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運命リレー  作者: 手ノ皮ぺろり
序章『悪運は死と踊る』
1/5

眠りから覚めたら

 とある宿場町の宿酒場の一角で、一人の薄汚い身なりの男が長椅子に腰かけて、眠っていた。

 首筋までかかる髪はまとまりがなく伸び放題で、元は黒一色の様だが、所々に白髪が混じり、方々に無秩序に広がり、逆立ちうねり、絡み合い、みるからに不潔な印象を与えた。数センチはある顎鬚は長らく手入れされていないのか、固まって黒と灰が混じり合い老いた雰囲気を強調する。薄黒く煤けた顔は百歩譲っても精悍には見えず、眉間、目尻、頬に刻まれた深い皺が暗い影を落とす。頬骨の下はこけて骨格をそのまま浮かせ様だった。

 毛皮を主体とした防寒性能を優先した衣服は、元は白い毛で覆われていたのだろうが、変色して黄ばみ、茶色がかっていた。丸まった背中は、見た目いじょうに老けてみせる。


 そして、男はおもむろに身じろぎしたかと思うと、その双眸がゆっくりと開かれた――。


「ん? どこだ、ここは――?」


 小さく呟かれた言葉が室内の空気に溶け込んだころ、急に慌てた顔つきになり立ち上がったが、幾ばくも無い寸時で、右脚をかばう様にして、再び座り込んだ。その様子を眺めていた他の客たちが、珍奇なモノを見る目で首を傾げた。


(痛い……? いや、だるいと言った方が正確かな。右脚の脛あたりに何か……)


 男は膝上から脛あたりまでを覆った毛皮の衣服に手をかけて、その上から右脛の外側をさすった。そして、周囲の様子を確かめるつもりなのか、ゆっくりと首を左右に動かす。その視線の先には、カウンターの前の席に座る男たちの丸まった背中、柱に貼りつけられたお品書き、壁際に並んだテーブルと椅子に陣取り、酒らしき飲み物を持ち、料理を囲み、小さな祝宴に興じるガラの悪そうな一団が目に入った。皆、一様に何処か沈んだ空気を発していて、表向きは溌剌と粋が良さそうに見えるが、それは背後にある何かを隠すためのから騒ぎに思えた。


(本当に分からないぞ……? 僕が何故、ここにいるのか、まったく思いだせない)


 カウンターの奥からは、時折、給仕とおぼしき女が現れ、手に持った皿を並べ、料理名と席の番号らしき数字を叫んで帰って行く。すると、客が取りにやってくる。それが幾度か繰り返され、一通り行き渡ったのか、しばらくして動きは途絶え、場は賑やかな喧騒に支配される。

 奥の壁には、何かの紋章でもあるのか、竜の様な生物と何らかの乗り物を象った垂れ幕がかかっていた。その他には装飾らしき物は少なく、観葉植物の類が幾つか置かれていて、天井の太い梁からは、何やら不可思議な文字が描かれた木製とおぼしき三角の数珠つなぎの飾りが垂れ下がっていた。その近くには光源のランプがあり、どういった原理かは不明だが、煌々と辺りを照らしていた。


(ここは一体どこなんだ。脈絡がなさすぎる。前後のつながりの手がかりが記憶の中に……?)


 男は、周囲の観察をやめ、膝に肘をつき、顎に手を当て何事かを考え始めた様だ。


(僕は確か……。旅行でバスに乗ってて……。それで)


 男の見つめる眼前の空間は隙間なく板で覆われた周囲の床と異なり、掘り下げられた土間になっていて、その正方形の中心には枠組みの上に火が焚かれていた。幾つも並べられた薪は、燃え尽き、灰を残し、辺りを薄墨に彩る。その場の熱気が周辺の空気そのものを温めているのか、剥き出しの顔の表皮は橙に照らされると同時に、熱っぽく色づいて見えた。

 男の座っている二メートル程の長椅子は、丸太を半分に断ち割った物に小さな脚部を取り付けた簡素な作りで、低く背もたれもなく、座り心地は悪そうだった。

 目の前で赤々と燃え上がる焚き火の炎は、時折、小さく弾ける音を立てながら、無数の火の粉を羽虫の様にゆらゆらと周囲に飛ばす。男は呆然とその様を眺め、思索にふけっているのか、その瞳は虚ろで焦点は合わない。


 その焦点の定まらない暗い瞳に、焚き火の炎が映り込み燃え盛る赤を放つ。


(火だ! 火――そうだ、あの時、何かが起こって、バスが――)


 男は何かを思い出し、再び立ち上がろうとしたが、前方のカウンター席に座っていた二人組が、話し出したのを見て興味深そうに聞き耳を立てている様だった。


「おい、聞いたか? 明日のジョンドア大平原での戦。……オーリスの白竜騎士団が参戦するって噂だぜ。俺もさっき外で聞いたんだが、うちの団もよその団ももっぱらその話題でもちきりだってよ」


 話をふられたもう一人は、暗い横顔を覗かせて、声音を抑えつつも、驚愕の仕草を取る。心なしか焦りも見える様だ。


「マジか! 白竜騎士団は遥か北西の要衝、イーナント砦の防衛に当たって、こっちには出てこないって話だったじゃねぇか! 確か、オーカストの正規軍がそっちにも陣を張ってたはずだろ? こっちと同じく大量の傭兵を雇い入れてよ」


 隣の男はその反応に大袈裟に首を振って返す。覗いた横顔は同様に暗かった。


「それが、そうもいかないらしい。……多分、全員は出てこないんだろ。あの恐ろしい氷竜を多数したがえた竜騎士たちだぜ? 少数でも十分な戦力になるだろ。それに、空を飛んですぐさま合流できるほどの機動力もある。使わない手はないと判断したんだろ」


 二人の男たちは、暗く沈んだ顔を正面に向けて話を続ける。


「もし、そうなったら――俺たちは全滅だろうな……。それも、全員、氷漬けで」


 片方の男は自らの肩を抱き、激しく足を踏み鳴らし始める。


「嘘だろぉ。嘘だと言ってくれよ。……氷像になって死ねたらまだいい方さ。それなら死体も残り、墓にも入れる。遺族に多少なりとも金も出るだろ。だが、粉々に砕かれちまったらもはや誰の死体かも分からねぇんだぞ! オーカストの連中は狡猾だ。そうなりゃ、契約を違える算段を始めるに違いねぇ!」


 もう一人はその言葉を強く諫めた。


「声が大きい! 腐っても俺たちの雇い主だぞ。悪く言えば、誰が聞いてるとも知れねぇ!」


 自らの肩を抱いた男は、小さく「聞いてねぇ、そんな死に方は嫌だ」と繰り返し続けていた。

 一部始終を目撃した焚き火の前に座る困惑した男は、ひとり密やかに驚愕の様相を取る。


(戦……? 戦争ってことか? それも明日? 状況がまったく呑み込めないけど、ここにいるって事は、まさか、僕もそれに関わるのか……?)


 そこへ背後から近づいて来た何者かが突然、空いていた隣の席に座り込んで男の肩に右腕を乱暴に乗せた。その振動で男の側に置かれていた小さな木製のコップが音を立てて転がり、中身を床へぶちまけた。辺りに酒気を帯びた臭いが漂う。

 隣に座った男は悪びれた様子もなく、図々しく野太い声で話しかける。


「ちょいといいかぁ? なあ。賭けねぇか? おい」


 突然、馴れ馴れしく肩を抱かれた男は、困惑した様子で声を絞り出した。


「か、賭け……?」


 図太い男は、空いていた左腕を正面に回し、隣の男の腹部を軽く殴りつけた。


「うぐっ」


 その反応が余程おもしろかったのか。大声で笑いながら続ける。


「ぎゃはははっ! この程度で呻くかよ!? 悪運のクライブもなまったモンだぜ!」


 クライブと呼ばれた男は、困惑した様子で押し黙る。


(クライブだって……? 僕の、名前なのか?)


 楽しそうな男のだらしなく開かれた口には、黄ばんだ歯が欠けて不揃いに並び、酒臭い呼気をばらまき、唾を飛ばしながらまくし立てる。


「賭けって言ったらよぉぉ! 決まってんだろぉがッ! 俺は、テメエの戦死に全財産を賭ける! テメエも自分の死に賭けるんだよぉ! おっと! 自決はなしだぜぇ! ぎゃははは!」


 一人で腹を抱えて狂乱する男を横目で見やりながら、クライブはただただ困惑していた。周りの客たちは野次馬の様に、嗅ぎ付け、囃し立て始める。


(何の話だ? 二人とも同じ方に賭けるんじゃ、勝負になってない。狂ってるのか? ……それにしても、こいつの様子だとやっぱり僕も戦争に参加するのか)


 ひとり芝居で絶頂を迎えた男は、狂ったような哄笑を上げながら、クライブを背中から突き飛ばした。その唐突な行動にバランスを崩して、危うく炎の中に飛び込みそうになった事に激昂したのか、すぐさま振り向いて男へと反撃を加える。


「何をするんだ!」


 左腕で軽く払いのけた様に見えたが、男は大袈裟に壁際へ吹っ飛んでいき、背中をしたたかに打ち付けた。今度は男の側が呻き声を上げ、口の端から涎を垂らす。


「うぐっ。テメエ。何しやがる! そっちがその気ならやってやんぜ!」


 男は腰のベルトにぶら下がっていた短剣を抜き放った。それを右手にちらつかせながら、狂犬の様な目つきでクライブを睨み付ける。だが、次第に口元は半笑いになる。周りの客たちは武器が抜かれたのにも関わらず、止める様子は見せずに大声で野次を飛ばした。「やるんなら血ぃ見せろやぁ!」と一際おおきな怒声が聞こえた。


(クソ! こいつら、どんな倫理観してるんだ!)


 クライブは困惑からか、それとも恐怖からか、微動だに出来ずにいた。


「どうしたぁ? 悪運ともあろうものが、こんなチンケなナイフ一本にビビッてンのかぁ? ああッ!?」


 男はゆらりと揺らめきながら踏み込み「人間、ほっときゃ、落ちるとこまで落ちるモンだよなっ」と突き出したナイフで牽制しながら素早く近づいて行く。

 躱すために距離を取ろうとした所で、クライブは右脚をかばう様な動きを見せ、その場に留まった。男は容赦なく迫り来る。


(クソ! この右脚、力が入りにくい……!)


 手が届く距離まで近づいた男は、にやりと笑い、ナイフではなく、素手の左腕でクライブの顔面を思い切り殴りつけた。

 だが、その衝撃にもほとんどよろめく様子を見せず、鼻血が一滴ながれただけですんだ。


(何だ!? 痛い、痛かったけど、思っていた程じゃない! 余裕だ)


 そのクライブの様子に男は、にわかに青くなり、にやけ面もなりをひそめて、慌ててナイフを両手で持って構えた。周りからは相変わらず「どうしたぁ!? それだけかッ!」と怒声が響く。


「く、クソが! 蚊ほども効いてやがらねぇ! だがぁ、こいつで刺せばどうなるかな!? テメエのクソ詰めのはらわたでソーセージを仕込んでやンぜぇッ! ぐひゃひゃひゃ!」


 意を決した怯えた男が、再び踏み込もうとした瞬間、その場の空気を切り裂く明瞭でいて簡潔な声が響き渡った。


「そこまでだ!」


 男は慌てて振り返り、声の主を見た。

 その場に立っていた黒ずくめの大男は白く短い逆立った髪に、額から右目、頬にかけて大きく抉れた古傷があったが両目はしっかりと見えている様だった。威厳を感じさせる立ち姿で大男は続ける。


「俺たちは傭兵だ。命知らずで、明日をも知れぬその身を持て余す、荒くれ揃い。こういった喧嘩などは日常茶飯事だろう。適度にやれば発散にもなる。……だが、度を越えた行いは見過ごせんぞ?」


 その強い語気に男は射竦められた様に動けなくなり、情けなくもごもごと反論を試みる。


「いや、しかし、団長。こ、こいつが、先に手を――」


 団長と呼ばれた大男は「問答無用」と小さく呟き男の肩に手を置いた。


「明日は大戦だ。出立の時間も早い、もうバカ騒ぎは終わりにして眠るんだな」


 その言葉を受けて、毒気を抜かれた様に、すごすごと後ずさり、壁際に備え付けられた階段を足早に登って二階へ消える。踏みしめられた板が軋む音だけがその場に残った。


「そっちのお前たちもだ。明日は早い、そこまでにしておけ。酒が残った状態では、出足が鈍るぞ」


 卓を囲んで祝宴を開いていた男たちは、口々に不平を垂れ流しながら立ち去っていく。「ちっ。明日は今生の分かれかも知れねぇってんだ。この後、女でも抱こうと思ってたのによぉ」と恨めしそうな声が別れ際に聞こえた。

 酒場の従業員たちはいそいそと片づけを始める。その中で、団長はクライブを無言で見つめていた。そして、おもむろに口を開く。


「悪運……。クライブ・ヴァンスダンテ。さしものお前も明日は危ないかも知れんな。……明日の戦。遠く北西のイーナント砦より白竜騎士団の参戦が危惧されている」


 団長は遠い目をして、静かに語り続ける。


「お前の経歴は大まかには知っている。その悪運の強さ……。どんなに酷い負け戦からも生還し、そんな歳になるまで傭兵を続けている」


 そこで一度ことばは切られた。続きを言うのをためらっているのか。


「余りにもお前だけが、生き残る。他の者が全滅しても、だ。……その様を指して、一部では死神と呼ばれ忌み嫌われている事も知っている。そして、数々の傭兵団を流れてうちへ来た事もな。傭兵は験を担ぐ、凶兆を遠ざけるのは当然だ」


 団長の言葉の端々には万感の思いが感じ取れた。クライブはそれを無言で聞き続けていた。


「だが――お前が死神のはずがないだろう? お前は、歴戦の精兵だ。死神がお前を恐れて避けて通るのだろうよ」


 クライブを真っすぐに見据える目には、期待とも悲嘆とも取れぬ様相が表れていた。


「お前の働きに期待しているぞ。そして、出来れば、我が団の者たちも死神の刃を躱せるよう、祈ってやってくれ。では、また明日あおう」


 団長は一方的な言葉を告げて、それをこの世との別れの句にでもしたのか、満足した様子を見せていた――。

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