだ。まだ言われた言葉をちゃんと理解できていない。弟。兄弟。戸惑うだけのその言葉に、でも全然嫌な気持ちにはならなくて。それどころかどこか気恥ずかしくなるそれらにアルの心は戸惑う。
「折角ここまで来たんだから孤児院に挨拶しとこうぜ」
「そうだね。教会にも寄っとこう」
アルの意見を聞かずに連れ回される行為に全く嫌だと感じないことがまたアルを戸惑わせた。
そのことがまた不思議だと思うのに全く二人に抵抗しようとも思わなくて、アルはワッツとガゼル兄弟のされるがままに孤児院へと行き、そこで新しい出会いもした。
驚きと新鮮さばかりのその時間を、アルはやはり一度も嫌だとは思わなかった。それどころか体の奥から温かくなるような、ソワソワとするような……次を期待するような『楽しさ』を感じていた。
アルは自分の口角が少し上がっていることにも気付かずに、ただ戸惑いのままに流された。
そして後から気付く。
その日、家に帰るまでオデットのことが頭から抜け落ちていた事に。そんなことはこの村に来てから初めて……いや、ここ数年で初めてのことだった。
「アル、おかえりなさい。
外は楽しかった?」
家に帰ってきたアルにオデットが声を掛ける。
その温かな表情と“帰宅の挨拶の言葉”と“帰ってきたと思う安心感”にアルはとても新鮮さを感じて、そして初めて、自分が『一歩外に出たんだ』と思った。
◇
ワッツとガゼルがアルを呼ぶことが増えて、アルは自然とオデットと離れる時間が増えた。
あんなに母の側に居たかったのに、あの感情は何だったのかと思う程に今は自然と離れることができていた。ワッツとガゼルと、それからその二人から紹介されてできた新しい友人たち。遊び時間に人目も気にせず服が汚れるのも気にせずマナーも気にせずに遊ぶことの楽しさをアルは直ぐに夢中になった。
そして家に帰ればオデットが優しく温かく迎えてくれる。そのことがアルを嬉しくさせた。離れていても『母はここに居る』んだと安心感を持てた。そしてこの家にはアルを迎え入れてくれる人がオデット以外にもちゃんと居て、『ここはアルの居場所』なんだと教えてくれる。家の中にいる人の数は侯爵家の時とは比べ物にならない程少ないのに、今の家の方が何倍も安心できるとアルに思わせてくれていた。ここに居る大人は皆自分を守ってくれる。自分の心を大事にしてくれる。自分を『侯爵家の跡取り』としてではなく『一人の人』として見てくれる。その安心感が、アルの心にゆとりを持たせてくれていた。
そんなある日、ワッツが嬉しそうに言った。
「今度やっとフレッドさんの剣術指導に参加させてもらえることになったんだ!」
「今まで子供は危ないからって見てるだけだったもんな〜」
ワッツの話に自然にガゼルも話し出す。仲の良い兄弟は何時も一緒だから会話も掛け合いのようだった。
「アルのお陰だぜ!」
「え? 僕の?」
何のことか分からず聞き返したアルにワッツがキラキラさせた瞳で目を合わせた。
「俺たちはまだ小さいから剣を覚えるのは早いって言われてたけど、アルはもっと小さい頃から教えてもらってたんだろ? それを言ったらフレッドさんも言い返せなくなってさ! しかも俺たちの場合は手習いとかじゃなくて生活に関わってくるじゃんな! 遊びじゃなくて本気だって言ったんだよ!」
「教えてくれなきゃアルに聞くって言ったのも良かったよね!」
「基礎ならアルから聞けるもんな!」
そう言って笑った二人をアルは少しだけ驚いた顔をして見返していた。そういえば剣を触ったことがあるかとかの話をしたなと思い出す。
そうか平民の子供は剣を習わないのかとこの時初めてアルは知った。自分は紳士教育の一環として教わっていたから取り立てて興味が湧くものでもなかったから。でも思い返してみればワッツやガゼルをはじめ村の少年たちは村の警備をしてる男たちを見かけるといつも興奮して見ていた。カッコイイと言っていたのはフレッドの見た目やここでは珍しい柄や鞘の見た目のことを言っているのかと思っていたけれど、もしかしてあれは『剣を腰に下げている男の姿』への憧れから漏れた言葉なのかもしれないとここに来て初めてアルは思い至った。アルにとっては騎士は人の上に立つ人たちではなく後ろで控えている使用人たちと同じ立ち位置だったから、『憧れる』なんて感情を向ける対象であったことが驚きだった。
「当然アルも行くよな?」
「え?」
ワッツに振られた言葉に驚く。そんなアルの顔をガゼルが楽しそうに覗き込んだ。
「知ってるって言ったって、体動かさなきゃアルだって忘れちゃうだろ? 大人になって使えなきゃ意味ないもんな! 忘れる前に俺たちにも教えてくれよ! そしたら将来、村に悪者が出た時には皆で剣持って撃退しようぜ!
最強の三騎士! なんてな!」
「三騎士っ?! いいな、それ!!」
「この村を護る英雄だぜ!」
「強過ぎて王都から人が来ちゃったりして!!」
キャアキャアと盛り上がるワッツとガゼル兄弟のノリにいまいちついていけないアルが愛想笑いで付き合いながら二人の話を聞いていた。剣は別に好きでも嫌いでもない。でも体は動かしたいなと思った。それにこの村で生きていくなら万が一のことも考えて戦う術は必要だ。ワッツからの誘いを断る理由はないと思った。
ただ少しだけ……フレッドとどう接すればいいだろうかと思った。
それはオデットも似た思いだった様で、アルがフレッドが指導する集まりに参加すると聞いた時にはとても複雑そうな顔で笑っていた。
でも、ダメだとは言わなかった。
戸惑いながらも、怪我しないようにね、と背中を押してくれた。




