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思案顔でアリーナがライを見れば、ライが真剣な顔でじっとアリーナを見ていた。
「何?」
「私の料理を食べてくれませんか。」
「いいわよ」
アリーナは即答する。こんなおいしいものが食べられる権利ならいくらでも欲しい。あいにく料理は出来ないが無駄に舌だけはよく、忙しすぎて職場の味気ない食堂で1日2食も食べるはめになるアリーナは美味しいものに飢えていた。即答とも言えるアリーナの返事に、ライが顔を緩める。
どうやら料理をすることを理解されて嬉しいらしいとアリーナは理解して、料理が出来ても出来なくても困るものなんだと思う。
アリーナは既に結婚は諦めている。料理が出来ないから。
でもきっとライは結婚したくても自分より料理の下手な人のご飯を食べ続けるのが苦痛だったんじゃないだろかと考えた。
もしくは…相手の料理にああでもないこうでもないと口を出してしまったか。
はたまた この料理の腕を披露してしまったか。
結婚から遠ざかるとすれば、まちがいなく3番目だろう。このことが噂になっていないのは、男性が女性よりおいしいものが作れるなんて女性にとって不名誉なことはないからで、誰も口にしないからだろう。
2番目は、それこそ母親の味を求める男性がいないわけではないからで、それぐらいで今まで全ての結婚の話がなくなるとは思えない。
1番目も苦痛かもしれないが、結婚したいのであればライに我慢する余地はあるかもしれない。
よってライが結婚できないでいるのは、3番目に違いないとアリーナは結論付ける。
無論、おいしくグラタンを頬張りながら。
小さい皿はあっという間に空になり、おかわりを所望したら、それなりの量がわたされた。
お腹がすごくすいていた訳ではないが、美味しさゆえにフーフーと冷ましつつも、スルスルと胃に入って行く。
隣ではライも残りのグラタンを食べている。
整った顔立ち、約束された将来、鍛えられた体躯。会場でのスマートな立ち振舞い。どこをとっても結婚相手に最適だろうに、ただ料理ができるってだけで結婚したくてもできないなんて可愛そうに。
アリーナは同情にも似た気持ちでライを見れば、ライと目が合う。
「どうかしましたか」
「料理ができるのも大変ね」
だが、アリーナの予想に反して、ライは首をふった。
「私の趣味ですからね」
「でも…そのせいで結婚できなかったんでしょ」
率直なアリーナの言葉に、ライは苦笑する。
「いいんです。それに」
言葉を切ったライの目に…アリーナを見る目に熱が籠ったのがわかる。なぜ?
そのアリーナの疑問はすぐに解消した。
ライの流れるような動きでアリーナの手にあった皿とスプーンは手から離れ、なぜかソファに倒されたアリーナの上にライが覆い被さっている。
新たな疑問がアリーナを襲う。
なぜ?
「えーっと、騎士団副団長様?これは一体?」
アリーナの疑問にライは恥ずかしそうに微笑む。
「アリーナ嬢…いや、アリーナが現れるのをきっと運命の神様が待っていたんですね」
いやそれ答えになってないし。
アリーナの突っ込みは言葉にならなかった。
何せ、口を開きかけたとたん、ぬるっと熱いものがアリーナの口のなかに飛び込んできたせいだ。
ん!ん!と声にならない声でライの体を押し返そうと手で押すが、文官で華奢な女性であるアリーナと武官でがっしりした男性のライの力の差は明らかだ。ライはびくともせず、しまいにはアリーナの押し返そうとする腕を捕まえて、更にアリーナに密着する。
口の中を這い回るライの熱は、アリーナのやけどでじんじんとした痺れの残る口の中に更にじんじんとしたしびれをもたらす。
アリーナが受けたこともない感覚がぞわぞわと体に沸き起こる。
アリーナの唇から熱源が離された時には、アリーナはくたりとソファに沈み混んでいた。アリーナが力の抜けたまま見上げたライは、唇のはしに残る誰のものとも特定できない唾液を舌でなめとると妖艶に笑った。
今の今まで突然の出来事に流され動いていなかったアリーナの頭が、その笑顔にドキリと心臓が鳴ったのを皮切りに動き出す。
「…どう…して」
アリーナの疑問はかすれてはいたものの、ライには届いたらしい。
「私の料理を食べてくれるって言ったでしょ」
それがどういう意味を成すのか、アリーナは全く想像つかない。
「食べ…る…って言った…だけ、よ」
「女性側に料理を食べて欲しいと請われれば、結婚の意味を示すんじゃなかったですか」
「…へ」
思いもかけない話の内容に、アリーナはあっけにとられる。
いや、確かにそうなのだが、アリーナはライが男性であるがゆえに、それがプロポーズの言葉だとは気づきもしていなかった。