13>> 旅立ち
成人して半年ほど過ぎた頃、クレアは旅の準備をしていた。
必要な物を鞄に詰め込み、手に持った“クレアの花が入った瓶”をジッと見ながら、クレアは悩んでいた。
これを持って行こうかどうしようか……
少し悩んで、クレアは瓶を棚に戻した。落として割れたら大変だから、これは置いていこうと答えを出した。
2年ほど前からクレアは自分の部屋を与えられていて、そこに“自分の持ち物”を置いていた。見渡した部屋にはいつの間にか色んな物が増えていた。
ベッドの上には誕生日にアンナから貰ったヌイグルミ。他の友達から貰ったプレゼントも棚に飾ってある。この前アンナの部屋に行った時にクレアが上げたプレゼントが置かれているのを見て嬉しかった。
クレアの部屋の中には、クレアの大切な物が、今はたくさん置かれていた。
ここが『自分の部屋』なんだとクレアは嬉しくなる。
「クレアー、準備はできた?」
ダイニングから義母の呼ぶ声がして、クレアは鞄を持って部屋を出た。
「忘れ物はない?」
義母が優しく聞いてくる。
クレアは「うん」と返事をした。
「忘れてても届けてあげるから直ぐに手紙を出すんだよ」
義母の隣で義父が泣きそうな顔でクレアに言った。
「忘れ物、ないよ」
今はもう笑えるようになっていたクレアが少しだけ眉尻を下げて柔らかく口角を上げた。
そんな義父に義母はしっかりと苦笑した顔で笑った。
「貴方の心配性は年々酷くなるわね」
「だって〜……」
グスッと鼻を鳴らした義父に、クレアと義母は目を合わせて笑い合った。
家の外にはクレアを待っている荷車が停まっていた。荷車を引くのはシーデアと呼ばれる四足歩行の草食生物だった。今シーデアはワンと顔を突き合わせて匂いの確認を行っている。当然ワンもクレアと一緒に行くので荷車に乗るワンをシーデアは知る必要があるのだ。ワンは自分よりも何倍も大きなシーデア(馬)に全く臆することなく、むしろ尻尾を振ってシーデアを見上げていた。ワンがワンドリアド゠ガロム(名前)として育った牧場で飼われているウカウ(乳牛)を思い出しているのかもしれない。
余談だが、ワンは正式にクレアの家族となっている。既に元の飼い主である牧場主がワンのことをワンドリアド゠ガロム(名前)と呼んでもワンは顔を向けることもない(が、ワンと呼ばれればちゃんと向く)。その時の牧場主の悲しげな顔を義母と義父は何と表現すればいいだろうかと思ったのだった。
クレアは荷台に鞄を載せて自分も乗り込んだ。その後にワンが続く。
先に荷台に乗っていた聖女の一人が義母と義父に挨拶をした。そんな聖女に義父が声を掛ける。
「クレアを……どうぞクレアをお願いします……っ!」
そう言って半泣きになりながら頭を下げた年上の男性に、聖女がちょっと困りながら笑顔を返す。
「ご安心下さい。道中は騎士隊の方々が護衛して下さいます。今まで危険だったことは一度もありませんよ」
そんな先輩聖女の言葉に義父はまだ何か言いたげな顔をして、
「それも心配なのですが……」
とゴニョゴニョ呟くので、先輩聖女は気付いた顔をして義父に微笑みを向けた。
「聖女専属のメイドたちもいるので生活面でも支障はありませんよ」
そんな先輩聖女に義父ではなく義母が小さく頭を下げた。
「ごめんなさい。この人いくら言っても心配しっぱなしで」
そんな義母の言葉に先輩聖女が笑う。
「フフッ、最初はどの家も同じですね。わたくしの家も父が大騒ぎで、家の騎士を出すと言って大変でしたわ」
「まぁ……っ」
笑い合う二人をクレアも柔らかな表情で見つめる。
義母を見て、そして義父を見た。
義父は鼻を啜りながら、それでも笑顔を作ろうと頑張った顔でクレアを見ていた。
「…………」
「……クレア……」
その義父の声に気付いて義母が先輩聖女から視線を離して義父を見た。そして次にクレアを見る。
クレアも義母と目を合わせた。
「…………」
荷台に乗っているので二人を上から見下ろす形になっていたクレアは、二人と初めて会った時のことを思い出していた。あの時見上げていた二人を今はクレアが上から見ていて少しだけ面白かった。
シーデア(馬)を操る御者が「もう出してもいいかい?」と先輩聖女に聞いて、先輩聖女がクレアに「出してもらってもいいかしら?」と聞いてきたので、クレアは頷いた後に義母と義父に向き直した。
そして二人の目を見て微笑んだ。
「お母さん。お父さん。
行ってきます」
動き出した荷台の上で、小さく手を振って微笑むクレアに、義母と義父は少し驚いた顔をして、そしてとびきり優しい顔で笑った。
「「行ってらっしゃい、クレア」」
堪らず号泣した義父に義母が呆れて苦笑し、そんな二人をクレアは見えなくなるまで見つめていた。
『お母・・』。この言葉が『自分をこの世に作り出した人間の産み出した方の呼び方』だということをクレアがちゃんと理解したのはだいぶ後のことだった。
既に義母のことを受け入れていたクレアの中では『あの家で大声て騒ぎながらクレアを鞭で叩いていた女性』が『クレアの母親』だと言われても、クレアには全くピンともこなかった。
クレアの側ではタットやアンナや他の友達たちが『自分の家族の中の大人の女性』のことを「母さん」「お母さん」「我が母」と呼んでいた。そう呼ばれた女性たちはその時々で表情は違ったが、でも全員が優しい目をしていた。声だってギンギンと耳を突くような嫌な音じゃなかった。それに、ワンの元飼い主である牧場主に話を聞いた時に、「この3匹は俺が乳をあげて育てたんだから、俺がこいつらの母親だと言っても過言ではない訳よ!」と言っていたので、『母親』とは種族も性別すらも超えて使われる言葉なのだとクレアは知った。朝市の中では、年齢も違わなそうな男女が「おい、母さん」「なんだいアンタ」と呼び合っていた。
『母』とは『産んだ女性』のことを指す言葉の筈なのに全然『産んでなさそうな人たち』も使っていることに、クレアは最初こそ混乱はしたが、それでも『幅広い使われ方をする言葉』なのだと理解した。そして、そう理解してしまうと記憶の中にある不快な音である『おかあさま』という音が、何の意味のない、ただの『呼ぶ為に必要な音』だったんだと思えた。他の音もそうだった。何の意味も無い『呼ぶ為の音』。
『お母さん』もたくさん居るし『母親』もたくさん居る。『お母様』はここでは余り聞かないけれど、聖女の中ではその呼び方を使う人もいる。たくさん在る『母』という言葉に『意味』を持たせるかどうかは『言う人』次第なのだと、クレアは自然にそう感じとっていた。
だったら……、だったらクレアの『大切な母』とは誰だろうと考えた時、そこには義母しかいなかった。『クレアの母はマーサ』なのだと、何の疑問もなくクレアの心に収まっていた。だから友達から「クレアのお母さんは」と言われても何の戸惑いもなく義母のことが浮かぶ。そう思える時間を、義母はクレアと作ってくれてきたから。
自然に、本当に自然に、クレアはマーサとジンのことを『親』だと思うことができていた。『父親』などは、クレアは『義父』しか知らないから、尚更『他の年上の男性』がどうとかは思わなかった。
クレアには、マーサとジンという『母』と『父』が居る。そして種族は違うけれどワンという『兄』も……
だからクレアが義母と義父のことを『お母さん』と『お父さん』と呼ぶことも、本当に自然にできたことだった。
呼んでみたら……なんだかその呼び方はとても特別な繋がりがあるみたいで……
クレアの胸の中はなんだかむず痒い気持ちで溢れ、口元は無意識にムニムニした。
それがなんだか恥ずかしくて、クレアはワンの体毛に顔を埋めて先輩聖女からその顔を隠した。
◇
村の外の道に近付いた頃、クレアを呼ぶ声が聞こえた。
声の方を見るとタットが少し離れた場所に立っていた。
荷台からそちらに少しだけ身を乗り出したクレアに、先輩聖女が荷車を停めるか聞いた。
でもクレアがそれに答える前にタットがクレアに声を掛ける。
「クレア!
俺はこの村にずっと居るからさ!!
いつまでもここに居るから!
だからいつでも帰って来いよ!!
待ってるからな!!!」
「……! ……うん!」
大きく手を振るタットにクレアも手を振った。そんなやり取りを聞いていて御者は停める必要もないかとそのまま進み続けた。
タットは照れているのか直ぐに背を向けて走り出した。そんなタットの背中にクレアは見えなくなるまで手を振り続けた。
待っている。
そう言われるだけで嬉しくて、クレアは自然と微笑んでいた。
……………。
ポクポクポクとシーデア(馬)の足音を心地よく聞きながら、先輩聖女がクレアに聞いた。
「クレアさん。
貴女は今回が初めての遠出で、期間は10日ほどだったと思うのだけど……
さっきの彼はそれを知っているのかしら?」
「……? ……どうでしょう……?」
先輩聖女の言葉にクレアは不思議そうに小首を傾げた。タットに行き先は言った筈だが何日かとかの話はしていない気がする。そういえば「家を出る」という話をした後にタットは少し静かになったような気がする。なんだろう? とクレアは不思議に思った。
「……そうなのね。きっと帰ってきたらまた楽しいことが起こりそうね」
フフッと微笑む先輩聖女に釣られてクレアも笑った。
楽しいことは好きだ。
みんなが笑顔になるから。
クレアは何が起こるだろうかとドキドキする。
新しいことが楽しくて仕方がない。“知れる”ことが嬉しくて堪らない。
クレアは心のままに笑った。
笑顔は光の中で輝いていた。
……クレアとの今生の別れかのように泣いていたタットがアンナに見つかって大笑いされるという大恥をかいたが、タットはクレアがこの村から出ていく訳じゃないと知ってホッとしていた。聖女が瘴気の関係で家から離れた場所まで行くことを忘れていたのだ。
クレアはこの先も大好きな家族と友人たちのいるこの村で愛に囲まれて幸せに生きる。大人になれば笑えることばかりじゃないだろう。当然クレアにも嫌なことが起こるだろう。だけどもそれも、それも『他者と関わらなければ経験できない出来事』で、きっとそんな時でも、きっとクレアの側には誰かが……義母や義父や、友達たちや知り合った人たちの誰かが居てくれると思えるから、だからクレアは新しいことをするのが怖くなかった。
エーが孤独だったのだと今のクレアには分かる。そのことで心が苦しくなることもあるけれど……それでも、明るい世界がクレアには何よりも魅力的に見えるから。
だからこれからもクレアは行けるところへ行こうと思う。
帰る場所が……待っていてくれる人たちが、クレアには居るから。
〔 完 〕
※最後までお付き合い頂き、ありがとう御座いました。
作中に独自生物を出した所為で(強火ざまぁに必要だったので)『馬車』の単語が使えずに苦労しました。皆様もお気を付け下さいませ( ˊ∀ˋ ;)
この後は『番外編』を予定しています。上げましたら宜しくお願いします(^v^)