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【8月21日】



六日目。


行こう、やめよう、やっぱり行こう、やっぱりやめよう。

何度も気持ちが行ったり来たりしまくった。

もう日も沈むし、待ってるなんて言ってもこの時間じゃ、きっと旅立つ準備をしているはず。

行くのをやめよう。


決めたはずなのに、涙が止まらなくて。

日付が変わってしまったら二度と会えない気がして。


気づいたら、君の家の前にいた。

出迎えた君の驚いた顔、忘れられない。


案内された君の部屋からはライトアップされた夜の庭が見えた。



『もう会ってくれないんじゃないかと思ってた』



君は今まで見たことない真剣な表情で、私の目を射るように見つめてきた。


何か言いかけたように見えた唇が戸惑うようにすぼんで、すう、と息を大きく吸っていよいよ話し始めるかと思ったらまた止まっての繰り返しに、私はまるで受験かなにかの合否結果を待つような気持ちになってた。



『ずっと、あなたのことが好きでした』



え?

耳を疑う言葉が飛び込んできた。



『去年、駅前のネカフェでバイトしてたでしょ。読んでたマンガの続きが棚になくて、バラバラになってたのを別の棚から探してきてくれたんだよ。優しくて可愛いくて気になった。その後も時々見かけて、休憩入りまーすってソフトクリーム山盛り持っていくの見たらツボっちゃって、すごく一緒にいたいなって思って。でも俺、海外行くっていうのはもう決めてたから、日本で彼女とか作れないなって思って声も掛けられなくて』



ネカフェで会ってたんだ。

ぜんぜん覚えてなくて、ソフトクリーム山盛りとか恥ずかしいし、大混乱した。



『でもあの日、弾き終わった後に声掛けてくれて。ビックリしたけど、気持ち抑えられなくて、こんなチャンスもう絶対ないって思ったから。咄嗟に俺、頭ん中でモテそうなイケメン必死に作ったんだ』



ごめん、ただのチャラい男子にしか見えなかった、って言ったら。

方向性、間違ってた? って君が気まずそうに苦笑した。


君が耳まで真っ赤にして、くしゃくしゃになって照れ笑いする顔をみたら、今までのことなんてどうでもよくなった。


最初から話してくれてたらよかったのに。

そうも思ったけれど。

私もそのチャラいのにまんまと引っかかっちゃったから、成功だよ。


それで、君が照れ隠しなのかテレビをつけた。


聴き憶えのある曲。

君が何度も弾いてくれたパッヘルベルのカノンだった。


CGで作られたデコボコした立体の上を、色のついたキューブが曲に合わせて滑ったり飛んだりしていて、それを見た君は急に音楽家の顔になった。



『これ、カノンの構造を可視化してるんだ。ほら、音と映像をよく比べてみて。音階がこのデコボコの通りに、登ったり降りたりしてるでしょ』



よく見ると、デコボコはカラオケの採点画面を立体的にしたような形だった。

段階的に上がり下がりするフレーズは階段状になってて、音が伸びるところは坂道とか、そんな感じだった。



『簡単に言っちゃうと同じフレーズを少しずつずらして演奏する、いわゆる輪唱の形がカノンなんだ。だからデコボコを3つのキューブが時間をずらして追いかけるようにすると、ね』



一緒に見ているうちに、思った。

なんかさ、こうしてみると、カノンって人の一生みたいじゃない?

ほら、追いかけて、出会ったみたいに見えても置いていかれちゃう。

呟いたら。


君は黙ってしまった。


山があって、谷があって、それでも先を進むキューブは、どんどん、どんどん前に行って、後ろから追いかけるキューブは絶対に追いつけない。

まるで私たちみたいだ。



『俺たちがもっと大人だったら、一緒に行こうとか言えたのかな』



長い沈黙の後、君が庭の方に顔を向けたままでポツリと言った。

どこを見てるのかわからないような横顔に、返事をするのを躊躇ったけど。

沈黙のほうが耐えられなくて、

わかんない。大人になったことないから、って答えたら、

うん。俺もだ、って、振り向いた君の瞳が涙で潤んでた。

今にも零れ落ちそうな涙が庭の光を集めて、下睫毛の付け根で揺れた。


男の子の涙なんて、反則すぎた。

終電の時間は、とっくに過ぎてた。



――君が日本を発つまで、あと一日。




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