番外編7
おぼつかない手つきで、ライは赤ん坊を抱え上げる。
「軽いですね」
ライの目が驚きで見開かれる。
「まだ生まれたばかりだから」
アリーナはライと向かい合うように立つと、赤ん坊に甘いまなざしを向ける。
「ああ、この眉毛は、アリーナとそっくりですね」
目をつぶった赤ん坊が見せる特徴を、ライは目で追っていく。
「そう?」
アリーナは普段自分の顔をきちんと見ていないため、顔のパーツのどこが似ている、と言われても、いまいちピンとこない。
「この唇も、アリーナにそっくりだ。」
「…そう?」
アリーナがピンとこないまま赤ん坊を覗き込んでいると、赤ん坊の瞼が少しずつ開く。
「目の色はライに近いわね」
ふふ、と笑うアリーナに、ライも嬉しそうに笑う。
「将来は美人になりそう。」
アリーナは自分とは違う目を持つ赤ん坊を見ながら、将来を思い描く。
とたんに、ライが眉を下げる。
「それは困りますね」
「どうして」
アリーナがライを見上げると、ライが首を振る。
「虫退治が大変そうだ。」
ライの嘆くような声に、アリーナが肩をすくめる。
「この子だって恋をするわ。それを止めることなんてできないでしょ」
「いえ…この子のことではなくて…。」
「アリーナ、ライが想像してるのは、この子の将来じゃなくて、自分たちにいずれできるかもしれない娘の話だよ」
呆れたため息をこぼしたのは、エリックだ。
「…だって、今この子の話してたわよね」
アリーナが首をかしげると、ライが苦笑する。
「ついアリーナに似ているな、と思ったら、生まれるかもしれない娘のことを想像してました」
「…エリック兄さまの娘を抱っこしながら、いもしない想像上の娘のことなんて考える必要はないんじゃない?」
アリーナも流石に呆れる。
「でもアリーナに似てるから…。」
ライはそう言いながら、うっとりと腕の中の赤ん坊を見つめる。
「まあ、私とエリック兄さまは兄弟だから、似てるところもあるかもしれないけど、言うほど似てないと思うわよ」
ね、とアリーナはエリックの妻であるキャシーを見る。
だがキャシーはクスクスと笑う。
「よく似たきれいな顔をしてるわよ? この子もエリックに似て嬉しいのよ」
それを褒め言葉として取っていいのかわかりかねて、アリーナは複雑な表情になる。
「キャシーに褒められたのに、何でそんな顔するんだよ」
キャシーにべたぼれのエリックがアリーナに文句を言う。
「だって、キャシーはエリック兄さまにべたぼれだから、あばたもえくぼってやつなんじゃないかと思って。似てるかもしれないけど、きれいかどうかはわからないわよね」
「…そのまま取ってくれ。」
エリックは自分がした悪戯を思い出して、アリーナに願いを込めて伝える。アリーナの結婚式当日まで持っていた手鏡は、確かにエリックが昔悪戯したままの歪んで見える鏡だった。多分交換したのはアリーナにもライにもばれてないはずだ。
そのゆがむ手鏡のせいで、アリーナは小さいころに自分の顔がひどいものだと思い込み、きちんとした鏡をまじまじと見たことがなかった。だから、ライが褒めているのは、頭がおかしい、と認識している。それは、普段鏡を見ない今も続いている認識だ。
「あれ、義兄上。何かありましたか?」
ほんの些細な動揺だっただろうに、エリックの動揺をライが目ざとく気付いたらしい。
「いや、キャシーが俺にべたぼれだからって、疑うってないだろう?」
エリックは何でもないことのように誤魔化した。
「そうですね。私も義兄上の意見に賛成です」
力強く頷いたライに、エリックはホッとする。
「でも、アリーナの認識がおかしいのは義兄上たちのせいでもありますからね。是非、これからは頻回にアリーナを褒めてあげてくださいね」
ね、と赤ん坊に向かって話しかけるライに、アリーナとキャシーはきょとんとするが、当のエリックは背中にだらだらと汗を流す。
「勿論! 俺らだってアリーナのこと可愛がってたよな?」
エリックは今更と理解しつつも、少しだけ話をずらしてみた。
「そう? よくいたずらされてたのは覚えてるけど」
あー! と叫ぶエリックの心の声は、きっとライにはばっちりと聞こえたのだろう。エリックとライの目が合った。
「いたずら好きの女の子になるかもしれませんね」
ニッコリと赤ん坊を渡してくるライに、エリックは明日の仕事の予定を思い出す。
ああ、もしかしたら騎士団と何か交渉があったかもしれない。いや、たぶんあった。いやいや、間違いなくあった。
…明日の交渉が分が悪いことになりそうだと、エリックはため息をついた。
「あー。」
ニコリと笑う娘にエリックはささくれた心が癒される。
「かわいいわね」
アリーナも笑顔の赤ん坊に癒されている。
「アリーナ。そろそろ帰りましょうか?」
「へ」
アリーナはライにかけられた声に、キョトンとする。
「まだ来たばかりよ」
「ええ。でも、赤ん坊を見ていたら、家に帰りたくなりました」
そのライの言葉にキャシーがクスクス笑い出し、それでようやくアリーナはライが言いたいことを理解する。
「ちょっと、嫌よ。まだ赤ん坊を見てたいの」
アリーナの耳は赤くなっている。
「アリーナ。ほら、お前のところ休みは今日だけだろ。もう帰ってゆっくりした方がいい。」
エリックは迷わずライを後押しした。
それ以外に選択肢がないからだが。
「そうね、アリーナ、また見に来て」
クスクス笑ったままのキャシーも、エリックの言葉に倣うようにアリーナたちの帰宅を促す。
「ほら、アリーナ。帰りましょう」
抵抗するアリーナは、ライによって易々と横抱きにされ、帰らざるを得なくなる。
「また来てね」
何とか歩きで家を出ることになったアリーナに、キャシーが苦笑しながら手を振る。
「今度一人でゆっくり赤ちゃんを見に来るわ」
「いいえ。今度来るときも二人で来ますよ」
ライの言葉にアリーナはムッとする。
「…今度はもっとゆっくり赤ちゃんと遊ばせてくれるの」
「善処します」
たぶん無理だろうな、とエリックとキャシーは心の中だけで思う。
ライとアリーナを見送ると、エリックはホッと息をついた。
明日のことを考えると頭が痛いが、まあ、帰るのに協力したから多少マシだろう…と思いたい。
ライのことを侮ってはいけないと、エリックは心に再び刻み付けた。
完




